優しき挑戦者(阪大・ゲスト篇)

「違うことこそええこっちゃ」と説く 松葉杖のおっちゃん 2002.5.22(午前)
牧口 一ニさん

記録と編集:中村寿美子さん+井原真由子さん

― 牧口一二さんのご紹介 ―
牧口さんと相合傘

ゆき:  朝日新聞では「朝日福祉賞」を毎年お正月に差し上げているのですけど、牧口さんはこの賞を受賞をされた方です。牧口さんの講演を小中学校の時代に聞いて福祉の道に進んだ大学の先生たちがたくさんおられます。そのように人生の目標まで変えてしまう牧口さんのお話しを今日は堪能して下さい。牧口さんに会ったことのある人います?テレビで観たことある人は?

牧口:  小学校や中学校で聞いたことない?

ゆき:  NHKの教育テレビの常連でもあられます・・・

牧口:  レギュラーね。

ゆき:  常連、じゃなくてレギュラーでいらっしゃいます(笑い)。
 それではお任せいたしますので、よろしくお願いいたします。

―――拍手―――

― 牧口さん流レジュメとは・・・ ―

牧口:  そんなん拍手なんて…。おはようございます。
 私にこのような機会を与えて下さって本当にありがとうございます。若い人からエネルギーをもらって、今日は帰りたいな、そんな風に思っています。
 なんかあの皆さんのお手元に分かったような分からないようなレジュメがですね、届いてるんやないかと思いますが、あの、ゆきさんにも断ったんですけど、私は先にレジュメを渡してしまうと、それに縛られてですね、本来の話が出来ないタイプで、大体レジュメは作らないことにしてるのね。その日聞いて下さる方の顔色を見ながら自然に話が出てくるタイプっていつも言ってるんです。が、連続講座なんかがありましてね、どうしたって前もって冊子を作る。で、冊子を作るのに牧口のところだけ真っ白っていうのも、具合が悪いからなんか書け言われて、仕方ないからって、どうとでも取れるというか、どうでも応用が利くような感じで、今皆さんのお手元にあるようなのを作りました。

 そやから、これを作って10年以上経つんやないのかなって思います。どこいってもこれを勝手に、「あ、どうぞどうぞ、つこて下さい」ちゅう感じで、渡してるようなええ加減なものなので、あまり縛られないで下さい。

 ただ、この項目、読んでもらってどうしても皆さんが気になるっちゅうか、引っ掛かって、もうちょっとここんとこ詳しく知りたいっていう箇所があったら、後で少し時間をとりたいと思うので、その時に「3番について述べよ」とか、「5番についてしゃべれ」とか言うて下さい。そんなら少しぐらいだったら、その時間を取りたいと思います。

 そこに5つ項目挙げてますけど、1つの話が1時間半くらいかかるんです。だから皆さんが今日夜中まで付きおうてくれはるんやったら、1から5まで丁寧にやりますけど、まぁ、恐らくそういう時間はないと思うのね。

― 大阪の障害者運動の特徴ってなんだろう ―

牧口:  ゆきさんからお話を頂いてから、「どんな話を聞いてもらったらいいんですか」って電話で話をしてたら、「大阪の障害者運動の話をしてほしい」と言われました。よく東京の人に言われるんですよ。ゆきさんもきっとそういう感覚をお持ちなんやないかと思うんですけど、「あれは大阪にしか出来ないの?」ってよく言われるんやね。例えば運動がそうですし、いろんな企画についてです。
 いろんなことをやっています。そしたら、その度に、「ああ、こういう発想って大阪しか出てこないよね」とか「あるいは大阪にしかやれないよね」とか、そういう言い方を関東の人からよく言われるんですね。

 僕は生まれて大阪でずっと生きてきた人間ですから、言葉で言われても、どこがどう違ってんのかピンとこないんですよね。
 時々東京にも行くんですけど、ちょっとだけ感じてんのは、東京は非常に理論派が多い。物事をやろうとした時に、先にそれを突き詰めて考えるんですよね。理論を立てて、これはやれる、これはやれないっていうことで、それから運動に移行していくっていうケースが割に多いように思います。

 ところが大阪は、そこまであまり深く考えないで、発想が出たら、一応みんな考えるんですけど、「いいじゃない」とか、「問題抱えてても、まぁ、やってみんとわからんか」とか、「でも、もし問題出てきたら、やってる途中で考えたらいいやん」とか、そんなノリで運動が始まってしまうところが結構あるんやね。だから、割に気軽に運動に入ってしまうとか、その辺が関東と大阪の違いなのかなってくらいは思いますけど。僕自身が感じてんのはその程度のことです。だから、言い方変えたら、非常な無責任な運動をですね、大阪中心で関西の方はやってんやないのかなっていう思いもありますね。反省を込めて。

― 地下鉄にエレベータをつける運動の始まり ―

牧口:  大阪の障害者運動って言いましても、僕、全部を分かってるって言うわけではないんで、私が、一番熱をいれた運動の思い出話を少し聞いてもらって、そこから「大阪らしいかな」、「べつにこれは普通やん」ってどういうふうに捉えてもらうかは皆さんにお任せして始めたいと思います。

 僕が「障害者の運動」と言えるものを始めたのは、大阪の地下鉄にエレベーターをつける運動からです。1976年に始めています。だから今から言ったらどないなんのかな、26、7年なりますかね。そんな前に運動を始めてます。
 ただしね、私たちは突発的に運動を始めたんではなくて、これは僕の体質に割に合ってると自分でも思うんですけど、「何々すべきであるから運動を起こそう」っていうんはないん。自然発生に運動が、私の場合は起こっております。

 70年代に入ってから車椅子の人が街にどんどんどんどん出始めたんですね。それまではね、障害者の運動と言えるものがあんまりなくて、どっちかいうと障害者は専門家の人たちに、保護される状態で生きてきました。
 ところが1970年に入って障害者自身が物を言い始めたんですね。それが障害者運動の始まりって、大雑把に言えると思うんですけど、ちょうどそのころから車椅子が普及してます。

 車椅子っていうのは、それまでは病院の器具だったんですね、それが車椅子でそのまま街に出ていくっていう状態が1970年に入って行われました。
 だから最初の方ですね、車椅子で街を散歩してると、かならずパトカーを呼ばれた。どっかから逃げてきた人やと思われたとか、なんかそういう時代があったんです。で、パトカーを呼ばれて、なんかあの、身元調査をされてですね、言語障害のある人なんてお巡りさんなかなか分からへんねんね。で、そのまま派出所に連れていかれて、身体検査を全部させられて。電話番号が出てくるとそこへ電話かけられて、たどりたどり、身元が分かっていく。なんか今考えたら、こんなひどい人権侵害があったのかなとかですね、ある意味おかしいというようなことが起っていた時代です。

 そんなころに「車椅子全国市民集会」っちゅう全国組織の大会がありましてね。1974年か3年くらいからそういう動きがあって、一回目は仙台で大会があった。仙台は僕はちょっと遠かったし、そのころ僕は松葉杖ついてましたんで、全国車椅子市民集会って言ってるから、松葉杖市民ではないんやなって思って、僕は変に律義なとこがあって(笑い)、これは僕の大会ではないんやと思っていかなかったんですけど、2回目が1975年に京都であったんですね。京都は隣やから、いっぺんどんな会なのか行ってみよかっていうことで、大阪で5人くらいの友達と一緒に京都の大会に行きました。

 そしたら、ちょうど京都がそれまでなかった地下鉄を建設するっちゅう話が出てましてね。車椅子の人が街に出ていく運動とそれから京都の場合は地下鉄をつくろうっていうそういう行政的な動きと、それがたまたま合致したというか。車椅子の人たちは設備も何にもないところで、果敢に街に出始めたとこですから、「地下鉄作るんやったら、ちゃんと僕たちが乗れるような地下鉄作ってくれるんですか。」というごく自然なかたちで運動が始まったのね。

 ちょうど運動が始まって一年経った時に集会があったもんで、僕たちが京都にのこのこ行きますと、京都の連中がですね、「僕ら今、地下鉄にエレベータつける運動やってるんよ。交通機関にエレベータを全部設置させて、車椅子のまんま電車に乗れるように運動やっとるんです。京都がその運動が実って、その電車に乗れて、例えば京阪電車とか阪急電車で、大阪につくやろ。大阪エレベータあれへんやろ。ほんなら、そのまま京都に帰らなあかんの?」(笑い)って言われたのね。

 ほんで、「そらそやー」って思ったんですよ。これは大阪も運動起こさな、最低限京都の人に申し訳ないと思ったのね。自分たちは運動を起こしてないんだから電車に乗れないって言われてもそれは自業自得といえば自業自得。ま、仕方ないと言えば仕方ないで片付くんやけど、京都は運動をやってですね、地下鉄の駅にエレベータをつけてちゃんと乗れるようになった。ほんで大阪まで来たけど大阪は設備がないから降りられへんから、また京都へ戻る(笑い)。これは申し訳ないでって言う話になって。

 だから始めは自分たちのためではなくてですね、運動をやって世の中をそこまで変えてきた連中に、つまり、敬意を表する言うか、その人たちは大阪で降りてもらわないと大阪の恥や思たんですね。
 それが僕の地下鉄の運動を始めよう思った最初の動機でした。

― 運動はタイミングが肝心 ―

牧口:  大阪のその5人が、そういう課題を抱えて大阪に戻ったんですね。「どうしよう」いうことになったわけですよ。
 ところが、大阪はもう地下鉄が縦も横も走ってんですね。もうあちこちに走ってる。これから建設するんだったら運動も起こしやすかったんですけど、もうすでに走ってるところに運動起すって言うのは、これはあのね、運動ちゅうのはタイミングっちゅうのがありましてね。タイミングが合致せえへんかったら、世の中に説得力がないのね。「なんか、こうきっかけってないかなぁ」と考えるわけですよ。突然ね、地下鉄にエレベータいうたってなんか、みんな「なんのこっちゃ?」いう話になるわけ、大阪ではね。

 ほんで、「きっかけないかな、きっかけないかなー」って5人で探していました。そしたらたまたまですね、5人のメンバーの一人が大阪の生野区というところに住んでて、その生野区の市会議員の人がですね、まるで自分の功績の様にですねビラをその地域にまいたのね。
 そのビラになんて書いてあったかいうたら、ちょうど地下鉄の延長工事の路線にその地域が入るわけでね、「この地域も便利になります!」って大きいに書いてあるわけ。自分は市会でそういう発言をして通って、私の力でこの地域も便利になりますっていうことをいかにも言いたがってるようなビラだったんですね。その地域の友達がたまたまそのビラを自分の家に配られたもんですから、そんで僕んところへ慌てて持ってきてくれたのね。
 「おい、こんなビラ出てんでー、障害者の立場からほんとに便利になるんか確かめに行こうや!」いう話になったわけ。ほんで、「あ、これはきっかけになるぞ」って思ってですね、僕は3人くらいで大阪市の交通局に行きましてね、「こんなビラを見つけたんですけど、ほんとに便利になるんですか?私たち車イスや障害者のメンバーにも便利になるんですか?」って確かめに行きました。

― 何も考えていなかった交通局〜誰でも乗れる地下鉄を作る会発足 ―

牧口:  そしたら、交通局の方は障害者に対する手立てとかですね、配慮は何にも考えてなくて、「いやいやそんなこと特別には考えたことないですよ」って。「あの従来の地下鉄をただ延長するだけの話なんです」って言うんですね。「そんなんやったら新しい駅作るんやったら、これからこんなに車イスの人が街出始めてるんだから、せめて新しい作る駅からでもちゃんと設備の整った駅にして下さい」と言ったのね。「いやー、そんなお金がないー」って言うんですよ。しばらくしたらぱっと顔あげて、「あっ!新しい設備入れてます!」って言うんで、何ですかって聞いたら「エスカレーター入れてます」って言うんですよ。「エスカレーターね・・・で、エスカレーターはどんな幅なんですか?」って聞いたら、「あのね、60センチのエスカレーターです」って言うんですよ。

 そしたら、皆さん分かる?60センチいうたらちょうど車椅子の幅になるわけ。ね。「車椅子がだいたい60センチなんですけど、エスカレーターでまさか運ぶつもりやないですね?」って言ったら、「いや、そんなん考えてません」って言うんですね。「最低私たちの乗れるエスカレーター作ろう思たら、90センチは要るんよね」って、言ったんですね。「そしたら、まぁ、ほんとは僕はエレベータが欲しいんだけれども、とりあえずそういう構想で考えてるんだったら、60センチの幅を90センチにしてくれません?」って私たちはほんとに穏やかに、っていうかですね、優しい要求をしたんですよ。そしたらそれについても、「そんなん今さら言われても急に予算を変更するわけには行かないし・・・」っちゅうような、そういう回答があったんですね。

 それで私たちは「こらあかん」って、「これをきっかけに運動起こしたろ」っていうことで、京都の運動が「誰でも乗れる地下鉄を作る会」っていうそういう会を作って運動をやってたんですね。で、せっかく運動やるんだから、また新しい大阪の会にするんじゃなくて、京都で始めてくれてるんやから、おんなじ名前の会を大阪でもやろうやないかと。ちょっとでもつながりを作っていこうということで、大阪でも「誰でも乗れる地下鉄を作る会」っていう会を作りました。

― "誰でも"という発想のひろがり ―

牧口:  ちょうどね、このころからですね、誰でもという発想が出始めたのは。
 石坂直行さんって言う人がいてね。中途車椅子の人なんかな、その人がヨーロッパを旅行してきましてね、ヨーロッパでいろんな障害、車椅子で街を歩くのにそんなに不自由を感じないということを体験談で書いてるんですね。
 その時に、デンマークやスウェーデンでは、障害者だけを対象にしてない。つまり、お年寄りはもちろんのこと、一時的に障害を持っている人、例えば妊産婦の人とか、その日調子の悪い人とか、そういう人も障害者として生きている。そして、そういう人も困らないように、っていうことで街が考えられてるっていうことをですね、石坂さんは感動的に書いていました。

 僕は、まあ、ちょっと横道に逸れるんですけど、その時石坂さんが書いてくれてる文章の中で、「障害者がセックスできてる」って書いてあんのね。ちょうどまだ僕も結婚してなくて若かった。もう、セックスに興味津々ちゅうかたっぽがあるわけですね。もうその言葉が、ばあーんと私の前に飛び込んできてですね、「うわー、やっぱりヨーロッパの障害者はええなぁ、セックス出来てるがなー」って思ったんですね。これは僕はもう忘れられへん経験ですね。

 そういう新鮮な感じでした。それにも、影響を世の中全体の障害者達が受け始めてて、そや、私たち障害者の為だけのエレベータやないんやと。これはお年寄りもきっと使いやすくなるし、それから妊産婦の人や小さなベビーカーを持ってる人だって助かるんや。だから、「誰でも乗れる地下鉄を乗れる会」にしようと。そしたら署名も集めやすいし、運動も広がるんやないかって。まず京都はそういう発想になりましたね。私たちもそういう発想で運動を展開していくことになったんですね。

 街頭に出て、署名活動とそれから資金が要りますから、カンパ活動と同時にやりました。署名とカンパもいろんな思い出あるんですけど、今日は時間的にその部分省きますね。

― 交通局と交渉をはじめてみると・・・ ―

牧口:  今日皆さんに聞いて欲しいのはね、交通局との交渉の成り行きなんです。
 私たちは交通局にですね、「何月何日交渉したいから」って言って約束を取るわけですね。向こうもしぶしぶだったんでしょうけど、とにかく日を決めてくれた。それで私たちは15人くらいでですね、ずらーっと車椅子とか障害者がこう並んで、臨むわけですね。交渉に臨んだら、ちょこちょこっと向こうの営業課っていう係長さんがね、二人ほど来るんですよ。それで交渉が始まるわけね。
 「一体、私たち障害者のことをあなた方はどう考えてくれてるんですか?」ってやるわけね。中にはやっぱり激しい物の言い方をするメンバーもいましてね、自分の履いてた義足をですね、がばっとはずしてね、交渉の机の上へ、でーんと置いてね、「分かっとんのかよー!!」とかやるわけですね。ほんなら向こう、「どひゃー!!」とか言って下がるわけ(笑い)。

 そんなこと何回かやっていくうちにね、例えば3時間くらいやるでしょ、交渉、話し合いをね。僕たちは障害者のそれぞれの立場の言い分を言いますよね。そしたら、向こうの人は障害者と話をするのが初めての人がほとんどやから、「知りませんでした、知りませんでした」ちゅうて、だんだん頭が低うなってくるわけ。「分かってれました?」って言うたら、「分かりました」ってなるわけね。その様子を僕は一応代表者としてね、僕は大体あんまり喋らんようにしようって、こんなにお喋りなのがですね、しゃべれへんいうのは苦しいんですよ。(笑い)それでも一応辛抱してるわけね。ほんなら相手のスタッフの様子見てると、ほんとに変わっていくんよ。ほんとに、「ほんとですよねー、そうですよねー、私たちは何にも知りませんでした」ちゅうて、謙虚に頭下げていくわけね。

 ほんで僕はですね、やっぱり来てよかったな、ここまで分かってもらえたなと思うわけね、ほんで、「今日は時間がないから次の約束の日を決めましょう」って。その一週間後とか二週間後にですね、約束の日を次の続きのことをするために日を決めるわけですね。「ご苦労さんでした。今度よろしくお願いします」って言ってお互い別れるわけですよ。

― 変えよう!部長クラス15人の気持ち ―

牧口:  その約束の日に私たち15人行くでしょ。そしたら、向こうから係長が来てる訳ね。来てるんやけど、もとの二人に戻ってんの。
 私たちが話をしていったら、「いやー、そう言われても・・・」言うてね。最初に言うた言葉がまたくり返しでてくるわけですよ。もちろん多少はいっぺんでも経験してるわけやから、最初とは気持ちの中身は変わってるはずなのね。はずなんだけど、表には出てこないんです。

 つまりね、自分の役職をガードするっていうことを始めたわけね。「いくら言われてもそれ以上のことは出来ないんですよ・・・」とか、「やっぱりお金がなくて出来ないんですよ・・・」とかいう話になっていく。
 「こないだあなたたちここまで分かってくれたんやないん?」言うんやけど、「ああ、そうでしたねー」言うてまたやるわけね。
 ほんで2時間も3時間も経ったら、最初に変わってくれた視線に戻るの。「ごめんなさい」次々、こう謝りだすわけですよ。「あ、やっと分かってくれた。」
 ほんで次の交渉の日をまた約束してね、ほんでまたやるわけですよ。また戻ってるん。(笑い)そんなことを何回もこうくり返すことになるわけですね。

 とうとう私もこれでは埒があかんいうことで、ちょうど3回おなじようなことが起ったときやったかな、「あのね、係長さんにこんな言い方したら気を悪くされるかもしれないけど、あなたは立場上責任を持った答え方が出来ない立場でいらっしゃるんでしょう?だったら、責任を持って答えられる方を呼んで下さい」って私言ったんですね。
 僕ね、これはいいとこでもあると思うんやけど、けっこう悪いところやと自分でも自覚してるんですけど、交渉してるとね、相手の立場に僕はなっちゃうほうなんですよ。「あ、この人も家族あるんやろうな」とかね。「この人も子どもさんあって、交通局に勤めてはって今係長でやっぱり普通は課長になりたいんやろうな。ほんなら立場上ミスは許されへん立場で生きてはるんやな」と思うんですね。

 そしたらですね、その立場上言えないことがあるなっていうのが分かってくるわけね。そしたらですね、やっぱりこの人にこれは無理を言ってもやっぱり無理は無理っていうことになるんだろうなっていうことが分かってくる。で、「もっと責任持って答えられる方いらっしゃいませんか?」って言ったんですね。ほんなら、「そう言われてもねぇ。どういう人のことですか?」って言うから、「大阪市で一番偉い人って誰ですか?」って言うたらね、「大阪市長です」って。「あ、そうですか、ほんなら次の会合に市長さん呼んで下さい。もうそれしか僕たち話が出来ない」って言うたんですね。そしたら、「分かりました。話ししてみます」ちゅうてね、その日終わったんですよ。

 話ししてくれたかどうかわかりませんけど、とにかく僕らは市長と会うと言うことで、次の会合の時にまた張り切ってね、15人こうやって行ったの。
 そしたら、さすがにね、大阪市長は来てませんでしたけど、部長クラスがね、初めは営業の係長でしょ、それがね、建設部とか、いろんな部が15あるんよ。その15の部長さんがずらーっと頭揃えた。これはですね、こっちも15でしょ。向こうも15。しかも部長なんです、立場はね。

 ほんでまた一から。「あんたら、分かってんのかー!」って始まるわけや。ほんならね、3時間経ったらね、部長全部変わるんよ。「知りませんでしたー」言うて部長が頭下げだすわけ。そひたらね、部長クラスが15人気持ちを変えてくれたら世の中動くね。これはもう僕は目の当たりにしてるから、はっきりそのことを皆さんに伝えられる。社会の仕組みってそんな風に出来とるんや。これはね、やっぱりね、営業課の係長クラスの人がね、こういう言い方したら、そのお仕事の人に大変申し訳ない言い方になってしまうけど、やっぱりね、ごみ処理係なんです。そら、市民はいっぱい苦情もってくるよね。そんなんみんなまともに受け取ってたらやってられへんこといっぱいあるわけですよ。そしたら、まずそういう苦情係って言うのは処理係っていうのが出来るんね。

 だから初めは私たちの運動もどう処理していいかっていうかたちで片付けられてたのね。一応係長さん変わってくれるでしょ、気持ちがね。気持ち変わってくれてね、自分の部署にかえってやっばり言うてくれてるはずなん、課長さんとか部長さんに言うてくれてるの。

 ところが、おそらくね、課長さんや部長さんが「お前なんでそんな風に障害者の人間に気いつかってるんや、そんなことやってたら、おまえやってられへんやないか!」っていうことをきっと言われてるんよね。そしたら係長さんは自分の身を守らなあかんということも当然人間ですからあるわけですよね。そしたら、「あっそっか、私が甘かったのか・・・」っていう感じになってまうわけですよ。今度は「身を引き締めて臨まん!」っていう感じで、臨んでくんのね。ほんで向こうは身を低く、だんだんガード固くしているわけですよ。ほんならもう、通らへんのね。そんな状態が起っていったわけですね。
 それで部長さんが来てくれて、しかもそれが1人や2人やなくて15人並ぶとね、15人が私たちの生の声を聞いてくれると、ほんとに変わっていくのね。

―「車椅子試乗会」から新聞、そして市議会へ ―

牧口:  そして初めて、地下鉄にエレベータを建設するっていう計画が進みだしたのね。それでもなかなか、そんなに簡単には動きませんでした。
 部長さんとね、2回目の交渉やったかな、何回目の交渉やったかちょっと忘れましたが、相変わらず2週間に1回とか言うかたちで交渉やってたんですね。
 そしたら、やっぱりどうしたって伝わらないまどろっこしい個所が出てくるわけですよ。「そう言われても・・・」っていう話になるわけね。そしたらその時に「車椅子の一人がですね、あんたらほんとに僕たちの気持ち分かってない。あんたらいっぺんな車椅子に乗って地下鉄に乗ってみぃ!」っていう話になったわけ。「ほんならあの、基本的な気持ち変わってるから、乗せていただきます」簡単に返事したのよ。そんで僕らは「やったー!」っていうことでね、ほんで15台車椅子用意してね、部長いうたら、交通局で言えば幹部になるそうです。幹部クラスが全員車椅子にのって地下鉄に乗ることになったの。それが行事になっちゃたんですね。車椅子試乗会っていう大きな垂れ幕つけましてね、やったんですよ。そしたら、こんな催しは新聞社が喜ぶの(笑い)。

 それまでね、新聞社は「僕たちがいくらこんな運動やってんのとりあげてくれ」いうてもとりあげてくれへんのね。ところがね、幹部が車椅子にのって地下鉄試乗するっていう話になってくると、「面白い」って言うていっぺんに載るわけ。各新聞者が幹部が乗ってる大きな写真、入れましてね、記事もけっこう大きくなったの。なんで新聞社がそういうの好きかっていうのは後でゆきさんに聞いてね。ほんまねぇ、大きな記事、各社全部載せたんです。

 そしたら、こっからがまた面白いんやけどね、新聞で大きく取り上げられたでしょ。そしたら私たちは何にも頼んでないのに、市会議員の一人がね、その記事を持ってね、市会で勝手に質問してんの。大阪市交通局来てるわけでしょ。「大阪市交通局、新聞でこんな記事見たけど、一体どない考えてんねん。」って質問したわけですよね。そしたら、市会議会でそういうことを質問したから、向こうかて答えざるを得なくなったわけね、大阪市交通局も。どういうたかいうたら、「善処してみます。」
 市会という公式の場でね、「善処します」っていう言い方と、僕たちが交渉してて「善処します」っていうのは意味が違うんだって。同じ言葉だけれども僕たち市民に、「ああ、いろいろ考えて善処してるんですよ」っていう言い方の善処はなんの責任もないんやて(笑い)。言ってみればただ単なる言い逃れに過ぎないわけです。

 ところがですね、市議会という公式の場で、公式の答弁として「善処します」って言うたらほんとに善処する。これも世の中の仕組みのおもしろいとこね。
 ほんで、それから具体的に動きだしたんですよ。

― 「エレベータ第一号がつく!」〜その裏事情 ―

牧口:  今度は始めてね、大阪の南の方言うのかな、喜連瓜破っていう駅があるんですけど、そこに最初のエレベータが付くって言うことになったんですね。
 それもですね、私たちが交渉してる途中で、やっとそういう方針がはっきりしてきて、「牧口さん喜んで下さいよ。やっとあの計画が具体的に進むようになりました。エレベータを1つ入れる約束が出来ました。」って、えらいね、部長さんが半分自慢気な顔して私に言うてくれるのね。「ああ、そうですか」っちゅうて私も喜んで、「どこの駅なんですか?」って言うたら、「それだけはちょっと、言うのん堪忍して下さい。」ほんでそんなん言うから僕、またごまかしかと一瞬思たんですね。今までずっとやられてばっかしやったから。「違ったらちゃんと言うてくれたらいいじゃないですか?」言うたら、「それはご勘弁を・・・」っていうから「どうしてですか?」って言うたらね。もしも公表してしまったら、エレベータの出口の用地を買収せなあかんわけね。ところが先にこれを公表すると、その予定地、つまりエレベータの出入り口になる用地が、急に上がるんだって。ああ、なるほどね。「そやから今何にも言わないうちに、用地を買収してから言えるんですよ」って言うのね。そんな話は非常に私たちにも分かりやすいわけでしょ。「あ、そういう事情があったらもちろん言わなくていいですよ」って、そういう理由を僕らは聞きたいわけですね。何も隠してるんやないっていうことをはっきり言ってもらえれば、私たちはそれで納得する。それがキレウリワリっていう駅だったんですけどね。
 その時もね、どうして、「喜連瓜破なんですか?」って私が聞いたら、実はそこに障害者のリハビリテーションセンターがあるっていうことになってた。障害者の、とくに車椅子の利用する人が多いから、まず多い駅からエレベータを付けたいと思うって言ったんですね。それについては、私たちははじめはすごく反対しました。

 私たちね、そういう障害者の施設とかあるところに、エレベータを付けるっていうのは皆さんの考え方から言ったら自然な考え方かもしれないけれど、私たち障害者の立場で言うとね、そういう障害者の設備のある駅にそういうものを作られると、かえって私たちの行動って制約受けちゃうんですよね。
 「障害者はあそこしか行けへん」というふうに思われてしまうから、僕たちはほんとは関係のないところに、まず第一号せっかく作るんやったら作ってほしいんや。例えば大阪駅前とかね、なんばの中心とかね。そういう一番人が出入りする繁華街のところへ、そういう第一号のエレベータを作ってほしいな。そしたら障害者も一市民として、「あ、障害者も生きてるんや」いうことがみんなに伝わるんやけどね、ちゅうてだいぶやったんですけど、私たちの会に向けてね、「そんなことおっしゃる気持ちは分かるけど、だけど、そのリハビリテーションが出来る駅に付ける、付けますという言い方でないと、今の市議会は通らん、言うのですよ。」
 言われてみたら、世の中の空気っていうのはそういうもんですよね。何かこう必然があれば、助けようとはするけれども、私たちの基本的な理念っていうのはなかなか通らない。仕方なしに私も折れて、「じゃ、キレウリワリでいいですから、付けましょう」ということで、一応その第一号が始めてつくようになったのね。

― 市民に呼びかけるポスター ―

牧口:  ところがですね、付くように決まったところで、やっぱり3年か4年かかるわけですよ、それが実際になるまでにはね。
 そしたら、「それまでどうしましょうか?」って言う話になって、交通局と相談してですね、私はたまたまグラフィックデザインっていうのが本職ですから、「ポスターを作りましょう」っていう話を持ち出しましてね、各地下鉄の駅に「ポスター貼って下さい」って行ったの。
 一般市民に協力お願いするポスターにしよういうてね。車椅子で階段のとこまで行ったら、同じ電車に乗りたいて思て来た通りがかった人に、「すいませんが車椅子担いでくれません?」ってこう4人くらいで担いでもらう。そしたら、階段昇れるんやから、取り敢えずそんなことでもして、電車に乗るっていうことから始めたいっていうことで、交通局も折れてくれましてね。共同でアイデア出して、「一声かけて」っていうキャッチフレーズでね。
 つまり、「障害者から声がかかったらどうぞみなさんお願いします」っていう主旨のそういうポスターを作りました。

 それはね、こないだ僕、地下鉄乗ったらまだ貼ってある駅があったから、もう20何年経つんやけど、まだ貼ってるところありますね。ただしね、これはどんどんどんどん剥がされていったんですよ。市民が剥がしたんではなくて、交通局自体が下ろしていったのね。どうして下ろしていったのかというとね、市民を巻き込んで階段の昇り降りをしてもらうと、例えば階段の途中で事故が起ったとしますね、一緒に車椅子で転げ落ちてしもたとか、そういう事件が起ったときに、賠償問題が非常にややこしくなるそうです。

 交通局の職員だったら、もともと、いろんなね、災害保険とかいろんな保険に入ってるわけですね。だから自分たちのシステムの中で処理できる。障害者にどれくらいの賠償を払ったらいいだとか、その程度によるんでしょうけど、・・・(聞き取り不能)・・・みたいなんがやっぱりあってね、それに沿ったかたちで、1つ1つの事件に対して対応できる。ところが、一般市民を巻き込んでしまったら、一般市民もまちまちですから、もうややこしくなるわけね、その事故に対する保賞っていうのが。
 それで、つまり交通局の方がですね、一般市民に声をかけないよいうに、・・・(聞き取り不能)・・・してるのね。だからボタンを押せば、駅員さんがすっとんできて、私たちを担いでくれるっていうのが、あるいは電車に乗せてくれるっていうかたちをとってんのが、今のやり方なんね。

 それもですね、一台車椅子をかついだらなんぼっていう手当てが出るようになりましてね。それをこないだオンブズマンが取り上げてですね、「問題だー!」とかいうてまたその、問題なってました。新聞にも大きく取り上げられてたけど。
 私もね、当初そういうことを知ったときに確かにこれは問題やなと思ったんですけど、あんまり強く言わなかったんですよね。強く言わなかったのはどうしてかっていうと、「僕たちは、なんでもいいから気持ち良く乗せてくれたらいいやん。責任を持ってちゃんとね、電車に乗せて降ろしてくれたらそれで、まあまあ、後の内部事情は好き勝手にやったら・・・」いうくらいの僕は感覚ですからそんなに問題化しなかったんですけど、よく考えるとそれも税金ですよね。
 税金の使い道ということでオンブズマンの人が問題にしたのは、それはそれで僕は正当な理由だったと思うし、それで交通局は最近手当てを取らないようにしたそうです。それも何十億、何百億っていうお金が貯まってたみたいね、その手当ていうのはね。貯まってたやなくて、それぞれの個々に支払われていたらしいです。そんな話はあるんですけど、これも余談です。

 私たちはポスターを作って一般市民に手伝ってもらうということで、とりあえず車椅子に乗っていようが、こんな体をしていようが、電車に乗る権利はある。そういうことをひとつひとつ勝ち取っていったいうかね、そういう経緯があるわけね。

― 礼は強制ではなく、こころから生まれ来るもの ―

牧口:  その時にですね、交通局とだいぶ仲良しになってましたから、相談して決めたことがポスターでしょ、それからね、自動改札がちょうど出始めた頃やったんです。自動改札が通らないのね、車椅子では。通らないからね、せっかく向こうは新規機械を導入っていうことで、駅員さんの数を減らせるもってのことだったんですね。

 ところが車椅子だけは通らないからね、荷物を運び入れうるところへ案内するわけですよ。駅員さんがのこのこでてきてね、鍵を外してくれて、車椅子がそこの広くなったところを通るっていうのが私たちが改札を抜けていく方法だったんですね。

 ちょうど交渉中にそういうことが起りまして、交通局の人が言うのね。
 「あのね、私たちも一生懸命協力してるんですよ。車椅子の人が迎えに行って鍵をあけて通ってもらってるんですけど、なかにはね、当たり前やいう顔してね。あるいは礼も言えへん障害者の人おるうですよ。すんませんけど、こんなときに一言でいいですから、『ご苦労さん』とか『ありがとう』とか言うてくれません?」って交渉中にね、そういう話が部長さんから出たんですよ。

 私たちは烈火のごとく怒りましたね。「『すいません』っていうのはあんたらでしょうがー!」って。
 つまり、不備な状態にしておいて、そこに車椅子を遠回りさせといて、なんで僕らは「すんません」って言わなあかんの?って。
 「ああ、ご不自由な思いをさせてごめんなさいね。遠回りさせて・・・ほんまは改札口ちゃんと通れる幅にしとけばいいんですけど、それが出来ないからこんなことになっちゃいまして。ごめんごめん」っていいながら対応してくれたら、「いやいや、いいよいいよ。あんたらも一所懸命やってねやから」っちゅう話になるでしょうが、って。「結局、そういう話と違う!」言うていったんですよね。そしたら、交通局は、「ああそうでした。ごめんなさい。私たちも勘違いというか、思い違いをしてました」っていう話になっていくわけ。

 これを僕は市大でずっと講義やっててですね、当時の学生にそういう話をしたのね。そしたらね、学生のコミュニケーションカードにね、「礼の1ついうのになんでそんなに理屈がいるんですか?」ってほとんどの学生書いてんの。
 皆さんどう思う?やっぱりそう思う?
 もしもね、そういう感覚で受け取ってる人がおったとしたら、障害者のこと分かってもらってないっていうことよ。

 つまりね、そりゃ、ややこしい話かもしれないけれど、だけどね、礼の1つや2つっていう言い方だけど、礼はね、人から強制されて言うもん違うね。根本的なことが分かってない。
 それはね、小学校中学校のときに下手に道徳教育みたいなん受けてくるからこうなんのよ。つまりね、礼はすべきですんのん違うの。こころからありがたいなと思ったときに自然に頭が垂れてるのが、ほんとの礼なんね。そんなん誰だって言われてみたら分かるんだけど、分かってない人が結構いる、かたちから入ろうとする人が。こころがこもってない。こころがこもってない礼をいくらいったってそれは対した値打ちはないんやね。
 ちょっとへんな話いきましたけど、僕はそうだと思うんですね。礼は言うべきやとか言わないでいいとか、という話は自分で判断することであって、人からとやかく言われる話ではないの。そういうことの表れだったんがその時だったんですね。

― 「交通局と共同で:その2」車椅子でも通れる自動改札 ―

牧口:  私たちは、そんなこともちろんね、交通局の一人の人らでも人間って感情の動物やから、せっかく自分が鍵を開けに行ってんのに、にこって笑ってくれたら疲れもとれるのにな、ってそら思うのも人間でしょ。人情としてはよくある。だから僕は人間としてそういう不毛なやり取りっていうか、人間が腐っていくようなやり取りはあんまりしたくない。だから、普通の改札口で自動改札はいいけど、一個だけでいいから車椅子で通れる幅を作ってくれって私が要求したのね。

 そしたら、それもなかなか構造上出来ないっていう話になって、裏が白い切符が通る改札がひとつだけあるでしょ。つまり駅員さんがいつでも待機してるとこ。そこのところにですね。自動改札の構造を1つ変えようっていう話になりましてね、例えば、自動改札やったら同じ幅で並んでるでしょ。
 そしたら、ここにね駅員さんがひとつこれがあってですね、切符とか苦情聞いたりしてる駅員さんがいる部屋があんのね。ここの改札がですねわりに広いのね。ここにですね、こんなふうに折畳みの、こうやって折り畳める用にね、こういう形の構造の台を置いてですね、簡単に折り畳むようにしたらどうですかってこれは私のほうからアイデア出しました。そしたらね、「それいいですね。」って。

 ほんとは「この広いままでいいじゃないですか?」ってやってたんですよ。そしたら、「広いままは牧口さん堪忍して下さい。ラッシュアワーの時にね、お客さんだだーっと抜けるんやけど、この広いとこに …(聞き取り不能)…必ずただ乗りが出てくる」言うのね。それもね、「すきを見つけてただ乗りをしようという人はねかしこい人やから許したげたら?」って言ったんだけど、「それは、こちらとしてはー」っていう話になって。結局それを防ぐために、普段はねこういう同じ幅にしとくんよ。ところが私たち車椅子がぱーっときたら、ほれぺターンと片付くわけね。そしたらん、すーっと通れるいう構造にしたんですね。この構造が大阪市交通局とのやり取りで決めたんだけど、私鉄のね阪急とかね、いろんな私鉄に反映してね私鉄が真似しました。しばらくね。しばらく真似して使ってた時期が、そうですね、10年か15年くらいあって、今阪急電車はね、長い改札のうちで2個所とか3個所必ず広いとこある。これ気ついてるひといる?阪急電車使ってる人?気ついてた?

(生徒の何人か手をあげる。)

牧口:  気が付いてた?

学生: (うなずく・・・。)

牧口:  ね?一箇所広い改札あるでしょ?車椅子がそのまま通れるような改札なの。おもしろいことは、行き止まりってあるでしょ?あの、入る時と出る時。それがね、今の自動改札機同じ箇所で動き出来ませんねん。入る方は、一方通行の入るばっかり。出る方は、出るばっかりになってて、真ん中辺りに入る方がついているのね。それで、降りる時は両端にあるの。そこは、気が付いてる?

学生:  知らなかったです。

牧口:  ああ、そうなの。あれねえ、両方うまくいけたらいいのにねえ。両方いける改札機だってあるでしょ?もうちょっと改造したらいいのになあ、なんて思ってるんですけど・・・。だけど、阪急電車・・・他はちょっとくらいあるかもしれんけどそんなに気がついてない。僕、あんまりしょっちゅう利用してませんから、そんな状態ですね。そんなことをとやかく言いながらやってきたのが、私たちの地下鉄の運動なんですね。

― エレベーター設置の複雑さ ―

牧口:  今ちょうど27年くらい経つのかな?27年くらい経って、既存の域もふくめて、約90パーセントがエレベーターついてます。それで、これを25年かかったって言う見方も有るし、25年でそんなに世の中変わったっていう考え方もあるね?どっちもどっちだと思うんですけど、だけど大阪の場合は大阪の中心部はほとんど既存の域だったんです。既存の域をエレベーターを入れようと思ったら、大変なことになるわけ、構造上ね。でも、このごろは駅はいろんな線が重なってるから深いんね。例えば、谷町線と御堂筋線とかね?いろんな線がひかかる訳ですよ。それに近鉄電車とか私鉄が乗り込んで来ているのね。

 そしたら、例えば千日前にエレベーターいれよう思ったら、ものすごい工事になるわけね。この前、長堀筋の千日前の駅が地下鉄と近鉄が交差してる駅なんですね。そこのエレベーターひとつ落ろすのにお金どれだけかかったと思う?想像つかんでしょ?一つエレベーター造るのに6億円かかっている。それが、あの駅は出入り口が大きいから6箇所ついてる。それなら、6×6=36億やろ?そんだけのお金を半分が近鉄が出して、半分が大阪市が出してる。私たちが素朴にエレベーターつけてっていってたころとは、こんだけ変わってるっていうことなんよ。僕ら1億のお金なんて動かす力あらへんで。それが、何十億というお金が動くような時代が来てるっていうたら来てるんです。

 僕がうれしかったんは、地上からエレベーター乗って下へ降りれるようになってるんですが、ボタンあるでしょ?あのボタンがね、「地下鉄」、「近鉄」っていうのがついてるんですよ。つまりお年よりも分かりやすくなったわけ。これは、うれしいことでね、あれ1、2、とか数字でやられるとね、お年よりはもうこんがられるよ!分からなくなってしまう。ところがね、近鉄に乗りたい人は「近鉄」のボタンを押してください、地下鉄に乗りたい人は「地下鉄」を押してください、っというようにわかりやすくしてくれるとそれだけ利用しやすくなるわけな。その流れいうのも、少しずつできるようになりました。

 僕ね、地下鉄の運動はじめたときから二十何年経ってね、大阪市の90何パーセントがエレベーターがつく時代がきたっていいましたけど、それは決して僕が自慢話をしてるわけではなくてね、どうしてそうなってきたかというと、私たち障害者ではなくて高齢者がたくさん街に出始めたでしょ?高齢者の人は当然なんだけど、階段大変なわけよ。そしたら、やっぱり高齢者の人口が増えて、高齢化社会の問題がみんなの中で語られるようになったから、それもあいまって私たちの運動が一つの形を取って実ってきたんやないんかなと本当に思うんですね。せやから、一人や数少ない人の力だけで、物事が変わっていくんじゃなくて、それを支援をしてくれる人たちっていうのかな、それに関係すると自分で思っている人たちが、数よーけいてくれたほうが、社会は大変力を持つんだなと改めて感じました。それが、僕が直接やってきた運動なんですね。それが大阪らしいのかどうかは僕には分からないんですけど、後でやっぱり大阪らしいとか、それやったら東京も同じだとか、ゆきさんの方から言ってもらえるかっていう感じで、問題としておいておきたいと思います。これは、いつまで話したらいいですかね?

ゆき:  最後が12時になります。

牧口:  あ!終わりが12時ね。ほんならあと15分くらいね、ちょっとやりますが。

― 牧口さんの人生観を変えた体験 ―

牧口:  僕は満一歳のときにポリオで足が動かなくなって、特に右足が付け根から動きません。左足は動くんですけど、一歩足では立てない足をしています。2本の松葉杖がなかったら、地面を這うしかないのね。小学校の、っていうより年で言うと10歳までは、地面をはえずり回って遊んでいました。10歳になった時親父が松葉杖を買ってくれて、それで私ははじめて立ち上がったのね。

 立ち上がった時のことを今でも鮮明に覚えてるんだけど、地面はえずりまわって野球やったりね、トンボとりなんかをやってたんだけど、『雨上がりのギンヤンマたち』とかですね、『夕やけ空のオニヤンマ』っていうのはその頃の話を小学生に主にやってた頃の事をかいてるんですけど、だけどね、10歳の時に初めて松葉杖で立ったとき遊んでた原っぱの景色が全く違ってみえたのね。小さな子供やから、地面を這ってた時の高さをこのくらいとしたら、立ち上がったってこのくらいやね。50センチ高くなったかどうかの問題なんですよ、今考えたら。だけどね、50センチ高さが違うだけで、景色が全く違って見えたのね。あの時の驚きは僕は忘れませんね。

― 牧口さん流ものの見方とは・・・。ある出来事と苦い経験からの教訓!? ―

牧口:  それから、僕の中でものを考えるときのこれが基礎になってる気がする。つまり、きゅっと角度を違えるだけで、同じものが全く違って見える。だからね、世の中ってこの頃大事件がよく起こるでしょ?仕方ないからやると思うんだけど、新聞が大きく取り上げるし、テレビだって毎日のように騒ぐのね。だけどね、私は最低一週間はじっと見てるだけにしてる。自分のコメントを絶対入れないようにしてる。っていうのは、一つの角度からは、この事件は分からないと思うんですね。

 例えば、誰かが殺人犯だと騒がれても、ひょっとしたらその殺人犯と言われてる人は、実は被害者であったりする場合がけっこうあるのね。そういうことがある程度分かってからものを言いたいなって言う感じが僕にはあるんですね。これは、小学校の頃にちょっとだけ目が高くなっただけで同じ景色が全く違って見えた僕の体験が基本にあるなと思うわけね。だから、池田小の事件ですとか、考えたら難しい事件がいっぱい起こるんですけど、ちょっと引いてから考えるっていう癖がなんとなくついてます。

 ところがね、年とったでしょう?ずーっと障害者やってきたもんやから、僕はいうてみたら生粋の障害者ですよね?生粋の障害者でね、年を取ってくると新聞社がね、障害者にまつわる事件があったりすると必ず電話かけてくるんねやー。「牧口さん!!昨日ね、障害者が殺されたんですけど、どない思いますか?」って・・・。始めはのったんだけど、この頃は一切のらない。「その事件もうちょっと分かってから私の言い分いいます。ちょっと待ってください」ってね。もう、最初のコメントは出さないようにしてる。だって、1っぺんやられてねえ、しかもねえ、新聞ってやっぱりうまいなあ。一時間くらいいろいろ喋るんやけどね、誘導尋問にあってるみたいなもんや。先に上の記事できてあんねん。自分の記事を正当化したいというか、おさまりをつけたいために専門家の意見をコメントとしていれるんですよ。だいたいその例が多いのね。そうですよね。そのときね、僕のコメントをね、ちっちゃく載せるんやけど、一時間喋って3行4行載るわけで、しかもなー大阪弁でかきよんねん。

 (一同笑い)

 そしたらな僕がそこだけ喋ったみたいに聞こえるがな。どうみたってそうなるがな。そしたらねー障害者の団体からもう何回怒られたか、それでね僕はもうこりてしもうて最初のコメントは出さないようにしてる。そういうのもきっとそういう頃のあれではないかと思うんです。と、いうことでだいたい私のどんな風にして牧口っていうのは生きてきよったんやっていうのを外郭は分かった?これだけおしゃべりだからだいたいわかってくれたね?

― 牧口さんの困ったこと、あてられたらお弁当?生徒、挑む! ―

牧口:  ずっと松葉杖で、60歳までは松葉杖で生きてきた。さすがに階段の上り下りに疲れてね、ほんでこの頃車椅子にのるようになったの。せやから、車椅子まだ5年目の新米なんですよー。せやから、車椅子の若葉マークっていう感じで今きてるんだすけど・・・はい、こんな僕が日常生活で困ってることを当ててくれる人、手を上げて。こんなときどうしてるんですか?よし!今日僕がみなさんから質問をもらって、参った!!私が、あーそれは、僕はどうしようもないわ、参った!!って私がそう言う答え方ができる質問がくれたら今日のお昼おごってあげる。

(一同笑い)

牧口:  私、こんだけおしゃべりやろ?理屈っぽいけどわかってくれてんな?ほとんどのことは理屈で返せるよ。はい。だれかお昼おごって欲しい人。ないか?はい。

学生:  何でもいいですか?

牧口:  何でもいいよ。

学生:  行政の責任において、障害者の方に遠回りをさせてとかしてるわけですよね?そうなると行政機関として、障害者の方に感謝の言葉を求めるというのはやばいとおもうんですよね。ただ、その案内をしにいってる職員っていうのは、行政機関の末端の人たちではないですか。上の決めた方針に従って・・・

牧口:  そうそうそう。

学生:  もしかしたらすみませんと思いながら、僕が上にいったらこんなことしないんですけど・・・と思いながら行動してるかもしれないですか。

牧口:  そうです。

学生: それだったら、やっぱり・・・だからこそ末端の人が自分の責任において不自由を障害者の方にしいているなら、もうその人間が

牧口:  あやまらないかんけど・・・

学生:  はい。強いている人間の主体と行動してる人間の主体が違うわけです。ただ、どちらも行政ですし、責任としては、一つの総合的責任を共有してるわけですけども・・・。

牧口:  納得いかない部分が?

学生:  はい。だから、僕らアルバイトしてお客さんに「ありがとう」っていったら喜びますし、でもやっぱり、本来、サービス料をお客さんからもらって、買っているものの中にサービス料を含んでいますから、サービス料払ってんねんから「ありがとう」いわんでもあたりまえやろーっていわれる人もいるんですね。でもやっぱりサービス料を払ってもらってる相手というのが、僕たち個人ではなく会社なわけですよね?だから、僕たち給料の中に含まれてるかもしれないんですけど、他の人により・・・(聞き取り不能)・・・・サービスをしたところでその分サービス料として給料に入ってくるわけではないし、やはり・・・(聞き取り不能)・・・人間とそうではない人間とを区別した方がいいのではないかと思いまして・・・。

牧口:  ありがとう。言おうとしてる事はよおわかる。そやけど、その答えも今僕はなしてきた中でたくさん出てるはずやで。まず、係長に話をしたけど、話はとおらへんかった。それで、部長が来たとき初めて世の中変わっていったって言う話したやんか。そやろ?立場が違うだけでな?若い人がそこのとこを粘り強くやってくれてこそ、日本がやっぱり一人一人にとって大切な社会に変わっていくんとちゃうん?そこであきらめたら、日本は今の政治と一緒やで。希望も夢もないやんかー今の政治を見てて。まず理念がないやん、政治家に。そんな社会になってまうで。みんな自分がその日楽しかったらいいんやっていう生き方でホンマいいんか?僕はおもわへんで、そんなん。そんな生き方がいいと思えないから、やっぱりそこでどういう思想をもって自分が生きて、外国であろうが、日本であろうが、自分が正しいと思った事を貫けるような意志みたいなんがやっぱり必要だと思うんや。
 まあ、何でもいいって聞いたからあれだけど、僕が困ってることをいうてほしいわけよ。でも、今面白い質問いうてくれたから、お昼おごったろうか?はい、誰か!はい。

― 牧口さんのコメンテーターの役割 ―

学生:  先ほど事件がおきたら一歩ひいて・・・っておっしゃっていましたけど、このNHKの「きらっといきる」はコメンテーターとして出られてたんですか?

牧口:  そうそうそう。三人司会者がおってね、ゼングバーグラーっていうアメリカから来て30年になる男がおりまんねん。けったいな大阪弁を喋る人やけど。その横に東京のタレントの小林のりこさんという人がいて、二人が主に司会なんですけども、障害者を主人公に取り上げていく番組なんで、当事者がコメンテーターとしているやろっていうことで私が入ったんです。最初NHKからいわれたんが、御意見番っていう役割だったんです。そんな立場は嫌やっていうてね、司会者の一人でいいからそこに入れておいてっていう言い方して、で、はしっこにちょこんと座って時々好き勝手なこと言う役割を私はもらってて、だから「きらっとひかる」を割りに見ててくれはってね、教育テレビやけども・・。道でよう声掛けられるんですよ。「きらっと生きる」にちらっとでてる牧口さんって・・・。

(一同笑い)

牧口:  そんな立場です・・・。

学生:  毎回何かのテーマでもし、なんか牧口さんにとって新たな発見みたいなんは・・・

牧口:  いっぱいある!!毎日ある!!

学生:  もしそのコメントを求められた時、困ることってありませんか?

牧口:  そんなんないがなー。私が一番得意とする世界やんか!!(笑い)

学生:  それは、先ほど言われた一歩ひいてみる・・・なんですかね・・・

牧口:  あ、もちろんする。

学生:  ・・・(聞き取り不能)・・・事はないのかなって。それはその・・・

牧口:  そらな、大きな大事件で社会に影響力のあることまるで障害者の代表みたいに語らないかんっていうようになったら困るよ。ね?そんなときは僕は正直に、「ちょっと難しくて今わかりません」とか言う言い方をする。せやけど、だいたいびっくりするような人でてくれるんだけど、「あ!そうか。そんな考えかたあるんだ」とか「こんな生き方してる人おった!!」って僕自身が感動するようなゲストが多いわけやから、そのまま感動びっくりしたと言う言い方で、「うわあ!あんたすごいなあ!!」とか「あんま頑張りすぎんと息抜いていきや」とか適当なことを・・・。僕はだいたいね、頑張れとかそんなん嫌いやから、根性がきらいなんですよ。根性いっぱいの人がでてきたら、茶化してます。「そんなにしっかりいきんでも、もうちょっとええ加減にいきや」ってその人が気に触らない程度に茶化す役割を私がやっています。困ることちゃうで。

(一同笑う)

牧口:  だれか僕が参った、やっつけてっていうのはないか?はい。

― 朝のラッシュどう対処しているか? ―

学生:  さっき、地下鉄の運動してるとおっしゃってましたけど、ちょっとお聞きしたいのは、地下鉄とかだったら朝とかすごいラッシュじゃないですか?もしそれに乗る時っていうのは、普通健常者っていうのは、すし詰めになってでも入る事ができるけども、障害者っていうのは、特に車椅子を使ってはる人はちょっと入らないじゃないですか?そういうのでもし出かけたいっていうときいうのは、わざわざそういう時間をずらして、移動して行くようにしはるんですか?

牧口:  それ僕が参ったっていうのにだいぶ接近してる。ニアミスまできてる。

学生: (笑い)

牧口:  お昼半分おごってあげる。

学生: (笑う)

牧口:  実はですね、僕満員電車にのって、その時松葉杖だったけども一度死ぬ思いしてる。乗る駅はまだそうでもなかったんよ。ところが、どんどん、停まる駅でどんどん乗ってくんねん。ほんでねーもちろん朝やから座るとこどこもなくてね、私も立ってたんですよ。そしたら、押されるでしょ?もう人と人の間に挟まって、松葉杖が人の間に挟まってまんねん。

(一同笑う)

 ほんならねー人に松葉杖とられたら僕もうへたるしかないやん。だけどへたったらそれこそ将棋倒しになるのわかるやん?我慢したー必死になって耐えたーあの時はしんどかったー。ところがね、そんな状態やから降りる駅でおりられへんねん。結局終点までいってんな。終点でおろされて、エライ遅れて行ったことがあるんよ。それよりも僕、生きられるかと思ったくらい危険感じた。それから僕ラッシュアワー避けるようになってんな、せやからラッシュ避けるんやけど、まあお金は多少かかるけどタクシーでいくとかね、どうしても行かなければいけないときは。例えば友達の車に手配するとか。いろんな方法ないことはない。やりくりがつくことだけど、きついのはきつい。はい、お弁当半分。

 はい、ないですか?今のがちょっとヒントになるんやけど、僕が日常生活で
 困ってることがないとしたら、仮にやで、みんな思いつかないかもしれないけ
 ど、だとしたら僕、障害者とちがうん?思いませんか?障害者ってどんな人のことをいうん?

― 牧口さんの捉える障害観とは・・・ ―

牧口:  これもね、僕の一つの考えかたやとおもって聞いてね。65歳になるまで障害者運動やってきた一人の人間として感じてることはね、体つきとか、精神の持ちようで障害者とレッテル貼られることではなくて、私が考えてる障害というのは、日常生活を一生懸命生きようと思っているのに邪魔をされたり、足を引っ張られたりして自分の思うように生きれなくなってる人。

 しかも、人間思うように生きれないのは人間誰だってそうやん?好きな大学に行きたかったけど、入られなかったって言う人もおるわけやん。で、生き死にかかわるようなハメにあってる人、それを僕は障害者というと思う。私の考えてる障害者観っていうのは、そういうのなんだけど。っていうか、疑問があったら疑問どおりいうてほしいんだけど。

 もう一度言うね、一人の人間が一生懸命自分の人生を生きようと思っているのに、理不尽な状態で邪魔されたり、足を引っ張られたりして自分のように生きれなくなってる人で、生き死に関わるような邪魔をされてる人。まあ、生き死に関わるっていうてもね、受け止め方広いと思う。例えばね、恋人と切り離されたりっていうだけで、生き死に関わってまうわけだね。それぐらいやったら乗り越えるっていう人もいるから、一概には言えないんです。けど、いちを自分の命をかえるほど重大な邪魔をされている、っというのかな、それを私は障害者っていうんだと思う。

 だから、被差別部落に育ったからというて、理不尽なわけのわからない理由で結婚を反対されて、とうとう実らなかって、自殺を考えた人とかね、そういう立場にいる人を僕は障害者というんだと思う。一人の人間の体つきではないと私は考えてるんですが・・・。そういう僕の障害者観から言うとね、皆さんに考えてもらって僕に日常生活に困ったことがなかったら、僕は障害者ではないわけね。僕の障害者解放運動っていうのは、そういう困った状態にある人を助ける運動なんです。助けるというか、その人が自分の思った道に行きやすくするのが僕の障害者運動と思って私はそている。

 これもあれやで。1つの切り口で言うとそういう話になるということであって、世の名の障害者観がそうなったらいいという話と別問題。僕、いちをちゃんと障害者手帳もってるもん。だから世間では私は障害者ね。行政的に言えば、障害者と言ったらいいんかな?1級から6級まであるんですよ。正確にいうと7級までなんですけど。重い人から、1級2級3級・・・と軽くなっていって一番軽い人が7級でほとんど問題ないからいちを6級までね。1級と2級が重度障害者と社会では言うんです。3級と4級は中度障害者、5級6級が軽度の障害者と大雑把にいうとるんですよ。はい、私何級でしょう?
 これも当てた人お弁当!

(一同笑い)

牧口:  これくらい当てられるやろ?1級とか3級、4級っていったらおしまいやん!

学生:  2級・・・。

牧口:  2級?正解やわー。

(一同笑)

牧口:  ということは、私は重度障害者のカンチに入ってんで、行政的には。その行政に重度障害者の一人と言われてる私が日常生活で困ったことないっておかしいないか?おかしいやろ?皆さんの障害者観だいぶ変わってきたんちゃう?

 そーなんよ。日常生活の障害者観がどんだけ誤解の中で行われてるか、よーわかるやろ?そうなんです。何にも本質を考えてない、見た目で判断してる。見た目だけで世の中どんだけ振りまわされてるか分かるよな?なんで日本人はこんなに中身を丁寧に考えようという気持ちが育ってないのかね?はっきり言うて小学校からの教育が間違ってるよ。なんでこんなに人をうわべだけでしか判断できないかね?そんな人間になってもうたわけ、私たち。

 1つを丁寧に丁寧に掘り下げて考えようというそういう機会あらへんがな、今の子どもたちはかわいそうに・・・。まあはっきり思うよ。こんなくらいこと言いたくないけど。日本だめになるでーこのままにしてたら・・・。完璧に取り残されると思うよ。私は単純な予感やけど暗い意味で言うとそんな予感を多少持ってますね。まあ、多少にとどめとくな、ほんまは相当もってんやけど、あんま言ったらくろーなるやろ?やっぱあ、くらー言い方したらいかんやろ?まあ、それはさておいて僕の困ってることもうちょっとさがしてーね。重度障害者やで。はい。

― 牧口さんの経験から生まれたトイレの方法とは? ―

学生:  お手洗いとか・・・・

牧口:  一応苦労してるんだけど、お手洗いできひんかったら人間生きてられへんやん?

学生:  だから考えたんですけど、公共用のトイレって男性は知らないんですけど、女性は和式の便器が多かったりとか、あと戸口が狭かったりとか、そういう車椅子で入れるトイレがどこにでも必ず設置されているものではないし、日常・・・出かけるのわかっていて事前に済ませることができても、やっぱり途中で途中の移動で長時間だと使うことがあるとか・・・困られると思うんですよ・・・。

牧口:  そうやなー。僕のさー特に生きてきた時代をもう一度1937年やで、私が子供のころバリアフリーとかいう言葉もあらへん。障害者に配慮した建物とかなんもない時代やろ?僕、はえずりまわって遊んだり、松葉杖でかろうじて歩けるようになってさ、僕少年期はそういう時代やん?友達と遊んでて急にうんちしたくなってトイレはいるやん?公園なんかの・・・。そんなん普通のトイレやん?しかもしゃがまないかんトイレばっかりやん?まだ洋式トイレもない時代やから。ほんならねー僕のこの片足でねしゃがむってほとんどむりね。

 だからね、僕どうしてたかっていうといつでもポケットにティッシュをいっぱい入れてたんよお。ほんでトイレに行くでしょ?トイレにいったら、紙でまず便器をふく、きれいにね。きれいにふいて直にそこにおしりをつけてうんちやってた。それが僕のうんちのやり方やってんね。そしたらやっぱりな自分ではきれいに拭いたつもりでも気持ち悪いやん?ほんで僕いつのまにかお風呂大好きになってね、そういう日はまず家に帰ってお風呂に入って、おしりを洗うわけよお。なんかそんな習慣が身についてしまったんかな?

 だけどなー松葉杖もやっぱりベテランというか、これは障害によっていろいろなんやけどな・・・小学校で僕よお講演するんですよ。子どもたち、「おっちゃん、うんちどうするん?」って必ず聞かれるんですよ。「しっこどーするん?うんちどーするん?」僕はこんな質問好きな男やから答えるんだけど、僕が松葉杖でな、こういうこの片足がですね、一本足では立てない状態なんよ。これでしゃがまられへん。ほんならどうするかいうたら、さっきみたいに直におしりつけるかなかってんだけど、やっぱあベテランになってくるとできるんよ。やってみるな。ちょっとここでうんちのポーズをやります。

(一同笑い)

牧口:  実は、便器あるな?便器の前にたってこう松葉杖を逆手にまわすんよ。こうやったらできるんよ。な?こうやってできるようになってさ、こんなときに困ったことは、終わったときにふかれへんやん?

 (一同笑い)

牧口:  せやから、もうこれ以上たれないなあっていうまで待ってて、おもむろにけっこうね、トイレって狭いから狭いのが逆に良くてね、手で支えたり簡単にできる。ほんで拭くわけ。めでたし・・・ということかな?だから、子どものころはそれで切り抜けてきた。それで大人になったら洋式トイレがふえたやろ?洋式トイレやったらどうってことはない。例えば、これが洋式トイレとしたらさ、うんこらしょって座ってしまったらおしましな。今のしゃれってわかった人?

(一同笑)

 わかった?そういうこっちゃ。今質問もらったけどうんちはなんとか切り抜けてる。他には?はい。

学生:  目の前でどうしても越えられない一段があって、それで周りに助けてくれる人が誰もいなかった時、どうしますか?

牧口:  私個人の答えでいい?日常生活でいい?松葉杖に乗り換えるだけ。

学生:  持ってなかったら・・・?

牧口:  松葉杖常に持ってる・・・・。

(一同笑い)

― 車椅子と松葉杖の違い? 車椅子になってできた感動なできごと ―

牧口:  それより逆にね、松葉杖のときにできなくて車椅子になってできるようになったことあるんやけど当てられる?

学生:  両手をいっぺんに・・・。

牧口:  そうそうそう、両手をいっぺんにこれ、つかってまうがな。なあ?僕、かたっぽの松葉杖だとあるかれへんやろ?足の状態からいうて・・・。そんならどうしても二ついるで。そしたら両手ふさがるやん?まず、荷物が持ちにくいね。今日はもってきいへんかったけど、車椅子の後ろにかご積んでるんですよ。そしてらね、スーパー買い物一発!みんな入ったとこで、かご持ってやるでしょ?僕、かごいらんねん、とったやつ全部後ろにほっていったらいいねん。

 (一同笑い)

牧口:  レジをすいーっといってな、後ろの計算してっていって、ほなとってくれて、あのビニールに包んでくれて、後ろにちょんと中に入れなおしてくれる、ありがとさんっていってすいーっと抜けるだけ。
 それからもうひとつあるんだけど、何か気がつくことない?松葉杖の頃できなくて、こないなってできるようになったこと。きいついた?

学生:  ひざの上に荷物がのせられる?

牧口:  あーひざの上に荷物をのせられる・・・これも結構便利やな。

― 牧口さん、60歳になって経験したロマンとは? ―

牧口:  それよりこれやあー。これ、これってなーみんな当たり前かも知れんけど、僕60になるまで傘着たことなかったんやで。傘さしたことなかったんやで、させなかった・・・。

(傘がうまく開かず・・・一同笑い)

牧口:  時々あれるんやー。安もんこうてるから・・・。はい!

(傘がどうにかこうにか開き・・・一同笑い)

牧口:  せっかくみんなの前でええ格好しようと思ったのに・・・。なんとかあいた。あのなーこれはええもんやなあ。僕60超えてからなあ、ロマンチックっていうものわかったわ。道を歩いててなー傘をさしながら歩く街を歩けるなんて・・・こんなええことないで。うん。僕、こういう経験な、本当今までしたことがなかってんね。ほんでなー僕の後ろ見て。傘さす筒が二つついてるの分かる?今日一本しかないけど・・・。二つあるやろ?なんで傘入れ二つ作ってるか分かってくれる人?いつも実は二つさしてんねや。実はな、昨日急に雨降ってきて一本あげてもうたんや。っちゅーか、僕急に雨が降ったとき傘がなくて困ってる人いてるやん?あげるねん。そのためにいつもここにいれてんねん。ほんなら見ず知らずの人と声がかけるチャンスができんねん。

(一同笑い)

牧口:  昔、恋人探しにハンカチわざと落とした人いたやろ?

(一同笑い)

牧口:  同じ発想や。ほんでねー街歩いててねー頭にビニールかぶせたり、かばん頭にかぶせてばーっと小走りに走ってる人いるやん?そんな人見つけて必ず「あーちょっと待って!!傘、僕もう一本持ってるからあげるでー。」大体は「あー、助かった。ありがとう。」とあっさり受け取ってくれるんやけど、中にはなー世の中、律儀な人いてるで。「ただでは、もらえん」っていわはんねん。んで、「僕、スーパーでね、大安売りのときに200円のときにまとめてこうておきますから、200円くらいやからええっていってねんけど、「車椅子の人から、そんな恵みをうけるわけにいかん」っていってねー「あんたもオーバーやな」っ私ていうんやけど、どうしても返すっていいはんねんな。お金払うっていいはんねん、まず。お金いらんっていうのにほんあら送り返すっていいはるでしょ?送り返したら切手代のほうが高くつくねんな?そんなんなるからいらん!っていうんやけど、名刺くれとかね、住所教えろとか・・・僕仕方ないからそこまでおっしゃるんだったらって名刺あげんねんな。ほんなら三日くらいたったら、会社になそういう人ってやっぱり送り返してくれるんや。そんな人傘だけ送り返してくるとおもうか?

(一同笑い)

牧口:  だいたいなー、菓子箱がついてくんねんなー。ほんならな、僕だって思いがけないことしてもうたことになるやろ?そこまで気をつかわせて・・・って返事かいてまうわけや。そしたらそこから文通がはじまるやん。

(一同笑い)

牧口:  あれが女の人やったらもっといいねんけどなあ。
 だいたい男が多いな、今まで・・・。

(一同笑い)

牧口:  おとといもちょうど一本なくなってん、それで。今日朝仕入れてこうかとおもっててんけどな、朝早かったからスーパーよられへんかったんやわ。
 傘ってー・・・そやけど僕は雨がすきね。松葉杖の先にゴムがついてるんだけど、床がぬれてたらすべるんや。これ、普段は滑り止めのためにゴムがついてるんですけどね、ところが床がぬれとったら返ってこのゴムがすべる元になるの。だけどね、物理的に言うと、っていうか生活で言うとこまるわけや。

 だけど、僕は雨が大好きね。なんで雨が好きになったか分かってほしいんだけど、高校生のちょうど多感な頃にね、アメリカのミュージカルでね、「雨にうたえば」っていう名作・・・みんな知ってる?ジーン・ケリーっていってね、タップダンスの名手がおるんよ。そいつが土砂降りの雨の中踊りまくるんよ。どしゃぶりべとべとになって!!もう、そのシーンみたときジーンときてな、これもしゃれやで。

(一同笑い)

牧口:  ジーン・ケリーだけにジーンっときてな、ほんで僕それから雨が大好きになって、なんで感動したかというと雨と障害者似てるとおもわへん?一般的に表面的な解釈でいうと、私たちは日常生活で言うと・・・人間って勝手だなー雨の恩恵をいっぱい受けてんのわかっていながら、友達に手紙書くときどうかく?表雨降ってたらどうかく?いやな雨が降ってますが・・・とかうっとおしい日が続いていますが・・・それとかうっとおしい天気です・・・とか書くやん?障害者も同じやで。なんとなく、なんとなくやけどみんなからうとまれてるやん?だけど、障害者がこの世の中にいなかったら人間全部からからになるで。生きてられへん状態になるで。間違いなしになるよ!障害者がいてるから、お年寄りがいてるからみんな潤いのある人間的な部分がまだのこせてるんやで。

 それ、忘れてみ。私の苦労、気になる人、苦労かける人、私が心配な人がいなくなったら自分がせいせい生きられるって思ったら大間違いやで。自分が気になる人、心配な人、なんか助けたい人、力になりたい人がまわりにいてくれるから、人間て人間らしくいきられるんやで。このこと忘れてほしくないんやで。それとなー今街に障害者がいっぱいではじめて、皆さんも目に付くやん?車椅子なんか分かりやすいから、目につくでしょ?それは知らず知らずのうちに皆さんの人生観広げてるんやで。すくなくてもね、自分が交通事故でね足がなくなっても、死のうなんておもわへんやろ?もう、みんな・・・。昔は死のうって思ったんやで。障害者になったらもうお先まっくらやって死ぬ人いっぱいいてたんやで。今の皆さん、それほど短絡な考え方せーへんやろ?そりゃ、横でそういう立場で生きてるの知らず知らずのうちにわかってるからやで。そやから、知らず知らずに自分たちの人生観の幅ひろげてもらってるんや。

 実は障害者が、あるいはお年寄りたちが、子供が生きてるということはね、まず自分が意識してようがしてなかろうが自分の人生観の幅を広げてもらって、自分は生かしてもらってるんやということをやっぱりちょっと考えてほしいな。そういう想像力がある人はいうことないんやけどな。あんま想像力がない人がこのごろ増えとんよ。私の想像力って言うのは、クリエーションじゃなくて、イマジネーションのほうやで。・・・・・あ!12時、過ぎた。

ゆき:  じゃあ、お名残おしいと思いますが、これにて午前の授業はおしまいです。・・・私の部屋にお弁当を持ってきてくだされば、さらに続きを聞かせていただくことができます。特にテープお越しをしてくださってる人などは、時間があったらきてください。

 牧口さんから私に投げかけられた質問にちょこっとお答えしておきます。車椅子に市議会議員さんがのると記事になるかというのは、「絵になる」、写真映えがするからなのです。「初めて・・・」って言うのがつくと記事は大きくなります。ですから何度もやってると載らなくなるんですけど、そこで、手を変え、品を変えなさったのだと思いますけど。

 それから、欲しいコメントに仕立て上げちゃうっていうのは、残念ながら、新聞社ではしばしば行われています。事件物って言うのは社会部が受け持ってるんですけども、デスクの上に帳面がぶらさがってて、「こういう事件のときはこの人にコメントをもらうと便利」って電話番号が書いてあったりします。思慮深い人は、コメントを求められても、「一週間たたないとバックグラウンドがわからないので答えられません」とかいう。するとその人にはバツをつけるの。特に精神科医のお医者さんは、まともな人ほどすぐには答えません、するとまともでない人がずっとリストに載ることになってしまいます。そういう人が池田の事件にしてもべらべらと話して、テレビにも出てて世を惑わせたっていう・・・でも、新聞社側も共犯関係ということかも知れません。

 話は変わりますが、「仕方がない」という言葉、日本以外でもしばしば使われるでしょうか?外国からこられた方、ありますか? なさそうですね。

牧口:  そうやなー。

ゆき:  先日全社協、全国社会福祉協議会の事務局長になった方のお祝いの会の時に、私が「仕方ないという言葉を使わないでください」と、はなむけの言葉を述べました。そうしたら、後輩の論説委員がいて「あの言葉はとてもこたえました」と言っていました。「仕方がない」と日本人はよくいいます。困ったことに、新聞記者も例外ではありません。

 「政策を作る人に結びつく」「そのときにジャーナリズムを、協力者にしてしまう」「粉砕!じゃなくて楽しく面白くやれるようなやり方」これが、東京からきたものにとっては、「大阪流」っていう感じ・・・。その大阪流の象徴みたいな人が牧口さんです。次の週は、聴覚障害をもっておられる臼井久実子さんが来てくださいます。「障害者の欠格条項をなくす会」というのがありまして、牧口さんと私が共同代表、臼井さんは事務局長です。要約筆記という手段でみなさんとコミュニケイトできるようにと考えています。

牧口:  最後にね、時間がないからぱっとやりますけど、僕の困ってることね、緊急のときに困る。だから例えば地震が起きたり、新幹線が急に止まったり、飛行機が飛ばなくなったり、そんな状態がおこると僕はね、われ先にと人と競争できないのね、そしたらそれ以後の段取りが全部ごてごてに回っちゃうのね。ごてごてに回るのは僕別にかまわないんだけど、別に急いで生きていきたいとなんか思ってないからいいんだけど、具体的なことで困るの。たとえば、臨時バスが行ってしまったり、つまりねいろんなことで困ってくることが起こってくるのね。そういう意味で、緊急の時は障害者は弱いです。世間で言われてる障害者は緊急の時に弱いです。その一人として僕がいてて、それは例外ではない。

ゆき:  牧口さんはもうひとつの肩書きがあって、ゆめ風基金・・・

牧口:  そうです。

ゆき:  その話をちょこっと・・・。

―ゆめ風基金のこと―
牧口:  阪神淡路大震災の時に本当に障害者ってそういう状態にあったんですよね。何かにつけて・・・。まずねいわれたんが、聾唖者の人がいくとそれどころじゃありませんて言われたの。障害者が行くとみんな言われたの。今それどころやないってなんや?って思うわけですけど。そういう全体が大騒ぎになってしまうとね、障害者は人間でなくなってしまうの。これは社会現象がまだそうなってるでしょ?

 みんなもちょっと考えてもらったら分かると思うけど、本当はね人間って言うのはそういうときこそ弱い立場のひとから順番に助けないかんのや。理性ではわかってるけど、いざとなっときはそうならんわけですね。それが人間なわけです。そういう時は、障害者とか弱い立場のところにだーっとしわよせがくる。そういうことを嫌というほど体験したから、普段からお金をためていこうという運動をはじめたんですね。たとえば、今度北海道同じ規模の地震が起きたら、そこへ今までためてたお金をばーんと送ってしまって、障害者がすめる避難所、障害者がすめるプレハブをすぐに建てようというサンラのですね・・・。

 あるいは、人件費いるね、ボランティアっていったって寝泊りのお金や食費が要るわけや。そうなったら、まとまったお金がいるからそんなときのお金を集めておこうっていうので、今2億円集まってるんです。やから、当座はしのげるくらいのお金ね、たとえば障害者の設備の整ったプレハブが10個くらい建てられるやろ。あとは人件費とかね、その辺に使えるお金を当地にまず送って、当地がそれを土台にしながら復興活動をしていったらいいわけな。まず、復興活動に立ち上がるお金を普段からためというて運動をやっています。

ゆき:  名前がゆめ風基金・・・

牧口:  はい、そこに書いてあるね。肩書きのところにひとつ書いてますけど、そんな活動しています。

ゆき:  寄付・・・。

牧口:  10年間で10億円集めたろうと思ってね、10年間かけて1万円をくれる人を10万人集めようと思ったんですよ。間単に考えたらそんなことなんですけどね。なら10年間に1万円だと、1年間に千円でしょ?そしたら一月に百円な。これくらいなら、中学生くらいからやろうと思ったらできる。だから僕、中学校からずっと呼びかけててね、中学校から一月100円ずつ貯めていってくれてね、それを僕のところにくれたら、みんなが10年たったら、だいぶ大人になるわけやん?大人になったときにゆめ風基金こんなだけたまりましたー、みなさんありがとうってお互いに実現できるような夢をお互いにいだけへん?って高校生に呼びかけています。大学生にも呼びかけています。

 それでも7年経ったんよ、事実7年経って、10億円の目標が二億円なんよ。でも、これが10年すぎたら今度は第二次ゆめかぜ基金っていうかたちで、また十年計画で続けてほしいという意見が多くてね、10億円たまるまで何回でもやったやろうかと・・・。人間の地球なんていつ地震があるかわからへんな、自然災害のときの救援募金という形でやってます。これはね、今、アフガンとかなんかで地雷で障害者になる人いっぱいいてるやん?それにどうしとうかと実は今頭を悩ませてるんやな。せやけど、戦争や地雷っていうのは人因災害でしょ?人間のやったことまでしるかいよっていうのが僕の基本的な考え方でね。

ゆき:  これは、みんながお金をおいていく方法でいいんですか?それとも、ちゃんと会員になってきちんきちんと会費を?

牧口:  本当は会員になってほしいです。リーフレットを今日持ってきいへんかったんですけどね・・・。

ゆき:  じゃあ、次の授業のときに・・・。

牧口:  はい、そんならそうしてください。

ゆき:  じゃ、今度こそ終わりにして・・・

牧口:  ほんまにありがとうございました。

―――拍手―――


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