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優しき挑戦者(阪大・ゲスト篇)
 
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大鵬薬品工業生体防御研究所主任研究員:北野静雄さん
 
(記録:ボランティア人間科学講座・井原真由子さん、山本雅子さん) ―薬害被害の背後にひそむもの― 
北野:
 僕ね、大阪出身なのよ。十三・・・。 
池上(学生):
 僕、家十三なんですよ。田川って分かります? 
北野:
 はい、分かります、分かります。僕、塚本6丁目。隣やもんね。昔は田川って、ずっと工場街やったけど、 
池上:
 高校は、そこの付属池田やったんですよ。で高校ん時、腎臓病になって、それでいろいろ薬業界に興味が出て、今はそういう勉強しようかな、と思ってるんですけど。こないだ大阪経済大学の公開講義で、田辺製薬の会長さんが来ててお話をしてたんですけど・・・。 
北野:
 ああ、そうですか。どんなんゆうてました? 
池上:
 セルフメディケーションの話をしてたんですけど、何かあれを聞いてると、全部患者に責任を押し付けてるみたいな感じに聞こえたんですけど。いい印象を持たれている製薬会社ってありますか。 
北野:
 僕、面白いなあと思うのはね、こういうデータ不正事件を起こしてるところっていうのは、武田とか大きい会社にはないんですよ。どっか経営を無理してるところ。例えば一番ええ例が、日本ケミファなんですよ。日本ケミファは、急激に会社が大きく伸びていった会社です。だから、みんな「おかしいな、おかしいな」って言ってたんですよ。だから、あんなしょっちゅう新薬を出せるはずがない。そしたら、やっぱり捏造が行われていた。ミドリ十字はちょっと特別な体質やね。あれはやっぱり731部隊の系譜を引きずっている。大阪のHIV訴訟の弁護団の方と話する機会があって、「ミドリ十字の社員の中から何らかの情報がありましたか」って聞いたのよ。何にもなかったそうですよ。 
ゆき:
 問題意識がないのか、恐怖政治なのか。 
北野:
 そうなんですよ。でも結局その会社潰れてしまって。 
池上:
 薬の研究って、複数の製薬会社が集まってやるっていうことはないんですか。それやったら、もっとデータも公開されると思うんですけど。 
北野:
 それはね、あまりない。「譲渡」っていう形でね。例えば、今大鵬でこういう薬を作ろうとするでしょ。ところが、その分野はあまり得意でないとするでしょ。ある程度まで実験をやって、データをまとめたら他の会社に売り渡すんですよ、権利を。だから、共同でやるといういことはない。やるのは大学とか病院とかですね。 
池上:
 大学とか病院に属する薬の研究者と企業の研究者では、何が一番違いますか。 
北野:
 今と昔ではもう、大分違うんですけど、昔は大学のデータっていうのは、ある意味ではちょっと自由な雰囲気があるから、あかんデータは「あかん」って大学に出しますよね。ところが今、こういう薬害事件がいっぱい起こって、データ不正事件が起こった結果、厚生行政も、先ほどは簡単にしか言わなかったけど、ものすごく変わってきましたね。今、例えば「5」という数字が出るとするでしょ。じゃあ、この「5」という数字の生データはどこにあるのか。いわゆる「生データ」ね。例えば、その「5」という数字を測った機械はどれか。で、誰が測ったか。いつ測ったか。そういうことを、企業はやらなあかんのですよ。 
ゆき:
 北野さんたちの活動があったからこそ、厚生省が制度をしっかりしたのですよね。 
北野:
 ええ。そういう意味では企業のデータはね、今は大学のデータよりは信用できる。今はね。決して手作りにできない用に、変わってきましたね。昔僕入社したときにね、「ゾロ」っていう、「ゾロ」薬品。「ゾロ」いうのはね、ゾロ目のゾロじゃなくてね、ぞろぞろ出てくるから「ゾロ」言うんかなあ、と思うんですけどね。それ、よう分からないけど。新薬が、例えば特許期限切れるでしょ。そしたら、他のメーカーが特許切れのやつを作るんですよ。安く売るには。そんな「ゾロ」薬品を作るときは、ほんとに鉛筆転がして数字を入れてたんですよ。 
ゆき:
 すでに存在する薬の模倣品なのだから、大丈夫だろうって。あまり罪の意識もないままに・・・。 
北野:
 そう罪の意識、ない。 
池上:
 アメリカの場合はそういうのは、特許が安いか期間が短いとかで、すぐ出るんですよね。田辺製薬の会長さんが言ってたんですけど。だから、向こうは逆に、薬品の質があまりよくないとか聞きましたけど。 
北野:
 まあやっぱり、一応先発メーカーやから、データもそこが出してるし、品質もそれなりに、特許切れるまでは安定したものを出して。そういう意味では信頼性があるいうんもそうやけど。ただ、先発メーカーの薬価は高い。お医者さんが使う薬は、先発メーカーの薬を使うんですよ。なんでかゆうたら、薬価が高いから、それだけ収入が入る。 ―「内部告発」と、闘争― 
ゆき:
 お役所、きょう北野さんが話されたような構造、これは県民に不利益が生じると思ったときはどういう行動をとることになってます?静岡県庁の職員でもある横田さん。 
横田(大学院生):
 とりあえず内部で事情努力というか、まずは組織内で言い合って、それを聞いてもらえる仲間かどうか、また上司が真剣に取り合ってくれるかっていうところがまずあって、それがうまくいかない上司の場合は周りからやっぱり攻めてくっていう・・・。さっき使ってらっしゃった、外部のマスコミを使うっていうのは、最近よく、もう中が駄目そうな組織の場合は、あらかじめ外の知り合いの新聞記者の方に、とりあえず書いてもらう、っていうようなことは、最近割と。外頼みみっていうか、組合頼みじゃなくて。 
北野:
 今はね、「内部告発」っていう言葉が少し明るくなってきてるからいいけど、僕らのときはもうほんとに、「裏切り者」ですからね。徳島新聞なんかに投書欄があって、よう書かれましたよ。もちろん「がんばった」っていう投書もあったけど、「卑怯や」って。もうそういうことね。例えば仮に、会社に不正があったとしたら、そこでご飯食べるのはおかしいと。そんな会社で。辞めてからいいなさいと。 
横田:
 それだけ何か干された状態になっても、やっぱり「辞める」っていう発想よりは、「そこで頑張る」っていう発想になっていくんですか。戦いの期間は。 
北野:
 あの時は大義名分としてね、「第2のダニロンを出さないために、会社におり続ける」って言ってたけどね。でも僕はね、そう言い続けながらも、「会社は絶対辞めさせられる」と思ってましたから。 
横田:
 もうじゃあ、「辞めさせられるまで頑張ってやる」って。 
北野:
 そうそう。もうそれだけやね。こっちから辞めていくふうには考えなかったですよ。悔しいやないですか。でね、今まで「マイルーラ」の事件でね、僕ちょっと出勤停止処分になったでしょ。でこれ、裁判にしたんです。これが意外に面白かったのはね、ただの出勤停止処分やから、北野が製品を誹謗中傷したかどうかってことですね。誹謗してなかったら、そういう出勤停止処分はおかしいと、こういう論理ですよね。でそこで何が展開されたかっていうと、裁判所で。このマイルーラの毒性の問題が、だーっと出てくるわけですよ。僕が言いまくるわけですよ。今まで雑誌記者に言ったら「内部告発や」とか言われたけど、裁判所で証言すんのはええねんね。だからこれはええ手やって、思いましたね(笑い)。この公の場で、裁判所という公の場で言ったこと、処分できない。だから会社の中のこと、洗いざらい言いましたよ。ほんだらね、面白いのは、本訴になって何年か審議されたときに、会社が和解したいって言ってきたんですわ。それで和解の時には、20何件もある中でね、全部かいうたら、ちゃうと。マイルーラの事件だけは和解したいと。 
竹端(大学院生):
 それはどういうことなんですか。 
北野:
 それは、嫌なんでしょう。そういう毒性とかね、データがどんどん裁判所に出てくるんですよ。裁判所のデータいうのは、もう公の書類やから、ある意味では誰が入手することもできるんですよ。証言録も。 ―それでも「売られる・売れる」マイルーラ― 
横田:
 でもマイルーラは、20年ぐらいかかりましたよね、結局。その理由は、どうですかね。 
北野:
 やっぱり運動を潰さんと駄目やった医薬品やったと思います。ダニロンは、データ隠しという薬事法違反。だから厚生省も薬事法違反として扱っていたけども、マイルーラの場合は毒性のデータがアメリカでいっぱい出てる、社内でもあるっていうけども、決定的なものってやっぱりなかったんですよ。 
竹端:
 社内でもあっても売れっていうのは、「売れるから売れ」なんですか?「売りたいから売れ」なんですか? 
北野:
 両方でしょ。薬品はね、特に一般薬品は宣伝ですわ。本当に効かないんですよ。これは本にあるけど、使い方によっては60%妊娠するんですよ。で、6割妊娠っていうのは、つこてないのと同じなんですよ。そういうデータ、きちっとあるんですよ。そのことで、イギリスの家族計画協会は、こういうフィルム状の「マイルーラ」みたいなものは、避妊薬として薦めないと。そういうことをもう、正式に言ってるんですよ。ところが日本は売りつづけた。宣伝で嘘ばっかり言ってね。「よく効きます」。 
ゆき:
 何か、いつもおんなじですね。サリドマイドにしろ・・・。 
横田:
 そういう宣伝は、何の罪もない・・・?あの宣伝よく見たんですよ。マイルーラはよく女性誌でも目にしたし、自分自身も中高時代保健体育の授業で、あれは精神的なものだって扱うぐらい、ちゃんと世の中に認識されていた薬だと思うんですけど。何かそういうのをイメージだけで企業がやっていけるっていうのが、裏でそういう情報を持ちながら。 
北野:
 あれね、例えばマイルーラの臨床試験ってやっぱりやるわけですよ。で夫婦に使ってもらうんですよね。で妊娠する率とかそういうのを計るんやけど。普通の医薬品でも飲んだり飲まへんかったりするわけでしょ。で、ああいう避妊薬みたいな、かなりプライベートなものの中でね、それがきちんと使われてますかっていうことですよ。あそこにもね、「女性の膣に挿入してから5分以内に性交してください」とか書いてあるんですよ。そんなことね、ほんまに5分以内とか守ってる人がね、おるのかどうかと、実際は。だけど臨床試験ではやっぱり5分経ってからやるから、そういう効果があるんかもしれないけど。そんなね、「気をつけー。はい、今からどうぞー。」というようなもんじゃないでしょ。そういう意味で、臨床試験の取り方がおかしい。だから、疫学調査がいっぱいあるんです。60%っていうのは確かにあまりにも高いですけど、世界でいっぱいやられてて、平均20%の妊娠率ですよ。20%というたらね、「やったほうがちょっと・・・」、ぐらいですね。「まあええんかな」、ぐらいですよね。ところがそれを使ったことによって、女性の膣がずたずたになって感染症にかかりやすい。でね、一時エイズ予防のためにこれを使ったらどうやっていう研究があって、ところが、それを使えばエイズに余計かかる。なんでかいうと、膣の粘膜のバリアーがなくなるから。もう、細菌でもウイルスでもだだもれで入るわけですよ。合成洗剤で上溶かしてるもんやから。で、結局はエイズに効かへんという結論を、今から何年前でしたかね、4年ぐらい前に南アフリカでエイズ国際会議があって、それで出してるんですよ。 
横田:
 日本以外で販売されてた国っていうのは、あるんですか。 
北野:
 ずっとです。ずっと販売されてた。 
横田:
 どの国でも? 
北野:
 その前がね、水銀剤。水俣病の。有機水銀やないんやけど、あ、有機水銀か。水俣病になるっていうたら、それ誰でも使わへんけどね、合成洗剤やからということで厚生省も許可したんでしょうね。みなさんには分かりませんよ。あの化学式見ただけではね。主成分が合成洗剤やと分かったらすぐ分かることやけど、成分がそんな風に書いてないんですわ。合成洗剤ですとか。だから、こんな話もありましたよ。中学生が避妊するのにママレモンを使ってた。まあありうる話ですよね。合成洗剤が、そう効くんであれば。 
竹端:
 日本って、今でもそうですけど、正しい性のことについてはすごくタブー視されてる傾向があるからこそ、それとマイルーラが、っていうのはある意味関連があったのかもしれないですね。 
北野:
 それともうひとつね、女性が自主的に避妊できますという、まあいわゆる男性貞永型の中で売りやすかったんでしょう。だから僕もね、はっきりゆうたら、こういうことを全国で訴えつづけてきたけど、恥ずかしいですよ。女性の膣とか性交とかね、いっぱいそういうこと言うわけですけどね。でもそういう中で、本当にちゃんとした情報が知らされてるのかどうかですよね。そういう風にタブー視されてるから。 
竹端:
 低用量ピルが解禁になったのと、時期は関連はあったりするんですか。日本では4〜5年前ですよね、確か。 
北野:
 僕もね、それを期待してて、まあピルがいいとは言いませんよ、少しは変わるかなと思ったけど変わりませんでしたね。薬事行政は。薬事行政が変わったのは、環境ホルモンやからですよ。ポリオキシエチディ・ノニルフェノルエーテル(?)が体内に入って分解すると、ノニルフェロールになるんですよね。で僕らもこれを、ばんばんばんばん厚生省につついて。で、環境ホルモンやということはもう確定しましたからね。そんなもんを医薬品に使ってるのはおかしいということで、簡単な論理で攻めていったんですよ。だから厚生省からもきっと、あったと思います。販売中止したらどうやと。これはまだ分からへんけどね。 
横田:
 ちょうど薬に関係して、ちょっと話が違うと思うんですけど、サマリンドの薬害の訴訟の・・・。 ―薬に科学的な根拠を― 
北野:
 サリドマイド? 
横田:
 サリドマイド、ごめんなさい。サリドマイドの話で、今また抗がん剤としてっていう話がありますけど、あれは研究者としてっていうか、専門家としてはどういう?一度そういうことで、別の作用でというかたちで・・・。 
北野:
 まあ非常に・・・。ほんとに効くのかどうかっていうのがひとつあると思うけど。 
横田:
 抗がん剤として? 
北野:
 うん。僕はただ札付きの薬は、制裁として販売しないと、販売させないというふうにやった方が・・・。代用品はいっぱい他にもあるんだから。まあそのサリドマイドがどう効くか分かりませんよ。だけど、サリドマイドがほんとに効くのかという研究があって、それがまあ先でしょうね。あれ南米で使われたんでしょ。効くみたいだ、という形でしょ。だからまだどこも、製薬企業本気でそんなもんやってないし。 
竹端:
 でも日本でも個人輸入の形でやっていて、実際にそれで効いたっていう人がいるっていうのをやってましたよね。 
北野:
 実際に効くいうのはね、メリケン粉飲んでも治る。 
竹端:
 なるほど。 
ゆき:
 プラシーボ効果といってますけど。 
北野:
 だからほんとに、100人対象でどれだけ効いたんかっていう科学的なデータで議論しないと、「私は飲んで効きました」って言ったら、他の人は飲んで効いてないかもしれないしね。 
横田:
 日本って、そういう臨床疫学的なデータって、すごく少ないですよね。 
北野:
 少ない。でね、薬が効きませんでしたという臨床疫学データは、日本に皆無なんですよ。 
横田:
 「効きませんでした」。 
北野:
 うん。ないんです、そういうデータが。もし「効かなかった」っていうデータは、闇に葬るんです。販売する前に。だからアメリカなんか探さなあかん。僕大塚製薬のアーキンゼット錠の問題でね、日本で探したらみんなええデータしかないんですわ。ところがアメリカで探したら、心臓毒性だとかのデータがやっぱり出てきましたね。アメリカはマイナスのデータでも論文として出せば、業績として認められるわけ。日本はもう製薬メーカーが研究費出さへん。 
横田:
 だから、大学の研究者でも出せないってことですか? 
北野:
 うん。 ―やっぱり「ふたりで考える」が大事― 
竹端:
 先ほどちらっと「ピルにしても」っておっしゃってたけど、ピルっていうのもかなり悪いんですか、体には? 
北野:
 いや僕ね、実はピルのことあんまり知らないんですよね。 
竹端:
 低用量になってかなり変わったっていう風には、素人は聞いていて、そう思うんですが、そんなこともないんですか? 
北野:
 避妊のときね、やっぱり化学薬品使わんとね、コンドームつこたらよろしやんか。と思うけどなあ。 
竹端:
 なかなか根が深いですね。 
北野:
 でね、いつも聞かれますねん。「じゃあマイルーラが悪いというんやったら、どんな避妊方法がいいんですか」って聞かれるんですよ。それは夫婦・恋人同士で選ばんなん。1人に押し付けるからね、例えばピルになったりマイルーラになったりするわけでね、やっぱりふたりで考えなあかん、っていうふうに僕は言うんですね。その中でも何がええかっていうたら、僕はやっぱりコンドームって言いますけどね。 ―変わりつつある関係性― 
竹端:
 話変わるんですけど、大学と製薬会社っていうのは、そんなに癒着が激しいんですか? 
北野:
 激しいですよ。 
竹端:
 確かにプロパーとかがゴルフコンペ付き合ってとかいうんを聞くけど、そんなに・・・? 
北野:
 今はね、一応書類を残さなあかんようになってるけども、まあ書類があればかなりいい方でね、昔はひどかったんですよ。僕、阪大の方に、大鵬から内地留学で行ってたんですよ。2年半おったんですけど、そこで実験するでしょ。そしたら動物実験するでしょ。動物の費用、請求書はみんな大鵬に回すんですよ。だから、大学では全然購入もしてないねずみなんですよ。学会があるっていったら、やっぱり旅費とか接待とか。今はね、国立大学の先生は特に厳しくて、お茶程度。僕も九州大学の先生と研究で色々お付き合いさせてもらってるけど、やっぱり気使いますね、今は。ほんまに。 
ゆき:
 立派なホテルの代金とか全部。 
横田:
 理系の学部はみんなそうですね。 
ゆき:
 建築もそうなの? 
北野:
 だから今はね、研究費という形で書類に残る形では、やっぱり出してますね。せやから大学に、ここの研究室にという形で1千万とかやるでしょ。一応書類は残ってるんですよ。でもそれが、どう使われていったかどうかは別としてね。昔はもう闇から闇やから。領収書も何もない。ねずみもそら闇から闇や。 
横田:
 社員の構成はどんな風になってるんですか?研究者と営業と、割合というか。 
北野:
 今はね、これおもやっぱり色々薬事行政が変わってきた結果やろうと思うけど、昔は製薬企業いうたら、工場いうたら平屋建てなんですよ。で、研究者はものすごい立派なビルの3階・4階・5階とかね、そんなものすごいんですよね。あとは、プロパー、いわゆる営業の人、これはもう全国でたくさんいるんやけど、研究者が一番多かったんですよ。 
横田:
 研究者が一番多かった? 
北野:
 多かった。 
横田:
 じゃあお金も自動的に研究開発費が、一番多い? 
北野:
 ところが、今はね、MR制度ってご存知ですかね。MRっていうのはね、お医者さんに企業が持ってる情報、あるいは学会で発表された情報を、きちっと伝えなさいっていう資格制度でね、資格取れへんかったらMRなられへんのですよ。だからそういう人たちを充実させなさいという、行政がそうなってきて、そこがものすごい人多いですよね。だから、今までやったら情報を伝達させなかった。これもまあ、運動の成果といえば運動の成果なんやけど、そういう人たちを毎年、大鵬でも4〜50人採りますね。4〜50人ですよ。武田とか、大手になったらものすごいでしょうね。100・200名とかそんな単位じゃないですか。その代わり研究者が、大鵬だけかも分からへんけど、どんどん減らされていって。研究労働者がどんどんMRに取られていくわけですよ。会社も生き残りを図ってて、分野を色々広げない。もうこの分野とこの分野だけ。例えば癌とか循環器とか、そういう分野だけは自分とこでやるとかね。で、あとのやつは、開発中の薬は売ってしまうとかね、他に。まあ昔から比べれば製薬企業も生き残りが厳しくなってきて、どんどん外資系が入ってきますから、今までみたいにええ加減なことができない。どんどん会社が潰れていくし。僕はええと思いますよ、潰れたら。 ―本を読んで、耐えました― 
ゆき:
 現在は、日常的には課長さんとして、どういうお仕事をされてるんですか? 
北野:
 研究業務。 
ゆき:
 新しい薬を色々合成したり、枝を変えてみたりとか? 
北野:
 それは合成の人がやるんですけど、僕は生化学、バイオケミストリーで、実際に酵素にはどういうとか、そんなことをやってます。で、5時になったら旗もって走り回ってるという。 
ゆき:
 5時までは、きっちり、有能に働いてらっしゃる? 
北野:
 有能かどうかは別として。 
竹端:
 闘争しているときも5時までちゃんと働く? 
北野:
 働いてました。ただね、闘争中は会社がまともに仕事与えへんかったもんやから、よく寝たりしてたけど、あれ寝てへんかったら戦いもてへんかったと思います。会社が仕事与えへんかったから。 
竹端:
 与えへんということは、「ここにいなさい」? 
北野:
 いやいや、要するに、仕事をやらさんと・・・。仕事干してあげるとね、研究者いうのはね、試験管取られてまうと辞めるんですよ、会社。 
竹端:
 実際どんな? 事務机んとこに、「はい座って、はい居なさい」なんですか? 
北野:
 うん、ほんで、一応誇り高い業種やから、しょうもない試験させられたりすると、やっぱり研究欲なくなってくると、辞めてしまうんですね、会社。僕は辞めへんかったですよ。本読んでました。 
竹端:
 それは認められてたんですか? 
北野:
 もちろんそういう、会社図書の本ですよ。よう読みましたね。もうほとんど読んでしもたかね。 
ゆき:
 研究にまつわる本? 
北野:
 いや、もう研究にまつわる本は棚に一箇所ぐらいしかないから、もうありとあらゆる本。だから製薬企業史とかね、歴史とかね、そんな本。暇でしたから。 
ゆき:
 辞めちゃう人って、ちゃんと次の就職先あるもんなんでしょうか。 
北野:
 当時はね、僕らの当時はまだ売れ手市場やったから、今はもう。で、再び大学戻った人もいます、たくさん。もっぺん大学戻って。獣医さんも結構製薬企業入るんです。で、もっぺん大学に戻って臨床を経験してね、動物のね、獣医として経験して、それで開業した人もたくさんいますよね。 
ゆき:
 なるほど。生化学は開業できないから(笑い)。 
北野:
 そうです、僕らなんかどこも行けない。ましてや、札付きですから。まあそういう意味では、逃げないというよりも、逃げられなかったんかなあ。 
竹端:
 戦うしかない。 
北野:
 そうそう。背水の陣。 
ゆき:
 奥さんは何か、お仕事はされてたんですか? 
北野:
 いえ、やってなかったんです。 
ゆき:
 じゃあ、もう何としてでも妻子を養わないといけないという。 
北野:
 はい。そん時2人子どもおったから。 ―「この薬は誰にものまされへん」― 
ゆき:
 日本ケミファに内部告発された方がいるけれど、辞めてから内部告発された。北野さんたちのような運動にならなかったんですよね。個人芸、みたいな。新聞社で見てると邪念のある内部告発の方が多いんです。北野さんたちのようなち「ほっとかれへん」っていうのはそれほど多くない。北野さんたちの場合は、「実は彼らはこういう私憤がからんでいるんだ」というような潰され方はできなかったんですね。 
北野:
 そうですね。せやけど・・・。中傷はいっぱいやられました。僕なんか特に委員長やってたから色々言われまして、まだ当時労働運動が華やかやったから、「あいつは労働組合を作って、大鵬の組合から上部団体に、労働貴族として行こうとしてるやつや」とかね。 
竹端:
 左翼系のどうたらだ、とか? 
北野:
 よく言われましたよ。で悲しいのはね、僕の出身の大阪市大からは1人も採れへんと。僕、自分の出身の講座に行ったときにね、ごっつい怒られました。3年ぐらいしてから行ったとき。今はそんなことないですけどね。今は大阪市大からも採ってますけど。まあほんとにあの時はね、悔しかったですね。僕はどうすることもできませんから。僕が札付きいうのはええけど、大学まで札付きや言われるのはね、つらいですから。 
ゆき:
 大学時代は学生運動にも参加せず、っていう人が、なんでこういう組織力を発揮なさったのか、人間科学がすごく知りたくて・・・。 
北野:
 別にそんな、何も考えたことないです、組織やとか考えてない。とにかくこの薬は、誰にも飲まされへんとおもたからですね。 
竹端:
 でも思った人はいるわけですよね、他にも。 
北野:
 みな、全員思ってました。 
竹端:
 でもそれで、結局その御用組合が出来たときには、みんなそっちに一週間以内に90何%っていうのがいっちゃったわけですよね。何か「その差はなんやろう?」っていうのが・・・。 
北野:
 それは家族のこともあるやろうし、まあさっきは言わなかったんですけど、こうやって20何年経ったでしょ。で雪印とか、どんどん会社が潰れていく、日本ハムもそうやけど。この前ね、ちょうど一年ぐらい前か、1年経てへんか、ある管理職、当時僕らを大弾圧したわけですわ。「お前があの時告発してくれて、会社が残ってよかった。もし今やったら潰れとった。」って言いましたよね。 
ゆき:
 今ごろあっちこっちに癌が発生して、とか。 ―いざというとき、救急車― 
北野:
 そうですよね、きっと。だから、会社から脅されてまあやむを得ず止めたんやけど、やむを得ず止めたんやけどその止めたことを、会社にどういう風に表現するかという問題が出てくるんですよ。いやいや止めたんやなくてね、もう組合とはきっぱり縁切ったんやということを知らせるためにはどうするか言うたらね、攻撃してくるんですよ。怖いですよ、そういう攻撃は。もうほんま暴力振るってきますから。 
竹端:
 自己肯定感のための・・・。 
北野:
 そうそう。自己肯定感か・・・、会社の見てる前でやりますから。 
竹端:
 保身のための。 
北野:
 ビラ配りのときなんか特にひどいですね。足引っ掛けたりね。何回もこけましてね。僕さっきの新聞載ってたんはね、救急車呼んだんは、何べんもやられてこれ以上やられたらもう体もてへんと。それを労働組合の、他の労働組合の友人に相談したら、「お前救急車呼べ」と。ほんで救急車呼んで、ほんだらまあ新聞載りましたけど、ぴったーっとなくなりましたね、暴力。近づいても来ませんわ、ここに。あいつまたこけよるやろって。 
竹端:
 それでも、ほんとに小学生みたいに足出してくるんですか? 
北野:
 新聞に載ったやつは、ほんまにぽーんってやられました。こことここ。ぼこーん、と。 
ゆき:
 それで、倒れてコンクリートに。 
竹端:
 で、その倒した相手を訴えることは別にしなかった。 
北野:
 やりました。もうそのあくる日から、家の周りに凱旋カー走らせまして、「暴力課長ー」とか言うて。ほんだらね、もうおられへんようになってしもて、しょっちゅうやるもんやから、転勤願書いてたんかどうか知らんけども、すぐ配置転換になりましたわ。 
ゆき:
 そういう戦術はやっぱり仲間の労働組合員が教えてくれる? 
北野:
 はい。それは教えてくれる。「やれ」って言って。要するにこっちは悪いことしてるわけやないから、「行け!」って。僕は労働運動も学生運動も経験してへんから、教えてもらうことばっかしで、僕にひとつええことがあるとすればね、物まねができるということですね。人がゆうてくれてええなと思ったらね、必ずやる。 
ゆき:
 教える方も教えがいがありますよね。こんないい、かわいい弟子はいない。 
北野:
 救急車呼ぶっていうのはね、やっぱり勇気いりましたよ。ほんまに。中で「痛い痛い痛い」って言うとかなあかんでしょ。まあ我慢しようと思えば我慢できる痛みやのに。ほんでまた、病院って面白かったですね。先生がレントゲンとって、「お前どこが痛い」って言うから、「こことここです」って言うたら、はい、ここ一週間、ここ一週間って、もういいなりに書いてくれるんですよ。分かってたんかもしれへんね、僕らのことを。何にも聞かんかったし。ほんで、「お前そのままやったら歩かれへんやろ。松葉杖ついていけ」って。ほんで松葉杖くれるんですわ。僕知らんかったんですけど、救急車呼んだら警察来るんですね。で警察来ましてん。 
ゆき:
 救急車は自分で回したんですか? 
北野:
 僕が回したんです。 
ゆき:
 自分で・・・。 
北野:
 うん、せやからそれを見てるやつがおるわけですよ。「あいつはあの公衆電話まで走っていった」と。倒れて痛い人間が何で走れるんやと、こういう訳です。 
ゆき:
 まあ、もっともな指摘で……(笑い)。 
北野:
 もうこっちはね、こんなことばっかりやられてたらたまらんということでね、まあある意味ではね、もし今度暴力をふるわれたらそうしょうそうしょうとずっと考えとったんで。たまたまこうひどう押されたもんやから、普通ちょっとぐらい押したときにこけたらね、あまりにも見え見え。 
ゆき:
 チャンスがきた、と。 
北野:
 チャンスがきたと。これ作戦です。それまでようけ、やられてましたから。 
ゆき:
 それで、取材に来たんですか? 
北野:
 来ました。「ビラ配布中に労働組合の委員長転倒」って書いてある。それから、自分で勝手に転んだみたいな風にも取れるし、こかされたというふうにも取れるし。まあやっぱり、ああいう書き方なんかなあ、と思ったけど。「こかされた」とかいうて書いてないんですよ。まあまだ事情聴取も終わってないから。ただああいうことを内部でやられてる、内部で泣いてるいうことばっかりではあかんので、やっぱりいかにそういう、不正なことが中でやられてるということを外に知らしていくか。 
 田尻賞受けたとき、感謝の言葉を言わせてもらった中に「良心ある報道をしてくれたマスコミの関係者の方」、と僕は入れさせてもらいましたけど、ほんとに新聞記者の方には色々お世話になりました。何も書かれへんかったらね、内部でほんまに殴り殺されてるかもわからへん。僕らが労働組合作ってすぐ、僕はもう全然そういうこと気にも留めてなかったし、知らんかったんやけど、1ヶ月くらいしてからね、新聞記者の方が「北野、お前尾行ついてるの知ってるか」言うてね。ひとつはね、公安やと。警察ね。もうひとつは右翼やと。僕知りませんがな、そんなこと。まさかそんな、僕みたいな人間にね、尾行つくなんて思ってませんもん。んで、ついてるって言う・・・。もひとつは右翼やって。 
竹端:
 公安がついてるのは? 
北野:
 何でしょう。過激派なんでしょう、きっと僕が(笑い)。だから何か、運動のためにやったみたいに思たんでしょう。で、5年か6年したときにね、警察を辞めた方が日本のいろんな団体の党派別の表作ったやつが、本が出たそうなんです。徳島でふたつ出たらしいんです。僕その本見てないんですけどね、僕らはどこも入ってないのにねえ。解放派になってるんですよ。 
竹端:
 そういうことするようやったら、それに違いないと。 
北野:
 そうそう、きっとね。レッテル貼らんとあかんのですよね、警察は。 ―一夜明ければ、委員長― 
ゆき:
 組合結成した、その結成大会には何人集まったのでしたっけ? 
北野:
 結成大会? 
ゆき:
 結成の寄り合いというか・・・。 
北野:
 寄り合いはね、20何人集まってます。 
ゆき:
 みんな研究関係の? 
北野:
 はい、全員。それぐらいやっぱりみんなね、ダニロンはあかんと思ってたんですよ。ほんで「組合作って止められるんやったら、わし組み合い入る」といった人が、入ってきたんですよ。 
ゆき:
 重複してたのですか。「投書派」や「お願い派」と。 
北野:
 はいはい、もちろん。そうです。だから、投書する言うたやつでも、投書ようせんかって組合に入ってきたやつもおるしね。 
ゆき:
 で、その寄り合い、20数人集まって、それで委員長どうしようとかいう話になって、どういう風になって、北野さんが祭り上げれられるようになったんですか? 
北野:
 そのとき決まってなかったんです、実は。結成大会じゃなかったですよ。研究者は一応80名まとめたけど、やっぱり「労働」組合やから、もうすこし現場労働者までいかなあかん、と。そこで現場労働者に接触し始めたときに、組合作りがばれた。ばれて、明日にでも弾圧があるいうときに、まだ、結成大会やってないことに気がついた。それで、実は、寄り合いやりました。結成大会やってないから委員長・書記長もなーんも決まってない。で、夜中の2時ごろにうちの組合員から電話があって、そこから一生懸命文章書きました。要求書を。手書きです、せやから。ほんで、「明日ある」と言われてるけど、ほんとかどうか分からへんので、腹巻の中に「結成通告書」と「要求書」のふたつ入れとった。 
 ほんだらね、案の定、朝、「北野、誰々が呼んでる」って言われてね。普段絶対僕を呼べへん人が、呼んでるんですよ(笑い)。「こら、なんかある」と思ったんで、その時もう既に覚悟しとったから、テープレコーダー体の中に入れとって、結成通告書と書類入れて、ほんでトイレで日付を入れて今日の日付にして、んで結成通告したんですよ。その時までには委員長と書記長きまっとったんやけど、執行委員、書かなあかんのに、執行委員はきちっと決まってなかった。で、後から知ったっていうやつおるんですよ。「何でわしが執行委員やねん」って(笑い)。でも全部ずっと付いてきてくれて。 
ゆき:
 執行委員って何人必要なのですか。 
北野:
 あの頃はね、公表したんが5名だったんです。でその後からちょっと、まだ地下におった人は、まあ名前を公表することによって、執行委員になってもらったりしたこともあって。まあ全部で8人になったんですけど。 ―そして始まる、いやがらせ― 
北野:
 で、すぐ東京に、無期限の長期出張で飛ばされまして、僕のおらへん間に隠れ組合員をごぼう抜きにして、辞めさそうとしてたんですよね。実際辞めさしたんですけど。 
ゆき:
 無期限って・・・。何か一応もっともらしいご用は作ってあって? 
北野:
 もっともらしい(笑い)。「北野のやってる仕事を、東京本社で発表してくれ」って言うんですよ。今まで発表せえって言わへんかったのをね、急に「今すぐ資料をまとめて行ってくれ」って言うんですよ。これもうあかん、くさいとおもたけど、あの頃僕まだ労働組合ってよう分からんかったから、業務命令にどう立てついていいか分からんかったんで、まあやむを得ず行ったんですよ。で残った人たちは県評、当時、県評がまだあったから、県評の人たちがいろいろ指導してくれてるから、僕行った。一応研究発表を、そこでした。で、終わったんで、僕「帰る!」って言うたんですよ。いや、もう1泊してくれと。2泊して、「とにかく帰る」って言うてね、もう夜行乗り継いで、フェリーでとにかく徳島までたどり着いたんですよ。んだらそのまた朝、電話かかって、「今からもいっぺん、今度は東京本社のここをこう行ってくれ」と、今度もいつ帰るか分からん。で、今度の出張はね、全国にある病院を回ってもろて、どんな薬が必要かという市場調査をやってほしいと。 
ゆき:
 考えますねえ(笑い)。 
竹端:
 今いろんな手練手管をお持ちになった北野さんからすると、その時はどうすべきやったんですか?その業務命令に対しては。 
北野:
 拒否しとってもよかったと思います。 
竹端:
 それは拒否してもオッケーやったんですか。 
北野:
 オッケーですね。僕がもし労働組合の幹部だったら、「拒否せえ」って言いますね。 ―手探りのままで、通告書― 
ゆき:
 その通告書を北野さんが書くことになったっていうのは、一番思いが強かったのは、北野さんだったからなのですか? 
北野:
 ああ一応文章はね、みんなで決めてたんです。こういう要求しようよ、とかね。でやっぱりダニロンが問題になってるから、このデータの公表と販売中止はここに入れようか、とかね。宿直室のシーツはあんまり替えられてないから、「シーツを毎回入れ替えるように」、これも要求しようとか。ほんまね、何でこんなことまで書いてんのっていうような要求も含めて、36項目の要求書出したんです。まあマスコミに取ったら一番最後の2つが重要やったんかもしれんけど、僕らにとったらね、労働条件の問題とそれからダニロンの事件も両方とも重要。まあ、その中のシーツを入れ替え、とかはね・・・(笑)。「サービス残業を中止せよ」とか「草抜き止めさせ」とかね。朝行ったらね、仕事始まる前に草抜きさせられるんですよ。 
ゆき:
 研究者が? 
北野:
 全員ですよ。もう従業員全員。草抜き終わったら体操させられるんですよ。これもまだ時間前。そんなんおかしい、と。 
竹端:
 丁稚奉公的な感じなんですね。 
北野:
 そうそう。 
ゆき:
 徳島でのシンポジウムのあとで、美術の好きなベンクト・ニイリエさんを大塚美術館に案内したことがあるんですけど、そこには、大塚さんが田舎から出てきて苦労した模様が大きな絵になって展示されていました。貧しいおうちから出てこられたんでしょうねえ。 
北野:
 そうです。ほんとにバラックの所から。鳴門は塩田が昔あって、塩を作ってましたでしょ。塩の副産物として、塩化マグネシウムが出来たんです。その塩化マグネシウムから大塚製薬ができた。だから創業者はすごい人ですよ、やっぱり。創業者としては、尊敬に値する人じゃないですか。 
竹端:
 創業者はすごかったけれど。 ―秘訣は、周り人たちの支えと理解― 
ゆき:
 それで、どういう感じで委員長になられたんですか? 
北野:
 委員長と書記長とだけ決めたんですよ。一番先頭にたってた2人だったから。もうどっちかしかないので。「お前、委員長せえ、わしが書記長する」言うて、こんな話で。まあはっきり言うたら、軽く決めたんですよ。かるーく。 
ゆき:
 何か、ごっこ遊びみたいな感じですね(笑い)。 
北野:
 軽く決めたけど、やることは悲愴でしたね、やっぱり。どっちにしてもね。 
ゆき:
 書記長さんともその後はずーっと。 
北野:
 ああ、今でもずーっと。まあほんと、性格が全く異なってましてね。僕がぱっぱらぱーやけどね、彼はね、緻密。だから、僕が「行け!やれ!それ!」って言うてる時に、「ちょっと待て、それは危ない」とか言うタイプで、この2人3脚はよかったんと違うかなと。もし僕が走り続けとったらどっかでほら穴に落ち込んでんねんけど、やっぱり常に、「お前、危ないんちゃうんか」と言うてくれてたし、確かに後ろ向きなところもあったけど、その僕の前の向き方と後ろの向き方が、ちょうどバランスが取れてよかったんかなあ、と。同じタイプの人間がやってたらあきませんね。 
ゆき:
 そういう組み合わせって、めったにないことだから。奥さんたちは、何か言いました?「止めといて」とか、「大いにやんなさい」とか。 
北野:
 嫁さんと意見が違うんやけど、僕の記憶でではですよ、今から22年も前やからあれやけど、僕はもしこの問題でうちの嫁さんが反対したら、離婚しようとおもてたんですよ。もうわしはやるつもりで嫁さんに言おう。ほんだらね、「やりなさい」って訳ですよ。「あんたが思うんやったら、やりなさい」。せやから、家族という意味では、僕ほんまに苦労せんかったんですよ。家族が足引っ張ったとか。もうずっと協力してくれましたから。むしろ組合員以上でしたね。 
竹端:
 団結力は。 
北野:
 団結力は、まあこれは夫婦やから、子ども2人おるし。首になったらたこ焼き屋やんねやとか言いながらやってたけども、そんなねえ、悔しいやないですか。簡単に首になったら。 
ゆき:
 奥さん次第っていうこと結構あるんですよ、こういうこと続けるのって。 
北野:
 あります。 
ゆき:
 肝が据わってるか、黙ってたか。または北野さんに、惚れぬいていたから、ついていったか(笑い)。 
北野:
 いやいや、もし惚れとったらこんなに文句いわへんと思うけど(笑い)。でもまあ、ほんまによう協力してくれましたねえ。 
ゆき:
 うちにろくろく居ないわけでしょ。 
北野:
 はい。もうあっちこっち走り回ってて。ずーっと組合活動有給をつことったでしょ。家族のために一日もつこたことありませんねん。おまけに、うちのこども3人目生まれた時にね、慶弔休暇くれるでしょ、子ども生まれたとき。これも組合活動につこてしもて。ほんだらね、嫁はん文句言うかいうたら、言わへんかって。で、争議に勝って会うときに、お前のために一日だけ有給遣わしてもらうわって言うたらね、半泣きになってましたわ。 
ゆき:
 もらい泣きしちゃった……。 
北野:
 それぐらい使ってなかったんで、走り回ってたから。近所の人でも、「大鵬・大塚」いうたら城下町みたいなもんですよね。大塚は鳴門とか、まあ徳島はそれほどでもないけど、鳴門とか、僕の住んでる北島町というのも、もう大塚グループの人が回りにいっぱいなんですよ。きっちり二つに割れましたね。今まで親しかった人が、ぱーっと逃げていく人もおったらね、夜になってからね、「うちの会社って、こんな噂流れてるよ」とか教えてくれる。ふた通り。あの時はやっぱり、賽は投げれたんやな、と思いましたね。今まで長年付きおうてんのに、「北野と付きおうたら不利益を受ける」とおもたやつは逃げていきよるし、でも「北野、可哀想や」と思うやつは、夜誰も見てへんとこで訪ねてきてくれて、情報流してくれたり。ふた通りでしたね。狭い町やから、買い物行ったら必ず会いますよね。まあ、ほとんど逃げていかれましたね。 
竹端:
 挨拶すら? 
北野:
 逃げましたね。もうほんま、逃げましたね。そういう意味では、家族につらい思いさせたかも知れへんね。会社の人や、知ってる人やいうて、僕が「こんにちは」って言うでしょ、ぱーっと向こう行くわけですよ。やっぱり子どもはなんも分からへんから、「お父ちゃん、一体どんな人間関係してんねんやろ」とおもたかもしれません。 
ゆき:
 会社でそうで、ご近所でそうで、だけどそういう・・・。 
北野:
 そうそう、協力してくれる人がいた。もうそれでようやく、本当の人と付き合えるようになって、それまで僕はほんま寂しい人間関係をつくっとったんやなあ、と思いました。それまで会社の仕事も会社、それから遊びも会社、何でも会社の人と付き合ってて、でそういう人ってみんな去っていくわけでしょ、組合員以外は。ほんま寂しかったですね。寂しかったけど、僕ってこんな人間関係しとったんかと思ってね、人生のまずさ、自分の人生の貧しさを分かりました、あの時は。 
ゆき:
 だけどそれを上回る・・・。 
北野:
 はい、その後は、ですね。もう本当に素晴らしい人と、いっぱい出会わせていただきました。 
ゆき:
 それを上から5位くらいまで挙げると? 
北野:
 もう5位では済まないですよ。いっぱいですね、ほんとにもう。ほんまに。 
ゆき:
 薬害の被害者、労働組合の方と……。 
北野:
 それから、大学の同期の人たちに、ものすごい助けられましたね。心配やったんでしょうね、僕こんな人間やから。「お前、家族とも路頭に迷うんか、何とかしたらなあかん」、ゆうてね。僕大阪市大出身やから、大阪の人が多いでしょ。それで、「関西支援する会」っていうのを作ってくれたんですよ。それで、金も人も。それからマイルーラの問題では、日本国中歩いてくれましたね。 ―テキ屋でさえも、お仲間に!?― 
竹端:
 中ノ島でやったときも、そういう関西の? 
北野:
 そうですね、関西の人がおったからできたんですよ。今でもまだやってますねん。今もう、マイルーラは終わりましたけども、薬害医療被害のキャンペーン行動っていうことで、中ノ島祭り今でもやってます。 
ゆき:
 中ノ島祭りっていうのは、市民祭りが、もともとあって、そのひとつのイベントに? 
北野:
 はい。そん中でひとつ店出して。昔はもっと市民運動が店出してたんですけど、もう今は市民運動が、もうあんまりその祭りに来てないですね。市民運動が廃れてるとは思わへんねんけど、テキ屋が多くなって。 
ゆき:
 勝手に店だしたりして、テキ屋さんに怒られないんですか? 
北野:
 怒られました。ヨーヨーの時ね、僕ら100円でやってましてね、向こうのテキ屋はね、ひとつ大体300円ぐらいですか。「100円でやられたら、うち上がったりや」って。金魚すくいも怒られて。 
ゆき:
 仕入れに行くとこって、テキ屋の息のかかってないとこに行くんですか? 
北野:
 そうです。 
ゆき:
 大丈夫なの? 
北野:
 はい。でそれがね、施設でやることがようあってね、最初はちょっと施設でも裁判費用を儲けなあかんいうことで、ディベート取ってたんですよ。ところが僕、裁判も終わって全部勝って、せんでもええねんけども、施設の方からちょっとやってくれって言われて。今はもう売り上げは、そっくり寄付してますけどね。いまだにテキ屋やってます。輪投げ・ヨーヨー・うなぎ釣り・金魚すくい。うなぎ釣りはね、面白いんですよ。3つの針を作ってね、うなぎをきゅっと。 
ゆき:
 本物のうなぎ? 
北野:
 そうそう。こう、ひっかけて。で、これを作るときコツがあってね、紐を、すぐ切れるやつとなかなか切れへんやつの2種類作るんですよ。そんなんとかね。 
ゆき:
 そうすると誰かが釣れるから、「おお、いける!」と思って人が集まる……。 
北野:
 「よう、釣れてる」ゆうてね。そうゆうてたら、ぷちっと切れて、「ああ、残念。ちょっとやり方下手やったね」とかゆうて。 
ゆき:
 それは誰か専門家から聞いて? 
北野:
 テキ屋から教えてもらいましてん。 
ゆき:
 テキ屋が。 
北野:
 いやあ、面白かったですよ、ほんま。遊びもやったし。 
ゆき:
 北野さんって、お店やっても、上手そうよね。もともとは研究者が向いてると思って・・・。 ―熱い想いと不当な扱いと― 
ゆき:
 結果として、ソーシャルシステムにまで繋がったっていうのが、凄いとこですよね。「ダニロン止めさせたら,それでおしまい」っていうんじゃあなかったところがすごい訳ですけど、成り行き上そうなったのか、ある程度目標定めてそうしたのか。 
北野:
 目標は、そんなんなかったです。もっとゆうたら、目評はダニロン止めさせることやったですから。で、ダニロン止めさせるゆうことが、同義語やったんじゃないでしょうかね、こういうことが。こういう社会問題になってきた時にはね。データを隠したらいかんよ、とかいうことになってこなあかんし。 
竹端:
 それはあれですか、例えば「ダニロン止めるだけやったら、他のでまた出てくるやろう」という思いも、やっぱり持ってらっしゃったんですかね。 
北野:
 それはね、はっきり言えばね、錦の御旗として揚げていたわけでね、まさかそこまで本当に当時考えていたか。例えば「第二のダニロンは出さない」とか言ってね、確かに当時言いましたけどね、ほんとにそこの意識を持ってたかどうかはちょっと難しいですね。当面の課題、第二のことまで考えてられへん。とにかくダニロンをどう止めさせるか。それで、いかに不利益を少なくするか。確かに僕ら不利益受けるとはおもてたけど、僕だけじゃなくてね、僕の家族だけじゃなくて、他の組合員も家族おるわけでしょ。こういう人たちがやっぱり、僕と同じように路頭に迷わすわけにはいかんのやから、できるだけ犠牲は避けたいと。それだけは考えてましたけどねえ。 
 ようあんだけ我慢したん違いますか、ほんまに。賃金差別されて、昇格差別されて、ねえ。独身のやつもおりましてね、1人。結婚の話があるたびに、会社に問い合わせがあるらしいんですわ。ほんだらね、「もう間違いなくワルや」、言われたそうなんですよ。で、会社に問い合わせがあったらすぐ、潰れるんですよ。である時、僕の家に来よってね、「北野さん、組合やめたい」って言ってね。「もう、結婚話がどんどん潰れるねん。」「そうか、ええわ、辞めえ。そらもう、組合なんか辞めたらええねや。」ほんだらね、泣きよるわけですわ、僕の前でね。まあ何年間かずっと一緒に、苦楽ともにしてきたわけでしょ。「ええねん、辞めたらええねん。そら結婚の方が大事や。」ゆうて。泣いて帰りよるわけですわ。あくる日組合費持ってきよるわけですわ(笑い)。 
ゆき:
 で、どうなりました、その方。 
北野:
 幸せな結婚しましたねえ。結婚する時期は晩婚だったけど、双子できて、一気に遅い分だけ取り戻してますわ。いい、きれいな奥さんで。 
ゆき:
 その奥様のご両親は問い合わせしなかったのでしょうか? 
北野:
 組合員って知った上で結婚してますから。だって僕が、結婚式に挨拶してましたからね。そんなこと問い合わせしなかったのか、してもなんとも思わなかったのか、どちらかでしょうね。 
ゆき:
 じゃあ、結果的にスクリーニングができて、いい方と巡り会えたようなものね。 
北野:
 そうですね。 
竹端:
 電話かけるようなやつはいかん、と。 ―自社製品に責任を持つ、製薬会社に〜北野さんの想い〜― 
竹端:
 お話をしてると、浪花節的なところが、すごく論理的なところだと。 
ゆき:
 そうよね。文武両道ね。話の組み立てはかちっと、ほんと自然科学者的に進み、でも。 
竹端:
 だんだん浪花節に・・・(笑)。やっぱり、継続をするかしないかっていうのは、大きな境目やと思うんですよ。色んな労働組合で、それこそ御用組合になりかけてよく潰れて、トヨタとかでぎょうさん潰してるっていうのは話で聞いて、本読んだりするんですけど。やっぱりそれは、ご自身が開発にかかわったり、全体構造が見えてたからずっと、一労働者としてよりも、加害者責任みたいなのがすごくあったのがものすごく大きかったのかなあと、今日お聞きしてて思ったんですけども。 
北野:
 本人はそんなとこまで考えてません。僕は、僕らのこの反薬害の旗を組合として揚げることの重要性が、やっぱりこの戦いの中で、自分でようやく分かってきた、ゆうんかね。10年前に解決したわけですよ。じゃあもう薬害の旗は降ろしてもええとか言う人もいるし、うちの組合の内部でもね、もうダニロンの問題も終わったし、マイルーラ終わったから、厚生省交渉続けんでもええんやないかって言う人もおるんですよ。だけど、これは違う。厚生省交渉を続けて、薬害の問題に組合が取り組んでるから、うちの組合が存続できるんやと。労働組合が自社製品に責任を持っていくゆうのは、これから21世紀の課題とちゃうんかなあと、だんだん思えるようになってきてるわけですよ。今、薬害医療被害の人たちの裁判支援をやってるんですけども、特に薬害で、薬の問題になってくると、被害者は分からんでしょ、薬のこと。 
ゆき:
 「悔しい」って思うだけで……。 
竹端:
 医者を訴えたいけど、医者は専門家やし、専門家に対してどうやって訴えたらええかとか、そういう被害だったということを、どう訴えたらいいかという相談・・・。 
ゆき:
 お医者さんも、実は、薬の専門家じゃないし。 
北野:
 弁護士もそうですよね。法的なことは分かるけど、本当にその薬で起こった薬害かということとか、医療被害かということは、ものすごい難しいわけで。そういうとこらへんで僕らが分かるとこがあるから、今そういうことをずっとやってるんですけど。そういうことを続けていくうちに、自分たちも薬に責任持ってくる。だんだんそう思えるようになってきたんで、最初から先が見えてたとかね、それはないですね、ほんまに。恥ずかしい話やけど。 
竹端:
 ただ何か、いわゆる組合員の運動と、何かちょっと違うような気もするんですよね。、全体的な問題の根源が見えてはるがゆえにしつこくできたのか、どうなのかっていう。 
北野:
 いやあ、それはどうなんかなあ。他の人に見てもうた方がええかわからん。根源見えてたとは、僕は自分では思いませんね。ある部分、つっついとったんかもしれんけどね、自分の持ち場でね。他のことはできてへんけど、自分の持ち場ではつついとったんか分からんけども、その時はね。今はね、そういう意味ではやっぱりおっしゃるように、やってたことは間違いなかった、いわゆる根源的なところの一部を最初つついとったんやなあということは、今でこそ分かるけども、当時はそんな意識はさらさらなくて、「深遠な真理のためにここをつつくんや」いう意識は全くなかったですね。「ダニロンはとにかくあかん薬や」、これだけです(笑い)。 
ゆき:
 ノーベル賞の田中さんと似てるところがあるような・・・(笑)。研究するのが楽しくてそこへ入って、きちんと仕事してたら、いつの間にかすごく広がりのあることになっていた、とか。 
北野:
 いやいや、僕の場合はいつのまにか壁にぶち当たったという。 ―自分を取り巻く組合、いま昔― 
ゆき:
 組合の目的2つ認められたっておっしゃったけど、そういう組合って、いっぱいあるのかしら。新聞社の労働組合も新聞の使命について語り合う新聞研究集会とかってやってますけど。 
北野:
 昔はありましたよね。もちろん、今でもそういう運動あんねんけど、例えば日教組だったら教育、要するに戦場に子どもを送らないというね。要するに戦争反対を貫いているところもあるし、水道の組合だったらきれいな水と命を守るということで、合成洗剤追放運動をずーっと組合として、もう20何年続けてやってますし、そういうふうなんはないとは言えないですけども、やっぱりものすごい少ないですよね。 
竹端:
 他の労組の方々と色々と、例えば会合を持ったり一緒にやったりということはあったと思うんですけど、違いとかって感じられました?「ここは似てるけど、これはちょっとかなんで〜」とかって、やっぱりありました? 
北野:
 一番最初それを知ったんは、当時合化労連、知ってます?知らんでしょ。あのね、合成化学の連合体の組合、合化労連っていうんですよ。そん中に製薬企業とか化学関係、合成化学関係の会社がいっぱい入ってたんですよね。僕らも製薬企業やから、組合作るときに合化労連に入ろう言うて、東京の本部に、合化労連の本部に加盟申請に行ったんです。こういうことで組合作りたいんですって。ほんで、もちろんダニロンの問題言いましたよ。ところが1ヶ月待っても2ヶ月待っても加盟許可が来えへんのですよ。ほんで、当時の徳島県協に聞いて、合化労連の本部に問い合わせしてもらったら、「内部告発がらみの組合は加盟は認められへん」と。「そういう執行委員会方針が出た」と。ほんで、山之内・田辺が強硬にそれを主張したらしいです。 
 実はね、組合結成を地下でやってましたでしょ。ばれたん、そっからなんですよ。労働組合からばれたんですよ。で、「こういう内部告発がらみで組合作ろうとしとる」という情報がもれたんは、そっからです。んで僕ら、合化労連入れずに、僕そん時知らんかったんですけどね、中小の、1人でも入れる組合があったんです。全国一般組合。それで、僕らがそこに加盟、許可されて入ったんですよ。だから、僕らずっと全国一般なんですよ、合化労連じゃなくて。だからそういう意味では、製薬企業の労働組合が僕らに対して取った態度いうのは、静観、「静かに見とく」。どないなりよるか、潰れよるのか、どないすんのんかと、じーっと。せやから、カンパもくれへんし、協力もせえへん、もちろん。 
ゆき:
 労組の作り方や運営の仕方を教えもしてれくれない? 
北野:
 もちろん、もちろん。 
ゆき:
 県評はしてくれた? 
北野:
 県評はね、最初ごっつい怒ったんです。県評は大々的に組合員を増やしてから公表するとを狙ってたみたいで、「もう通告したんか」って、すんごい怒られました。 
ゆき:
 「合化労連なんかに行くから、会社側にバレちゃったんだ。ばかだねえ」っていう? 
北野:
 いやいや、それは県評が連れて行ってくれたんですよ。 
ゆき:
 そう、そうですよねえ(笑い)。 
北野:
 県評も質が悪かったんです。僕らを抜きに会社と交渉を始めるんですよ。あの時はびっくりしましたねえ、交渉を始めて。うちの組合員がひとり配置転換されてしまって。だからもう、「県評は入れない」、と。協力は要請しに行くけども、交渉の中には入れないと。会社は県評を「うん」言わしたら、組合は「うん」言うとおもたんでしょうね。もうしきりと、上部団体と会社がやってるわけですよ。僕らあの時ね、「売りわたされる」、思いました。ほんでも必死になって我慢して、もう団体交渉にも上部団体入れずに、僕らだけで団体交渉始めたんですよ。ほんだら会社もだんだん、分かってきたんでしょうね。県評が「うん」言うても、こいつら全然「うん」言いよらへんわ、と(笑い)。ほんでだんだん県評はずれてきて、僕らとだけ交渉するようになった。 
ゆき:
 全国一般組合は、まめまめしくお世話してくれた? 
北野:
 坂東亀三郎ゆうてね、明治生まれの、ものすごい活動家がいたんです。市会議員やってはったけど。 
ゆき:
 何党ですか? 
北野:
 社会党ですよね。全国一般の委員長やってて、もうおじいさんですよ。よぼよぼのおじいさんですよ。その、「拾たれー!」ゆう、一言ですよ。合化労連から捨てられてるでしょ。「拾たれー!お前ら助けへんかったら、労働組合なんか?」って、一喝したらしいですわ。「ははー」ゆうて、いやいや僕ら拾うてくれたみたいですわ。 
竹端:
 いやいややったんですか? 
北野:
 そのおじいさんの委員長おらへんかったら、僕ら入れてないです、どっこも。 ―「内部告発」=「裏切り者」?― 
竹端:
 それは、同じ理由ですか?内部告発やから? 
北野:
 でしょうね。おそらく。 
竹端:
 当時は、労働組合自体も内部告発に対してかなり? 
北野:
 おそらく。 
竹端:
 それは何でなんですかね。 
北野:
 もう、空気自体がそうだったんでしょうか。僕らも内部告発と言われたら、辛かったです。 
ゆき:
 今回、北野さんをお呼びするお知らせの中で、「内部告発」って言葉を意識して使いませんでした。北野さんの気持ちを、そう直感したので。 
北野:
 今はね、それほどの、昔ほどのニュアンスはないけども、「裏切り者」というんですよ。 
ゆき:
 「薬害を防いだ研究者」ってしようかっていったら、「労働者」にしてくれっておっしゃたので、「研究労働者」ってタイトルにしました。 ―助けてくれる人のありがたさ― 
ゆき:
 坂東亀三郎って、ずいぶんまた、大時代な名前ですね。本名なの? 
北野:
 そうですね、ほんとにもう、大時代なごっつい活動家です。亡くなられたけど、今でも徳島の中では尊敬されてる方なんです。 
ゆき:
 「坂東」も「亀三郎」も何か襲名披露みたいな感じ。 
北野:
 優しいおじいさんになってましたけどね、僕らのときのはね、もう。でも労働運動は原則的に。要するにね、トップ交渉するなとかね、いっぱい色んなこと教えてくれました。 
ゆき:
 坂東亀三郎さんから直々に? 
北野:
 教えてもらいました、いろいろ。教えてもらいました。 
ゆき:
 「トップ交渉するな」の他に、覚えておられるのはありますか? 
北野:
 色々あったんやけど、どうやったかなあ。具体的には、団結は持っていかなあかんで、とかそういうことで、よく覚えてるのはね、僕らの組合を色んなところに紹介してくれました、よく。行きにくいですやんか、組合作ってすぐやし、誰も知らんし。一生懸命連れて行ってくれましたけどねえ。 
ゆき:
 組合運動ってどうやったらいいかだって分かんないような。 
北野:
 何にも知りませんでした。僕ね、ビラ配るのも知りませんでしたで。東京に配転受けたって言ったでしょ、すぐに。出張命令出されたでしょ。ほんだらね、いっぺん必死になって戻ってきたときにね、会社でビラ配っとるんですわ。「何やそれ」言うたらね、「労働組合からビラ配るんや」言うてね、「県評の人に指導された」言うてね、一生懸命ビラ出しとるんですよ。「へえ。労働組合ゆうたらビラ出すんやな。」 
ゆき:
 私の組合経験とよく似てる。男女平等の賃金にしてほしいという闘争をしたときのことです。何にも分からないから、まずデータをきちんと集めて説得材料を整えました。それから、団結が崩れないように回覧板方式で情報を共有するようにしました。ビラはイラスト入りで分かりやすく、立て看板も面白く……。 
北野:
 どこで大勝負掛けたか分からへんけど、とにかく必死だったですねえ。ほんまにね。分からんかってん。分からんかってんもん。ほんで、由紀子さんたちの運動は成功収めたんですか? 
ゆき:
 ええ、朝日新聞の賃金が男女平等になりました。今論説委員になってる女性は、試用期間だったある時、ぱっとお給料が上がたので驚いたのですって。色々きいてみたら東京の女性たちの運動のおかげで。 
北野:
 突然自分に跳ね返ってきた? 
ゆき:
 そうそう。彼女が初めて論説委員室に来たとき、感謝の言葉をいただきました。ところで、今、薬害根絶のグループの主要メンバーでいらっしゃるのですか? ―「あなた方の運動で法律を加えさせていただきました」と厚生省― 
北野:
 「厚生省交渉実行委員会」っていうのがあって、スモンとかクロロキンとか、富士見産院被害者も入ってるし、陣痛促進剤の被害者とか、その時々にいろんな薬害医療被害の方が入ってこられるんやけど、そこにずっと密着しながら。厚生省とやってるとね、会社いやがるんですね。面白いでしょ、これ。僕もそこまで意識なかったんやけど。僕は厚生省交渉で、飛行機乗って東京行くでしょ。徳島駅で、よう会社の人間と会うんですよ。「どこ行くんや」言うから、「厚生省行く」言うたら、「何しに行くんや」言うから、「厚生省交渉に行く」言うたら、「えっ!うちの会社の問題ちゃうやろな」って。「いや、今回は違う、今回は違う」言うて(笑い)。 
 ほんで、「うちの会社の問題が出たときは、きちっと交渉しますよ」って言うてあるんですよ。ほんだらね、僕、厚生省というのは薬を認可するところやから、会社にとったら敵なんよな、ある意味では。うやうやしく敵なんやけど、で、会社と僕らが仮に敵としたら、「敵の敵は味方」という(笑い)。厚生省と、こういう交渉する場をいつでも常に持ってるというのはね、会社にとってはものすごい威圧感あるの。だから例えば、仮に社内で不正があった時に、直結して厚生省に繋がると思うから。歯止めになってるんでしょうね。 
竹端:
 「あいつらすぐ、言いよるかもしれへんから。」 
北野:
 そうそう。もう何回も言ってる実績をしっとるもんやから。だから厚生省交渉いうのは、僕らはそこまで意識せえへんかったけど、薬害医療被害の問題でやらなあかんと思ってただけやけど、会社への牽制球としても強い。 
ゆき:
 クビにならなかった理由のひとつに、厚生省の担当者の人たちが、「クビにはするなや」って会社に言ってきたという話をききましたが。 
北野:
 今から21年前、組合結成してダニロンの事件が発覚したときに、厚生省が会社に言うたそうなんですよ。「彼らに不利益を受けさせてはいけませんよ」と。言ったらしい。それ、俺らは全然知りませんよ。僕らもう、クビになることしか考えてなかったから。なるというふうにしか思ってなかったから、あれやけど。後で分かったことですけど、解決した後ですけどね。係官が、「不利益を受けさせてはいけませんよ」ということを、会社に言ってたそうです。ただ、クビにせえへんかっただけでね、後はありとあらゆることやるわけやけど。 
ゆき:
 それは、厚生省の良心なのかしら?北野さんのような人たちを製薬界に置いといた方がいいとか? 
北野:
 法律が変わるって僕、厚生省の係官から知らされたんですわ。十勝のワイン町長と言われて国会議員になられた。その議員の方と、厚生省に行ったことがあるんですよ。ほんだらね、優しく出てこられてね、ダニロン事件のすぐ後やったけど、「いや、あなた方の運動で、我々この法律を加えさせていただきました」と。「ええ〜!」っと思いましたね。僕らの運動で、法律が変わったんかと。その時はね、優しい係官やと思いました。僕はね、厚生省には必ずしも敵ばっかりおるんじゃなくて、中にはいい人もいると。本当に僕らのこと考えてくれる人が。その時は、「あなた方をクビにしたらあかんよと言いました」、とは言ってないけどね。 
ゆき:
 名前はおぼえてらっしゃらない。 
北野:
 名刺はどっかに埋もれてると思いますが、忘れました。 
ゆき:
 もう、退官したくらいの、年配ですか? 
北野:
 僕が組合作ったとき31でしたし、技官か係長レベルの方じゃなかったかと思うんやけど。そんなに年は取ってないと思いますよ。 
ゆき:
 発掘したら教えて下さい。そういう立派な人は。 
北野:
 探しておきます。 ―「非計画的」犯行、結果的には大成功― 
ゆき:
 すごいことですね。だから「計画的犯行」ではないかと。 
北野:
 全然違います。 
竹端:
 やってるうちに、ちょっとずつ見えてきたっていうのはないですか? 
北野:
 あります。それはあります。やっぱりやってくると、少しずつ見えてきて、そんな遠くまで見えへんけども、少しずつ見えてきて。で、僕大体性格が近似的な人間やから、本当のやり方いうのはあるんやろうけど、ずっと物まねで、まちごうとったら修正、まちごうとったら修正でこう来たもんやから。先少し見えるとね、またこっち直すわ、と。あ、こっちくるわ、と。せやからその、先が少し見えたことがね、僕にとってものすごい重要やったと思います。ものすごい遠くまでは見えへんかったけど。 
ゆき:
 で、全部繋いでみると、いい線いってたなあ、と。我ながら。その厚生省交渉っていうのは、最初のときから加わってらっしゃったんですか。それとも、途中から助っ人に? 
北野:
 少しだけ、一年ぐらい遅れたと思うんです。岡本隆吉さんが言い出しっぺですよ。関西では。で、広島の元畝さんと、岡本さんと、それから東京の人たちで、厚生省交渉団を作られたんです。で、僕はその時は入ってなくて、うちの組合が、一年ぐらいして入ったんかな。だから20年ほど続いてるから、まあほとんど僕らは、結成のときは立ち会ってないけれども、一緒にやらしてもらった。 ―「楽しい」が原動力― 
竹端:
 くたびれはれへんのですか? 
北野:
 意外と。楽しいからですよ。 
竹端:
 楽しい? 
北野:
 楽しい。 
竹端:
 それは、クリアすることが楽しいんですか?それとも? 
北野:
 いやいや、もう毎日が楽しい。楽しいことが多い。 
竹端:
 もともとそういう風に、楽天的に考えはる方やったんか、ある時にぷちっと切れたのか? 
北野:
 どっちか言うたらね、高校・大学生の頃は、太宰治みたいなんが好きなタイプでね、ど悲壮感の方があったんかも知れんけど。大学の頃からかな、変わったんは。 
竹端:
 今、毎日が楽しいんですって、こんなに大変やのに。 
ゆき:
 お顔を見ると、ほんとに楽しそう。 
北野:
 楽しいですよ。 
ゆき:
 昔の写真よりも、また一段といいお顔になられてるみたい。 ―薬害医療被害に取り組む「熱き」人― 
ゆき:
 分からず屋だと思ったの厚生省も文部省行ってみたら随分ましだったと分かったって。 
北野:
 誰ですか? 
ゆき:
 勝村久司さんです。文部省に教科書に薬害のことをきちんと載せてほしいと行ったら、剣もほろろで、代議士の紹介状が必要だというのですって。回答は文章でするとかいう。20年やってきたから、厚生省も理解がすすんだのかも。 
北野:
 勝村さんがずーっとやられてきて、で、一定の世論作ってますからね。彼の力は。だから、ある意味で聞かざるを得ない部分が。で、正論やいうのは、誰が見ても分かるわけでね。厚生省は屁理屈で一生懸命対応してるけれども、勝村さんの方が正論やいうのはもちろん分かってるわけで(笑い)。頭いい人たちですから、厚生省の方は。でもまあ、「聞かざるを得ない」ゆうのが出てくるんじゃないですかね。もう10何年もずっと、彼もこの問題やられてますので、レセプトの問題と、それから陣痛促進剤の問題。ほんとにあの人一生懸命やられて、今もう、被害を最小限度に食い止めてるでしょ、彼は。日本の陣痛促進剤の被害をね。まあ、ほんとはもっともっと食い止めなあかんのやろうけど。 
ゆき:
 理詰めの上に、情が乗っかってるってとこ、勝村さんと北野さんと似ている感じ。 
北野:
 いや、彼はすんごい頭いいですよ。もう厚生省の係長、たじたじですよ。ただね、彼は相手に答えさせない。もう言いたいこといっぱいあるんやと思うね。で、理詰めでずーっといってる。向こうも答えることが出来へんぐらい、理詰めでやられるから。僕はね、答えさせる。例えば、「間違いでした」ということを、一言言わせるとかね。 
ゆき:
 なるほど。 
北野:
 それは、労働組合の団体交渉のやり方ですんでね。言葉として残す。テープでもいいから。ただ頷いてるだけではね、答えになってないわけで。勝村さんのあの熱はね、ものすごいですから。僕も驚くぐらい論理的で、情も深く、すばらしい展開させるけど、やっぱり相手に言わせんと。 
ゆき:
 途中から、情が押し寄せてきちゃうのかも知れないですね。 
北野:
 そうならざるを得ないぐらい被害あってますからね。 
ゆき:
 今、枚方市民病院の方で、改革のお手伝いを。 
北野:
 らしいですね。 
ゆき:
 それで、「何であんな事件がつぎつぎ起こったんだと思いますか」と、尋ねたら、「インフォームドコンセントがよく取れてなかった」なんて言う。「インフォームドコンセント以前の犯罪ではありませんか。」といいました。犯罪を見てみぬフリをした構造をあきらかにしないと同じことが繰り返される。 
北野:
 そうですね、みんなやっぱり、明らかにすることからですよね。 ―「助けられ上手」な北野さん― 
ゆき:
 ありがとうございました。 
竹端:
 何かもう、すごく面白かったです。 
北野:
 いえ、どうも。つたない話で。 
ゆき:
 とんでもないです。もっともっとうまく伺うと、色んなことが出て、分かりそうな気もするのに。 
北野:
 いや、ほんとにみなさんに助けられたから、これた。 
ゆき:
 「助けられ上手」さんっていうのが、あるんですよね。 
北野:
 さっき言うたけどね、僕見とったら、やっぱり「助けたらなあかん」って思ってくれるんでしょうね。それは、僕意識してへんけど、トクしたと思います、ほんまに。トクしたと思います。 
竹端:
 それは、あちこちに「助けてえや」って、電話を掛けはった訳ではなく? 
北野:
 いや、もちろん「助けてえや」とは言わんけども、もちろんこういう所でも一生懸命訴えさせてもらうし、ビラもまくし。それはもう、全国歩きましたから。はっきり言って、「助けてくれ」言って歩いてるわけですから。うん、「助けてくれ」言うて。 
ゆき:
 男の意地とか、そういうのないんでしょうか? 
北野:
 意地なし。意地はなし。もう電信柱でも頭下げる方やから。 
ゆき:
 沽券に関わるとかいうのも、ないんですよね。 
北野:
 これももう、全然なし。そんなんはなし。 
竹端:
 意地なしで、例えば、だから・・・。 
ゆき:
 でも、誇りはあるんですよ、ほんとはね。 
 ―「そんな人生歩みたないわ」― 
竹端:
 ダニロン許せないっていうのは、意地ではなく? 
北野:
 意地じゃないです。言うたから、それが意地になってやるというんじゃなくて、やっぱりあんな薬出した時にね、僕はもちろんだまっとってね、仮に誰かが、仮に死んだとするでしょ。そう思うだけで辛うないですか?ねえ、そんなん全然知らなくてもね。 
竹端:
 自分がそうやったら、使う立場やったら、っていう。 
ゆき:
 作った立場としても、加害者になってしまう。 
北野:
 知ってて、加害者。向こうは加害者って知らないけども。閻魔様の前か、天国の前か知らんけども、申し開きできませんよ。そんな人生歩みたないわ。それだけ、です。 
ゆき:
 そういうのをみんなが思ってくと、随分この日本はよくなるのにねえ。 ―3つ子の魂、100まで?― 
ゆき:
 別に子どものとき、そういう教育を受けたってわけではなく? 
北野:
 まあ、僕は教会行ってましたから、イエス様みたいなのは常に頭の横にはありますけどね。 
ゆき:
 洗礼受けられるくらいな。 
北野:
 受けました。いや別に、それとこれとは関係ないですけど。何かやっぱり、あると思います。 
ゆき:
 何という宗派? 
北野:
 バブテスト。プロテスタントの一派です。 
ゆき:
 おいくつぐらいの時? 
北野:
 高校の2年のとき。 
ゆき:
 何か、思うところあって? 
北野:
 いえ、小学校から教会学校行ってたもんですから。 
ゆき:
 日曜学校? 
北野:
 はい。 
ゆき:
 きれいなカードがもらえる。 
北野:
 そうそう、カード、楽しみでねえ。聖画カードですか?あれが楽しみでねえ、ようもらいました。 
ゆき:
 私も信者じゃないけど、日曜学校のおかげで「天にまします、われわれ父よ」っていうのは、ソラで言えるんです。 
北野:
 言われますよ。北野はエセや、ゆうて。酒は飲むわ、タバコは吸うわ、やってることははちゃめちゃやし、何がお前、クリスチャンや、ゆうて。だから僕は、あえて自分からよう言わんのです。 
ゆき:
 牧口さんもねえ、あんなちゃらんぽらん風に言うけれども。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・録音乱れる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ―ボランティアも、どんとこい― 
ゆき:
 学生さんを終わって、勤め先が徳島になられた。まだ20代の頃、筋ジストロフィーの方の介助ボランティアをするようになった。 
北野:
 そうそう。そうです。 
ゆき:
 そこで嫁さんを、知り合われたんですって。だから、そんなことでは驚かなかったんですね。奥様はね。 
北野:
 僕らも年寄りやから、若い人が介助をしてますけど、正月とかね、「緊急に来てほしい」とかって、電話かかってくるんです。ほんだら行くんですけど。で、この前1人亡くなられたんやけど。 
ゆき:
 お姉さまが、目がご不自由とうかがいました。全く? 
北野:
 小さいときは見えてたみたいですけど、僕はそれ知らないんですけど、16〜7の時に失明。弱視だったと思うんですけど。 
ゆき:
 もしかしたら網膜色素変性?スタンダードルールで有名なスウェーデンの元厚生大臣のベンクト・リンクビストさんがそうなんです。スポーツなんか上手だったのに、ある時からサッカーの玉が見えなくなって。 
北野:
 何か、徐々になったって。 
ゆき:
 物につまづく。視野が狭くなって、今はどういう状態なんですか? 
北野:
 今はもう、全盲です。 
ゆき:
 ボランティア歴の方が長いんですね、労働組合歴より。 
北野:
 何ていうんか、ボランティアゆうよりか、もう友達みたいになってるから。順番にごはん作る日が回ってくるんですけど、ごはん作りに行くと。夜は寝泊りすると。 
ゆき:
 療養所、それとも、おうちで自立生活している方? 
北野:
 街出てきて、みんなが代わりばんこに支えあっていく。地域の労働運動にも恩返ししないといかんので。助けてもらったから。 
ゆき:
 そうですよね。今度そは、助ける側に。 
北野:
 助ける側だ。 
ゆき:
 すごい。ありがとうございました。 
竹端:
 面白かったです、ほんとに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・録音終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
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