優しき挑戦者(阪大・ゲスト篇)

玉木幸則さんを囲んで 午後の面白くてためになったディスカッション(2003年4月23日・午後)

記録と編集:吉岡洋子さん

―「主張する障害者」が増えるには―

竹端:  玉木さんのように、きちんと主張していく障害者は、まだ、少数派ですよね。主張する障害者が増えていくのには、どうしたらよいんでしょうか?

―障害がない人だって、主張すると「特別」にみられてしまう。やっぱり「教育」―

玉木:  ごっつい難しい質問するなぁ(笑)。
 さっきも言ったけど、教育が大きいと思うんですよ。障害児教育だけじゃなくて、教育全体の問題としてね、あるん違うかなと。
 障害者だけじゃなくて、実は一般の人も、自分が何かを訴えるとか、何か要求することが、特別に見られる。下手すると目立つ、「あの人は変わってるな」っていわれる向きが強い。そういう日本の中で、今おっしゃったことを進めていくとすると、「自分のしたいこと、したくないことを、ちゃんと伝えていいんです」という考え方を広めていく必要があるん違うかな。

―主張すること、に慣れているヨーロッパ―

竹端:  ヨーロッパで「障害者に対するエンパワーメント」っていうのと、日本での「障害者に対するエンパワーメント」っていうのって、言葉は一緒やけど中身はレベルが全然違うような気がするんですよ。
 ヨーロッパの方は、主張できるのが当たり前、という前提がまずあって、その上で、「じゃあみんなの前でどう言うねん」とか、「交渉どうするねん」とか、「組織どうまとめていくねん」とか、もっといったら「政治家とどう対処するねん」とかいうこととかまでやっていかはるじゃないですか。日本はまだその前を内輪もめしてよろけているような・・・。

―まだ主張の「素地」ができていない日本―

玉木:  素地ができてないんですよ。僕の感覚でいくと、やっぱり教育水準かその違いなんちゃうかな。今日もね、「地域生活支援とかのお話」を展開していけばいいんだろうけども、そうしなかった。僕なりのこだわりがね、そこにあるんです。教育っていうか。
 教育のところをクリアにしていかないと、僕らがやっている地域生活支援のことも理解が深まらんやろうなぁという気がしてて。

竹端:  素地ができてないから、素地作りとしての教育っていうのは大事やと思いますけど、それは多分ここ5年10年ではなくて、もう20年30年の問題になってきますよね。すると、とりあえず一方で、ここ5年10年でできることっていうのは、何だと思われますか?

―政府レベル:「差別はあかん」の“根拠”となる「差別禁止法」が必要―

玉木:  色々あると思うんですけど。
 一番大事というかすぐできるのは、政府レベルでいうと、「差別禁止法」をつくり、それを浸透させていくっていうのが大事だと。ただ、その法律は、「障害者だけのため」というレベルだけじゃなくなって、もっと市民ていうか国民に開けていかないと。それをきちっと5年くらいで片付けていくことが大事だと。「差別はあかん」という根拠になる法律、形に見えるものを作っていくことが大事。
 今は根拠というものが、全然ないじゃないですか。今の状況で、障害者の主張っていうか、障害者団体の主張という形で輪を広げていますから、もうそろそろその時代は終わって、国としてもこういう方向性でいくという法律あったら、違うかなと。

竹端:  法律ができると、例えばどんな風によいっていうことになるんですか?

―「差別の規定」が曖昧だと、何が差別かわからない―

玉木:  結果的に差別してたとしても、「知らんかったねん」というレベルで、ずーっときてるわけですよね。
 障害者自身もそういう感じで慣れてしまっているから、「こんなもんやねん」というて、諦めじゃないけども。それをはっきりさすことが大事で、それから、ではどうしたらいいねんということを其々が考えていかなあかんことやけど。

竹端:  まず泣き寝入りしないと。

玉木:  そう、まず差別の状況を、「差別や」ってわかることが大事ですよね。それは、個人レベルでもそうですね。

竹端:  そうすると、差別のことを差別だとわかる、泣き寝入りしないための、いわば力づけるためのものが差別禁止法であり、そういう法律が必要やっていう風に。
 今おっしゃっていただいたのは国レベルでできることですよね。じゃあ、一個人としてやグループ、障害者の団体とか、もう少し小さな集まりでもできることっていったら、何なんでしょうか?

―小集団のレベル:社会生活のノウハウを伝える、ピアカウンセリング―

玉木:  僕らがやってるのは、大きな意味でのピアカウンセリングっていうもんやと思うんですよ。それは、先輩というと語弊があるけど、先に自立生活をして色んな経験をしている障害者が、これからしようとしている人達に対して、自分の経験をきっちりと伝えていくとか。その中で、僕達がやっているような自立生活プログラムで、「できんかったことができたんや」ということを、しっかりと分かってもらうということが、ごっつい大事であって。
 それを何で言ってるかと言うと、今日もちょっと触れてたんやけど、養護学校の教育で、本当に社会生活を送っていくためのきっちりとした技術っていうかノウハウを伝えきれててるかと、ほとんどないわけです。
 養護学校出たら、買い物ちゃんといけるようになるんか、電車とかもきっちり乗れて、東京で仕事やねん、東京でコンサートやねんといった時に的確に行けるかっていうと、行けないことが多いわけですから。そういう事実も含めて、僕達が伝えていくっていうことが、とりあえず自分の単位でできることやろな。

―生活の技術は、「経験」から学ぶもの(玉木さんのお父ちゃんの例より)―

竹端:  でも生活の技術っていうのは、普通の学校でも教えてませんよね?

玉木:  それは何でかっていうと、うちのお父ちゃんとおかあちゃんに例えるとね。
 例えば、5年位前に母親が入院しました。で退院するちょっと前に、お父ちゃんにキャッシュカード渡して、これで退院、入院費用を30万くらい下ろしてきてって言って、、暗証番号も書いてもらって、これもって機械のところいって、「何かあったら聞きよ」と言われて行った。けど、機械の前に立ってみたものの、わからないわけですよ、どないしていいんか。昔の人でおっさんだから、聞けへんわけですよ。
 で、その時に僕に電話をかけてきて、実はこうこうこういうわけで一回来てくれへんかなぁと言うて、行って、教えてあげたんです。カードを入れたらこういう風になるから、ここでボタンを押して、確認を押したら、お金がここから出てくるからそれをとって持ってかえってくんねんで、と言って。わかった?と言ったら、わかったと。
 一週間くらい後にもう一回同じような状況になって、また呼ばれて。「何よこの前教えたやん」と言ったら、「ちょっと自信ないねん」とか言って、教えた。けど、お母ちゃんが退院してきて今は銀行行ってるから、お父ちゃん、次、行ったとしても同じことになるやろうと。

 それは何でかっていうと、経験の中で分かることがほとんどやから。例えば、みんなが電車に乗れるようになったのも、小学校5、6年生になって、友達とどっか行こう遊びに行ってみようか、という中で、切符どうやって買うねんといって覚えていったことですねん。

―「経験しながら覚える」機会がない障害者―

玉木:  そういう、やりながら覚えていくっていうことを、障害をもった人達は極端に少ないわけです。で、それは何かっていうとやっぱり、養護学校とか施設であれば、隔離された環境でしか生活してないから、経験しなくても生きていける。でも、一般の生活していく人は経験せんと生きていけんことが、いっぱいある。そういうことをきっちりと伝えていく作業をやっていかないと、だめなんですね。
 そこで、特殊教育っていうのが本来なら落としこむべきであるんやけど、ここが抜け落ちてるわけです。だから、僕らが自立生活支援センターで、大人になってから、障害者対象にやっていこうっていう、その時期にやろうっていうとごっつい時間かかるわけですよ。うちの父親みたいに。

―外見だけが「特殊」な養護学校―

竹端:  僕、養護学校っていう所に実際いったことがないので、教えてほしいんですけど。玉木さんは両方行かれていたっていうので、どんな特殊な教育をしてもらえるんですか?

玉木:  えー、素人の先生が、養護訓練で足をこうやって動かしたりね。

吉岡:  授業で訓練があるんですか?

玉木:  養護訓練っていう時間が、週に2回くらいあるんです。今は知らんけど、僕が行っていた頃は、新リハビリテーションとかいうて、無理やり外圧かけて、痛いのをつくって、そこで「力抜いて抜いて抜いて〜」っていって、抜かしていって、今度できるようになるんですよ、という無茶苦茶な訓練をやっとったり。

竹端:  それは医学的な根拠とか・・・

玉木:  全然、全然。その程度ですよ。そいで養護学校の教員っていっても、養護学校の教員資格持ってる人だけが勤められるわけじゃなくて、色んな異動で来る人がおるから、「特殊教育っていうの、何?」っていうくらいやってない、と僕は思いました。

竹端:  「特殊」だっていうのは、単に障害者が集まってるっていうのが特殊だっていうことと、人数が少ないっていう特殊と、「集まっている人が普通と違うな」っていう、外見の特殊性だけで、中身の特殊性はない?玉木さんが経験された感じでは?

玉木:  そう、ない。もう少し社会参加できててね、もう少し障害の治療もできててね、もう少し生きやすい世の中にならんと・・・

―障害を理解する授業、という発想自体がない!―

竹端:  「障害の受容」とか、「障害について」とか、そういう授業すらないんですか?

玉木:  ないですよ。ないですよー。

竹端:  えー、それくらいはやっていると思ってた。

玉木:  あるわけないですよ、そんなん。

竹端:  特殊学校やのに、障害についての教育が全くない?

玉木:  やから、問題なんです。

竹端:  それは午前中おっしゃってた、いわゆる、障害者をみて触れたがらないっていう発想に似てるんですか?もう当たり前やから言わんでいいと思い込んではるのか。

玉木:  いや、それは発想がないんで、伝えなあかんっていう。

―「自分を変える」ための教育ばかり―

竹端:  生徒からニーズも上がってこないんですか?

玉木:  そんなん無理ですよ。中学生、高校生でそんなん考えてます?
 ましてや思春期ですやん。その時期に自分を見つめますやん。何者やねん、そこばっかしありますやん。
 その中で、僕も受けてきたけど、「社会に出て困らんように、あぁなれこうなれ」って。
 自分を変えないといけんことばっかりで、つられていくわけですよ。でもほんまはそうじゃなくて、「今のままでちゃんと生きていけたらええやんなぁって、それが生きていけない社会ってやっぱりあかんねん」ってね、その時期にきっちりと入れていってあげればね、もう少し気持ちは楽になるん違うかなぁって。そういう作業を全くされてないというても、過言じゃないですね

竹端:  本当に隔離されているだけなんですねぇ。

玉木:  ほんまに、そうですよ。

―人里離れた全寮制養護学校で、社会にでるトレーニングは可能?!―

吉田:  地理的にはどうなんですか?玉木さんの行かれていた養護学校っていうのは、町の中にあったんですか?

玉木:  僕らの時は、全国で3校くらいしか全寮制の養護学校。兵庫県の竜野市、あっこにあって。町から5キロくらい離れてて、谷です。奥を入っていくとキャンプ場で行き止まりっていう、そのちょっと手前にあって、土日には家に帰っていいけど、なんせ町まで歩いて一時間以上かかるわけですよ。それで、バスも通ってないから。自分で行こうとすると、歩いていくかタクシー乗るかっていうようなとこで。そこでね、社会で生きていくためのトレーニングってうのは、ありえないですよ。

全員:  ありえない!

―隔離された場所で、身辺的自立の練習ばかり―

玉木:  だから、そこで何をやってるかっていうと、要は身辺的自立ですよ。自分で布団がたためる、洗濯ができる、自分の周りのことができるようになったらいい。だから、自分が行った当時はそこも逆に重度の人は来れなかったわけですよ。重度の人は、地域の養護学校で。

竹端:  身辺自立ができそうな可能性のある人しか、行けないと。

玉木:  隔離状態ですからね、余計おかしくなる。

―普通中学から、養護高校に進学したわけ―

ゆき:  そのようなところに玉木さんが行くことになっちゃったいきさつは?

玉木:  小学校の時は、もめたあげくに普通学校に入った。そこで、それなりにやっていけたから、中学校行く時は問題なく入れたわけですよ。
 ところが、僕の担任が、もともと養護学校におった先生だったんですよ。それで、嫌なことばっかり言うんですね。おまえ、高校どうすんねん、と。「高校は義務教育と違うし、体育でも柔道とかあってな、できんかったら困るぞ」って。単位制やから単位とれんかったら卒業できんし、「おまえの頭ではバスで一時間もかけて通わなあかんとこしか入れんけど、通うのも大変やろうから苦労せなあかんし」とか、嫌なことガーって言って。でも、養護学校は、全寮制でな、廊下でも雨が降っても風が吹いても全然濡れへんしな、とか言うわけですよ。
 最初は、嫌やっていってたんですけど、大人って卑怯やから、本人があかんかったら今度は親を説得にかかるんです。で親も抵抗してたんやけど、やっぱり親は先生という肩書きに弱いですから、「センセがそこまで言うんやったら、そうした方がいい」っておちたんです。そしたら、学校では「養護学校へ行きなさい」、家に帰ったら「養護学校行ったらどうやどうやっ」て言って、ダブルで言われてますからね。中三くらいでよっぽど意地が強くないと諦めますよ。それで僕諦めてしまったんですよ、勉強も嫌いやし。受験の勉強もせんでええからとかいって甘い言葉に誘われて、妥協したんですけども。

―結局、養護学校に入って後悔―

玉木:  入ってみて、最初は後悔してて。結局、山里ですしね。夕方も早く暗くなるし。みんな日課に沿って生活してるから、だらだらした空間の中で、関係って養護学校の生徒と先生と寮母さんとの三角関係の中で生活ですから。やっぱし、しまったなぁって。率直な意見として。

ゆき:  寮のお友達も玉木さんのように感じていたようですか?

玉木:  ええ。極度のホームシックになった子とか、やめて帰ったりする子もいますんで。

ゆき:  でも3年間、そこに。

―私物のワープロすら、高価だからと持ち込み禁止―

玉木:  でも最後の方はもう、好き放題してましたから。結構途中から、学校と闘ったり。考えられないんですよ。僕らが高校の時は、やっとワープロが出はじめてた時で。一行ディスプレイで、シャープの商品が出始めたやつで。36万円しとったんですよ。

全員:  へぇ!

玉木:  それを、買って持ち込みたいと。で、何でかって言うと、受験勉強もしたかったから、それを使う事で効率も上がるわけだし。けど、何て言われたと思う?
「高価すぎる、私物でそんな高価なもの。」

―挙句の果てに、校長室への呼び出しまで―

ゆき:  自分のお金で買ってもだめ?

玉木:  あかん、って。壊れたらどうするんやとか、わけの分からんことですわ。1年の時話してだめで、「今後検討する」っていって、僕が卒業するまで何にも変わってなかったから、頭にきちゃって。
 結局、自分がしたかった時に環境でできなかった。しかも養護学校という、本来、脳性まひやったら脳性まひの特性なり、どうやったらいい方向になるかということを、本来わかってなかったらあかん学校に、それを拒否されたから。すごく頭にきて。じゃぁ養護学校って何やねん?っていう疑問がでますよね。結局、普通の学校の真似事をしてるだけのことだった、っていうことがそこで分かったんですよ。

―大学受験対策のない養護学校―

竹端:  養護学校にいったら、大学受験とかできるんですか?

玉木:  無理ですよ。

竹端:  なんで無理なんですか?

玉木:  まず、僕がアホやったいうことと(笑)。それから、受験対策やってへんし。今日もいうてたけど、教科書やりますよと、でも、「あ、この単元難しいからとばす」とかいって、とばすんですよ。

ゆき:  先生にとって、「難しい」からなのね(笑)。

竹端:  普通の教育に準じる、わけやから。

玉木:  一応使ってますよと。終わらんかったら、終わらんくてもいいですよ、いうことですやん。だから結局、受験に必要な情報というのは自分でやるしかないわけですよ。
 で、僕は、ひたすら毎日漢字書いて、新聞を読んで、自分が気になったところの切り抜きやって、それをノートに貼って、その新聞の感想と要約を毎日書く。それと、英語の長文のやつを、先生にテキストもらって、それをとりあえず辞書引いて訳して、いうことしか受験勉強してない。

竹端:  それくらい、自分でやろうという気がない人は…

玉木:  無理ですよ。しかも、当時は、いまやってるような「受験の時の障害への配慮」というのも少なかったんでね。まず受け入れてくれる大学探すんが大変やった。

―「自分で力いっぱいやることが大事」ばかりでは、スタートから遅れる―

玉木:  アメリカなどでは、個人的なアテンダントが保障されてますよね。その人にべったりついて、本をめくる人、ノートテイクする人っていうのをきっちり保障した上で、勉強しなさいよっていう。
 日本の障害児教育っていうのは、まず自分でやることが大事っていうのが。自分で歩くことが大事、とか、自分で書くことが大事。それを力いっぱい最初にやるから、もうスタートで遅れるわけです、間違いなく。

竹端:  いや本当に、午前中おっしゃっていた3つの整理でいくと、身辺自立の訓練を脱しきれてないと。

玉木:  いや、ほんまにそうですよ。それはもう、間違いなく脱してないですよ。

―なぜか、小さい頃から福祉の道に進みたかった―

吉岡:  でも、経歴を見ていたら、日本福祉大学に行かれたんですよね?

玉木:  二部です、二部。

吉岡:  どういう期待をもって、そこの福祉学部にいかれたんですか?

玉木:  最初に僕、障害の受容、多分できてなかったんですよ。でイメージ的にね、福祉の関連に行きたかったんですよ。何となく、ちっちゃい時から。変な子供でしょう?普通、小学校の文集なんかに、将来の夢いうたらみんな、エンジニアとか野球選手とか書いてるけど。俺だけ「福祉の仕事」って書いたんですよ。変な奴、変な奴でしょう。
 ほいで、福祉行きたいとあったんやけど、イメージ的にね、障害があるから障害福祉をやってるんやと見られるのが嫌やったんです。だからね、入る前はね、「高齢者福祉したい」って、思ってたんです。これ、みんなにしゃべらないんですけど。

―「二部」でよかった日本福祉大学―

玉木:  ほいで入ってみて、学部がよかったんですよ。二部に入ったから、色んな人来てますやん。元気なやつもおったり、働いてるくたくたになって来ている社会人の人がおったり、主婦の人がおったり、かたや定年して入ってくる人がおったり。障害者も、色んな障害をもった人もいて。
 そこで気づいたんが、色んな人がおるんやっていうのが実感として分かったのと、それから、色んな人の生き方みたいな、ケースAていうのをやったらええねんなというのを、そこで僕は分かったんちゃうかな。

―障害を「使う」仕事をしよう!と授産施設に就職―

玉木:  それやったら、自分が障害あるから、同じ障害を使う仕事。障害者やからできる仕事、ということで、結構地域福祉やってたから一応専門はね「小規模作業所を中心とした地域生活なんちゃら」っていうやつを考えたんだけど。

 ほいで最初は就職したのは、知的障害の授産施設にいったんですけども。そこでまた考えて。結局授産施設で仕事せなあかんけど。でもね、僕が最初に配属されたグループは最重度なんですね、自閉とか多動でもがんがん暴れてまわって、僕もよく3mくらい飛ばされとった。そういう人でもね、授産施設とか仕事とかいう名のもとに連れていってね、椅子に座らして、これしなさいとかいって、ばーっとさすわけです。
 何やっとるんやろ?というのがあって。これは違うなーっていうのが、すぐ分かった。そこは政治色とかも強いところやったんで、やっぱし政治に障害者を使われてるようなイメージがすごくあって、あかんぞというのんがすぐ分かって。

―1年で退職、「TRY」で知った廉田さんのいるメインストリームへ―

玉木:  その前から、「トライ」っていうて、廉田(かどた)俊二、メインストリームの代表の廉田が、東京とか歩いて、86年から鉄道交通の改善運動をやっとったんです。それに、学生から関わってて。その時から廉田を知っとったんで、就職して4ヶ月くらいで、「玉木、営業せいへんか?」っていうてくれたから、もう即答ですよ「します」って言うて、でも役割が1年間あるから、1年間勤めてからいくっていって、それでメインストリームに、卒業して1年後に行った。

竹端:  先ほど、「障害を使った仕事」だって、おっしゃってたのが、すごくいいなぁ、と。でも、1年間はやっぱりかなり苦痛な1年間で?

玉木:  もうごっつい苦痛。心身ともに、本当に苦痛でしたよ。

ゆき:  廉田さんって珍しい字なのでテープ起こしをする方はよろしくね。トライのこと少し紹介してくださいますか?

―「トライ」鉄道のバリアフリーを求めて活動―

玉木:  そう、清廉潔白の「廉」って書く。滝廉太郎の、「廉」。
 学生時代、彼が、大阪から東京まで歩いたんです。歩きながら当時の国鉄の駅に寄っていって、要はバリアフリーにせいっていうことで、ずーと言うてたんですよ。JRは国鉄の時代から、障害者を客としてみなしていない、と公然と言うてたんですよ。だから、「障害者が一人で乗るなんて前提として考えません」と国が言うてた。それへの抗議をずーっとやってた、それに僕も関わるようになって、それで廉田も知ってたんです。

ゆき:  トライは何かの頭文字かしら?それとも?

玉木:  いや、ただやろう、っていう。歩きながら野宿で。駅前でよう寝ました。

ゆき:  そこで、駅長さんにいちゃもんをつけるの?

玉木:  そうです、ちゃんと要望書も作って。駅長に渡して行きながら、最後にJRのそれぞれの本社とか支社にもいって話をして、その結果として運輸省いって、どこどこの駅ではこんなことがあったとか、駅員の対応はこうやったとか言って、改善して欲しいということを。

ゆき:  それは何年までやっておられたんですか?

玉木:  86年から、僕らが一線退いたのは94年。地震の前までやけど。

―韓国からのキムさんのお話―

ゆき:  一線を退いた(笑)。玉木さんにお昼ご飯を食べさせてさしあげる時間さしあげるために、キムさん、ヒューマンケア協会にいらっしゃった時の経験と、こちらにいらっしゃってからの経験話して下さいますか。

―「ちゃんとしてる」東京のヒューマンケア―

キム:  東京と、こっちの違いというかですね。
 ヒューマンケアっていうのは、日本で初めての自立生活支援センターだから、86年にたてられた支援センターだから、仕事役割っていうのが、ちゃんとしている。難しいですけどね。東京の方は、アテンダントを介助者、って呼ぶんですけどね。ベースは同じです。そういうのを、ちゃんと手引きとか作って、介助派遣とか介助探しをやって、一利用者とアテンダントの一対一の対面させて、相談とかして、使うように、ちゃんとしてるし。
 メインストリームもちゃんとしてるんですけど。

一同: (笑)

キム:  ヒューマンケアにいたら、何ていうのか自分もちゃんと勉強しなきゃいけない、一緒にヒューマンのスタッフと勉強して、作らなきゃいけない、そういう雰囲気。なんか、事務所、そういう感じやったんですね。都心部だし東京だったから、そういうのあるかもしれないけど。

―「ストレートで馴染みやすい」メインストリーム―

キム:  大阪のほうは、東京から離れた所にある地域ですからね、人々の考え方とか性格がストレートだし、なんか冗談とかも好きだし。もちろん自分も好きですけど。そういう、雰囲気が、メインストリームは馴染みやすい。スタッフとか利用者とか、アテンダントさんとも、自分も馴染みやすいですよね。外部から来ていても、なじみやすい。もちろん、メインストリームの人達も親しい家族みたいな雰囲気で仕事できるっていう。
 同じ日本の自立支援センターだけど、スタイル、やり方とか、やり方とか性格というのは違う、違っているというのが分かりましたね。もちろん同じ障害者の自立生活支援ですから、基本的にはベースは同じですけど、

―楽天家の廉田さんと、こそこそ型の玉木さん―

ゆき:  メインストリームの中の、廉田さんと玉木さん、どういうところが違います(笑)?

キム:  自分は日本人でもないし、まだ詳しくは分からないですね。

玉木:  廉田の方は楽天家っていうか、細かい事でごちゃごちゃいわへん。結構、嫌なことがあっても、「そんなん放っておいたらええ」っていう感じで、自「分らが自信持ってやっとったら問題ないから」って。でも僕は性格上、それはあんまり嫌で、なんか、こそこそこそこそやってる(笑)。

ゆき:  楽天家に見えますけど(笑い)。

玉木:  でもこそこそこそこそ。裏でこちょこちょ、こちょこちょ、やってる。

ゆき:  くよくよもしたり?

玉木:  くよくよ、もしますよ。することばかりで。
 結局、支援費制度のサービス調査会議もできたんですよ。僕そこの委員にさせられまして、当事者代表じゃなくて、安心相談窓口の代表で入ってしまった。板ばさみ、っていうか。当事者との話もせなあかんし、かといって窓口の相談としての役割も果たさなあかんし、かといって運動的なことをばんばんやったらつぶされたり、っていうことで。しんどーいなぁ、ってこと結構あって。

―「障害者甲子園」についての解説―

ゆき:  「障害者甲子園」のアイデアは?

玉木:  廉田です。

ゆき:  障害者甲子園は、みんな知ってますか?名前だけきくと、「障害を持っている人の野球大会」とみたいですけど、でもそうじゃなくって・・・。教室の秘書の戸口京子さんのお家がホストファミリーになったり、ここにいる吉岡洋子さんが通訳ボランティアをしたことがある、ご縁の深い企画です。
 自立生活に目覚めてないような高校生が、全国から西宮に集まって、普通の家に泊まって、同世代の若者と一緒にときを過ごして・・・。正確に説明していただけませんか?。

―一人で電車も乗れない高校生、おかしいぞ―

玉木:  もともとはね、さっきの話で、大人になってから生活技術みたいなことを伝えなあかんこと自体がおかしいと。高校になっても、一人で旅行にも行ったことがない、一人で電車乗ったことがないっていう人もいっぱいいる。それもおかしいし。
 障害者の全国大会とか色々あるけど、参加してる年齢層みた時は、もう30代40代のおっさん、おばはん集まってきて、やれ自立やどうのこうの、と議論してる状況を見たると、なんか異常ですやん。本来、学校出る前に、それぞれが考えておかなくちゃいけないことをね、大人になってわざわざ集まってね、せなあかんのかって考えていくと、さっきいった学校教育の中で、そういうことやらしてない。電車にも一人で乗せてない。

―障害者甲子園」は、実行委員も地元の高校生―

玉木:  それやったら、僕らが敢えてそんな環境を作ったろうやないかということで、高校生が西宮に集まってきて、自分たちのこと、自立について考えましょうと。ほんでそれの実行委員も地元の高校生、金集めも含めて、高校生に全部させとった。
 参加の条件としては、「一人で来て下さい」と。介護者がどうしてもいる時は、こちらが判断して、その時は、学校の先生とか親とか以外で、ボランティアとか誰か探して来て下さい、という条件で10年間やってきた。で去年で10年を迎えて、朝日厚生文化事業団から金もらってたけど、10年で終わったし。それやってたから、僕ら、夏休みこの10年間なかったんです。そろそろ疲れてきたかなぁとか、そろそろ飽きてきたなぁという。今年はちょっと休憩なんですけど。

ゆき:  高く評価されているからってだらだら続けないところが、すごいなぁと。評判、とてもよくて、テレビや新聞も取材に来るし。障害者甲子園の代わりに、また何か面白いことを考えておられるのでしたっけね。言語障害のある人の演説会でしたっけ?

玉木:  歌謡大賞。

ゆき:  歌謡大賞でした、演説会じゃなくって(笑)。

吉岡:  私は何も知らずに、メインストリームに行ったことがあるんです。障害者甲子園の通訳募集をみて、偶然いって雇ってもらって。

―タオルを巻いた会長廉田さんのうわさ話―

吉岡:  廉田さんって、アタマにタオルを巻いてる人ですよね?

ゆき:  バンダナじゃなくって?

玉木:  いや、あれはタオルです。昔はバンダナだったんだけど(笑)。本人は、「これは自分のトレードマークや」とか言ってるんだけど、たまに旅行とかいってお風呂でみると、かなり禿げ上がってるんですよ(笑)。

ゆき:  なんとか隠しなの?(笑)。

玉木:  最近は僕が言いすぎるから、講演のネタにして、「うちの玉木がこういうんですよ」とか言うんですけど、事実です(笑)。

―去年の障害者甲子園は「ワールド」版―

ゆき:  外国からのお客さんもいたので通訳を?

吉岡:  去年は特別だった。

玉木:  最後やからね。うち、大げさなん好きでしょ。ワールド大会と銘打って。
 交通費もこっちで全部持つから、誰か良さそうな人を見つけて送ってって。刺激になる人、送ってっていうことで、来てもらって。結局、7人ぐらい。えーと、スウェーデンと、フィリピンと、タイと、韓国が2人と、アメリカと、あとどこやったっけ? あ、パキスタン。パキスタンや。

ゆき:  招待講演として?

玉木:  いや、結局、高校生やから。

ゆき:  あ、向こうも高校生。

玉木:  自分たちの国では、こうやってるとか、その、自分たちとの違いみたいなとことか、あとは一緒に遊んで、交流できたらね、っていうことで、来てもらった。

―玉木流・資金集めのノウハウとは―

ゆき:  お金集めるのも高校生にさせるのよね。

玉木:  また、金集めうまいんですよ。変に僕らが、街頭に立ってね、募金やるよりはね、集まりますよ。多い時やったら1日2、3時間立って、20万ぐらい集まるけど。

一同:  おぉ〜。

玉木:  これもね、その、世間の先入観を逆に使ってるところがある。
 イメージ悪いでしょ、多分。「高校生は・・」とかいうふうに。「いやぁ〜、君らみたいな高校生がおるん、おっちゃんうれしいわ〜」とか言うて、入れていく人がね、結構おるみたいで。
 で、スピーカーも使わんと、「地声でせぇよー」、て言うてますから、声もでかいんですよ。呼びかけの声がね。だから結構集まって。えーとね、正味、2週間、3週間ぐらいで、募金だけで300万くらい集まります。

ゆき:  高校生自身もこの経験で変わるのでは?

玉木:  自信つきますよね。で、学校でもね、文化祭とかで、教師が嬉しそうにね、「うちは主体的にやらせてるんです」とか言って、ふた開けたら、あれもだめ、これもだめ言うて。結局やらせてないやないの、いうことがね。
 一緒になって、とりあえずしたいことをしようということで、全部、その立案も、あれもしたいこれもしたいという、ほな、出来るようにしようかということで、ね。
 僕らの役割としては、その、高校生ができん範囲を手伝う。大人が出ていかなあかんとことかを、ちゃんとやりますよと。だから、企業回りでも高校生に行かせて、「お金取って来い」て言って。企業回りだけでも200万ぐらい集めて来る。
 最初のほうは、一緒に行ってやってたんですけども、僕らが行くと結局、僕らが喋るわけですよ。な。付いて来てるだけやから。力にも何にもならんわ。
 で、ルートだけでも最初の何年かだけ付けてるから。な、もう後は自分で行って来いや。言うて、最初、その、面接の練習させて、合格でたら、「行け!」。

ゆき:  なるほど、練習を。(笑い)

玉木:  やっぱり、説明できなあかんからねぇ。この大体の趣旨は、こうでこうで、お金はこれに使ってとかって。だからご協力して下さいって…

ゆき:  それは障害のない高校生が?

玉木:  ない高校生が。障害をもってる高校生が実行委員まで出来るかっていうと、やっぱし、うーん、今の状況からいくと、難しい。10年間のうち障害があって実行委員やったっていうのは、2名ぐらいです。2名。

―試行錯誤を通じて得られるもの―

竹端:  その2名しかいないっていうのは、この障害者甲子園ぐらいで初めて目覚めるっていう人が多いっていう意味でしょうか。

玉木:  そう。余裕も多分無いと思うんです。会議でも学校終わってから来いでしょう。なぁ。
 話は別ですけど、地元の高校に行ってる車椅子の子だったんですけど、山の上にあるんですよ、学校がね。バスに乗れないから、僕、趣味で移送サービスもやっとって。

一同:  趣味で!(笑)

玉木:  趣味と言われてるんです、「あれは玉木の趣味や」とか言うて。ね。その子の下校の移送サービスを3年間週3日やってたからね。それぐらい通学も大変な状況で、放課後、企画会議に出てきてやれっていうところまで、やっぱりなかなかいかないしね。

吉岡:  今、障害をもっている高校生が、目覚めるきっかけっていったら?

玉木:  ないなぁ〜。

吉岡:  ないですか。

玉木:  なかなかないですよ。

吉岡:  自立生活についての本を読んでるとか、そういうことはないですか。

玉木:  ないです。

竹端:  普通の高校生でも、本読まへん…

吉岡:  読まない、あ、そっか。

一同: (笑)

玉木:  なんか、ほんまにそこらへん難しいですね。
 障害者甲子園も、ごっつい宣伝もね、やってるんですよ。例えば、新聞に載せても、新聞の1日ね、いっぱいある記事の中でこんだけの記事見つけるかどうかの問題ですよ。
 全国の養護学校にも全部配ってるんやけど、それを受け取って、先生が貼るかどうかにも関わってきますよ。貼っただけか、紹介するだけかでも変わってきますよ。そうなってくると、なかなか広めるというのは難しい。

ゆき:  そんものに参加して「寝た子」が起きて、ややこしいことになったら大変…という先生もおられるかも。でも、障害者甲子園に参加すると、とっても素晴らしくなって戻ってくるからって、定期的にって送り出してくる養護学校も、たまには。

玉木:  そういうところも何ヶ所かあって。お得意様。

ゆき:  お得意様。(笑)

吉田:  障害者甲子園に、参加した高校生は、また何回か来る人もやっぱりいるんですか。毎年とか…

玉木:  3年間来る子もいたり、高3やったから、「残念やったぁー」って。「また来たい」とか…。参加資格は高校生やから。飛び込みの「1分間スピーチ」とかあって、それに見にきたりっていう子もいたり。それがきっかけになって。
 1回目に出た子なんか、今、もう27、8になってますからね。その子が例えば、自立生活センターの集まりとかで再会して。「何しとんの」「どこどこの・・・の職員になりました」とかいうのもいますから。地道やけど、やってて良かったなっていうのは、たまに思いますよね。

―性の達人?!―

ゆき:  障害者甲子園のほかに、メインストリームで企画しておもろかったものは?

玉木:  93年にデンマークの自立生活運動のリーダーのエーバルト・クローさん来た時、94年やったかいな。そのころに、うちが、あのまぁ、過激に、あの、障害者の性の問題をバーンと全国的に盛り上げてやったんやけど、別にうちは性の達人でもなんでもない・・・

一同: (笑)

玉木:  いまだにかかってくんねん。何がきっかけかっていうと、ある脳性麻痺の男性が、いわゆるソープランドに介護者を使って行ったっていう、えーと、文章を通信で出したとき。
 それに、是非の意見が、がーって集まってきてから、討論会をしようかっていうことで、フェミニストとか、デンマークに詳しいおっさんとか、弁護士とか、いろいろ集めて、討論会をやったりしたんやけど、そこで出てくるのは、障害者の性の本質じゃなくて、売春の是非の問題しか出てこない。それをやるとねぇ、障害者の性にまで行き着かないから、しんどいなぁー思うて。結局すぐやめた。

ゆき:  本が出来ましたよね。

玉木:  うん。あれは、あの、かもがわ出版の人が中心となって、福井県の河原さんという人が中心となって、そういう研究会作って、本が出たの、あれ結構売れてるみたいですね。

竹端:  『障害者が恋愛と性を語り始めた』

玉木:  長いタイトル、よう知ってますね。

竹端:  2巻まで出てますよね。

玉木:  その、きっかけになったのも、うちから。

一同:  ふーん…

―ベースを固めることが必要―

玉木:  僕はそれに関心があったのは、学生時代に、あの、デンマークのドクターが日本に来て講演されて、それを聴きに行ったんですよ。
 で、あぁごっつい大事やなぁいうこと考えて。そういう問題も教育につながってると思って。向こうの性教育とか、徹底してますやん。一般の人。それが、当たり前っていうか、ベーシックにあって、その上で障害者の性をどう考えるか、いうことやと思うんやけど、日本そこがないから…

ゆき:  もとの性教育が根付いていないから…

玉木:  ぐちゃぐちゃな状況で障害者の性、言うたところで、もう、そこが安定してないから、なかなか話が進まない。なんか、やっぱりほんま、性教育も、その、一般的なベーシックっていうのも、きっちり固めていかないと、障害者の性の問題っていうのもクリーンになっていかへんから。

ゆき:  障害のない人の場合は、なんとなくいろんな情報が入ってくるから、学校の性教育が充実してなくてもなんとかなるけど。

玉木:  そう。それでね、その、何もわからへんと、性欲は他のことにそらしてあげてとか、他人事みたいなこと言うんやけど…

竹端:  お前は、そらせるんかと。

玉木:  そうそう。無理やろ!と。で、確かに、人によって、「私あんまり興味ないねん」とかいう人おるけども、それと、「そらせ」っていう問題は、また別の話やと。
 で、そこらへんの話をちゃんとしようと思ったら、きちんと日本の性教育っていうのを、ベーシックで固めて、その上で論議しないと、その、さっき言うたフェミニストとかが出てきて、売春の是非の議論白熱ってことに…

―メインストリーム流、仕事のコツって?―

ゆき:  他に、メインストリームの売りは?

玉木:  売りはねぇ、「仕事は6割の力で」っていうのが売りなんです。詰めて詰めて、無理して無理してやって、コケたら意味がないわけでしょ。ね、だから、精一杯しない…
 仕事してないような雰囲気があるっていうのは、そこですやん。例えば、お客さん来たのに、みんな背を向けてコンピューター、ガーッてやっとくと、「あ、帰ろう」っていうことになる。

ゆき:  たしかに。メインストリームにうかがったときの雰囲気はそうじゃなかった。

玉木:  とりあえず、こんな机が事務所の真ん中にあって、誰かが来た時、ぐちゃぐちゃやけど、お茶でも飲みながら、うだうだ言うてるんや。
 んで、おらんようになったりしたら、仕事しだす。それぞれ役割があったりするから。その、6割ぐらいの力で、長いことやっていくっていうことが、望ましいと。それが基本的な考え方。
 ただ、僕は、そうしたいんやけど、忙しくなってくると「ああ忙しい〜」ってなってしまうねん。まぁ、そんな感じかな。

―自社ビル完成までの道のり―

玉木:  あと、日本で初めての自社土地、自社ビルの自立生活センター。

ゆき:  地震で事務所がメチャメチャになっちゃったのがきっかけなのよね。

玉木:  地震の時に、事務所つぶれたから…結束したっていうか。もともと、廉田とか、事務局長の佐藤とか、約束があって。「金無くなってもやっていくやんなぁ」っていうのが、最初のほうのスタッフの中では、もう、固まってたんです。だから、何があってもつぶさないっていうのがあって。
 地震で、事務所なくなって、普通はね、「あ、もうあかんわ・・なんもできんわ」とか思う。ところがね、「どうしよう」から始まって。とりあえず、「金集めよか」っていうことになって。で、あの、うち、ま、いろんなつながりがあって、名古屋の山田昭義さんが呼んでくれて。

ゆき:  山田昭義さんはAJU自立の家という名古屋にある自立生活センターの代表で、DPI日本会議の議長でもあります。

玉木:  で、えーと、家の無くなった俺ともう1人、下地(シモジ)が行って。どうせ家ないからね、被災地おってもしゃあないわ。
 で、向こう行ったら市営住宅準備してくれるとか、介護者も、名古屋市の配慮で、移行期間、サービス使っていいですよ、とかいう特別措置いれてくれて、2週間行ったんですよ。で、山田さんはもう、こっちで仕事があるから、別れ別れやっとったたけど、2週間向こうで毎日街頭募金やって。さぶかったなぁ…あれ、1月17日でしょ、地震。

キム:  寒い寒い。

玉木:  で、募金始めたのが1月31日からですからね。なんか、ほんで冗談で、「500万円貯まらんと帰ってきたらあかん」っていう指示が出てて、「え〜っ!」とか言うとってんけど、結果的に、通帳に入れんと持って帰ってきた金額が400万円ちょっと。あとからもぼんぼん入ってきてますから、名古屋のその関係だけで、1000万ぐらい…

一同:  うわあ〜〜。

玉木:  で、その街頭の募金とか、あと、テレビとかでも全部流れてるから、もう、ごっつい額のお金集めて。そのお陰で、建ったんですよ。

ゆき:  土地も協会のもの?

玉木:  土地も。

ゆき:  土地付き3階建て。西宮。ふふふ。凄い!!!!!!!

玉木:  だから、総工費とも、全部入れて、7500万ぐらい。

ゆき:  7500万。今、借金はあるんですか。

玉木:  ないです。

キム:  すごい。

竹端:  優良企業ですね。

玉木:  優良企業。その代わり、最初のほう、給料も抑えて抑えてきてますから。最近も、廉田が、「5年前は月末になって金なくなってたら、2、3万貸してとか、5万円貸してとか言うとったよなぁ」とかいう話をしてて。
 最近は安定して、行政側も、事業委託してお金も安定して入ってきたり、支援費になって、事業所になってるからそれなりの収益も上がるし、すごく安定してる。
 やってきて分かるんやけど、今度NPOになってるから、税金がね、すごいんですよ。一般の企業なんて、全部で40%ぐらい持って行かれる。かたや、おんなじ仕事やってて、社会福祉法人やったら税金なしですよ。
 「それやったら、社福とろか」いうことになって。まぁ、近いうちに社会福祉法人の申請に走るかもしれん。

ゆき:  「走る」っておっしゃったのは、堕落する、みたいな感じ?今、1000万円で社会福祉法人になれるんですよね。

玉木:  うん。

ゆき:  なんか、麻衣子さん、感心しきってる。。

吉田:  すごいなあーと思って、募金もそうですけど、お金のやりくりっていうのは、ほんとに大変だなと思うので。

玉木:  うちの廉田がね、商学部なんですよ。勉強してないけど。(笑)

ゆき:  関西学院大学でしたっけ?

玉木:  関学の商学部。

―ここで、事業内容の紹介―

竹端:  何人ぐらいの方が、今、働いてはるんですか。

玉木:  組織的には、おっきなメインストリーム協会があるんですよ。
 その傘の下に、NPOのメインストリーム協会っていうのがあって、そこが、介護保険や支援費の事業所です。で、こっちに、自立生活センター・メインストリーム協会があって、そこが受託してる、生活支援事業っていうこと。

 それ以外に、あと作業所が2つ。で、作業所いうても、何にもしてない、居場所、みたいな感覚で。ま、デイサービス的っていうか、溜まり場的なとこで、作業所が2つ。
 スタッフで、障害者が最近増えて、もうごちゃごちゃになってるねん…えーとね、スタッフは10人ぐらいにしとこかな。

竹端:  ぐらい。

玉木:  障害もってない人が、えーと、3、4、5、6人。うん、6人。

ゆき:  お給料はどのくらい。

玉木:  えーと、給料はね、去年から市の基準にした。

竹端:  おおー、すーごい。

玉木:  でも、それも「金が無くなったら終わりな」っていう前提でやってますからね。

一同:  はっはっは…(笑)

玉木:  だから、それで、これまでは、変な制度でね。
 例えば、お給料があって、介護者雇うとすると、負担金が出るから、それこそ介護使って働いて、サービス使うときの負担金出して、になってきたら月給になおすと、軽く7、80万稼がんとあかんわけですよ。そんな仕事ってないですからね。
 で、そういう障害もった人が、今の生活保護っていう最後の制度を使ってもらって、関わってもらうという。介護使っている障害者とか、障害をもってない人に対して給料払うことにしてるんだけど。
 ただ、支援費に変わってきて、ちょっとまた考えていかなあかんのは、支援費には費用負担の上限が出来たんよ。で、最高でも月で4万7000円の負担でいいの。それ超えたら負担金なしやっていうことになってきてる。
 それでいくと、一定働いて、収入はあったとしても、そんなにしんどくはなくなってくるからというのがあるので、ちょっと2、3年で給料のシステムをもう1回考え直さなあかんなぁっていうとこですね。結構あの、負担金の上限設定は、働く人にとっては良かったん違うかな。
 支援費の契約でいくと、今で何人ぐらい…60人ぐらい契約してる。

 そのうち自立生活っていうのを確実にサポートしてるのは、25人ぐらい。25人に対して、毎日ちゃんとヘルパー派遣っていうのをやっていく。
 そこのレベルは今のところなんとかまわしてるんだけど、ただ、新規利用については、受けられない状態。資格の問題とか、あと、ヘルパーも源泉徴収せなあかんようになってきたんで。その、扶養控除の上限を超えたくない主婦とか学生とかが、時間を超えてやるっていうことが出来なくなってきていて、例えば今、雇用契約結んだヘルパーが今150人ぐらいおるんだけども、150人みんながみんな、それなりに働けるかっていうと、制限かかってくるんで、その、時間数的にはそんなにのんびりいかない。
 でも、3月実績のうちで、月7000時間ぐらい派遣してる。6000時間かな。だから年間では70000時間の派遣。だから、自立生活センターの中では、全国で上から数えても、ベスト3とか、ベスト4くらいに入る派遣時間誇ってて。

―有名人はつらいよ?!メインストリーム裏話―

ゆき:  メインストリームはスターがいろいろいて、たとえば、テレビのドキュメンタリーの主人公にあった下地さんていう方もスター性が…(笑)

レイナ:  下地さん(笑)

ゆき:  あ、もう会ったの?どうせ命が短いんだからって、タバコは吸うわ…

玉木:  ギャンブルするわ…

キム:  ギャンブル好きあの人…

ゆき:  テレビに出た時の恋人は今も恋人?

玉木:  いや、違うんですよ。もうコロコロ変わって。また若いとこ行くんですよ。
 下地ね、いま44ですよ。付き合ってる彼女ね、ハタチかな。

竹端:  おぉ〜。

玉木:  21かな。

キム:  かわいい。

玉木:  14、5(歳)で事故やってるんですよ。ヤンキーやってね、事故やったきっかけも、ごっついしょうもないことで。
 三ノ宮で友だちと遊んどって、なんか知らんけど、みんなで車で帰ろうっていうことになって。中学生やのに(笑)。で、えーと、5人乗りの車で、6人おったと。ほんで、検問があるから、ジャンケンして、負けた奴はトランクに乗れっていうことで。下地が負けたらしい。で、下地がトランクに乗っとって。で、神戸から大阪に走ってる43号線って、あるんですね。そこターッと走っとったら、雨降っとったんか知らんけど、スピンして。で、ケツをどうも中央分離帯のところにぶつけて、その時に首の骨を折った。

一同:  うわぁ…

玉木:  で、本人も言うてるけど、親に、「あんた、障害者になって良かったなぁ」って、しみじみ言われたって…

一同: (爆笑)

玉木:  「障害者にならんかったら、もう更生できてないで」言われて。それくらい、言われたとか言うて。

キム:  でも、更生できてない…

玉木:  だからね、あの…気が若いんですよ、多分。だから、若い子でも付き合っていけるから。いろんな友だちいますね、彼は。若い子から、おっさんまで。

ゆき:  そこのおうちが溜まり場みたいになっててね。で、そこに来てる女の子に男の子が恋をしたりするわけ…。

玉木:  そう…

ゆき:  あ、理学療法士さんのカップルは上手くいきました?あれもだめ?

玉木:  あ、あれはだめ。すぐにだめになる。回転速い。

一同: (爆笑)

ゆき:  でも、テレビで公開しちゃったら大変ねぇ。特に女の人のほうなんか、あんな恋人がおったやんかと、次の恋人に折檻されないかと…

玉木:  せっかん!(笑)

ゆき:  PTさんとかも、下地さんとつきあったから本当のPTになれるって、いってました。学校に教わるのとちゃうって。震災のとき、家がつぶれちゃってるので、自動車の中に寝て、下地さんのところでオフロ借りたり、泊まったりなんかしながら…

玉木:  うん。

ゆき:  スターが出てくると、ふつう、焼きもちが出て、足引っ張り合いがおきたりする。「あいつだけ目立ってテレビに出てけしからん」っていうふうにはならないものですか。

玉木:  うん、ならない…

ゆき:  どうしてかしら?

玉木:  逆におちょくられますね。

ゆき:  おちょくられる。(笑)

玉木:  今日も阪大に来る言うたら、「さすが、有名人はちゃうな」とか…

一同: (笑)

玉木:  うん、そんなノリですよ。

―福祉の仕事するなら、腹くくって―

ゆき:  予算が厳しいとスタッフの給与と利用者の待遇が両立しなくなることがありますけど、自立生活運動派の人たちはそれはどう、解決してるのから?

玉木:  解決は…出来ないんやろなと思ってて…で、よっぽどね、国のお金があってね、その、福祉の現場に金ボコボコ落としていけるようになればね、そらちょっと解決するかなぁと思うんやけど。
 これはもう僕の私論ですから、聞いてもらうだけでいいんですけど、結局、今、どんな福祉の仕事するにしても、過渡期には間違いなくて、その、これが、出来上がりっていうのは、これから先もずーっとないわけですよ、多分ね。
 その中で、いわゆる、自分が食っていくための職業として選ぶんであれば、遠慮してほしいなと。率直な話で行くと。食っていくための仕事としては、もう、変な話、選べるやろうと。福祉選ばんでも。

ゆき:  ほかのお仕事にどうぞ、と…

玉木:  ほかの仕事、ありますよ。その、求人あるなしは別にしても、出来ますやんね。
 やる以上は、腹くくってほしいなと思うんですよ。で、その腹のくくり方は、どういう腹のくくり方っていうと、やっぱり、障害者が、自分らしく生きていけるような環境を作っていくんやと。で、仕事として行って働くことにもなるけれども、そのバックボーンにはやっぱし、運動的な理念なり、思想がないと、この仕事はやっていけませんよと。
 それがないとね、なかなかその、さっき言った既存関係が崩れないというか、もう、明らかに無理やからね。
 ある意味、どっちかが犠牲を払うんやけども、犠牲を払って耐えられる、どっちやねんって聞いたときは、障害者をこれ以上犠牲にしてもあかんやろうって。ほな、やる以上はそういう状況をちゃんと理解した上で、働いてよっていうことやと思うんですけどね。

ゆき:  そういう人は、ちゃんと、いるものですね。

玉木:  そう。そうですよ。
 ただ、そういう人が、地域支援に流れてるんですよね。大きな組織なり、施設なりになってくると、中でのしきたりみたいなんがあって、古い考えを変わった考えを変えるには至れないね。
 僕らが口で簡単にね、施設機能もう変えやとか、デイサービスからヘルパー派遣業にかわっていっても、ええやんかって、口では簡単に言えるけど。やってきたものを崩すっていうのは、僕らもそうやけど、なかなか、勇気がいるもので…

ゆき:  エネルギーが無駄っていうか。

玉木:  だから、そこで、やりにくい人が多分、地域支援に流れてる。で、何にも考えられん人は、そのままおるんやけど…

ゆき: (笑)

―行政とメインストリームの関係は―

吉岡:  私も…いいですか?個人的関心。
 あの、メインストリームが西宮にあるんですよね。で、メインストリームが活動していて、西宮の市っていうか、行政との関係っていうか、どんなふうになっているんですか。

玉木:  僕らのスタンスとしては、基本的にね、わざと敵対関係作る必要もないとおもてます。これ、基本的な運動論のように思うんですけど、要求運動で終わるんではなくて、要求運動プラス理論性、説得性っていうことをこれまで考えてきた。
 介助の制度も、実は西宮には全然無かって、93年に障害者介護派遣事業ができた。その時も、その前1年ぐらいは、うちで自立してる3人ぐらいの人は、毎月データを持っていってたんですね。月何時間使って、何時間分のお金がこれくらいかかってますっていうデータをずーっと、1年近く持って行ってた。
 それが行政を動かした経緯もあって。で、うーん、ここ3年くらいの動きでいくと、それがネットワーク化してきた。

 そこへ、湘南オンブズネットワークの上田晴男さんが、なんか知らんけど、趣味で西宮に引っ越して来て、ネットワークを作ろうとしてる。その前から実は、西宮市の障害者計画が改正される2年前。で、その絡みでなんか言わなあかんやろうということで、うちと、それから、すずかけ作業所と青葉園の人たちが4人ぐらい集まって、どうしようかっていうことから、いろんな動きが集まってきて。2年ほど前から、「西宮のしょうがい福祉をすすめるネットワーク」って出来て。そこで、建設的にいろんな考え方とかやり方があるけど、一致できる部分は、一緒に運動して行きましょう、提言していきましょうっていう、そんなネットワークを作って。
 そこで、今の支援費制度の問題とかも一緒にやってきた経緯があるなかで。ただ単に目の上のたんこぶ、っていうような関係ではない。一定の理解もしてくれてて、なおかつ、支援費のサービス調整会議っていう、市のいわゆる主催会議、委員会ですから、市がお金も出す会議です。その、最初の委員に市が僕を入れるとか、そういう動きにになってきてるんで…悪くはない。

吉岡:  メインストリームとか、青葉園が、なんかすごく、いいことっていうか、有名になってきて、市の人が喜んで手伝うっていうか、もっと上手くいくようにサポートしようっていうふうには…

玉木:  そこはない…。上手いこと使うんですね。

竹端:  行政側が。

玉木:  そうそう。で、そこらへん、僕らも上手いこと使われとこ、と。拒否するわけじゃなくて。
 フィフティー・フィフティーじゃないけども、うちこれだけやってるやん、ていう部分もまたあると思うんで。うん。だから、話する土壌はできてるんですけどね。それが上手く進むかどうかは、例えば、福祉局の関係者がよくても、市役所全体で見たときには、やっぱし、力関係もあるのでなかなか進まない問題もいっぱいありますよね。そこらへん、しんどい。

吉岡:  もめずに上手く、やる。
 もう1つだけいいですか。玉木さんのプロフィールを見ていて、いっぱい現在っていうところに仕事があって。どれが面白いって言ったら変ですけど…。

玉木:  すごく面白いのは、上田晴男さんがね、西宮の権利擁護支援センターっていうのを作ってて。それはねぇ、ここで僕が勝手に言ったら怒られるんやけど、国の制度化にもっていこうとしてる。その、要は、中立の機関で、障害者とか高齢者の権利擁護活動を、組織的にやっていくと。
 そのためには、権利擁護なんでも相談ということで、週に1回開いてやってたり。で、もうすぐNPO法人化するんですけども、それを取って、例えば、そこに関わってるのは弁護士さんとか司法書士さんとか関わってるんです。具体的な権利擁護活動もやれるのと、福祉サービスの苦情解決のシステムの中に第三者委員の設置もありますよね。

 今どこの事業所でも困ってるんですねぇ、どういう第三者委員を置けばいいのんかっていうのね。それを、この組織が組織的に養成して、それできっちりと研修もやって、組織としてそういう第三者委員を派遣していくと。で、それに対しての対価を組織にもらうと。いうようなシステムを今作ろうとしてる。結構それが面白い。

ゆき:  麻衣子さん、質問ありますか?

―みんなに根性をもとめるのは無理がある―

吉田:  お話聞いてて、「精一杯しない、6割の力でやっていく」っていうのが、面白いなあと思いました。さっきおっしゃった、「がんばれる人ががんばったらいいんや」っていうのと、いわゆる根性論は、相対するものとして、解釈したらいいのかなぁと思って・・

玉木:  多分、根性もね、あった方がいいに決まってる。間違いなくね。やる以上は根性付けて、腹くくってせなあかんねん。けど、それをみんなみんなに求めていることが無理があると、いうことですね。

一同:  ありがとうございました。

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