インフォームド・コンセントの部屋

金沢地方検察庁検察官 殿

平成18年4月 24日

 私は,金沢大学法学部の共生社会論大講座に所属する教授で,数年前より,医学部産婦 人科の打出喜義医師を通じて,医学部附属病院に入院されていた堤和枝さんが無断で卵巣 癌の抗癌剤の比較臨床試験の被験者にされ、和枝さんの遺族が大学病院を相手どった損害賠償請求訴訟を起こした事件に関心を持ち,打出医師や他大学の法社会学,民事訴訟法の研究者と共に,研究を行なってきました。その成果は,私たちの共著である『「人体実験」と患者の人格権』『「人体実験」と法』(いずれも御茶の水書房)等に収められています。

 通常の治療それ自体とは異なる他事目的を含んだ治療行為の場合,医師の側に他事目的についての説明責任があると判示したこの訴訟の一審判決は,ご承知のように,テレビ,新聞,週刊誌などマスコミでも大きく取り上げられ,社会的関心を呼びました。通常の医療機関とは異なって,研究・教育機能を併せ持ち,文部科学省の管轄にある大学病院という特殊な医療機関では,患者に対する治療行為が時として,患者の身体を素材とする臨床研究・教育活動を兼ねていることがしばしばありますが,現行の法体系では,研究・教育などの他事目的によって患者の治療を受ける権利が侵害されることのないよう調整するための制度的な保障は与えられておりません。 私は,本件は大学病院において各種の臨床試 験の対象となる可能性のある患者の権利を守る方向で,法制度が整備されていくためのリーディング・ケースになるのではないかと考え,注目して参りました。

 しかるに,打出医師も陳情書で指摘されているように,大学執行部・医学部・附属病院は, 訴訟への対応を事実上,臨床試験の責任者という意味で当事者であるP教授ひとりに一任してしまい,和枝さんの御遺族,あるいは同教授の下で医局の一員として勤務している打出医師の指摘するような,同病院を始めとする医学部産婦人科関連病院の入院患者に対する無断臨床試験の有無について第三者的な立場から調査することを怠ってきました。大学病院が,地域の医療水準の維持,向上,医療と患者の信頼関係構築に対して負っている責任の重大さを考えれば,看過することのできない怠慢です。二審判決後の平成17年6月になって,大学側はようやく調査委員会を設置し,和枝さん以外に被験者とされた23名の患者さんについても無断で被験者にしていたことを明らかにし,24名の患者・遺族に謝罪することを約束しましたが,実際には,謝罪というより,むしろ治療方法として適切であったことを説明しただけのようです。

 しかも調査委員会は,裁判過程でその真偽が問題となった大学側が提出した症例登録票については何ら調査をしておらず,これを不問に付す意向さえ表明しています。大学当局は,大学病院,延いては大学自体の社会的な責任を自覚していないといわざるを得ず,同じ大学の構成員として極めて遺憾です。

 大学側の提出した登録票では,和枝さんは臨床試験の被験者としての要件を満たしていないため,登録されなかった旨が記されていますが,これが偽造である疑いが極めて強いことは,一審及びニ審の判決でも示唆されています。抗癌剤の臨床試験は,重篤な症状の患者に対して行われることが多いわけですから,その記録はある意味,カルテ以上に患者の生命に関わる重要な情報と言えます。その記録を改竄するのは,大学病院の側に,患者の生命を預かりながら研究にも利用させてもらっているという自覚が欠けているということです。こうした事態を容認、放置すれば,大学病院に入院している患者は、自分でも知らない間に、いつ臨床試験の被験者にされるか分からない,非常に不安な立場に立たされ続けることになります。

 こうした大学側の一連の不正・不作為の中で特に問題と思われるのは,P教授や,臨床試験の現場責任者であったQ医師らが裁判の証人尋問で虚偽の証言をしたことです。打出医師の陳述書で詳しく述べられておりますように,Q医師は一審の商人尋問で,大学病院側が提出した症例登録票が真正に作成されたものであると証言しましたが,この証言が偽証であったことは,判決からも明らかです。また,P教授はニ審で,和枝さんは卵巣癌ではなかったので,そのため症例登録しなかったと証言しましたが,和枝さんが卵巣癌であったことは明らかであり,そのことを臨床試験の最高責任者である同教授が知らないはずはありません。和枝さんを症例登録しなかったという点についても、Q医師の場合同様に、判決で症例登録されことが認定されているわけですから,偽証であると考えられます。

 司法の場でこうした偽証をしてまで,何も問題がなかったかのように取り繕おうとするのは,P教授等が、無断での臨床試験が患者の自己決定権に対する深刻な侵害であることを認識しておらず,自分たちが医師として患者に対して負っている責任を果たそうとしていないことの証左だと言えます。

 以上のような状況から,現在の大学・大学病院の自浄作用に徒に期待し続けることはできないと考え,積極的に不正を正していく他ないと決心し,打出医師と共に本告発に至った次第です。御庁におかれては捜査を尽くして頂き,被告発人に対して厳重なる処置を取られることを切に願う次第です。

以 上

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