新たな高齢者介護システムの構築を目指して
高齢者介護・自立支援システム研究会-----1994.12
目次
はじめに
第1章 高齢者介護をめぐる問題点
1.問題の所在
2.現行システムによる対応
第2章 新介護システムの基本理念―高齢者の自立支援―
1.予防とリハビリテーションの重視
2.高齢者自身による選択
3.在宅ケアの推進
4.利用者本位のサービス提供
5.社会連帯による支え合い
6.介護基盤の整備
7.重層的で効率的なシステム
第3章 新介護システムのあり方
1.介護サービスの展開
2.介護費用の保障
おわりに
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1994年といえば一昔前のこと。
にもかかわらず、この年の12月にまとまった「高齢者介護・自立支援システム研究会報告」は、いま読んでも新鮮です。
報告書に込められた委員やスタッフの熱い思いが伝わってくるからかもしれません。
「システム研究会について印象深いことは?」という問いに、2代目事務局次長で"介護保険の鉄人"の異名をとる香取照幸さんは、きっぱり答えました。
「革命宣言だった、ってことです」
"ミスター介護保険"と呼ばれる、初代事務局次長の山崎史郎さんは言いました。
「闘いのはじまりを告げる号砲でした。ただ、革命前夜の闇は深かった」。
その闇の深さについては後の号に譲り、メンバーに思いの深い部分を抜き書きしてみることにします。
まず、宮島洋さん(当時東大教授)。
「私が強調したのは2点。ひとつは、行政による措置制度を変えるが必要があるということ。もうひとつは、保険料を支払うことだけが"負担"ではない。介護のために仕事や人生を犠牲にすることも、同じ負担である、ということでした」
財政学の専門家、しかも、介護のために研究の時間を失った辛い体験を込めての言葉です。
社会全体が負担している介護コストは、国民経済計算上、社会保障給付費に計上されているものだけでなく、目に見えない形で家族や企業、さらには高齢者本人が負っている負担も含んで考える必要がある。現在公的に負担している介護コストは約1.5兆円と見込まれるが、これに家族による介護コストを加えると、全体で約3.5兆円にのぼると推計される。
このように家族介護に大きく依存している我が国の現状は、社会的な介護コストの規模という観点からも、また、国民経済的な資源の適正配分や負担の公平の観点からも大きな問題を有していると言える。
(第一章「国民経済的に見た介護問題」)
次は、座長で、政治学が専門の東大教授、大森彌さんが直接筆をとったとされる部分です。
高齢者は、社会的にも、経済的にも自立した存在であることが望まれる。
社会の中心的担い手として行動し、発言し、自己決定してきた市民が、ある一定年齢を過ぎると、制度的には行政処分の対象とされ、その反射的利益(行政処分の結果として受ける利益)を受けるに過ぎなくなるというのは、成熟社会にふさわしい姿とは言えない。
社会環境の変化を踏まえ、介護が必要となった場合には、高齢者が自らの意思に基づいて、利用するサービスや生活する環境を選択し、決定することを基本に据えたシステムを構築すべきである。
(第2章「『与えられる福祉』から『選ぶ福祉』へ」)
医療経済にも詳しい慶応義塾大教授の田中滋さんは、社会保険方式を盛り込めたことに感慨があります。
「介護や医療は、市場原理に100%任せてはいけない分野。しかし、消防のように100%公が担った方がよい分野とも違う。"介護サービスという買い物"の代金を社会連帯で保障する仕組みをつくり、サービス提供は民間に競争してもらう、そして評価は政府がする。この準市場の概念をお話ししたら、社会保険方式に懐疑的だった樋口恵子さんも納得してくださいました」
公費方式に比べ、社会保険方式では、保険料の使途が介護財源に限定されているため、保険料負担とサービス受益の権利の対応関係が明確である。介護サービスの拡充に伴う負担の増加についても、保険料はいう形をとっていることにより、国民の理解を得ることにつながりやすいと考えられる。
なお、現行制度の下でも介護に要する費用のかなりの部分が医療保険料で賄われている事実を踏まえると、介護サービスとして一元化された上での保険料の負担は、必ずしもすべてが新たな追加的負担でないということにも留意する必要がある。
(第3章「社会保険方式の意義」)
弘済ケアセンター所長だった橋本泰子さんはケアマネジメント概念を盛り込まれたことに思いがあります。
「この"考え方"が公式文書に初めて登場したのは、89年の介護対策検討会報告でした。そして、ケアマネジメントという"言葉"が初めて使われたのがシステム研究会報告でした。イギリスで使われてきたケースマネジメントより、ケアマネジメントの方が人間的だと提案し、みなさん賛成してくださいました。以後、この言葉が定着しました」
ケアチームで問題になるのは、職種が多岐にわたっている上に、それぞれ異なる組織に属していることである。このため、往々にして関係者の調整に時間がかかったり、相互の連携が十分でなかったりすることとなる。
こうした問題を克服していくためには、ケア担当者が利用者側の立場に立って、本人や家族のニーズを的確に把握し、その結果を踏まえ「ケアチーム」を構成する関係者が一緒になって、ケアの基本方針である「ケアプラン」を策定し、実行していくシステム、すなわち「ケアマネジメント」を確立することが重要である。
(第2章「ケアマネジメント」)
この報告書にはケアマネジャーという用語はまったく登場せず、「ケアチーム」という言葉がくりかえし出てくるところにもご注目ください。
橋本さんが触れた89年の「介護対策検討会報告」は、「ゴールドプラン」「寝たきり老人ゼロ作戦」「ホームヘルパー10万人計画」のきっかけをつくり、介護保険制度の基盤を形作ったものです。
「残存能力を最大限活用しようという要介護者の自立の努力を支援し、社会とのつながりを保てるようにする介護サービスをめざすべきである」「介護サービスの供給は住民に身近な市町村を中心に展開すべきである」「社会保険方式についても検討し……」など後の介護保険制度への芽ばえが見られます。
興味深いのは、この89年の介護対策検討会で否定された介護家族への現金給付が、5年後の94年、システム研究会報告で蘇っていることです。
介護に当たる家族の経済的、精神的負担に報いること等を目的として、地方公共団体の単独事業として実施ざれている介護手当を、公費を財源に国の制度として現金給付の形で支給すべきではないかという考え方もある。しかしながら、このような介護手当については、給付要件の設定の仕方の如何によってはかえって寝たきり状態の解消につながらない可能性があること、対象者の個別性に対応できないこと、所得制限を設定すれば対象者が限られること等の是非を、慎重に検討すべきである。
(介護対策検討会報告・第4章「介護手当についての考え方」)
家族による介護に対しては、外部サービスを利用しているケースとの公平性の観点、介護に伴う支出増などといった経済面を考慮し、一定の現金支給が検討されるべきである。これは、介護に関する本人や家族の選択の幅を広げるという観点からも意義がある。
ただし、現金の支給が、実際に家族による適切な介護サービスの提供に結びつくのかどうかという問題があるほか、場合によっては家族介護を固定させたり、高齢者の状態を悪化させかねないといった懸念もあるので、制度の検討は慎重に行われなければならない。
(システム研究会報告・第3章「家族介護の評価」)
高齢者介護・自立支援システム研究会の開催経過
第1回 7月1日
・高齢者介護をめぐる現状について
第2回 7月13日
・老人保健福祉サービスの現状について
・諸外国の高齢者保健福祉システムについて
第3回 7月25日
・地域における先駆的な取組について
・これからの介護サービス体系のあり方について
第4回 8月1日
・現行制度の機能と限界について
・費用保障制度のあり方について
第5回 8月23日
・基本理念及びこれまでの議論の整理について
・サービス利用の基本的仕組み等について
第6回 9月21日
・高齢者の住宅問題、マンパワー問題について
・(建設省住宅局住宅政策課、厚生省老人保健福祉局老人福祉振興課、社会・援護局施設人材課からヒアリング)
・要介護認定基準について
第7回 10月6日
・ドイツの介護保険制度について(マイデル教授)
・アメリカの介護制度について(バトラー博士・ストーン博士)
第8回 10月17日
・家族法からみた高齢者の介護と扶養義務、介護と相続の問題等について(名大法学部 水野教授)
・介護システムと費用負担について
第9回 11月4日
・報告書の項目立ての検討について
第10回 11月14日
・報告書スケルトン(案)について
第11回 11月25日
・報告書(案)について
第12回 12月5日
・報告書(案)について
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研究会には、「家族に現金給付をすべき」という委員は、実は、ひとりもいませんでした。にもかかわらず、事務局がこの文章を入れたのは深謀遠慮からでした。
報告が世に出れば、革新側からは「基盤整備が足りない」という批判、保守側からは「家族介護の美風を壊すのか。家族慰労金を出さないのか」という批判が出て、挟み打ちになることが予想さました。そこで、先手を打ち、問題点と抱き合わせて論点に入れておく道を選んだのでした。
案の定、この報告は苦難の道を歩むことになりました。
翌月、95年1月に開かれた老人保健審議会では、報告書を正式に配布することにさえ反対が出てました。この報告書を「審議会は、無視する」ことになったのです。研究会方式が「予想を超えた斬新な報告書を出したこと」に対する、既存「審議会族」の反発と恐れでした。