高齢福祉政策激動の部屋


この国の医療を変えたい
福祉を変えたい

─大熊さんはこの国の医療と福祉の現場に多くの変革をもたらしてきました。今の福祉政策の多くを表で裏で、支えてこられました。
 その経験を通して、「実践する人(福祉現場)、制度や予算を動かす人(役所)、理論で裏付ける人(研究)、ジャーナリストが出会うと変わる」とおっしゃっています。実際に、現場、行政、研究者といった人たちをたくさんつないでこられ、そこから日本の福祉が変わっていっています。そういったことを目指すようになったのは、いつ頃からなのですか。

大熊 1965年に科学部に移ってから、日本の医療の世界におかしなことがたくさんあると気づきました。医師が看護婦さんを召使いみたいに見ていたり、カルテは適当にしか記入しなかったり、患者に見せなかったり……。さまざまな理不尽なことについて記事にしました。その中で、透析している方や難病の方といった、医学だけでは解決できない問題か抱えている方々とのお付き合いが始まりました。
 精神病についての取材もしました。当時一番進んでいると言われていた病院に「狂騒病棟」と呼ばれている一角があり、患者さんが檻のようなところに閉じこめられていました。他の病棟も普通の生活からはかけ離れていました。「自分の親兄弟を入院させたいと思える精神病院がこの日本にはないのです」という医師の言葉が忘れられませんでした。
 1970年、相棒の大熊一夫がアル中に化けて精神病院に入ることになりました。ぐしゃぐしゃにした髪を輪ゴムで止めて、アル中の夫に疲れ果てた妻に扮して精神病院に行きました。中の上くらいの病院です。詳しくは『ルポ精神病棟』をお読みいただきたいのですが、鉄格子の病院のその中に「脳軟化」と当時呼ばれていた痴呆症のお年寄りを入れる檻のような部屋があり、「不潔部屋」という看板がかかっている。檻の中の脳軟化のお年寄りをお世話をするのは分裂病の人でした。脳軟化の人は排泄物を流す溝から流れてくる水を飲み、部屋には暖房もない。そんな精神医療の世界をなんとかしなければ、と思ったのが、私の原点の一つです。
 もう一つの原点は、1972年に初めて北欧を訪れたときの経験です。日本の精神病院の「保護室」にあたる、暴れて大変な方たちが入っている部屋を見せてもらいました。日本ならば檻のようなところなのに、スウェーデンではベッドが動かせないように止めてあるだけで、カーテンはカラフル、花も飾ってあり、普通の部屋と変わりありません。
精神病に対する偏見をなくそうと、日本の厚生省にあたる保健省が音頭をとリ、精神病院の敷地に母子センターや歯科診療所を作って、一般の人が訪れるような仕組みを作っていました。スウェーデンでできるのだったら、日本だって、今はひどい状態でも、変えていけるんじゃないかと思ったのです。
 89年に懇意にしていた厚生省(当時)の横尾和子さんが政策課長に就任したのを機に、私が提言していた様々なことを聞いてみようじゃないかということになったらしく、介護対策検討会ヲつくって委員に招いてくれました。「偉い人」が集まって形だけ話し合う委員会ではなく、介護に真面目に取り組んでいる現場の方たちが集まり、在宅介護の推進、ホームヘルパーの質と量の確保、市町村への分権、介護費用を保険制度で行うことの是非家方法について話しあいました。
 その時、「神風」が吹きました(笑い)。消費税問題で大きな反発を受け参院選で大敗した自民党が高齢者と主婦の「ご機嫌をとる」ためではあったものの、「ゴールドプラン」と「寝たきり老人ゼロ作戦」という二つの形で検討内容を政策化しました。これで日本の福祉は変わると思いました。

─医療・福祉現場の悲惨さと、モデルになるものを見て、行政と政府が少し変わることを実感したわけですね。

大熊 ええ。「あってはならない現実」と「こうすればできるという実践」の両方を見てしまったのです。
 確信をもてたもう一つの大きなポイントは、秋田県鷹巣町の取りくみに関わったことです。『「寝たきり老人」のいる国いない国』(ぶどう社)という本を書いて以来、いろんな首長さんから電話がかかるようになりました。国会議員で最初に電話してこられたのは、現・佐世保市長の光武顕さん。高浜市長の森貞述さんも論説委員室に訪ねてこられました。なかでも運命的だったのは当選して間もない鷹巣町の岩川徹さんです。この3人と東松山市長の坂本祐之輔さんの4人が代表幹事になって、のちに福祉自治体ユニット・住民サイドの福祉行政を進める市町村長の会ができました。1997年のことです。
 鷹巣町を初めて訪ねたのは1992年でした。ホールで、デンマークと日本のケアの様子をスライドで比較しながら映し、「同じ病状のお年よりが、ケアと環境によってこうも違いますよ」と話をしました。そこに来ていた大勢の人の中から、「自分たちの町でもやれるんじゃないか」という希望を持った人がたくさん出たのだそうです。今でも「あのときが変わり目だった」と言ってくださる方がいます。デンマークと鷹巣町とのお仲人みたいなことをずっとしてきました。
 めきめきと鷹巣町は変わっていき、24時間体制のホームヘルプ、商店街の中の訪問看護ステーション、在宅を支援する全室個室の老健施設、補助器具センター、介護予防の拠点……(写真)ができていきました。住民が行政と一緒になって、町の福祉政策を考えています。

─そうですね。鷹巣町は日本でもっとも高齢者福祉政策が進んだ町だと思います。特徴的なのは、住民が積極的に自分たちの町を変えていっていることですよね。そのきっかけを大熊さんがつくられた。医療・福祉の現場、行政、政府に加えて、首長(自治体)、住民が「変わる」姿を見てこられた、あるいは、実際に「変われますよ」ということを導いたということなんでしょうね。

大熊 今年7月に鷹巣町の老人保健施設を訪ねましたら、雰囲気がデンマークっぽくなっているんですよ。デンマークっぽいっていうのは「さあ、みんなで何かやりましょう」というのではなくて、ぼわっとしていられるっていう雰囲気です。それから、老人ホームでテレビを見ているお年寄りの姿はだいたい寂しいでしょう?テレビの前に放置されている印象です。鷹巣町では「水戸黄門」を見ているお年寄りのそばにケアワーカーさんが寄り添って、楽しそうに話をしているんです。
 鷹巣町で未来に希望が持てる、と思ったことがあります。鷹巣町は小学校区に一つずつデイサービスやグループホームの拠点、サテライトを作っていて、そこは子供たちが遊びに来る場所にもなっているんです。なので、サテライトのできていない地区の子供たちはうらやましくてしょうがなくて、「僕たちの学校区にも作って欲しい」と町長を招待してドラマ仕立てにした劇で訴えたのだそうです。それを聞いて、私はとても嬉しくなりました。鷹巣町のまちづくりが、若い世代へ続いていくんだなって思いました。鷹巣町は日本の中でもかなり封建的な土地柄だったんですよ。そこの人たちだって立ち上がって変えることができるんですもの。

「変えられる」という実感を
若い人たちに伝える

─そういった経験を大学では若い人たちにどんなふうに教えていらっしゃるんですか。

大熊 大学では、大学院生のゼミだけでなく、学生さん向けの授業もしています。3、4年生+院生向けの授業は、前期が「福祉とメディアの人間科学」、後期が「医療とメディアの人間科学」というタイトルです。なるべく当事者をお招きするようにしています。大阪の駅にエスカレーターやエレベーターをつける運動に取り組み、交通バリアフリー法のきっかけをつくった尾上浩二さんという電動車いすを利用している方や、顔にあざがあったり、大きなこぶがあったりという方たちの組織、「ユニークフェイス」の代表の石井政之さん、精神医療人権センター事務局長で、「ぶらり訪問」という形で精神病院を訪ねて改革を進めている、みずからも精神病を体験した山本深雪さん……といった風です。
 尾上さんがいらっしゃった時は、授業終了後、学生たちが一緒に大学の中を点検しました。車椅子用トイレが1カ所設置はされているけれど、誰も使っていない状態でした。案内板がどこにもなかったからです。また、非常口には段差があって火事が起きたら車いすの方は焼け死んじゃう状態でした。それらの問題を、鷹巣町のワーキング・グループがやっているように3つに分類しました。「すぐできること」「ちょっと工夫したらできること」「予算化しなければできないこと」の3つです。学生達はすぐにできることから始め、パソコンで作成した「車椅子用のトイレは東館の1階にございます」という張り紙をあらゆるお手洗いに貼ってまわりました。建築を専攻している院生は、この段差をなくすにはこのくらい費用がかかるといったことを計算しました。そのことを学生が事務室に報告に行くと、いつもは恐いと思っていた方がことのほか優しくて、「予算は3月になると余ることがあるから、なんとかできるかもしれませんよ」と言ってくれたりしまして(笑い)。学生たちも「やればできる」と考えるようになったみたいですよ。
 前期の夏休みの宿題は、自分の住んでいる地域の老人ホームと市役所に行き、私の『福祉が変わる医療が変わる』(ぶどう社)という本に出てくる「あなたの住む町の老後の安心度をはかる100のチェックポイント」をチェックしなさいというものでした。大分苦労をしたようですが、「自分の町を全然知らなかったし、気にかけていなかったことに気がついた」「自分の住んでいる町に目を向けるのは大事なことだと気がついた」「役所の人からは冷たい対応をされるんじゃないかと思ったけれど、懇切丁寧に話してくれた。これも介護保険が始まったことと関係があるかもしれない」といった反応がありました。大変だけど自分で調べて回ると、いろんなことが体験としてわかるんですね。
 阪大の学生は役所に就職したり海外協力などのボランティア活動をする人が多いんです。今回の経験はそういった場で役に立つでしょうし、これから先の人生でも応用がきくはずです。学生たちには、自分で調べることのおもしろさに気がついて欲しいですし、「変える」ことのおもしろさにも気がついて欲しいですね。
 「前例は破るためにあるんだ」っていうことも体得して欲しい。現状に満足せずに、何かを変えようと挑戦し続けていくこと。その積み重ねが、世の中やいろいろなことを変えていくんじゃないかと思います。


とりあえず、誰でも簡単に調べられる☆印のチェックからどうぞ

◆外出の楽しみを支える仕組み

   1.レストラン、店、学校がお年寄りや障害者をもつ人に優しいバリアフリー
   2.車椅子で走りやすい平らな道路舗装
☆ 3.駅にエレベーターエスカレーター
   4.「福祉のまちづくり条例」づくりに、障害をもつ人たちが参画
   5.難聴の人たちのための要約筆記や手話サービスを快く提供
   6.舞台の音を補聴器利用者がくっきり聞くことができる磁気ループなどが集会場に
   7.階段のないノンステップバスや車椅子利用者送迎用の車が町を走っている
   8.車椅子の人を外でよく見かける

◆食事を作れなくても

   9.毎日型の宅配サービスがあり、食事会も(福岡県春日市など各地ですでに)
  10.おいしくて暖かく、選択できる(食事を作れず心ならずも入院・入所する人も)

◆昼を過ごすデイサービス、デイケアなどが

  11.小学校区にひとつある
☆12.多様な活動があって選べる("幼稚園風"はお年よりの誇りを傷つける)
  13.痴呆のお年寄りを受け入れてくれる
☆14.送り迎えしてくれる(家族だけでは無理)
  15.早朝から深夜までの利用も可能
  16.介護保険で「自立」と判定されて人が利用できる憩いの場もある

◆ホームヘルパーは

☆17.休日や夜も快く来てくれる(敬老の日はお休みという市町村は落第)
  18.さすが訓練を受けたプロ、という仕事ぶり
  19.困ったとき、電話1本で訪ねてきてくれる
  20.痴呆症に詳しい専門ヘルパーもいる
  21.役場の職員と同等の待遇
☆22.男性のヘルパーがいる(将来性なる誇れる仕事である証拠)
  23.小学校の先生と同じぐらいの数がいる(北欧はこのレベル)

◆年を取っても住みやすい家

☆24.住宅改造の申し込みが簡単(電話1本できてくれる市町村も)
  25.貸付ではなく、まちの予算で補助(貸し付けだと家族に気兼ねして我慢する傾向)
  26.臨機応変に改修できるプロがいる
  27.SOSベル付きでバリアフリーのケアハウスや公営住宅もある

◆補助器具、福祉機器の提供システムは

  28.上下するベッド、不自由を補う自助具、車椅子などを貸し出す仕組みが身近に
  29.作業療法士などが体に合わせてくれる(入れ歯と同じで会わない車いすは有害)
  30.補助器具センターで試せる
  31.補聴器を調整する専門家がいる

◆宅老所やグループホーム、特養ホーム・老人保健施設・療養型病床群などの介護施設を訪ねると

☆32.入居者が思い思いの髪型をしている(ザンギリの「養老院カット」なら落第)
☆33.和服も含め、よく似合う服装をしている(着替え、お洒落はなによりのリハビリ)
☆34.つなぎ服を着ている人がいない(つなぎ服は技術未熟の証拠)
☆35.嫌なにおいがゼロ(臭いはオムツ替えを怠っている証拠)
☆36「寝かせきり」にしないで起こしている(いまどき、寝かせきりなら、劣等生)
☆37.病院臭さがなく、住まいの雰囲気
  38.個室化が進んでいる、あるいは計画がある(グループホームは個室が標準)
☆39.居室に思い出の家具が持ち込まれている
  40.お年寄りと職員が、一緒にゆったりと食事
     (チューブ食だらけ、並べてせかせか餌を与える風情なら落第)
  41.夕食は普通の家庭のように5時以降
  42.夕食後にも楽しみがあり、起きて過ごす
  43.夜も入浴できる(裸るして行列は論外)
☆44.職員がゆったり、生き生き
  45.リハビリテーションの専門職がいる
  46.歯科衛生に配慮(入れ歯を取り上げる先進国はありません。歯は誇りと健康のもと)
  47.かかりつけのお医者さんや訪問看護婦さんと連携が取れている。
  48.なくなったときは入居者達でお見送り(裏からこっそりは、冷たい施設の証拠)
  49.不明朗な費用徴収がない(地獄の沙汰も金次第を臭わすなら危ない)
  50.家族や利用者の自治会がある
☆51.町はずれや工業地帯でなく、町の中にある
  52.地域のお年寄りのためのデイサービスやショートステイにも熱心
  53.近所づきあい、買い物、散歩、喫茶店、居酒屋の利用などで、地域にとけ込んでいる。
  54.地域の行事や子供達との交流が盛ん
  55.ボランティアが楽しげに出入りし、入居者も心から楽しみにしている様子
  56.一人一人の人生をよく知り、ほこりを大切にし、さりげなく支えている。
☆57.玄関ホールや理事長・施設長室より、お年寄りの居室にお金をかけている
  58.同族経営の色彩がなく、経営がガラス張り
☆59.お年寄りがいい笑顔
☆60.首長さんが暮らしたくなるところだ

◆病院・診療所・訪問看護ステーションは

  61.自宅で最期まで暮らしたい、自宅で死を迎えたいという希望を理解してくれる
  62.福祉サービスをよく勉強している
  63.お医者さんが気軽に往診、訪問看護婦、ヘルパーとパートナーの関係
  64.理学療法士が訪問リハビリ、地域リハビリ
  65.歯科医、歯科衛生士がお年寄り思い。
  66.かかりつけ医や訪問看護婦と夜も連絡OK
  67.縛ったり、閉じこめたり、寝かせきりにしたり、口から食べられるのにチューブ食にする病院が近隣にない
    (あれば、あなたもいずれはそこへ。病院は介護保険施設でないため、「身体拘束禁止」の治外法権)

◆介護保険事業について

  68.コンサルタント会社に任せず役場職員がお年よりの元に足を運んで調査し計画立案
  69.公開の場で、住民が保険料やサービス基準を決め、納得
  70.介護保険の最低基準に甘んじることなく、「横だし」「上乗せ」のサービスを用意
  71.家族がいなくても自宅で暮らせるサービス水準を一般会計からも拠出して保障。
  72.痴呆の人の訪問調査には、調査員が複数、何度も足を運ぶ
  73.調査票や医師の意見書のコピーを本人に
  74.介護認定審査会のメンバーに現場をよく知る人を委嘱。判定会議には調査員も同席。
  75.保険料や利用料が払えない人のために、きめ細かな仕組みを独自に作った。
  76.苦情「処理」ではなく苦情「解決」の仕組みがある。
  77.計画づくりや見直しの委員会に、介護を体験した人々や女性委員が5割はいる。

◆役場の担当者や在宅介護支援センターは

  78.入院中から退院後のサービスを計画
☆79.行政が「出前」「御用聞き」の姿勢
☆80.気軽に相談できる雰囲気、親身な応対
  81.たらい回しせず、一カ所で相談や手続き
  82.福祉の担当者や保健婦さんがいきいき
  83.保健所が、老人病院や精神病院の実態を利用者の身になって、厳しく調べ公開
  84.障害者の自立支援センターの知恵も借り、当事者の目線で行政
  85.介護事業者の詳細な情報を集めて公開
  86.草の根グループのNPO法人化を支援
  87.介護サービスの質をチェックする機関(オンブズマンなど)を作り、
     立ち入り調査・勧告・公表の権限を与えている

◆市町村議会や審議会のメンバーは

  88.住民には無用のハコモノづくりより保育や福祉に関心のある議員が沢山いる
  89.福祉の雇用効果、経済効果に気づいている人が大勢いる
☆90.委員会や審議会が公開されている
☆91.メンバーに女性が大勢いる

◆市長さん、町長さん、区長さん、村長さん、知事さんは

  92.介護を社会のみんなで支えた方が、家族の愛情が枯れないことを知っている
  93.住民本位の行政を進める市町村長の会・福祉自治体ユニットなどに加入して勉強
  94.ホームヘルパーの待遇を高める姿勢
  95.手続きの簡素化のために機構改革をした
  96.選挙のとき福祉を唱えるだけでなく、実際に福祉予算を増やした。
  97.敬老金をばらまくより、サービス供給体制を作る方を重視している
  98.小中学校の空き教室や給食設備、敷地、建物をお年寄りのために活用するなど、
     縦割り行政を乗り越えようとしている
  99.ヘルパーや介護施設を自分自身も利用する可能性があると考えている。
 100.事業者に「丸投げ」せず、自治体の責任で安心を補償しようという信念

★このチェックポイントは、日々改善しています。みなさまのご意見をお寄せください(メールはこちら)

(『ひょうひょう』(財)長寿社会開発センター刊2001年12月号)

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