高齢福祉政策激動の部屋

全国抑制廃止研究会理事長 吉岡充さんによる「判決で大切だと思われる論点」

@医療機関として有すべき認識

平成15年当時、身体拘束廃止運動は展開されており福岡宣言も出される、介護保険の運営基準として身体拘束の禁止が明示されている。身体拘束ゼロへの手引きも出され、身体拘束の弊害や、切迫性、非代替性、一時性の三要件も明示されている。これらは、主として介護保険施設を中心にした動きであっても高齢者の医療・看護に従事する医療機関は当然に問題意識を有していた、あるいは有すべきものである。とくに身体拘束のもたらす患者への弊害については、当然に認識できるものと考えられる。

→介護保険関係施設でなくとも当然に認識すべきであるとした点、画期的だと思います。

A違法性判断の基準

身体拘束の違法性の判断基準は介護保険施設と急性期医療機関とで異なることはない。切迫性、非代替性、一時性の三要件は医療機関による身体拘束の違法性を判断する際にも参考になる。

B違法性判断と、医療・看護職の裁量との関係

身体拘束を行なうかどうかの判断は、医師などの専門家の裁量に任せられるものではない。(医師がする必要があるといえば合法となる訳ではない)。患者の同意を得ない身体拘束は原則違法であり、三要件の判断基準に従うべきである。
また、本件抑制はせん妄に対する処置として行われたのであるから、それを単なる看護師の裁量で行なえる「療養上の世話」ということはできず、当直医師が関与すべき医療上の行為であった。

→当然ですが、医師が決めたから拘束してもよいというものではない。三要件の基準に合致しているかどうかが、拘束が違法であるのか否かの判断基準になるということです。
また、この事件の身体拘束は、夜間せん妄への対処だとして行なわれましたが、夜間せん妄だと判断したのは看護師でした。当直医師がいるにもかかわらずです。判決は、その点について、医師の診察・判断を受けることなく拘束したのも違法だとしています。
まとめると、医師が指示したからといって、拘束をしてよいものではない。また、「疾患」への対処方法として拘束を行なうということであれば、「疾患」であるかどうか、また、その疾患への対処法はどういうものがあるのか、医師の診察に基づき、医師と相談すべきで、いきなり看護職(あるいは介護職など)だけで拘束するのは、それだけで違法と評価されるということになります。

C不適切な医療、看護と、身体拘束

患者の、夜間せん妄については、病院側の診療・看護上の不適切な対応が原因となっている。特に、おむつへの排泄の強要や、不穏状態となった患者への当直看護師のまずい対応による結果として考えられる夜間せん妄への身体拘束をただちに切迫性、非代替性があるとは認められない。

→私たちが主張した「作られたせん妄、作られた身体拘束」への部分への論及です。私たちは、病院側は、睡眠薬を乱暴に使い、トイレに行ける患者に、おむつに排泄を強要する。せん妄を起こしかかった患者に、看護師は抗い、説得したり、かえって興奮を煽る対応をしている。このようなことをして患者を追い詰めておいて、患者に変調を起こしておきながら、その変調を理由に身体拘束をするとはひどい、違法だと主張してきました。判決は、そこまでストレートに違法だとは言い切りませんが、診療・看護内容に立ち入って判断し、病院側に不適切な診療・看護があり、それがせん妄の原因となったとし、そのような結果の身体拘束をそのまま「切迫性、非代替性」があるとすることはできない、合法だということはできないと言っています。
つまり、身体拘束が適切であるかどうかは、ケースによっては治療やケアの内容まで問われるということです。向精神薬やおむつの濫用などが誘発する症状、それに対応する身体拘束には、たとえ患者になにがしかの危険性が見られてもただちに合法であるとはいえないということです。

D危険性についての裁判所の判断

病院側は、患者は過去2回転倒しており、本件抑制時にも半覚醒状態にあった上、歩行障害もあったことなどから、転倒・転落の危険性とそれによる受傷のおそれがあったと主張する。しかし、抑制時には、夜間せん妄の状態であっても、患者の挙動はせいぜいベッドから起き上がって車椅子に移り、詰め所に来る程度のことであり、危険性が全くないとはいえないが、病室を頻繁に覗くなどして注意を払うことでも対応できる。病院側のいうような、抑制をしなければ、転倒・転落により重大な傷害を負う危険性があったものとまでは認められない

→病院側の医師は、患者には転倒・転落の危険があり、転倒・転落すれば骨折や頭部外傷などを受傷し、そうなると死亡する危険性が極めて高いと主張しました。第一審の判決はそれを引用しており、それに引きずられて病院勝訴としました。私たちは、こんな第一審の判決では、全ての高齢者が、入院・入所すると、理由のいかんを問わず身体拘束されても合法となってしまうと極めて強い危機感を抱きました。入院・入所する高齢者は疾患や、身体障害や認知症のために身体動作がおぼつかない人、睡眠薬などでふらつく人などが大部分であり、転倒・転落の危険性がまったく無い人など稀だからです。控訴審では、井藤英喜先生などにもご協力をいただいて、転倒・転落をしても、ただちに骨折などの事故に結びつくのではないこと、仮に事故になったとしても、それが死亡に結びつくという確立は極めて低いものであること、病院側の主張は一種の詭弁であること、危険性の内容や程度をきちんとアセスメントしてそれへの対処方法を考えることが医療機関・施設の役割であることを強く主張しました。
その甲斐があり、裁判所は、危険性があるからと、ただ、それだけですぐに身体拘束することは認められない。病室を覗くなり、注意をするといった対応方法があるではないかととても常識的なことを言いました。危険性から身体拘束までの間には、アセスメントや代替行為など病院・施設側の対応と努力が必要であるということをはっきり示してくれた判決です。

E現実に代替行為をとれたか。代替行為の具体例

身体拘束をした晩の患者は27名、重症者もなく、3名の看護師が配置されていた。(うち1名は休憩中)看護師が付き添って安心させ、排泄やおむつへのこだわりをやわらげることは出来たはずである。もし、仮に、病院側がいうように、詰め所が不在になるから、身体拘束をせざるを得なかったというのであれば、休憩中の看護師を呼べばよいのであり、休憩はずらして取ればよいのである。

→ここでは、裁判所が、現場の状況を具体的に判断し、どうしても患者にかかわれなかったという状態ではなかったのだから、この拘束に非代替性はなく、違法だとした部分です。
「人手がないからいつも忙しい」「忙しいから仕方がない、ケアなどできない」あるいは「医療機関なのだからケアは二の次、三の次」という論法が現場でまかり通り、安易に身体拘束が行なわれている現状があります。裁判所の判断は、具体的にどうしても患者にかかわる時間も人手も方法もないと認められる状況でないかぎり、切迫性や非代替性があるとはいえない。病院側は、患者へのケアをきちんと行うべきであったというものでした。そして、通常のやり方でどうしてもだめというなら、休憩をずらしてケアにあたればよかったではないか、それが代替行為の一つだろうと例示しました。

F身体拘束についての同意と説明について

家族への説明義務について 本件抑制は、患者の身体の自由を奪い、これを拘束するものであるから、患者本人、本人の同意を得られないときは保証人でもある長女の同意を要する。(事前に得られない場合は事後に)というべきであり、その前提として説明が必要である。また、身体拘束を緊急避難として例外的に行なう場合であっても、同様に説明を要すると解すべきである。

→この部分は、じゃあ同意をとれば身体拘束したっていいのだろうという方向に行き、同意書だけが氾濫しかねないのでとても注意が必要です。この事件では、身体拘束をしたにもかかわらず事後にも説明が無く、内部告発的にある看護師が長女に身体拘束の事実を伝えたことから発覚したものでした。そこで、私たちは、説明も同意も得ていない身体拘束はそのことだけですでに違法であると主張しました。つまり、説明と同意は身体拘束の違法性を消すために最低限必要な条件だと主張したのです。それに対して判決が言っているのは、まず、三要件を満たす「適切な」身体拘束であってすら説明をしなければならないということです。そして、この拘束では、長女の同意が必要であったが、その前提として長女に説明がなされるべきであったとしています。(いちおうその「内部告発」も看護師が行なったのでそれで説明義務は果たしたとしていますが・・)。
本人や家族の同意があれば、すべての身体拘束に違法性がなくなるのかということですが、私は本人が、明確な意識の元にすべての説明を受け(他に安全を確保する方法が無いということも含めて)理解し承諾した場合はともかく、そうでない場合にまで同意や承諾だけで身体拘束の違法性がなくなるとは思いません。これは、例えば「治療上いかなる事態が生じようが当院は責任を負わない」とする病院側に都合のよい同意書や念書が無効であるとされるのと同様だと思います。三要件を満たさない限り身体拘束は、違法であり、違法な治療やケアは、同意を得ても合法にはなりませんし、その同意する主体が本人ではなく人格が異なる家族というのであればなおさらです。
説明や同意は、三要件と同様、身体拘束から違法性を消すための条件の一つにすぎないというのが正しい解釈であると私は思います。

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