くすりの部屋
日本皮膚科学会東京支部学術大会(2007年2月17日) 会長講演関連特別発言
患者個人と対峙するには
中村陽子さん
日本皮膚科学会東京支部学術大会での飯島会長の「SJS/TENの早期診断のすすめ−SJS患者会とのつきあいから何を学んだか」というご講演に対する関連発言として、厚生省という大組織に所属した一人の行政薬剤師として、患者や被害者の方々と接する中で私自身が学んだことをお話します。
私は大学卒業後すぐ、1973年に厚生省薬務局に就職しました。薬剤師として何か役に仕事をしたくて国家公務員になりました。厚生省の外ではサリドマイド問題やキノホルム問題の解決を訴えた被害者の方たちが抗議行動に集まっていました。その様子を窓から眺めながら、医薬品モニター症例や副作用関連の文献をまとめ、中央薬事審議会の専門家の先生方に評価をしていただく仕事をしていました。手書きで資料を作っていたので、副作用の知識はつきました。
スライドは、現在の、医薬品医療機器安全性情報報告の報告様式です。医薬品の使用によって発生する副作用や感染症等の健康被害情報の収集・評価・伝達体制は、その後着実に充実してきて、現在では厚生労働大臣への報告が医薬関係者の義務となっています。
その後の20年近くはあっという間の出来事でした。仕事を続ける中で、薬の有効性と安全性とは何か、リスクとベネフィットとは何か、医薬品の安全性確保はどうすれば可能か、医師や薬剤師等の現場に個人的関係がある一方で、国はどこまで出来るのか、答えを求め続けていたような気がします。
非加熱血液製剤によるエイズ問題や人工硬膜によるクロイツフェルトヤコブ病や狂牛病問題、院内感染問題などが立て続けに発生する中で、医薬安全局医薬安全課安全対策企画官という立場になりました。その現場で再び、副作用被害者の方々やマスコミとお会いすることとなりました。スライドは、薬害根絶を願った碑です。厚生省の正門の横に建立されました。
日本弁護士連合会主催の薬害シンポジウムが札幌で開かれ、パネラーとして出席を要請されました。いまや昔のような一担当官ではなく、責任を持った行動が求められる立場でした。厚生省として逃げるわけには行きません。やってもやっても減らない副作用、それでも,やらなければならないという重圧の中で、胃は痛み、頭は真っ白状態でした。シンポジウムの前日、東京から札幌に移動するときに大型台風に遭い、千歳から札幌へのJRの中に数時間とじこめられた、忘れることのできない日です。
その頃に、SJS患者会の方とお会いしました。国に対するいくつかのご要望がありました。国は法治国家なのですぐに全ての点を解決できる訳ではありません。私がすぐ出来る範囲のこと、それは医薬品でSJSが起こるという事実を広く医療関係者や一般の人に知らしめるという仕事で、これはすぐに着手できることでした。飯島先生らとご相談し、マスコミの皆さんにも正確な情報を報道していただくようお願いしました。正直にお願いすれば良識のあるマスコミの方もわかってくださいました。世の中には、良識のない人もいますが、多くの良識のある人々は、誠意をもって話せば判ると思います。
スライドは、当時のSJS患者会のホームページです。患者や医療関係者、医薬関係者や製薬企業も、病気と闘っています。
最後に、皮膚科学会で発言の機会を与えていただき、厚く感謝申し上げます。有難うございました。 |