くすりの部屋


「誓いの碑」に忠実に〜薬害根絶〜 (2000年8月28日朝日新聞社説)

厚生省の玄関わきに「誓いの碑」が建てられて1年たった。
「命の尊さを心に刻み、サリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう、医薬品の安全性、有効性の確保に最善の努力を重ねていくことを、ここに銘記する」

にもかかわらず、「悲惨な被害」は続いている。とりわけ深刻なのは、脳がスポンジ状になる「薬害ヤコブ病」だ。
物忘れする、ものが二重に見える、まっすぐ歩けない、といった症状が突然始まり、あっという間に痴ほう症状が進む。そして、体を動かすことも、話すこともできなくなって死に至る。

この悲惨な病気の発症が相次ぐようになったのは、病原体で汚染されたドイツのB・ブラウン社製の乾燥硬膜が脳外科手術に広く使われたためだ。同社は病院の解剖助手に金を渡して遺体から採取した硬膜を集め、大量処理していた。
その過程で、病原体による汚染が広がったと見られている。
米国の対応は素早かった。連邦政府の疾病対策予防センターが1987年2月に「週報」で警告。4月には食品医薬品局が同社製の乾燥硬膜の廃棄を命じた。6月には輸入禁止の措置がとられた。

日本はどうだったか。
「週報」の警告は脳外科医と感染症学者の手で翻訳され、87年8月と10月、専門誌に掲載された。だが、この情報が深刻に受け止められることがないまま、毎年2万人が脳外科手術で危険な乾燥硬膜を移植された。
ヤコブ病に似た狂牛病が96年に英国で社会問題になり、「日本ではどうか」、と厚生省が調査した結果、薬害ヤコブ病が何件も見つかった。
問題の乾燥硬膜を使用禁止にしたのは97年。B・ブラウン社が製造を中止した9カ月後のことである。
この病気は感染から発症まで30年かかることもある。かなりの期間、新たな患者発生が続くのではないかと心配だ。

薬害の被害者や家族は昨年秋、薬害被害者団体連絡協議会をつくり、薬害の教訓を次の世代に伝えることに取り組み始めた。その記録、「薬害が消される! 学校が教えない6つの真実」(さいろ社)は、薬害多発の構造を教科書で取り上げようとしない文部省の姿勢を突いている。
被害者たちは碑が建った8月24日を「薬害根絶デー」と名づけ、津島雄二厚相に、こう要請した。
「患者の権利法」を制定して患者中心の医療基盤を整備すること、薬事法に国・企業の情報提供・説明義務を銘記すること、徹底した情報公開を行うこと。

医薬品には多かれ少なかれ副作用が伴う。「恩恵を受けるのだから副作用もやむを得ない」と、乱暴なことを言う人もいる。
だが、「薬害」と「副作用」は全く異なる。
「薬害」とは、危険情報を行政や企業、学界や医療現場が看過したり、無視したりすることで引き起こされる「人災」だ。現に、サリドマイド、スモン、HIV感染被害は、そのようにして日本で多発した。
人災は防げる。
犠牲を繰り返して、「誓いの碑」をただの石にしてはならない。

くすりの部屋・目次に戻る