らうんじ・えにし

私の見てきた日米50年――なぜ「日本」の存在感が希薄になったか
松山幸雄さん(元朝日新聞論説主幹)の、2010.6.29、東大アメリカ太平洋地域研究センターでの講演速記録から


平等に貧乏な時代から豊かな格差社会へ――若者が内向き志向に

駒場に来るたびに、60数年前にここで3年間過ごした旧制高校時代を思い出します。
当時は敗戦後まもなくで、日本中が食糧難の真っ最中。寮ではスイトン、サツマイモが主食で、教壇の上も下も年中腹を空かしていました。寮生の多くは胸のポケットに万年筆でなくお箸をさしており、食べ物に出会えばいつでも「I am ready.」(笑)。それでいてとくにボヤいたり、陰気になったりすることなく、ゆったりしたペースでゲーテやロマン・ロラン、J・S・ミルなどを読んでいたのですから、今から思うとちょっと不思議な気もするのですが、まあ、あれが若さの強みというものなのでしょう。

それに今の格差社会と違って、一億人が分け隔てなく貧乏で空腹でしたから、僻むことがなかった。また国家も社会も個人も今が最低で、これ以上落ちようがない、あとは坂の上の雲を見上げて登ってゆくだけ――といった漠然とした楽観論を無意識のうちに身につけていたようです。ですから、決して「思い出すのもいやな、みじめな時期」どころか、むしろ何ものにも束縛されぬ、自由で意気軒昂とした、アドレナリン豊かな、至福の青春時代だったと思います。「最近の若者は覇気に乏しく、内向きになっている」との評判をよく耳にしますが、物質的な豊かさと精神の高揚とは、必ずしも一致しない面があるのかもしれませんね。

ただ、皆さんと比べて残念なのは、多感な思春期に女性から完全に隔離され――200ぐらいある寮歌の中で「女」という言葉は2カ所だけだそうです――とにかく女性との接触に関する限り、修道僧のような生活を強いられていたことになります。当時は旧制高校というのはそんなものと思っていましたから、別に不満があったわけではありませんけれど、この教室のように男女席を同じくするのを見ていると、やはり皆さんが羨ましい。(笑)とくに能登路先生のような女性の教官の指導を受けるなど、夢のまた夢でしたから。

海外生活をするのもまた「夢物語」でした。
横光利一の『旅愁』を読んでフランスを偲び、ハリウッド映画やブロンディのマンガを見てアメリカ生活に憧れる、という状態で、いまのように若者が簡単に海外に出られる時代がこんなに早く来るなど、誰も予想しなかった。それから10数年して1961年、私がワシントン特派員として初めて渡米したときも、プロペラ機がウエーク島でいったん給油してからハワイに着く、というように、まだアメリカは遠い国で、羽田に沢山の人が見送りに来てくれたのを覚えています。
日本の存在は、一般アメリカ人の関心の外で、私が人種騒動で南部に出張した際、悪名高いアラバマ州のウオーレス知事にインタビューに行ったら、「日本には地下鉄があるかね?」と聞かれた(笑)。
日本代表の魅力のなさ――人は石垣、人は城 それが、国際政治における日本の地政学上の重要性、日本製品の質の向上、貿易拡大などのお陰で、あっという間に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われるようになり、そしていい気になってアメリカのホテルやゴルフ場を買いあさっているうちに「ジャパン・バッシング」が始まり、いまではアメリカ人の関心が、日本を素通りして中国やインドの方に関心が移る「ジャパン・パッシング」現象が出てきた――こうした激しいアップ・アンド・ダウンを私は50年間太平洋を行き来しながらつぶさに目撃、体験して参りました。

日本代表の魅力のなさ――人は石垣、人は城

では、なぜ国際社会における日本の存在が希薄になってきたのか?原因は大まかに言って3つに分類されます。
第一は東西冷戦の終結により、「反共の砦」としての値打ちが減ったことです。もちろんアジアの不安定要因はまだいろいろありますが、米ソ、米中が「対決から協調へ」と移行したことで、アジアの様相が大きく変わった。今や中国はアメリカの重要な貿易相手であって、かつて日本を悩ませた「中国封じ込め政策」などは遠い昔の物語になりました。
第二は、日本の政治文化(political culture)のお粗末さです。首相の選出の仕方があまりに非民主的である、首相が一年ごとに変わる――鳩山さんは半年でしたが――とくに最近の首相の資質に問題がありすぎる。かつてフォード、カーター、レーガンと大統領が続いたとき、ワシントンのインテリは「フォード、カーター、レーガンと口の中でモゴモゴ言っていると、形容詞のbad の変化になってしまう。bad, worse, worst だ」と冗談を言ったものですが, 安部、福田、麻生の三首相もまさにそういう感じでした。そのあと鳩山首相が期待に反して何もせずに政権を投げ出したため、badの変化は、bad, worse, worst, terrible みたいになってしまった。(笑)

私は日比谷の外人記者クラブに長年所属していますが、このごろはメンバーが質量ともに明らかに落ちてきている。「昔は東京特派員は出世コースで、帰国後外報部長や編集局長になったような優秀な記者がいたのですが、このごろはそういうエリートは、北京やニューデリーやシンガポールに行きたがる。いま東京に駐在しているのは、ストリンガーや、もう日本以外のことに取り組もうという意欲、馬力を失った年配の人が主流になってしまった」と事務局の人が嘆いていました。そりゃあそうでしょう。私だって、もしも若手の東京特派員だったとして、来る日も来る日も「政治とカネ」「普天間」「不景気に打つ手なし」といった話ばかり書かざるを得ないようだったら、ウンザリして転勤を希望するに違いない。
以上、二つの点は、本郷の法学部の学生さん相手でしたら、それだけで1時間ぐらい話すところですが、ここは教養学部ですので、第三の原因、つまり「日本代表の魅力なさ」に絞ってお話しようと思います。
「人は石垣、人は城」といいますが、国のイメージはその国を代表する人たちの言動によって大きく左右される、というのが私の長年の体験に基づく持論です。官、民を問わず、日本のエリートといわれる人たちが、個人として国際社会であまり評判がよくないのを見落としてはなりません。この教室には中国や韓国からの留学生もおられますが、中、韓両国だけでなく、東南アジアなどの若者がどんどん外向きになり、国際戦闘能力を強めているとき、日本だけは逆行しているような感じがします。

日本人のマイナスイメージとして「三つのD」というのがあります。dull, difficult, diffident――dullとは、「退屈な」、「話をさせると眠くなる」、「飯を一緒に食べても面白くない」というタイプのことです。ハーバード大のルーデンシュタイン学長が卒業式で「Be anything but dull.」という訓辞をしたことがあります。私は、さぞかし格調高く「諸君は生涯を通しnoblesse obligeの精神を持って、国家社会に貢献せよ」というような話をするのではないか、と思っていたところ「何になってもよいが、退屈な人間にだけはなるなよ」――それを学生たちが大爆笑と大拍手で迎えた。私は、アメリカ人は dullにならないよう、日頃から意識的に努力しているのだと知って、目から鱗が落ちる思いをしました。日本の教育には、そういう視点が全く欠けており、お陰で私は中年以降アメリカでえらい苦労をする羽目になります。

delightful person をめざせ――ユーモアの重要性

difficult は「困難な」ではなく、「気むずかしい」という意味です。取っつきが悪い。小沢一郎という人などその典型で、政界だけでなく、財界、学界、言論界にも気むずかしいお偉方がいますよね。いや、偉くならないうちから気むずかしい人もいる。(笑)
diffident は「おずおずした」という意味です。日本人が英語を喋らねばならぬようなときには、どうしてもおずおずしがちだ、ということは、私自身の体験からも言えることです。
こうした悪い3Dを、dynamic, delightful, dignifiedという、よい3Dに変えてゆかねばなりません。

まずdynamic。日本の行動様式は、個人も組織も一般に躍動感に乏しい。巨人軍の長島監督は「スピード・アンド・チャージ」をモットーにしていましたが、日本はコンセンサス社会のせいで、時間を掛けて根回ししないと「オレは聞いていないぞ」という文句が必ず出る。大学の教授会もそうでしょう。(笑)結論が出るのに時間がかかりすぎるのを、ライシャワー大使が「渦巻き蚊取り線香型決定」(笑)と冷やかしたことがあります。

delightful というのは、独りで愉快がっている、というのではなく、側にいる人を楽しませる、ということです。私がはじめて渡米したとき、日系二世の長老が「この国では、He is a delightful man. といわれるのが最高の褒められ方だ」と助言してくれたのを覚えています。その関連で「ユーモアの重要性」が、日本で考える以上に大きい。日本にもユーモアはありますが、多くの場合ダジャレです。「豚と馬とが喧嘩した。どっちが勝ったか?」「トンカツだから豚だろう」「いや、トンカツ食って、ウマかった」(笑)といった類のものです。
鳩山さんの話は、首相在職中およそユーモアに欠けていたけれど、辞めてから菅首相の母校東京工大に行って「菅さんは頭が切れる。時々切れすぎて、切れてしまう」(笑)と珍しくユーモアのある話をした――菅さんは癇癪持ちですからね。しかしこれもダジャレです。

アメリカにも pun というのがありますが、高級なユーモアは人柄、教養、余裕といったものが出る笑いです。チャーチル英首相の80歳の誕生日にインタビューした若い記者が、辞去する際「来年の誕生日にもお元気なご様子でお会いできることを期待します」と言ったら「ああ、大丈夫と思うよ。お見かけしたところ、君は元気そうじゃないか」(笑)
私は昭和天皇の訪米の際、全行程をついてまわったのですが、ニューヨークでロックフェラー・チェーズ・マンハッタン銀行頭取が「陛下、私の銀行の支店が皇居の前にありますので、どうぞご利用下さい」と言ったところ「預金ですか?貸し出しですか?」とユーモラスな答えをされた、との記事が、アメリカの新聞に出ました。私には陛下がそんな発言をされたとは考えられないのですが、アメリカのスポークスマンはよくそういう「善意のでっち上げ」をしますからね。「お陰で天皇のイメージがぐんとよくなった」と米人記者が笑っていました。
社会全体がユーモアが好きで、ユーモアのある発言を待っているのですね。NYメッツが優勝したとき、ラジオの天気予報が「本日、NY地方は全般に快晴。ただしところにより紙吹雪」(笑)とやったことがあります。もしNHKがそんな放送をしたら、「不真面目だ」と抗議が殺到し、始末書ものでしょう。

dignified は「堂々とした」という意味です。モーツアルトのピアノコンチェルト「戴冠式」や、ベートーベンのバイオリンコンチェルトのニ長調・アンダンテ・マエストーゾといった悠々とした調子で振る舞う日本人は少ない。ハ短調・アレグロ・パセティーク(笑)、あるいは「夜霧に汽笛が鳴って・・やるせなくて・・どうせおいらは・・」といった演歌調が日本文化の主流、という印象が強い。少なくとも日本代表をつとめるインテリは、堂々と振る舞うことを覚えなければいけません。

fit in と stand out――二刀流のすすめ

アメリカの教育学界では知らぬ人のないハーバード大学のヘンリー・ロソフスキ文理学部長(当時)が、シンポジウムで「大学出の必要条件」として「個性的で、物事に批判力を持ち、表現力にすぐれ、かつ倫理道徳問題について深刻な経験を持っていること」を挙げたことがあります。私は最後の「倫理道徳」については、偉そうに語る資格がないので省きますが、第一の「個性的」という点。日本ではよく「インテリ」のことを「知識人」といいますけれど、これは大誤訳です。インテリは「知性人」なのです。インテリゲンツィアは、私の持っている英英辞典によると、「educated, capable of independent thinking」とあります。自分自身の考えを持つことが必要なのです。
知識人は「man of knowledge」、これに対してインテリの場合は、泉のように独自のアイデアが湧いてこなければいけない。William Blake の詩に「The cistern contains./The spring overflows.」というのがありますが、日本の教育は水槽を大きくすることに主眼を置いている。これに対してアメリカは小さくとも泉を大事にしています。

私はアメリカ生活をしていて、自分の知識の量を試された記憶はありません。しかし自分が面白い意見を述べられないでいると、相手がガッカリする、という経験はいろいろしました。アメリカ人が長々喋るのをウンザリしながらReally? とか、Is that so? と聞き流していると、最後にいきなり What do you think about this, Mr. Matsuyama ? と訊いてくる。あわてて英作文してごまかす、ということがよくありました。
そのうちこちらもすれっからしになって、相手が長広舌を振るっている間に適当に感想をこしらえておく。
その場合、反論の方が喜ばれる、というあたりがアメリカのよさ、でしょう。
よく「アメリカ人相手には黙っていてはいけない、You have to say something.」 といわれますが、インテリの場合はYou have to have something to say. が先決なのです。自分の意見を持っているという点で、アメリカ人には日本人より中国人や韓国人の方がchemistryがあうようです。chemistryがあう、とは「化学」ではなく「肌合い」「ウマがあう」ということです。

「批判精神を持つ」のも、インテリの大事な資質と言えましょう。
日本では、批判精神より忠誠心、協調性を大事にするから、個性的な人が育ちにくい。ホドソン元駐日米大使が「日本文化の特色は fit in、アメリカはstand out」と分析して見せたことがあります。fit inとは、組織の空気、社風、家風に合わせる、ということ。stand out というのは「私は他と違うのだ」と示すことで、日本で出世するタイプは、ほとんどだれも fit inの名手です。
ただ皆さんも注意しおいた方がよいのですが、日本の大きな組織では若いうちから stand out しようとしていると、あいつは自己顕示が強すぎる、と嫌われ、はじかれる恐れがあるので、まずfit in能力をモノにしておくことは必要条件です。しかしそれは十分条件でない。いざ国際社会に出たら、遠慮なく stand out 出来ることが望まれる。ですから日本代表候補生の皆さんには、両方の能力を持った二刀流使いになってほしい、というのが私の願いです。

それから私は、アメリカ最高裁の判決の少数意見に付けられる I respectfully dissent.(敬意をもって異を唱える)という言葉が好きですね。日本では「反対」となると、たいてい「不倶戴天」みたいな力み方になってしまう。自由主義、民主主義で大事なのは agree to disagree ということを忘れてはなりません。

日本の大学はウサギの養成所――ワレ発言ス、故にワレアリ

日米両国の大学出を比較してとくに目立つ違いは、表現力です。日本は以心伝心の国ですから、言葉をあまり用いなくとも相手は察してくれる。留学生の方はいま日本語の難しさに苦労されている最中かもしれませんが、日本語には便利なところもあるのですよ。例えば結婚式によばれても、葬式に行っても、「このたびはどうも」と挨拶すればよい。(笑)アメリカでは祝意か弔意か、Congratulations! か、I am sorry. か、使い分けなければいけない。
アメリカの大学では、授業中まるで発言しないでいると、どんなに試験が出来ても、よいレポートを書いても「A」はもらえません。大学だけではない。国連でもダボスでも、黙っていたのでは、寝ているか、すねているか、無能か、と思われてしまう。「ワレ発言ス、故にワレアリ」なのです。

私はよく「日本の大学はウサギの養成所に似ている」と言います。「ウサギは耳が長くて情報収集力はあるが、口が小さくてモゴモゴ何を言っているのかわからない。そして行動様式がシステマティックでないから、どっちの方向に進もうとしているのか、他の人に分かりにくい」(笑)大学時代に口を大きくしておくことは、国際戦闘力を持つ上での最優先項目です。
日本人のスピーチ下手を知っているNYタイムスの幹部から、3つのI――informative, interesting, impressiveと、3つのS――substantial, sophisticated, succinctというコツを教わりました。話は何よりもinformativeでなければならない。日米財界人会議で「・・思うに日米関係は、ペリー提督が浦賀に来て以来、山あり、谷あり、時には戦争まであり、戦後は焼け野原の中からアメリカの援助で復興し・・」といった挨拶を長々する人がいる。そんなのは参加者は全員知っていることで、要するに「ホウ」と思わせる新しいinformationが入っていない。「雨の降る日は天気が悪い、犬が西向けば尾は東」と言っているようなものです。「日本人のスピーチは、その前に As you know, と付けた方がよい」と笑っていました。

次に interesting――他人にとって興味の持てることでなければいけない。先日葬式の弔辞で友人代表が「君とは長年の碁仇で、今年の正月に打ったのが最後になった」――そこまではよいのですが、「あのときはボクが黒で、序盤は勝っていたのに最後にひっくり返された.2局目は ・・・、3局目は・・・」本人には忘れがたくとも、他の人には興味ない話です。
そしてimpressive ――何か印象に残ることを言わねばいけない。オバマ大統領が来日した時のスピーチで「子供の時鎌倉へ行ったさい、大仏より抹茶アイスクリームの方が印象に残っている」と言った。いまではみんな他の部分は忘れても、「抹茶」だけは覚えている。
ハワイ大学に一週間滞在している時、一日大学を抜け出して宮里藍ちゃんについて歩き、最後にミーハー然として帽子にサインしてもらったら「Ai 54」。どういう意味かと思ったら、全ホール、バーディで廻ると54、これが目標なのだそうです。いちいち「Ai Miyazato」 とサインしていたら長蛇の列がさばけない。しかし「Ai」だけでは愛想がなさ過ぎる。そこで「Ai 54」。こういうセンスのある選手は、アメリカで人気が出るだろうと思いました。

エンピツ型とペットボトル型――お勧めの苦労は海外生活

3つのSは、まずsubstantial――日本人のスピーチには、実質が詰まっておらず、空虚な言葉が多い。「誠心誠意」「命がけで」「火の玉となって」下手に直訳をしたら焼身自殺かと思われかねない。(笑)全学連の「我々はあ、断固お、闘争を勝利し・・」も同じことで、いくら絶叫しても、聞いている人には何の感動も与えない。
sophisticated――アメリカでは、学者や政治家、ジャーナリストだけでなく、スポーツの選手でも、洗練された表現を心掛けています。プロゴルファーのサンデー・ライルが優勝したとき「私は今日は15本のクラブを持って歩いた。(規定は14本が限度)最後の一本は patience というクラブだ」。ジャックニクラスにインタビューしたとき「ゴルフは腕力ではない。リズムとタイミングだ。人生も同じでしょう」「勇気とは無茶をすることではない。池の手前にボールを止めるのも勇気だ」
日本の競馬の優勝者のインタビューで「いまのご感想は」「嬉しいです」「どのへんで勝てると思いましたか」「無我夢中でした」「ファンの皆さんに一言」「これからも頑張りますから応援よろしく御願いします」(笑)――こういうchildishな話は「談話」の名に値しません。

succinct――発言は簡潔であること。日本人は「そもそも民族」で、話が、とくに前提が、長すぎる。もっと小太刀の冴え、というか、結論を前に、理由を後にして、喋るようにしなければ相手は聞いてくれない、その訓練をアメリカでは大学時代からやっています。国際会議で聞いた話。例によって長話を始めた男に、奥さんからメモが入ったところすぐに止めた。あとでどんなメモか調べたら「KISS」とある。「キッスするから早く止めて」という意味かと思ったら「Keep it short! Stupid!」(笑)という夫婦間の符丁だった。

もう一つ見逃してならないのは、最近の御曹司首相に「たくましさ」が欠けている点です。安部、福田、麻生、鳩山・・皆さん逆境や冷や飯を経験していない。彼らだけでなく、一般に日本のエリートには、順風満帆で出世したものが多いから、人間として"やわ"で、したたかさが足りない。シェークスピアに Sweet are the uses of adversity.( As you like it) という言葉がありますが、オバマ大統領は黒人であることで、ヒラリー国務長官は亭主の浮気で(笑)、というより、女性であることで、えらい苦労をしています。
試験に強くトントン拍子で来た皆さんには、今後の「よい苦労」として、海外生活をお勧めします。病気や貧乏といった「悪い苦労」はしないですめばそれにこしたことはない。敢えて人為的に苦労を求めるとすれば、日本での実績の通用しない海外で頑張る経験が一番役に立つでしょう。

丸山真男先生に Let's go whistling under any circumstances. という言葉を教わったことがありますが、どうせ世の中トラブルだらけ、困難にぶつかった時いちいちパニック、ヒステリックになっていたら身が持たない。私の先輩で立ち直りのうまい新聞記者がいた。コツは、他の新聞に抜かれたとき、病院の待合室に行くのだそうです。そこには、咳き込んだ人、眼帯をした人、杖をついた人、手術を前に不安そうな表情をした人・・そういう患者さんたちを見ていると、「デスクに叱られたぐらいなんだ」と気を取り直すのだそうです。病院の受付の人は、まさかそんな人が出入りしているとは思わないでしょうが。(笑)
私は物事がうまくいかなかったときには、いちいち病院の待合室には行かず、偉い人の伝記の中で、苦闘した時代の部分を拾い読みすることにしています。

「たくましさ」と同時に「やさしさ」も大事です。レイモンド・チャンドラーの小説の主人公にIf I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.( Playback ) という有名な台詞がありますが、「強い」と同時に「思いやりのあること」が紳士の要件だ――というようなことは、駒場でも本郷でもまるで教わりませんでしたね。
インドネシアに行ったとき、日本大使館で聞いた話ですが、日本から遊びに来た若い女性が現地のサーフィンの教師などと何人も結婚する。それも日本であぶれたようなタイプでなく、容姿も整った立派なOLなので、「君たちどうしてインドネシアの男性がそんなによいの?」ときいたら「だって、ここの男性はやさしいもの」と答えたそうです。「われわれ日本人男性も、若い時やさしさの訓練を受けていたら、もっと女性にもてただろう」と、その場にいた大使館員と特派員が、みんな遅まきの反省をしました。(笑)

だいぶ前、日本航空の研修によばれていって逆に教わってきたのですが、JALのスチュワデスは「エンピツ型人間になれ」という訓練を受けるのだそうです。真ん中に芯があって、回りに気(木)を使う、という意味です。(笑)留学生の方、アクセントで意味が違うことがわかりますね。スチュワデスだけでなく、どんな職業の人も、いや日本人、日本そのものがエンピツ型にならなければいけない。政界では、世論の動向に敏感でない人のことを、「ペットボトル」というのだそうです。ビン(瓶)でもカン(缶)でもない。(笑)残念なことに「ペットボトル型」の首相がたくさんいましたね。

カルチャーの幅を拡げようーーコスモポリタン愛国者の育成を

ここまで私自身の反省、自己批判を含めて、日本のエリートの欠点を指摘してきましたが、私は本来決して自虐趣味ではありません。日本文化にもアメリカ文化にもそれぞれのよさ、悪さがある。柳は緑、花は紅、お互いに欠点を直視して直すべきものは直していこう、という意見なのです。とくに島国の日本では、どうしても「視野狭窄症」から抜け出しにくいから要注意です。アメリカは移民の国で、都市の名前もインディアンの名前を除けば、ほとんどヨーロッパの名前、時にはアジアの名前もあります。ヨーロッパは国境が低く、歴史的に文化が入り交じっている。パリに初めて行ったとき、シャンゼリゼの地下鉄に「フランクリン・ローズベルト」「ジョルジュ・サンク」という名前があるのでビックリしました。フランスは彼らに世話になり、好意を抱いているのですね。日本で銀座の隣が「ケネディ」でその隣が「周恩来」なんて駅名がつけられるなど考えられない。(笑)

残念ながら日本は世界文化の主流ではありませんから、他の文化との違いをよく認識しておく必要があります。「平和」というのは、日本では「武器をとらぬこと」、アメリカでは「不正な侵攻に対して武器をもって備えること」、「大学」というのは、アメリカでは「生涯で最も勉強する時期」、日本では「激しい受験勉強をした高校生活と、社会に出てからの猛烈な生存競争との間の息抜きの期間」(笑)。
日本と外国の非対称性は、歴史の感覚についても同じです。「ガルパゴス症候群」と言われることがありますが、日本人の歴史観は日本でしか通用しないことがある。日本が近過去にどんなことをしたかを直視しないのを historic amnesia ( 歴史健忘症 )といいます。それが日本にアジア近隣諸国に真の友人のいない主な原因でしょう。これからのインテリは、正しい歴史の感覚と国際的視野を持たねばなりません。

「福沢諭吉コンパス論」というのがあります。一本の足を日本文化にしっかりおろし、もう一本の足を自在に外国文化の方に伸ばしていった、という意味です。立派な日本人で語学の達人だった新渡戸稲造、内村鑑三、夏目漱石、森鴎外・・みなさんも是非、日本文化のよさを体得した、そして国際社会でも一目置かれる「コスモポリタン愛国者」になってほしい。そのためには象牙の塔に籠もらず、広くいろいろな人に接するようにして下さい。
ハーバードの政治学の最終講義のさい、教授が「Read and travel.」という惜別の言葉を贈るそうです。社会に出ても読書を続けよ、そして社会のいろいろな人に接して教養の幅を拡げよ、という意味です。

シンディ・ローパーに「Money changes everything.」という歌がありますが、私は「Education changes everything.」だと思います。教養も文化も変わる。ハーバードの日本語科の優秀な学生は、ほとんどだれも「謙虚さ」とか「恥じらい」といった日本的なよさを身につけている印象でした。女子学生など、もう日本の女子大には見出しにくいようなしとやかな人がいる。(笑)教養も文化も、英語ではcultureですが、個人の教養の集積が結局国家の文化になるわけです。私は決して「日本文化を変えよ」といっているのではない、「日本文化の幅を拡げよう」と主張しているのです。将来日本代表になるであろう皆さんが、いまからそういう視点を持って研鑽を積まれるよう、心から期待しています。(了)

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