医療費と医療の質の部屋

 寿命が延び、高齢者が増え、医療技術が進歩する。いずれも人類史の輝かしい勝利です。  けれど、それが医療費を押し上げ、財政を脅かします。医療費の増加は先進諸国共通の悩みです。
 どの国も改革に取り組んでいますが、では、どこが、この難問によりよい答えを出しているのでしょうか。
 国際的な医療経済学の専門誌である「HEALTH ECONOMICS」に、興味深い論文が発表されました。
 世界保健機関(WHO)欧州医療政策協力センターであるロンドン大学政治経済学部のE・モサイアロス博士のグループが行った大がかりな調査研究の報告です。
「市民の目から見たEU15カ国の医療システム」というタイトルで、そこには、医療費のかけ方と市民の満足度の間の、思いがけない関係が述べられていました(1)。

 調査は、世論調査の専門家と医療政策比較学の研究者の共同作業で行われました。欧州連合(EU)の15カ国の市民それぞれ約1000人をランダムに選び出して、自宅を訪ねて面接し、医療についての意見を母国語で聞き取る、という手法です。
 質問は、例えば次のようなものでした。「あなたは自国の医療システムについてどう思いますか。次の中から選んでください。非常に満足、比較的満足、どちらでもない、比較的不満、非常に不満」。
 満足度は国によって実に大きな差がありました。「非常に満足」と「比較的満足」をあわせた「自分の国の医療に満足している人の割合」は次のような数字(%)になりました。

自分の国の医療に満足している人の割合
デンマーク90.0
フィンランド86.4
オランダ72.8
ルクセンブルグ71.1
ベルギー70.1
スウェーデン67.3
ドイツ66.0
フランス65.1
オーストリア63.3
10アイルランド49.9
11イギリス48.1
12スペイン35.6
13ポルトガル19.9
14ギリシャ18.4
15イタリア16.3
EU平均50.3

 デンマークが1位なのにはびっくりしました。実は私は、1985年にデンマークを訪ねて以来、この国の高齢者福祉を「世界一」と考えるようになり、新聞紙上で、あるいは本で紹介してきました。
 日本でなら「寝たきり老人」と呼ばれる身になる重い障害をもったお年寄りが、お洒落をして外出を楽しんでいる。日本の「寝たきり老人」は実は、「寝かせきり」のお年寄りだった。  デンマークでは、家族が介護できなくても住み慣れた家に住み続けることができる。介護の苦労で家族の愛情にひびが入ったりしないので、三世代、四世代の仲がよい・・・・・・。そんなふうに書いてきたのです(3)。
 公的介護保険制度の介護サービスも、かなりの部分デンマークをモデルにしています。しかし、この国の福祉の知名度に比べると、医療は、ほとんど注目されていませんでした。
 医療に対する満足度の高さは、どんな要素に左右されるのでしょう。

 モサイアロス博士は、国ごとの一人あたりの年間医療費を購買力で換算しました。高い順に並べると、次のようになります(単位は米ドル、1993年)。

国ごとの一人あたりの年間医療費
ルクセンブルク1993
フランス1835
ドイツ1815
オーストリア1777
ベルギー1601
オランダ1531
イタリア1523
フィンランド1363
スウェーデン1266
10イギリス1213
11デンマーク1201
12スペイン972
13アイルランド922
14ポルトガル866
15ギリシャ500

 二つの順位表をざっと比べてみると、一人あたりの医療費が高い国ほど満足度が高い傾向が読み取れます。
 医療費が低いギリシャやポルトガルでは、「満足」と答える人が10%台なのに、高いドイツやフランスで「満足」が60%台です。
 けれども、もっと興味深いことがあります。
 満足度第1位のデンマークは、一人あたりの医療費でみるとEU15カ国中11位、満足度2位のフィンランドは医療費8位、3位のオランダは医療費6位です。
 モサイアロス博士は、満足度と医療費の関係を見るために、縦軸に「満足」している人の割合(%)、横軸に一人あたりの医療費をとってプロットしてみました。それがグラフ1です。
 これを見ると、デンマーク、フィンランドのコストパフォーマンスの良さがくっきりと浮かび上がります。

グラフ1

 残念なことに、この論文はEU諸国だけを対象にしており、アメリカや日本が載っていません。
 そこで探してみると、R・ブレンドンという人が1990年に発表した「先進10カ国における医療満足度」という論文があることがわかりました(4)。
 これをもとに、満足度の高い国から低い国へと並べると、カナダ、オランダ、フランス、西ドイツ、オーストリア、スウェーデン、日本、イギリス、イタリア、米国の順になります。
 時期も研究者も違った調査を一緒にするのは乱暴ですが、おおよその傾向を見るために、グラフ1に、ブレンドンの論文にある米国と日本を加えてみました(○印)。

グラフ2

 米国は一人あたりの医療費がずばぬけて高いのにもかかわらず、満足度がきわめて低い。デンマークと日本は医療費水準が同じなのに、満足度に大きな差がある。そんなことに気づきます。
 なぜ同じ医療費で、満足度が違うという事態が起きるのでしょうか。
 「日本の国民医療費はことしも過去最高」と厚生省は毎年危機感をあおっていますが、実は、日本の医療費は国際的には「低い」ことで有名です。
 たとえば、国内総生産(GDP)に占める日本の医療費は、経済協力開発機構(OECD)27カ国の平均より16%も低いのです。
 グラフ2はOECDデータをもとに米国、デンマーク、日本の変化を描いてみたものです。1995年で比較すると、GDPに占める医療費は米国14.2%、日本7.2%、デンマーク6.4%です。

 米国が「世界一の医療費」を支払っている国でありながら満足度が低い理由は、かなりはっきりしています。貧しかったり、病気がちだったりして、医療保険に入ることができない人々が何千万人もいるからです。
 医療費が払えないと診療拒否されることもあり、強盗犯人が「わが子の手術費をどうしても工面できなくて」というと同情が集まるという国柄です。国民一般の満足度が低いのは無理からぬことといえます。
 しかし、デンマークがこれほど低い医療費なのに、高い満足を得ているのはなぜでしょう。論文を何度読んでもわかりません。そこで、デンマークへ出かけました。

 病院をいくつか訪ねて満足度が高い理由がわかりました。日本や米国だったら一日何千円、何万円もの室料差額をとられるような広くて感じのよい温かみのある病室。にもかかわらず、入院費は無料なのです。
 日本のようにヤミで付添さんを雇う必要もありません。100ベッドあたりの職員は、1983年に269人だったのが、その後の10年間で320人に増えました。うち、医師36人、看護婦102人で、どちらも日本の3倍以上です。
 患者が幼かったり、病状が深刻だったりして「そばにいたい」と家族が望む場合は、隣接した病院ホテルから通って精神的に支えることが出来るように配慮されています。こちらの宿泊費は市町村が補助します。
 しかし、そんな「ぜいたく」なことが、日本より少ない医療費でなぜ可能なのか。たくさんの人に会い、たどりついた答えを「十の秘密」として、以下にご報告します。

<1>病院には病人だけがいる
グラフ3

 人口あたりの医師や看護婦の数は、日本とデンマークでそう違いません。にもかかわらず、ベッドあたりの医師や看護婦の数が違うのはベッドの数が違うからでした。
グラフ3は、3つの国のベッド数の変化です。日本だけが、異常なほどベッド数が多いのです。
 その理由は、はっきりしています。日本の政府が福祉サービスの支出を惜しみ家族にそれを押しつけたために、家族が悲鳴をあげ、介護が必要なお年寄りや慢性病の人たちがケア付き住宅の代わりに病院に入院する結果を招いたからです。
 それとは対照的に、デンマークでは医療で受け持つことと福祉で受け持つことをきっちりと分けました。
 たとえば、「病気は治っているのに地域の福祉サービスが不足しているために退院できない」というような場合は、入院費を市町村が支払わなければならない、と取り決められました。
 そうなっては大変ですから、市町村はホームヘルパーや訪問看護婦などを充実させます。それで、ごく一部の地域を除いては、日本におびただしく見られる医学的理由のない「社会的入院」が見られなくなりました。

<2>病院滞在期間を減らす
グラフ4

 医療費の増加を抑えるために、デンマークでは、入院日数の短縮に力を入れました。工期を短縮する宇宙産業の手法で入院中の待ちを減らしました。おなかをあけないですむ手術を工夫したりして早く退院できるようにしました。
 たとえば脳卒中の後遺症で半身不随になったとしますと、市町村と協力して入院中から自宅を改造し、車いすでも暮らせるようにします。退院したその日からホームヘルパーが来るように手配をすませます。これなら家族も退院を心から喜ぶことができます。
 がんの末期を自宅で親しい人ともに過ごしたいという人たちには、それを可能にするための24時間態勢の訪問看護婦を用意しました。
 こうした努力の積み重ねで、在院日数はグラフ4のように減り続け、米国よりも短くなりました。

<3>家庭医という名の専門医の活躍で重複出費を避ける

 デンマークでは、すべての国民がかかりつけのお医者さんを家庭医として持っています。家庭医は特別の訓練を受けた専門医で、病歴や家族や職業のことまで知り抜いています。この家庭医にまず相談にのってもらい、病状によっては、中規模病院や高機能病院を紹介してもらう仕組みです。
 これは、医者のハシゴをなくして医療費のむだを省くとともに、患者の満足度が高まる背景になっています。

<4>医療提供者が競争する

 病院は地域にほぼ均等に配置されていますが、家庭医は地域を飛び越えて紹介することができます。
 病院は、家庭医というプロからの紹介が少ないと、県議会などで批判されるので、質を上げるために懸命です。その家庭医も1年ごとに登録の更新があり、たくさんの人が登録してくれるほど収入が増す仕組みですから、勉強をおこたらず、対応も親切です。

<5>分権化を徹底・企業に学ぶ

 デンマークは分権化のもっとも進んだ国としても知られています。
 何事も上司や中央にお伺いをたてる、その上司や中央は現場にうとく、規則は何10年も前につくられたもの、という日本式とは違います。規則の数は少なく、それもどんどん変えられていきます。
 多くの病院で「日本のQC(品質管理)サークルに学びました」といわれました。権限を現場におろして、現場の提案を生かし、そこで働く人たちを生き生きさせることは、結果的に患者の満足度にもつながります。サービスや効率の向上の表彰トロフィーを病院でしばしば見かけました。

<6>証拠に基づく医学で

 保健省は、「EBM(科学的証拠に基づく医学)」を医師たちが実践できるように、バックアップしています。EBMは、経験や直感や権威の指導に頼った従来の医療への反省から生まれました。世界中で発表されている文献をもとに、患者に害を与えない最適な治療を選び出す方法論です。

<7>原料費を減らす
グラフ5

 GDPに占める医薬品消費の変化を示したのが、グラフ5です。
 日本には、効能があいまいな薬が諸外国に比べるとおびただしく承認されています。とくに、「ゾロ新」と呼ばれる、既存の薬と効能が変わらぬ高価な新薬がゾロゾロと開発され承認されて、これが病院の利益のために処方される傾向があります。
 デンマークに限らず北欧諸国では、厳しい審査を通り抜けた薬に公的な経費が支払われます。そのうえ、医薬分業の伝統があるので、高い薬を処方しても病院の収益につながりません。
 1990年6月1日、さらに改革が行われました。医師が処方箋に特別の符号をつけた場合を唯一の例外として、薬剤師は効能の同じ薬のうちで最も安い薬を選んで患者に渡す権限を与えられたのです。

<8>リサイクルする

 車椅子や歩行器、介護しやすいベッドなどはリサイクル、リフォームして何度も使います。
 デンマーク第二の都市、オーフスでは、精神病の人たちが補助器具センターの仕事を受け持っていました。体にあわなくなった補助器具を回収してきて新品同様に再生したり、必要とする人に電話一本で配達する仕事です。
 ここで働いている約70人のうち60人以上が精神病の人たちです。彼らは病気の頭文字をとって自分たちを「ピアニスト」と呼びます。もう一つピアニストグループがあり、600人のお年寄りに食事を配達する仕事を請け負っています。
 精神病でない職員8人のうち5人は市からの出向です。出向というと日本では使命感に乏しく、腰掛け気分、得意技は威張ることという人物を見かけることがよくありますが、それとはまるで違い、新しいやり方を開拓するのがおもしろくてたまらないといった風情です。事情を知らずに会った人は市民運動家だと思うにちがいありません。
 このような仕事の開拓が、精神病院への入院者を減らし、医療費を節約することにもつながっていました。

<9>歯科教育を重視する

 デンマークの子どもは、世界一虫歯が少ないことで知られています。
 その基盤は72年にできた「子ども歯科保健法」です。生涯自分の歯で食べられるように、生まれたときから多角的に支援する方法です。
 フッ化ナトリウムのごく薄い溶液で口をゆすぐ方法が始まって虫歯はみるみる減りましたが、それだけでなく、小学校のあらゆる授業に歯科衛生を織り込みました。生物の時間には歯の構造や性質を、化学の時間には酸が歯を溶かす仕組みを、家庭科では食事のとり方と虫歯の関係を。1年生は歌遊びや図画で歯のことを知り、高学年になると歯科医の予約の方法や医療費について学ぶという具合です。

<10>顧客調査をする

 病院や自治体は、たえまなく顧客満足度調査をして、それを仕事にフィードバックしています。最近、こんな調査結果が発表されました。
 国立景気分析研究所の調査によると、62%の国民が「喜んで税金を払う」、55%が「払った税金の分だけ見返りがある」と答えたというのです。

 デンマークの「少ない医療費」と「高い満足度」の両立は、おおむね以上のような理由があることがわかりました。ひるがえって、日本の医療改革はどうなのでしょうか。
 デンマークなみの病室に入りたければ自己負担を、腕のいい医師にかかりたければ自己負担の上乗せを、値段の高い薬を使ってほしかったら自己負担をといった提案がなされています。
 ここには、「負担を上げれば国民にコスト意識を持たせることができるだろう」「病院通いの回数が減るだろう」といった貧しい人間観が透けて見えるような気がします。
 確かに自己負担を増やせば、公的な負担を減らすことはできます。しかし、それでは、根本的な解決にはなりません。それどころか、抑えようとした「公的負担」が増えていくのです。この10年間に、米国の医療費の公的負担は、GDPの4.3%から6.7%に増えました。デンマークの場合は5.4%で変化なしです。

 病んでいる人、介護が必要な人には金銭の負担だけでなく、肉体的、精神的な「負担」が覆いかぶさります。
 日本の多くの病院では、食事に介助が必要な人が、少ない人手を理由に、味もそっけもない「食餌」を鼻から胃に通したチューブで与えられています。チューブを外そうとすると、ベッドに朝から晩まで縛られてしまいます。こんな国を長寿国と呼べるでしょうか。

 一方に、室料差額も付き添い料もお世話料もとらず、厚い職員配置、ゆったりとした病室を実現し、しかも医療費の伸びを抑え込んでいるデンマークのような国が、現実に存在します。
 その国が試みたのは、「省庁の壁をはずす」「分権化を徹底する」「システムを上手に組む」「現実に即して組織をどんどん変えていく」「利用者の立場になって」という、ほんとうの意味の「行財政改革」でした。

(1)Mossialos,E. Citizens'view on health care systems in the 15 member States of the European Union Health Economics. Vol.6:109-116(1997)
(2)『「寝たきり老人」のいる国いない国』(ぶどう社)1990 大熊由紀子著
(3)『福祉が変わる医療が変わる』(ぶどう社)1996 朝日新聞論説委員室+大熊由紀子著
(4)Blendon,R.J., Leitman,R., Morrison,I. and Donelan,K. Satisfaction with health systems in ten nations. health Affairs Summer 1990:185-192

論座 1997.11

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