目からウロコのメッセージの部屋
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辰濃哲郎さん(ジャーナリスト・元朝日新聞記者)/2005.2
昨年8月、私が朝日新聞社を退社させられた「あの問題」が、こんな余波を生んでいるのだとしたら、何ともやりきれない。
朝日新聞は、「政治家の圧力によって番組が改変された」との告発者の話をきっかけに取材をスタートさせたと思われる。だが、この告発だけで記事が書けるわけではない。この情報をどう裏付けるかが勝負になる。今回のケースでは、証拠(ブツ)で裏付けるのは不可能に近い。NHK内部で「政治家の圧力」を文書で残すとは思えないからだ。あったとしても、ごく限られた幹部しか知らないはずだ。だとすると、当事者の証言に頼らざるを得なくなる。
その理由はこうだ。@当事者が、証言内容を覆すことを、私自身が何度となく経験していること、A「言った」「言わない」の水掛け論になる可能性があること、B相手を追及する取材の場合、相手の出方を見極めながら次の質問を考えるなど余裕がないため、ノートに一言一句記すことは困難だということ、Cなにより、訴えられたとき、記者が自分を守る最後の手段になること。
■私の「無断録音」問題■
昨年8月5日。私は、朝日新聞社から退社処分を受けた。その理由は、私立医科大学の補助金不正流用問題をめぐる元教授への取材で、拒否されたにもかかわらず録音し、そのテープを裏付けのために第三者に渡したが、そのテープが後に怪文書となって関係者にまかれたことに対する責任をとる、というものだ。朝日新聞は、私を退社処分としたが、詳しい経過については公表しなかった。
■なぜ録音するのか■
取材は長時間に及んだため、途中で私のかばんの中のテープが切れそうになっていることに気づいた。隣に座る同僚に、携帯でメールを送った。
だいぶ以前のことなのだが、ある病院の不正疑惑を追及しているときだ。病院の当事者からの数時間に及び、医師は「申し訳なかった」と頭を下げた。完全に疑惑を認めた。しかし数日後、その医師は証言を完全に覆したうえ、朝日新聞に対して文書で抗議をしてきたのだ。もちろんテープはセットしていた。だが、マイクを挿入するジャックを間違えたため、一言も録音できていなかった。
元教授との取材に話を戻そう。私の最大のミスは、そのテープを、第三者に渡してしまったことだろう。その理由については関係者に迷惑がかかるため別の機会に譲るが、いま言えるのは、裏付け取材として、どうしても必要だった、ということだけだ。このテープが数ヶ月後、怪文書になって流れてしまった。元教授や、取材に同席していた元教授の元部下を誹謗中傷する内容で、二人には多大なる迷惑をおかけした。
■無断録音の是非■
私がこだわったのは、取材手法の問題だ。とくに無断録音の是非だった。私は、無断録音を処分理由に入れた場合、調査報道が事実上できなくなることを懸念した。調査報道に携わったことのある記者であれば、これがどれだけ深い意味を持つかがわかるはずだ。
処分当初、私の上司から無断録音は処分理由に入っていないと告げられていた。だが、その後の朝日新聞の報道によると、「改めて記者倫理を徹底します」と題して「録音流出の経緯と本社の対応」を説明した記事では、「録音は相手の了解を得るのが原則であり、取材相手との信頼関係を損なうことがあってはならない」(04年8月7日付)と断じている。社説でも「信義に反する」と切り捨てている。私の処分を報じた他紙やNHKを含む各局も無断録音を批判的に取り上げていた。
繰り返しになるが、疑惑の当事者への取材は、証言を覆すことがあることを前提に考えた方がよい。完全に認めていた疑惑を、記事掲載後に覆されたとき、私たち取材者はどうしたらよいのか。ノートに頼るしかない。しかし、追及取材の場で、めまぐるしく変わる状況に対応していくので精一杯で、一字一句間違いのない記述を残すことは困難だ。 相手がのらりくらりとはぐらかし、話が微妙に食い違っていく事も少なくない。テープを聞き直してみて、「ああ、こんなことを言っていたんだ」と新たな発見をすることもある。なによりも、相手が訴えてきたとき、記者を守る最大の武器がテープなのである。「食うか食われるか」の勝負をしている記者にとって、事実が記録されたテープは、いわば命綱なのだ。
私の処分後、録音についての是非は私の所属していた社会部内でも、他の部でも議論されたらしい。だが、その場でも、社の幹部は「無断録音する場合は個人の責任」であることを繰り返したという。
■取材倫理を逆手に取られた朝日■
私はこれまで、自分の問題について、外部に向かって発言したことはない。どう書いても話しても、言い訳にしかならないことを知っていたからだ。だが、今回のNHK番組改変問題で、杞憂が現実のものとなってしまったのをみて、初めてペンをとった。
一方のNHKは、21日付で朝日新聞に対して、18項目からなる公開質問状を送付した。そここに私の問題が取り上げられている。
■報道の根幹に関わる問題■
事実の重みこそが問われるべき今回の問題で、テープがあるとしたら、これ以上に事実を確認できる材料はないはずだ。「テープを公開してください」ならまだわかる。その倫理性を問うのは、事実を追及する同じマスコミとは思えない。NHKは、テープが公表されたら困ることでもあるのだろうか。
もちろんテープ取材には欠点もある。相手にテープを取っていることがわかると、良好な関係を保っている場合でも、信頼関係を損なう恐れがある。テープで録音していることを知るや否や、証言をやめる取材対象者さえいる。
いまからでも遅くはない。朝日新聞は、もし録音しているのであれば、紙面でテープの内容を公表すべきだし、事実を突きつけていく必要がある。
調査報道が停滞することで失われる国民の権利は計り知れない。決着は法廷に持ち込まれる公算が大きい。報道の根幹にかかわる問題を自分たちで解決できないのは情けない。 (講談社・月刊現代・2005年3月号「事実か倫理か『無断録音』問題の元朝日新聞記者が沈黙を破る」より抜粋) |
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