目からウロコのメッセージの部屋

川村敏明さん(浦河赤十字病院精神神経科部長)/2005.2


●文句が出る医療、出ない医療

――べてるのメンバーは歌ったり、舞台で挨拶したり、饒舌な方が多いなあという印象を受けます。しかし一般的な精神科の患者さんだと、まったく何もしゃべらない方も多いですよね。

 病院という場が、そういう患者さんをつくってきたのだとわたしは思っています。
 たとえば、ワーカーの向谷地さんのところに行って「幻聴が強いんです」と言っても、薬は増えないし、外出も止められられない。退院も延びません。逆に感心されたり、感謝されたりしますから、患者さんは「ああ、話してよかった」「わたしの話が伝わる人がここにいる」と、いくらでも話せるんです。
 しかし精神科医の前でそんなことを話したら、「幻聴か。大変だね。じゃあ、ちょっと薬を変えておくからね」と薬を出されて、次の日から薬が効いて、話もできない、ぐたっとした状態になってしまいます。それを患者さんもわかっているから、ものを言わなくなる。「無口な精神病患者」というのは、そういう環境に適応しただけなんですよ。

――健常者だろうと精神病者だろうと、文句があって当たり前、饒舌になって当たり前、ということですね。

 医療相談室で患者さんが向谷地さんに文句を言う。向谷地さんは「そういう文句が言えるあなたが素晴らしい」という評価を返します。しかし診療室では、文句を言うと薬が増やされる。どちらも精神医療という名でまったく逆のことがされていることへの疑問を、わたしはずっともっています。
 いま自分がやっていることがほんとうの医療なのかどうなのか。医者がやっていることだから医療なんだと言ってしまってよいのか。少なくとも、文句も言えないくらいぐったりした患者さんをつくることが、どうして医療と言えるのか、と思っています。
 ですから、向谷地さんをとおして相談室から伝え聞いた、患者さんの文句や幻聴などのエピソードがもつある種の温かみみたいなものが、わたしの原点とも言えるものだと思います。それが、どんな精神科医療をしたいのかをわたしに考えさせるきっかけになりましたね。

●医者は患者に「見捨てられたくない」

 わたしの治療意欲が満々のときには、患者さんたちは「先生がなんとかしてくれるだろう」と考えていたと思います。患者さんが退院すると心配で、退院直後の患者さんの様子をバイクに乗って見にいったこともありました。そうすると、「先生が来てくれた!」という感動で、その日から飲んじゃうんですよね。「これで安心だ。俺には川村先生がついてる」って(笑)。

 いま思うとバカバカしい話ですが、そういう関係を、医者も患者もなかなかやめられないんですよ。でも、これは治療的な関係ではありません。患者さんを助けるといいながら、じつは医者が患者さんに「見捨てられたくない」と依存している状態なんです。アルコール専門病棟に来てわたしが学んだのは、そういう依存関係から一歩引くことでした。
 正直なところ、最初は「彼らを主役にしていいんだ」ということが信じられませんでした。「あの駄目な人たちを、この熱意にあふれた、思いやりにあふれたわたしが、どうやって救いあげるか」ということしか頭になかったですから。

 また、精神科に来る患者さんというのは、そういう思いのあふれた医者の目から見ると、ほんとうに駄目に見えて、格好の「餌食」なんですね。駄目に見える患者さんを相手にしていると、自分がほんとうに「いい人」「いい医者」であるように錯覚してしまう。そういう意味で精神科というのは危ないところです。「いい人」役がやれて、とても居心地がいいんですが、それは本人が気づかないうちにどんどん落とし穴にはまっていく状態なんですね。

――アルコール専門病棟での四年間の勤務の後、現在の浦河赤十字病院に再度赴任されたわけですね。

 思い出すと、浦河でも最初のころは、患者さんが精神科医をとても権限のある権威者として位置づけていましたね。退院から外出まで、あらゆる許可を与える権限が医者に集中するという権威的な構造があって、みんなが医者の顔色をうかがっていました。
 そんななかで相談室の向谷地さんから伝え聞くエピソードが、ほかの診療場面と明らかな「温度差」みたいなものをもっていることに気づいたんです。そこにはなんとも言えない温かみがあったわけですが、まあ、内容が生活問題のエピソードだけなら、医者もそういう違いがあって当然だと受け止めるわけです。しかし、たとえば精神分裂病の人が幻聴の話を医療相談室でしている、という話を聞くと、医者としては「どうしてその話をぼくの前でしてくれないんだろう?」と、ちょっとがっかりしますよね。

 ぼくはまだ若かったので、そのことでプライドが傷つくというよりも、「相談室っておもしれえな」と思えたんです。それと同時に、精神病に対するそれまでの否定的イメージとは違う、あったかくて、可能性を感じるイメージを、相談室の現実から受け取ることがでた。それは、医者として目の当たりにする現実とは対極に位置するものでしたが、その二つをトータルに見ることで、精神病に対して「やりようがあるな」という希望が見えてきたんですね。
 最初に浦河にいた2年間でそれを感じていたので、2度目に浦河に赴任してくるときは、わたしと向谷地さんがパートナーシップをもってやっていけば、状況を変えていけるという思いはありましたね。

●「川村先生ありがとう」では駄目なんです

 医療者として大事なことの一つは、自分が無力なこと、限界があるということを知ることです。わたしたちはそこから始めることを大切にしています。だから、薬物療法が進歩し、新しい治療法が出てきたとしても、それは課題にアプローチする道が増え、進歩したということではあっても、その道だけが大きな、あるいは唯一の道ではけっしてないわけです。その意味で、限界、分際をわきまえる部分がないと、精神科医や精神医療というのは、大きな過ちの世界に入っていきそうな気がしますね。

 「川村先生のおかげでよくなった」「薬のおかげでよくなった」というきわめて治療的なイメージよりも、「早坂潔さんと話をしたら楽になりました」というほうが好きなんですよ。つまり、「治された」という実感が患者さんにないほうが好きなんです。非専門的な、ある種の普遍的なやりかたで、ひとりの人間が誇りを取り戻したり、人間関係が復活してきたりすることが好みなんです。
 「だいぶよくなりまして……いえ、先生の薬を飲んでも症状は同じなんですけどね……でもよくなりました」。それってどういうこと?って(笑)。「この薬を飲んだらこうなりました」というのは、喩えていえば熱を下げる薬を飲んで熱が下がりましたというのと同じで、何の感動もないですよ。医者はもうそんなの飽き飽きしているんです。でもべてるの人たちの話は興味津々で、おもしろくてたまらないですよ。わくわくして、好奇心いっぱいです。「何がそんなに変わったの? そんなことがあったの? 誰と何の話をして、あなたはそんなふうに変わったの?」って。わたしは最高に贅沢な医者をやっているんです。

――薬だけで治るのはよくない?

 医者にだけ礼を言うような治療は、治療ではないです。それでは、医者とか薬しか見えていない。治療という一本の糸でしか、患者さんが社会とつながっていない。そんなことで、実際に社会に戻って暮らせるわけがないと思うわけですよ。
 医療というのは社会ではすごくでかい顔をしていますが、じつはかなり限定された世界です。もう少し、自分たちの大きさにふさわしい役割をとらないといけないと思いますね。

●わからなければメンバーに相談する

――ふだんのべてるには精神疾患による急性的な問題は頻繁に起こっているのだと思いますが、心配な患者さんには、やはり薬を出すのですか?

 患者さんが暴れるという状況に対して、事前に薬を増やしておくという方法がもっとも有効だと、みんな思いこんでいるんでしょうね。この町でもそういう時代がありましたが、わたしたちが学んだのは、それが少しも有効な方法じゃないということです。だから、あまり薬を出さないのは、そのほうがいいからです。状況に応じて有効な方法を選択しているだけなんですよ。
 「精神病の人は、自分を自分で助ける方法を身につけられる」――これが、べてるが長い間かけて見つけたことの一つです。逆に言うなら、暴れたら誰かが助けてくれる、抑えてくれる、そういう関係性でやってると、遠慮なく、思いっきり激しく暴れてしまうわけですね。

 暴れている人がいたら、わたしはべてるのメンバーに相談します。彼らが、精神病の人たちはどう生きられるかということを研究しているから、わたしは医者として彼らに研究テーマを発注するんですよ。「こういう人が、こういう問題をもっている。どうすればいい? 皆で研究して」って。それがべてるでおこなわれている当事者研究です。実際に社会生活するのは本人ですから、また社会に出て、失敗しては戻ってきて、試行錯誤するわけです。
 もちろん、わたしだってまったく心配していないわけじゃありません。でも、心配だったら、薬を使う前に心配なことを誰かに相談しますね。わたしは相談室に行って向谷地さんに、「心配だなぁ」ってつぶやくんですよ(笑)。そうやって、自分の抱えている心配や不安を、自分だけで抱えずにキャッチボールしているあいだに、薬で抑える以外の選択肢が生まれてきます。
 普通、精神科医は「心配だなあ」なんて口にしませんね。逆に、何も言わずに薬を出しておけば、専門家として、責任感をもって未然に対策をしたと受け取ってもらいやすいですよね。もちろん薬を出すという選択肢もあると思いますが、それを安易に選ぶ精神科医になりたいのかというもう一つの問いかけがわたしのなかにはあるんです。だからわたしは、他の人に相談するんです。

 稲葉さんはもうすぐ「東大出のお医者さん」になるわけですが、そうなったら、「ごめんなさい」と言う場面よりも、「ごめんなさい」なんて絶対に稲葉さんに言わせないような場面のほうがいっぱい考えられるわけです。そういう意味では、とても危ない世界に入っていくと覚悟したほうがいいですね(笑)。

●浦河では、自分を支えられなければ医者はやっていけない

 最近、べてるで医者を育てていくということをよく考えるんですよ。
 たとえば、昨日のべてる総会を思い起こしてもらえばわかりますが、わたしをはじめ、精神科医はまったく存在感がないでしょう? ああいう場で何よりわたしが心地いいのは、患者さんたちが誰もわたしの顔色を見ないということです。たまに気遣ってくれて、わたしもステージにあげてもらいましたが、他の二人の精神科医はステージにも呼んでももらえない。今回の総会で精神科医がやった仕事は椅子運びとか、じつに地味な雑用だけです。
 医者というのはじつは、批判にたいへん弱い存在です。この弱さ、もろさを自分でなんとかしないと、過剰に治療したり、過剰に親切になったりで、いつも過剰になってしまいます。薬を過剰に与えるのは、量が過剰なだけじゃないんです。医者の「思い」が濃すぎるんですよ。治療成績がゼロだった、わたしの3年間のように、過剰にかかわらずにはいられない。

――たしかに、医者も自分のアイデンティティを守ろうとして過剰に治療し、安心してしまいがちかもしれませんね。一方通行になりがちです。

 医者は本来、自由で、非常に可能性もある存在だと思いますが、周囲の期待どおりに「医療」をやって、期待に応えることだけをやってると、とても窮屈な仕事になってしまいます。だから、周囲に目を向けるのではなくて、自分に目を向けて、自分がやりたい医療というのを真剣に考えてほしいんです。
 周囲の期待を裏切って、自分のやりたい医療をおこなうというのは、たんなる裏切り≠ニは違うんです。期待どおりではないかもしれないが、「わたしはこれができますよ」ということをいつも用意しているわけです。わたしも、やっていること自体はかなり科学的なんですよ。周囲からはぜんぜん科学的に見えないだけで(笑)。
 最近は医学部の学生だけじゃなくて、卒業後の医者もちらほら訪れてくれています。彼らも何かを求めてここに来ているわけだけれど、それはきっと将来、医者としての自分を支えていくものになると思うんです。だから、べてるが、自分たちの患者としての経験をもとに「ひとりの医者をつくっていく」お手伝いができるといいな、と思っています。べてるでは最近「健常者を支援する」が一つのテーマになっているんですが、その一環として、医者づくりに貢献できればと思いますね。

●誤解も歓迎! 受け止め、笑って、否定しない

 べてるもそうですが、わたし自身、誤解されないようにといった努力を何もしてこなかったんです。正直なところ、誤解した人はした人で、お客さんとしてこの町に何度も来てお金を落としていってほしい(笑)。それで町は潤うわけだし、わたしたちもその誤解を、きちんと受け止めて、それを笑っていくようなスタンスでいたいですね。

――誤解すらも飲み込んでいくということですね。

 そう。かつては、マイナスのイメージの誤解がいっぱいあったわけですよ。いまは逆にバブリーな誤解が蔓延しています。べてるを見るときの周囲の人のほうが妄想化してるんですよ。「べてるって金持ちなんだな」とか(笑)。わたしたちは、それを笑いながら、否定しないというスタンスです。
 医者にだけ礼を言って退院する人がいるのをわたしがまずいと思うように、「べてるが、べてるが」ということだけが語られていくことはあまりいいことだと思いません。べてるは聖地でもなんでもありませんし、変われたとしたらそれはその人たちの実践です。わたしたちがいろんな人との出会いから考えはじめて、さまざまな活動をおこなってきたのと同じように、べてるを訪れた人が、その中身に触れて得たものを、それぞれの場所に持ち帰り、それが具体的な成果につながっていけばいいと思っています。

●失望のなかから立ち昇る「希望」

 べてるは、つねに「不充分」です。わたしたちがやってきたのはいわば期待を裏切ることの歴史です。昔は浦河という町の期待を裏切り、いまは世間の期待を裏切っています。それは、とりもなおさずわたしたちの力の限界がいつもある、ということです。
 「遠く離れたところにべてるというところがあるらしい」と理想郷のように憧れて、べてるに行くと奇跡が起きるかのように思ってしまうのはよくないし、実際何も奇跡なんか起きないですから。べてるというところにはすごく熱心な人がいるかと思ったら、そんな人なんて誰もいないし、深刻に相談しているのに「アハハハ」と笑われて、えらく傷ついて帰る人もたくさんいます。「べてるに来て傷つきました」って、外来にくる人がいるんですよ(笑)。訪れた人の大きく膨らんだ希望が、べてるの現実を見た瞬間、ペシャッと潰れてしまうのが常なんです。しかし不思議なことに、その後、何かをつかんで帰る人もまた、たくさんいるんですよ。

 何十年も苦労してきた人、空回りをしてきた人、長い時間苦しんだ人ほど、べてるでショックを受けながらも、何か大事なものをつかんで帰っていきます。わたしは、そういう苦労話を聞くと、「べてるに来てがっかりしたかもしれないけれども、わたしはあなたの話を聞かせてもらえてよかったな」といつも思うんですね。そして、そのことを伝えると、「また、来ていいですか?」となる。がっかりしたはずの人が、少し元気になって帰っていく。そんな経験をよくしています。
 べてるは、期待ばかりしてくる人には、ほんとうになんもしてくれないところですが、入院前の苦労なり、切実感を持ってくる人には、学びになるプログラムや人材は豊富だと思います。べてるに何を期待するかということによって、べてるはさまざまに見えるところだということでしょうね。

(〜わきまえとしての「治せない医者」〜医学書院『べてるの家の「当事者研究」』より抜粋。聞き手はインタビュー当時、東京大学医学部六年生の稲葉俊郎さん)

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