目からウロコのメッセージの部屋
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向谷地生良さん(浦河べてるの家ソーシャルワーカー)/2005.2
●「研究というとワクワクする。冒険心がくすぐられる」
浦河で「当事者研究」という活動がはじまったのは、2001年2月のことである。きっかけは、統合失調症を抱えながら爆発≠繰り返す河崎寛くんとの出会いだった。入院していながら親に寿司の差し入れや新しいゲームソフトの購入を要求し、断られたことへの腹いせで病院の公衆電話を壊して落ち込む彼に、「一緒に河崎寛≠ニのつきあい方と爆発≠フ研究をしないか」と持ちかけた。「やりたいです!」と言った彼の目の輝きが今も忘れられない。
「研究」という言葉の何が彼の絶望的な思いを奮い立たせ、今日までの一連の研究活動を成り立たせてきたのだろう。その問いを別のメンバーにすると、「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、『研究』と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる」と答えてくれた。
●実験→検証→応用
「研究」のためには、「実験」が欠かせない。そして、その成果を検証する機会と、それを実際の生活に応用する技術も必要になってくる。その意味で統合失調症などの症状を抱える当事者の日常とはじつに数多くの「問い」に満ちた実験場であり、当事者研究で大切なことは、この「問う」という営みを獲得することにある。
つらい症状や困った事態に遭遇したとき、自分の苦労を丸投げするようにして病院に駆け込み、医師やワーカーに相談をしていた日々とは違った風景が、そこからは見えてくる。それは浦河流に言うと「自分の苦労の主人公になる」という体験であり、幻覚や妄想などさまざまな不快な症状に隷属し翻弄されていた状況に、自分という人間の生きる足場を築き、生きる主体性を取り戻す作業とでもいえる。
●「当事者研究」のエッセンス
ここに紹介する一連の当事者研究の成果は、研究の期間も、テーマとの取り組み方も一様ではない。その意味で「当事者研究の進め方」というかたちで、これをプログラムとして説明することは困難である。だからといって、決して浦河でしかできないというプログラムでもない。そこで、これから紹介する個々の当事者研究に共通するエッセンスを紹介したい。
@〈問題〉と人との、切り離し作業
A自己病名をつける
B苦労のパターン・プロセス・構造の解明
C自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面をつくって練習する
D結果の検証 以上のように当事者研究の取り組みは、一人の孤独な作業ではなく、「人とのつながりの回復」と表裏一体のプロセスとしてある。 (〜「当事者研究」とは何か〜医学書院『べてるの家の「当事者研究」』より) |
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