目からウロコのメッセージの部屋
田中 滋さん(慶應義塾大学経営大学院教授)/1997.12
国民負担率が大きくなると経済活力が弱まるという説があるが、必ずしも正しくない。高齢社会におけるニーズを無視し、国民負担率を無理に抑制した場合、自己負担の増加などの問題点が多い。
年金の成熟も、介護保険の創設にかかわる努力も、初めて直面する人口の高齢化に応じて進行してきた新しい事態なのである。年金や介護保険は、決して自助努力に代わる制度ではない。まさに高齢者の自立を支援する社会的な仕組みである。
●新概念「財政赤字を含む国民負担率」が唐突に
今の公的年金の給付水準や老人保健制度など、見直すべき点もある。とはいえ、全体としての社会保障制度は、長寿社会における基本的な安心感の源になっているといえる。
ところで政府は長い間、「租税と社会保険料の合計額が国民所得に占める割合」を国民負担率として発表してきた。1990年代後半は37%前後で推移している。
しかも、正しい検証なしに、「新しい負担率を高齢化のピーク時にも50%以下にとどめることが経済活力を維持する条件」であるかのごとく説かれている。こうした理解にもとづく経済運営では、よりよい長寿社会を築けない恐れが強い。
●高生産性の北欧
「負担率が過度に上昇すると労働意欲が失われる」という見方がある。勤労者の納める税金が政府によってすべて費消されてしまうような社会では、そうした反応は自然だろう。
デンマークをはじめ高負担でありながら高い生産性を持つ国がある。これらの国では「税金は保育から大学までの教育、医療、介護などのサービスを、わずかな自己負担で利用するための原資である」と意識されている。
一方、給付面では「社会保障が整いすぎると就労意欲が低下する」という意見がある。失職する方が合理的な選択になるほど失業給付が高ければ、そのような事態もありえるだろう。
以上のように、負担率は経済活力のあり方と関係が強いとはいえない。
●負担率を抑制した場合に生ずる問題
効果の低い政府支出を防ぐためにも、国民負担率を安易に上昇させる方向は避けなければならない。しかし、高齢社会において、医療や介護に対する正当なニーズを軽視して、国民負担率を無理に抑制した場合に生ずる問題の大きさも指摘しておきたい。
社会保障給付水準の抑制、給付対象者や対象サービスの縮小は、ハンディキャップを負う人々と介護者の生活の質を低下させる。また保障給付を削減した額は、たとえば患者や要介護者によるサービス利用時の自己負担で補われる可能性も高い。
サービス利用時の直接負担に対しては、同じ金額でも経済的弱者ほど相対的に負担が重くなる。その結果、社会福祉制度に依存せざるをえなくなる家計が増え、結局、政府として支出の費目が変わるだけで、支出額は変わらないかもしれない。
他方、公的給付が不足すれば、家庭で類似サービスをみずから実行しなければならないケースも多くなるだろう。すると、規模が大きい医療機関、社会福祉機関、事業者がもつ経済性と、経験をつんだ専門家・専門組織による生産性の高さ、および技術革新を活用する機会が減ってしまう。
もう一つの悪影響として、現状では女性の労働供給の抑制につながりかねない点もあげられる。 (1997年12月08日 朝日新聞朝刊 オピニオン 「どうする高齢社会」より) |