目からウロコのメッセージの部屋

松島 貞治さん(長野県泰阜村長)/2005.10

■必要なだけの在宅サービスを利用者負担ゼロで→老人医療費が急減〜■

 泰阜村は人口2100人、高齢化率38%の過疎の山村です。村の高齢化率が20%を超えたのが昭和60年ですが、ちょうどその頃着任した診療所医師の方針もあって、本格的な在宅福祉に取組み始めました。まだ、世の中に「介護」などという言葉がない頃です。
現在では、在宅入浴、配食サービスなど当たり前ですが、当時、介護は家族が当たり前という風潮の中で、これらのサービスを開始するにも、かなりの抵抗がありました。しかし、その抵抗を飲み込むかのような高齢化の進展により、少しずつ定着していきました。
 在宅福祉政策の推進で、平成2〜4年頃には、在宅死が8割近くとなりました。

 介護保険前の泰阜村における在宅福祉の特徴をあげれば、1つは「利用者負担がゼロであったこと」、これは、村の高齢者のほとんどが国民年金受給者で、生活費さえ事欠く人ばかり、こんな皆さんが障害を持っても負担を求めることはできない、と考えたからです。
 いま1つは「サービスの必要な人には、必要なだけサービスを提供する」ということです。つまり、今でいえば要介護5といった人で、介護者がないようなケースでも、1日に7〜8回ヘルパーが訪問し、生活を支え、在宅を可能にしてきました。
 この2つは、介護保険導入に際し、村長の頭を悩ますことになります。

 さらに、在宅福祉充実のおかげで、終末期を中心に入院が減り老人医療費が急減、いまでは長野県下で一番安い村となりました。

■介護保険導入前夜〜介護保険の導入でサービスが低下?!〜■

 在宅福祉に取組み始め、15年を経過した2000年(平成12年)4月から「介護保険」が導入されることになりました。
 その時、現在の診療所医師が「日本社会が家族制度の崩壊を認めた」と表現しましたが、まさにその通りと思うと同時に、泰阜村のやってきたことを、国としても制度化せざるをえなくなったのだ、と感慨深いものがありました。本来なら、日本や地域のために尽力した高齢者を幸せにお送りするのは国の責務、したがって税金でやるべき、と考えていましたが、いずれにしても、その費用は誰かが負担しなければならず、負担と給付の関係が明確になるのであれば保険でもいい、とにかくいい制度をつくってほしいこれが実感でした。

 さて、いよいよ制度の詳細が示されるようになりました。ここで、大問題にぶち当たります。一つは、利用料の問題です。利用者負担ゼロから1割へ、いま1つは、必要なだけサービスを提供する、これを介護報酬で計算すると月100万円を超える方が10名以上いることがわかりました。どう考えていったらいいのであろうか。
 国にとっては、新しい制度でも、わが村ではすでに定着しているサービス、これを継続できないことになっては、介護保険の導入によってサービスが低下した、ということになりかねない。とはいえ、ルールがあり、ルールを無視することもできない。

 こんなとき、ある福祉関係者の会合で、時の厚生労働省老健局長堤氏の話を聞く機会がありました。その中で、介護保険は、介護問題、広くいえば高齢者問題の一部を解決するに過ぎない、という趣旨の話をされました。「ああ、これだ」と思ったのです。堤氏はその後「地方自治」(平成13年9月号「介護保険と地域自治」)の中で「あえて数量的にいえば、地域の介護問題の50%は介護保険が対応し、次の25%は市町村が地域の実情に合った独自の保健福祉事業で対応し、残りの25%はNPOを含む地域住民の助け合いが支えるということであろう。」と述べています。
 介護保険ですべてを解決しよう、またできる、と考えるから難しいのだ、村の在宅福祉の一部を介護保険に担ってもらおう、これで心の整理ができました。

■介護保険が始まって〜村の介護の一部を介護保険で担ってもらう■

 平成11年の9月議会で「利用料の60%」を村が肩代わりする、という方針を示しました。これは、在宅介護者に限るというもので、施設入所者には適用しませんが、そんなことはこの段階では小さなことでした。たまたま全国紙の記者もいて、次の日には、全国ニュースになりました。それ以来、そんなことができるのか、という問い合せが国や県に殺到したようです。
 国、県の見解は「好ましくない」ということですが、その通りだと思いました。しかし、これは、村の在宅福祉の歴史を考え、村長と診療所の医師が悩みに悩んだ末の結論であり、こうすることによっていままでのサービスを低下させないという、信念の選択でもあったのです。

 その後、この問題はいろいろなところで取り上げられました。いまでも多くの質問をもらいます。一番多いのは、国や県からペナルティーがあるのでは、というものです。ある新聞が、泰阜村長は厚生労働省に反旗を翻した、と書きましたが、心の中では、これほど在宅介護を推進してきた村、すなわち10年も前から介護保険を先取りしてきた村の福祉を国が理解しないはずがない、と思っていました。
 利用料を事業者に払わないのならルール違反ですが、そうではなく本人負担の一部を村が払うだけ、しかも在宅介護者に限ってということですから、決して制度の根幹を揺るがすようなことではないと確信していました。その後、保険料の軽減をする市町村も出てきましたが、制度的にいえば、この保険料の軽減の方が問題だと思うのですが。

 さらに問題は、上乗せサービスです。介護保険法は、柔軟かつ、いい法律で、上乗せ、横出しは、一号保険料でできるのですが、現在の高齢者の負担を増やすことはなかなか難しいことです。
 介護報酬が、月100万円を超えるような人をどうするか、議会や懇話会で、そういう人こそ施設へ入れるべきという意見が出ます。その通りなのですが、何しろ、在宅で支援してきて、在宅を希望している人を施設へ送ることはあまりに非情ではないか。最後は、在宅福祉の村としてやってきた歴史を考えて、上乗せ分について、村が負担するということで理解をいただきたい、と頭を下げ、しぶしぶ納得してもらいました。ただ、この上乗せ分は、介護保険とは別に村が事業者(村の社会福祉協議会)と直接契約し、サービスを提供する方法をとっています。

 まさに、介護保険で村の介護を支えるのでなく、村の介護の一部を介護保険で担ってもらう、ということです。そう思うとすばらしい制度です。この2つの問題について、一定の方向を出すことができ、いよいよスタートとなりました。

■介護保険が始まって〜減った村の財政負担■

 介護保険が始まる前年、1999年(平成11年)度泰阜村が訪問介護等高齢者支援に使ったお金は9400万円です。日本の福祉は当時も手厚く、そのうち約半分の4800万円は国からの補助金でした。介護保険に移行し、すなわち保険料を払うことにより権利意識もうまれ、利用は伸びるのだろうが、1億2000万円程度を見込んでおけば、と思っておりました。
 しかし、初年度の保険給付費は、1億4000万円に。その後も増え続け、2003年(平成15年)度には2億円を超えました。最初の一号保険料2400円では足りなくなり800万円基金から借り入れました。したがって、次の一号保険料は3600円になりました。

 サービス内容ですが、もともと需要に応じて供給体制をつくってきましたので、村の社会福祉協議会には事業者として十分に対応できるマンパワーがありました。訪問看護も含め、すべての法定サービスを、介護保険導入と同時に社会福祉協議会が独占しています。そのため、利用者が困るようなことは起きず、スムーズに移行いたしました。もちろん、利用料の軽減をしたものの個人負担が必要になったという点では変わりましたが。
 上乗せサービスを村が単独で実施するため、在宅でも利用限度額いっぱい受ける利用者もいて、限度額に対する在宅利用率では県内トップという状態が続いています。

 現在、104名の認定者の中で、在宅は74名、施設が26名(数が合わないのは入院等)ですが、保険給付費費用では、在宅が6割となっています。施設費用が占める割合が高い中で、多分、めずらしいケースだと思います。施設志向の高まりは、抑えることができませんが、それでもみんなで在宅誘導をしているため、2004年(平成16年)度の介護給付費は、前年度より500万円ほど下がりました。世の中全体が増えていく中で、めずらしいことかもしれません。

 本村の65歳以上人口は、数年で減り始めます。ここ数年がピークですが、私の感触では、高齢化は乗り切っていける、と確信めいたものを感じております。村の負担の話に戻しますが、2億円の給付でも、介護保険のおかげで、村は2500万円の負担です。介護保険の始まる前、約5000万円の一般財源を高齢者福祉にかけていたので、財政的にも介護保険の効果は大きなものでした。

■これからの介護保険〜若い人にも負担を■

 今年で6年目、制度改正も行われますが、この5年経過する中で、問題点をあげるならば、まず施設志向の高まりがあります。
 要介護者本人の希望ならいいのですが、ほとんどは家族の希望です。在宅介護者がいる家庭と施設に預けてしまった家庭では、家庭の負担があまりにも違います。しかも、施設の負担の方が安いようでは、できるだけ居宅で支援するという介護保険法の精神は絵に書いた餅です。高齢化率38%の現場にいると、どう考えても施設入所者の負担を増やすべき、そうしなければ、どんなに在宅と叫んでも無理だ、と感じてきました。
 施設入所者が年金を貯金し、財産を築くのでなく、年金の大部分が介護費用に回るような負担をすべきではないか、と思うのです。

 次に、要介護者が増えるのは、村でも全国統計と同じように、要支援、要介護度1、つまり軽度のところです。長く在宅福祉に関った経験からいうと、本来の福祉サービスは、ほんとうにサービスを必要とする重度の人を中心に考えるべきです。したがって、要支援、要介護度1は、介護保険からはずした方が制度としてすっきりすると思うのです。
 この意見を言うと弱者の「切捨て」といわれます。しかし、介護や医療に、無尽蔵にお金をかけることができるのならいいのですが、いまの財政状況では無理なことは誰もが理解できるはずです。保険者の立場でいえば、制度をどう維持していくか、これが大問題ですから、介護費用の抑制も必要です。とするならば、軽度をはずすという考え方になります。したがって、今回の制度改正で、この二点に踏み込んだことは当然のことだと思います。

 では、軽度の人たちをどうしてくれるのか、という指摘があります。そこは、自治体の出番です。NPO等の力も活用しながら地域での支えあいが威力を発揮すると思うのです。
 さらに、介護保険制度の最大の長所は、保険者を市町村にしたということです。わが自治体の高齢者の尊厳を守り、幸せな老後をどう送っていただくか、これは制度ではなく理念の問題です。したがって、自治体に考え方の差があっていいはずです。
 泰阜村では、高齢者がただ長生きすることより、たとえ短命になっても、安心して充実した老後を送っていただくことの方が幸せであり、そのためには自宅で最期を迎えることがいい、と考えています。その過程の中で、介護保険制度の利用も組み込まれています。これは、保険者が村であるからできることです。

 泰阜村では、すでに乗り越えつつある高齢化という問題も、日本社会ではこれからが本番です。まさに、私たち団塊の世代がどのような老後を送ることができるのか、ということです。その時までに、この介護保険を持続可能ないい制度に育てなければなりません。
 この世生まれた以上、誰もが老い、死を迎えることは避けることができません。それを考えれば、制度維持のため若い人にも負担を求めるべきです。被保険者拡大は見送られましたが、介護ほど公平なお金の使い方はありません。誰もが老いていくのですから、老いも若きも全国民共通の問題です。みんなで負担して、障害をもっても安心して暮らせる制度に、みんなで大切に育てていかなければなりません。

(全国町村議会議長会「地方議会人」(中央文化社)特集・介護保険制度を検証する「みんなで育てよう介護保険〜過疎の山村での取組み」から)

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