目からウロコのメッセージの部屋

高田ケラー有子さん(デンマーク在住の造形作家)

 異文化理解といいますか、言論の自由をめぐって、最近毎日のようにニュースで話題になっているできごとがあります。結果的に起こっていることとして、デンマーク製品がイスラム諸国からボイコットされているのですが、その発端は昨年の9月 に遡ります。

 昨年9月30日、デンマークの大手新聞社Jyllands-Postenが掲載したProphet Mohammedのイラストをめぐって、デンマーク在住のイスラム教グループのリーダーが、イスラム諸国へ尾ひれを付けてそれらのイラストを紹介し、それらのイラストがデンマーク国民の総意であり、すべてのデンマーク国民はモスリムを憎んでいるとして、デンマーク政府に謝罪とJyllands-Postenへの罰を求めたことが始まりでした。

 そもそも、ことの始まりは、これらのイラストが掲載されるさらに前にあり、ある作家がデンマークの子どもたちにイスラム教の歴史を語る本の執筆をしていて、その本のためにProphet Mohammedの挿絵を求めたことに始まりました。Prophet Mohammedのイラストを描くことは、イスラム教徒の強い反発を買い(イスラム社会では禁じられている)、もしイラストを描くようなことがあったら殺すぞ、というような脅迫を受けたイラストレーターもあることから、挿絵を専門とするプロは、みなその作家の依頼を受けることができませんでした。

 そのことを受けて、デンマークは自由に言いたいことが言える国、また、表現の自由が保障されている国なのだから、ということで、Jyllands-Postenが12名の漫画家に、この国では表現と言論の自由があるのだということを主張するために、Prophet Mohammedのイラストを依頼し、描かれた12枚のイラストを同紙に掲載したのでした。

 その12枚のイラストですが、Prophet Mohammedを描く、というよりその漫画家たちの感性で捉えたイスラム教を象徴するものや、イラストを描けば殺すと脅しをかけた者へのアイロニー、また、本の著者への本の前宣伝に他ならないという皮肉としてのイラストが多かったように私は記憶していますが、なかには、敵意を感じるとされてもしかたのないものもあったと思います。個人の受け取り方にも違いがあるでしょうが、イスラム諸国の人々には許しがたいイラストもあったのだと思います。ただ、この国では、こうした表現の自由は許されており、何も法律に違反することはしていませんし、デンマーク人の目には、ユーモアたっぷりのジョークに過ぎないものが多 かったと受け取っています。

 覚えている限りのイラストの内容は、ひとつは、目の部分が黒く隠された(人物を特定しないようにするためのアイマスクのような黒帯)Prophet Mohammedらしき人物がナイフを手にし、その両脇に立つモスリム女性は、Burkhaの隙間から目の部分だけが空いていておびえるような目だけが見える、というイラストで、もう1枚は、デンマークの政治家やブッダにキリストなどがターバンを巻いて皮肉的に描かれているもの、そしてもう1枚は、Prophet Mohammedの頭に巻かれたターバンの中に爆発物が仕掛けれているイラストで、これは自爆テロを象徴するものでした。その他、イスラムを象徴する三日月に沿うように顔が描かれ、片目が☆になっているイラストや、自爆テロをしても天国に処女はいないからもうやめなさい、とユーモアを含めて描いたものなど、なかにはそれほどひどいと思えないものもありましたが、モスリムの感情を逆撫でるようなイラストがなかったとは言いきれません。

 ただ、それでも表現としてのこうしたイラストを公表することが許されている国で、どこをどう違法だとするのか、また、どう受け取ったかは別として、それがデンマーク国民の総意やモスリムに対する敵意でないことは明らかなのです。ジョーク好きのデンマーク人には、おそらく全く理解できない言いがかり、ということにもなるのでしょう。他にも12枚のうちの1枚が、オークションにかけられ、800クローネ(約1万6千円)で落札されたものがありますが、それを描いた漫画家はたった800クローネではありますが、カシミール地震の災害援助資金として寄付したそうです。
 このイラストは、殺すと脅したモスリムを諭すイラストであり、少なくとも悪意があ るものとは思えませんでした。

 この国の首相も同じようにおもしろおかしいイラストに仕立て上げられることは、日常茶飯事ですが、そんなことでいちいち目くじらをたてるものなどいないのが、この国の「常識」です。でも「常識」とは難しいもので、誰を基準にするかで、常識の中身は変わってきます。イスラム諸国の人々にとっては、Prophet Mohammedをイラストにすることそのものが禁じられているのですから、それを平気でやってのけるデンマーク人を憎む感情が生まれてもしかたないのかもしれませんが、言論の自由がある国で行われたことに異議申し立てることはできず、それがためにデンマーク国民全てがモスリムに敵意をいだいているとして、デンマークの国旗ダナボーを燃やしている光景は、やはり見るに余りあるものがあります。

 しかしながら、デンマーク国内で違法ではないとしても、言論の自由を主張する側には、発信した内容に対する責任はあり、その意味では、イラストを掲載した時点で、イスラム社会からの反発はあるものとしてJyllands-Postenもある程度の覚悟はしていたのだと思いますが、ここまで問題が大きくなるとは思っていなかったのでは、と感じています。

 イスラム教と言えば、偶像崇拝を否定し、かつて多くの仏教遺跡をことごとく破壊したり、壁画を塗りつぶして行った光景が蘇りますが、何世紀も昔の心理と現在の彼らの心理は今も変わらないのでしょうか。シルクロードでその光景を目の当たりにし、イスラム教徒の強い信念とパワーに驚かされましたが、そのパワーは、海を越えることなくシルクロードの終着点である日本には届きませんでした。そのこともあってか、日本でのイスラム教やイスラム社会に対する意識は、かなり希薄なようにも思います。

 その点で言えば、デンマークは、イスラム諸国からの多くの移民や難民を抱え(正確ではありませんが約7万5千人)、この国の永住権を得たモスリムたちとの交流もしています。個人的なつながりがなくても、学校に行けばクラスメートにモスリムは 必ずいるし、町へ出れば、モスリムの経営する生鮮食品店で買い物もします。また食 文化としてはシャワラマと呼ばれる彼らの作るケバブサンドを好んで食べます。今やデンマークのファーストフードのひとつとして、欠かせないものとして、定着しているとさえ感じています。モスリムを毛嫌いしている国民が、そんなふうに彼らを受けいれるでしょうか。考えてみればすぐにわかることです。

 イラストの件で、国に対して訴えられても、デンマークという国は、新聞社のしたことは違法ではないし、政府の関わることではないと、はっきりと拒否していることが、またイスラム諸国からの反発を買っています。政府は訴えたいなら、新聞社を直接訴えなさいとし、実際そのようにしたようですが、もちろん裁判所の相手にもされず、この国で、イラストの掲載行為を罰することはどうにもできないと言う事実を、彼らは受け入れることができないようです。

 異文化には異文化のやり方がある。自分たちの文化を大切にし、踏襲することと、異文化の中で暮らしながら、自分たちの文化を強要することは全く意味が違うということが、彼らには理解できないようです。それでも、全てのイスラム教徒が同じような意見を持っているのではなく、デンマークに在住するごく一部のイスラム教徒が、イスラム諸国へこのイラストを憎しみとともに紹介したことから、問題が大きくなっており、多くの在住イスラム教徒は、「郷に入れば郷に従え」の精神を理解しています。この国の中で新しく組織しているモダンなモスリムたちは、デンマーク流を受け入れ、こうしたことはデンマークでは許されることなのだと、割り切って理解しています。

 夫が言うには、デンマークの国民全てがイスラム諸国を憎んでいると受け取られていることや、そもそも12枚だったイラストに、もっとひどいProphet Mohammedのイラストを追加して、それも Jyllands-Postenがしたことかのように(これらのような イラストが掲載されたとしている)、不正確な情報を流していることに、憤りを禁じ 得ないようです。もっとひどいそのイラストを誰が付け足したのか、そのイラストを 入手した Ekstra Bladetという別の新聞社は、イスラム教グループのスポークスマンに、そのイラストをデンマーク人から受け取ったというモスリムに対してインタビューを申し込みましたが、それが誰であるなど一切の回答を拒否されました。こうなれば、同じ土壌で話ができるとは考えにくく、デンマークの国民感情が、どうぞどうぞなんでもボイコットすればいいじゃない、と開き直りたくなる気持ちも分かります。

 そのひどいイラストはProphet Mohammedが豚の鼻をつけていたり、他のモスリムが犬にレイプされているというようなイラストで、いくらなんでもそんなイラストがJyllands-Postenに掲載されたわけではないのです。ですが、それがいっしょくたになって、イスラム諸国では「これこそがデンマーク全国民の我々に対する通常の態度だ」としているのですから、嘆かわしく困ったものです。また、Jyllands-Postenは新聞社としての謝罪は既にしているのです。掲載したことに対してではなく、掲載したものによって、不快に感じられたこと、感情を逆撫でしたことに対しての謝罪はしています。でも言論の自由という意味で、Prophet Mohammedのイラストを掲載したことが間違いであったとは認めていません。そのあたりで、イスラム諸国では、この国のルールでは罰せられないのなら、自分たちがデンマークをボイコットするしかないということになっているようです。

 大きな波紋がイスラム諸国で広がる中、特にサウジアラビアでのデンマーク不人気が大々的になっているようなのですが、なんだかサウジアラビアが、国民の不満の矛先をデンマークに向けようとしているだけなんじゃないのと、言う人もあるくらいです。またパキスタンでは、Jamaat-e-Islamiという政党が、12人の漫画家のうち、1人を殺せば50000kr(約100万円)の報奨金を出す、と公表したそうですが、パキスタン政府がそれを認める訳はなく、政府からの追究に対して、そうした公表はしていないと、態度を変えているようです。この政党は、在パキスタンのデンマーク人全てを追放するとして、外交官までも追い出す勢いだったようですが、デンマークの外交官はそうした脅しにも屈することなく、またパキスタン政府がこれを阻止しています。少なくとも当分の間、デンマーク人はイスラム諸国への渡航はやめた方がいいようです。

 でも、デンマーク人も頑固ですから、ボイコットされるからといって、自分たちの主張を曲げたりはしません。また、そこを曲げてしまって、政府がボイコットを恐れて謝罪したとすれば、言論の自由が根本から崩れ、それこそ経済的テロに屈服することになるとして、政府は、政府が謝罪する理由はないとして今後も謝罪しないつもりです。実際ボイコットの被害業者からは謝罪するようにという要望も出されたようですが、きっぱりと経済的テロには屈しないとしたようです。ただ、関連業者にとっては深刻な問題であり、今後の動向が見守られています。

 それを受けて、イスラム諸国では国連に異議申し立て、非道極まりないデンマークに罰を与えるよう要求するそうです。こうした、ため息しか出ない、話し合いにならない話が、デンマークとイスラム諸国の間で起こっているのですが(精神的な戦争状態です)、最初は乳製品を買わない、って話程度に受け取っていたのですが、だんだんエスカレートして、ほとんど何でもかんでもとにかくデンマークと名のつくものは全て買わないそうで、中にはそれってドイツ製じゃないの?なんて製品も入っていたり、乳製品だと言うだけでニュージランドからの製品までもボイコットしているようで、とばっちりを食う業者もあるようです。デンマークの代表選手、レゴやノボの製品も買わないとか。子どもの夢を奪って、糖尿病の患者から薬を奪うことになっても、また罪のない人間までも憎むだけ憎んで、イスラムの人々は幸せなのでしょうか。

 イスラムの人々にとって、デンマークの自由を主張する態度は、信じられないことで、また許しがたいことなのでしょうが、そもそも国連が関与するほどの問題だったのかどうか、12枚のイラストを巡って、イスラム社会の怒りが煮えたぎっていることは確かなようです。両者の歩み寄りが望めない今、ここは大人の国デンマークから、頑固さを解きほどいて、謝罪という形でなくても、言論の自由の中にも宗教的配慮を今後は試みるなど、提示してもいいのかな、と言う気もしますが、それでは言論の自由が保障されないことになる、とやっぱり頑なです。ダナボーが焼かれる映像が流れる中で、争いごとの中にいるのは、私のような外国人であっても心地よくありません。二つの異文化がぶつかり合う中で、どう歩み寄れるのでしょうか。

 今、このレポートを書いている間にも、ニュースが入ってきましたが、今日(30 日)、デンマークのイスラム諸国の在外大使が一同に集まり、この問題にどう対処するか会議を持っています。その中で、すでにリビアは大使館を閉鎖し、シリア、サウジアラビアが大使を本国へ呼び戻し、この問題への対応を協議すること決めました。
 エジプトの女性大使は閉鎖など望んでいない口ぶりではあるのですが、本国への帰国は余儀なくされるのではないか、としています。ニュースを読み上げる女性アナウンサーの表情には哀しみが感じられ、どうしてここまで大きな問題になってしまったのかと、私も哀しいです。

 移住して来ているほとんどのモスリムたちが、デンマーク式を受け入れていることからしても、イスラム諸国の人々が、より多く留学経験や異文化体験をするようになったり、また在外のモスリムたちが、今回のような問題を解決する糸口をもって祖国と接し、国際理解が深まることを願いたいものです。そしてそれは、モスリムにだけ言えることではなく、異文化理解に関しては、国際社会全体の課題でもあると思います。

 今回のことがきっかけで、デンマークではさらなる締め付けや、外国人に対する風当たりが強くならないことを切に祈って、また、新たなテロ行為を触発させたり、その標的にならないように、イスラムの人々の心の平和を願ってやみません。

■ 『平らな国デンマーク/子育ての現場から』 第36回

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 天気予報が的中し、昨夜から降り続いた雪で車も真っ白。朝から汗だくになって雪掻きをして車を出し、息子を学校に送って行きました。いまも津々と雪は降り続き、せっかく雪掻きしたところもすっかり覆われて、ため息がでてしまいますが、日本の東北地方の豪雪を思うと、へのカッパというところでしょうか。

 年初からあまり楽しくない話題ばかり続けて恐縮ですが、前回レポートした件が、やはり大きな波紋となって今やヨーロッパとイスラム諸国の問題として発展しているので、日々入ってくる情報を全てお伝えする訳にはまいりませんが、日本で報道されていない部分を中心にできるだけ忠実に、またこちらでの一般的なムスリムとの関わりなどを書いてみたいと思います。

 まず、5日、レバノンのデンマーク大使館に放火があった日、コペンハーゲンで外務省主催の各国メディアを招いたプレスミーティングがあったのですが、その中でのデンマークの外相 Per Stig Moller氏の声明をその要約にはなりますが、できるだけ忠実にお伝えしたいと思います。先にお断りしなければならないのは、これはあくまでも外務省の立場としてシリアとレバノンのデンマーク大使館が放火されたことを受けての声明ですので(大使館は在国側の責任で保護されるべきという観点)、イラストに関する直接のコメントなどはありません。レバノン政府は遺憾の意を表したものの、シリアでは警察が市民の行動を阻止せず、傍観していたことにヨーロッパ諸国は抗議しています。

Per Stig Moller外相の声明
 急速に中東諸国に広がった暴力と攻撃の波を見て、脅威を感じています。EU諸国の代表者たちもまた、中東地域に住むヨーロッパ市民や所有物などに対する暴力の増大と激しい憎悪を非難しています。我々の外交上の努力の本質は地中海を広げる(隔たりを大きくする)ことではなく、政治的にまた文化や経済面での橋を築き上げて行くことにあります。地中海を渡るために必要なのは、敵対することではなく友人として協力することです。大変遺憾ながら、間違った情報と誤解から、両サイド(ヨーロッパ諸国とイスラム諸国)において、対立を助長する勢力が促進されてしまいました。大変重要で私が強く主張したいのは、デンマークではコーランを焼いた、というような事実は一切ないということです。そのような不快感極まる行為はデンマーク政府によって強く非難されるでしょう。デンマーク警察は、コーランを焼くことは有罪であり、刑務所行きは確実だと明言しています。関係する全ての間違った情報に対する拒絶反応を一掃することが重要です。もしこの波紋が広がることをただ容認していけば、それは火に油を注ぐだけです。私が堅く信じる唯一の方法論は、ダイアログ(対話)を主眼とすることです。意見交換をし対話することこそが、洞察力を磨き相互理解へと私たちを導くでしょう。

 この声明からもわかるように、大きな誤解がイラストとともに流れて行った、という事実があり、コーランを焼いた、などという噂を耳にすれば、イスラム教徒が激怒することは目に見えています。

 このミーティングの最中、質疑応答の中で外相も言及していましたが、デンマークで暮らす多くの人が一番疑問に思っていることは、イラストの掲載は、9月30日で、その後、国内論議が活発な時期もありましたが、11月末頃にはすでにあまり語られなくなり、多少のくすぶりはもちろんあったのですが、年内にほぼこの件は沈静化したものと、思っていたことでした。そしてそれは、デンマーク側だけの印象ではなく、実は中東諸国の政府筋からも、すでに終わっている問題だと思っていたのに(昨年の段階でイラストの掲載があったという事実は知っていた)、急に大きな問題として逆浮上して来たことに驚いている、ということでした。ここ10日ほどの間に、みるみるうちにボイコット運動が広がり、私が前回のレポートを書いた時点ではボイコット運動どまりでしたが、2日にフランスやドイツをはじめとしたヨーロッパの他の国々が、Jyllands-Posten が掲載したのと全く同じ12枚のイラストを掲載し(一部のみ掲載の国もあります)、「言論の自由」の立場からデンマークを擁護したことなどから、問題はヨーロッパ諸国(全てではありません)とイスラム諸国の問題として捉えられるようになり、その時点からユーロニュースなどでも時間を割いて報道するようになりました。フランスの新聞では12枚にさらに追加して彼らのユーモアを含めたイラストも掲載したこともあり、双方がエスカレートした状態になり、イスラム教徒のさらなる反感を買い、4日にはダマスカスのデンマーク大使館放火、そして5日にはレバノンのデンマーク大使館放火へと続いていることは、日本でも3日あたりから主要なニュースソースで報道され始めたようなので、みなさんご存知の通りです。

 他のヨーロッパ諸国が擁護し始めたとき、外相の声明にもあったように「火に油を注ぐ」ことにはならないだろうか、と心配したのですが、まさに現実となり、哀しいことです。日本のみなさんにしてみても、反感を買うことがわかっていて、なぜそんなことを繰り返しするんだ、と言うことになるでしょう。しかし、すでにオランダの映画監督が映画でイスラム社会を表現したことで殺されている、という事実がこうした動きに内在する意識として、言論の自由を主張するヨーロッパ諸国のジャーナリストにはあったようです。

 デンマークでは、連日報道されるただならぬ騒ぎに、子どもたちもおびえ始め、私たちも、息子に余計な先入観を与えぬように努めているところです。息子には何人かのムスリムの友人もいますし、夫のステップファーザーの娘(夫にとっては青少年期を一緒に暮らした義兄弟)のひとりはムスリムと結婚してデンマークで暮らしています。彼らには3人の子どもがあり、彼らがどんな思いでこの連日の報道を見ているかと思うと、悲痛な思いにかられます。

 4日のダマスカスでのデンマーク大使館放火を受けて、テレビも特別番組を組み、在デンマークのムスリムの見解もスタジオでインタビューしていましたが(スタジオに来ていたのは友好的なムスリムであり、Jyllands-Posten が謝罪した今も、まだ許すことができないと思っているムスリムももちろんいます)、こんな事態にまで発展したことを哀しく思っている様子が伝わってきました。彼らは、イラストがムスリムの心を傷つけてしまったことは残念だか、せっかくデンマークで築き上げて来たモスリムへの信頼が崩れ、また信頼を回復するには相当の年月を要するであろうことを苦慮していました。また、彼らが、この国で受けた教育に感謝し、そのおかげで仕事ができることにも感謝している様子もうかがえました。

 デンマークのラスムセン首相も、ここ数日のインタビューのなかで「デンマークには、ムスリムの人々とともに歩んで来た伝統がある」と語っていましたが、まさにそのとおりで、彼らにとっても長い月日をかけて築き上げた来たものが、イラストをきっかけにこうした事態におよんだことを深く悲しんでいます。

 5日のレバノンでの放火を受けて、ヨーロッパ各地に在住するムスリムのインタビューも流れていましたが、一様に今回の事態を悲しみ、また自分たちは言論には言論で対抗したく、イラストには不快感を覚えるが、決して全てのムスリムが、こうした暴力的行為に走るのではないことを世界中の人々に知ってもらいたい、と訴えていました。彼らにとっても、大使館を放火する映像や、その他暴力的な映像ばかりがデンマークに対する抗議行動として流れることに、それが全てではないと哀しい目で語っていました。2日のヨーロッパの他の国のメディアのインタビューの中には、イタリアの新聞社の編集者が出ていましたが、彼はモスリムでありながら、今回のイラストは言論の自由を守る立場から、掲載してメディアの権利を主張したいと言っていました。

 しかしながら、何度も掲載されることはこちらに住む外国人としてはあまり気持ちのいいものではありません。日本でも一部のメディアで一番最悪のイラストだけをとりあげて「テロリストに見立てた風刺漫画」とされていましたが(それが火種になったのでたとえ12枚全てがテロリストを彷彿させるものではなくても、反論の余地がないことはわかっていますが、「テロリストに見立てた風刺漫画」とう表現はかなりニュアンスが違うことも確かです)、こうして公開することも、「どんなイラストなのか視聴者が見たいだろうから」ということであっても、報道してしまえば、それはムスリムには禁じられている行為をすることと同じことになるのでは、と思います。

 デンマークが前代未聞の国際問題の火種になってしまい、連日重苦しい空気に包まれています。それは、デンマークに住む多くの人が多少なりとも、ムスリムとの交流をもって生活している、ということもあると思います。私個人としても、先にも書いたように息子の友人や、夫の家族(血縁関係はありませんが、夫にとっては広い意味での家族)、私のアーティストの友人にもレバノン出身のアーティストがいます。彼とはいっしょに展覧会をしたこともあり、彼の呼びかけで、911の直後、アーティストによる「非戦」を訴えるメッセージを送る展覧会に参加したこともあります。

 5日、プレスコンファレンスが行われている頃、コンゲンスニュートーというコペンハーゲンの中心にある広場で( Jyllands-Postenの支所前)約700人の市民がデモをしました。このデモは、双方の感情的な行動を自粛するように促すもので、デンマーク人だけでなく、在住のムスリムもたくさん参加していました。デンマークではこのことがきっかけになってアンチムスリムだとか、逆ボイコットなどの行為に走らないよう、またムスリムに対しては暴力行為に対する抗議のデモでした。

 先に、多くの人が多少なりともムスリムと交流している、と書きましたが、もちろん誰でもかれでも仲良くしているムスリムがいる、と言う意味ではありません。しかしながら、親しくはなくても、習慣として多くの人が集まる場には必ずムスリムの人たちもいるので、そうした人たちへの配慮を自然にしている人が多い、と言う意味です。もちろん、差別意識が全く存在しないわけではありませんが、それはどんな国でもどんな社会でも多かれ少なかれ存在するものと思っています。また、外国人としてよその国で暮らしていれば、そうした場に遭遇しても、ある程度は仕方のないこととして受け止めています。もちろん私が受けるそれと、ムスリムの人たちが受けるそれが同じであるとは思っていませんが

 公的機関でも、彼らの宗教的習慣を尊重する基本的な態度が、デンマークでは根付いている、と思っています。この国へ来てまだ間もない頃、出産のために入院した国立の病院では、宗教上の理由などから、何を食べることができないか、まず聞いてくれ、食事に対するケアーもしてくれましたし、病室も、できるだけ近しい国の患者同士が同室になれるように、配慮してくれていました。入院という普段より精神的に弱い状態にある時に、自分の言葉で気軽に話せる人が同室になることの安心感からしていることで、決して差別などではありません。

 私も、出産の前に入院した際に、最初は他3人がデンマーク人の4人部屋の病室だったのですが、看護師が、私がまだデンマーク語を話せないことに配慮して、中国人とのふたり部屋に移してくれ(前もって私の意向を聞いてから)、その中国からきた女性とすぐに打ち解けて(同じようにデンマーク人の夫を持ち、妊娠している)入院生活に不安を感じることなく過ごすことが出来ました。もちろん日本語は通じませんが、英語で遠慮なく話せることは大きなことでした。

 幼稚園や学校でも、みながいっしょに食事をする機会などがある場合、決して豚肉料理は出しませんし、子どもたちが大好きなソーセージでも、鶏肉などが素材のものしか出しません。持ち寄りのパーティーなどでも、保護者たちも豚肉料理を携えてくることはまずありません。また、ムスリムの子どもたちもおりこうさんで、並べられている料理を見ていきなりつつき始めるのではなく、作った人に「これは何が入っているの?」と必ず聞いてからしか手を出しません。なにも考えずに突進するデンマークの子どもたちに比べれば、ほんとにお行儀がいいです。

 私もこれまでに何度か息子の誕生日会を自宅でしていますが、そうした時にも必ずムスリムのクラスメートがいるので、同じように鶏肉のソーセージにしたり、その他豚肉を使うものは決して出しません。こうしたことは彼らの宗教に対する当たり前の配慮であり、デンマークのごく一般的なこうした場面で、ごく自然にしていることです。外国人を含めてデンマークで生活をしている人々のもはや常識として、それは根付いていると思います。

 またクリスマス前のいろいろな行事でも、参加するかしないか、事前に全員に聞いてくれます。教会に行ってお話を聞いたり、クリスマスにまつわる観劇に出かけることもあるので、宗教上の理由で行きたくない場合には、もちろん幼稚園で、他の保護師が他の子どもたちが出かけている間ケアーしてくれるなど、そうした配慮ももちろんしています。今、息子が通っている学校でも、キリスト教の授業は強制ではありません。

 今回のことで、デンマークでは異文化を拒否しているように受け取られた方もあるようですが、デンマークの文化背景であっても、彼らの宗教的習慣などを受け入れている部分もちゃんとあるのです。また、デンマークでは、国会議員179名のなかにも3名のムスリムがいます。その中のお一人が、テレビのインタビューでもやはり、同じように今回のことで、「イスラム教徒全体に対する悪いイメージが 定着しないように願っている」とコメントしており、さらにはこの問題を悪化させた大きな要因をつくったムスリムグループに対して、訂正のコメントをイスラム諸国のメディアに発信すべきだとも言っていました。たった3人、と言われてしまえばそれまでですが、私はムスリムの国会議員が存在していることに、この国の許容力と平らな国ならではの等しい目線を感じています。

 ボタンの掛け違いがあったことは事実ですが、デンマーク人は言いたいことを心に閉じ込めてしまわないために言論の自由をより強調します。そこには、お互いのバックグラウンドを理解する精神がもちろん必要なことであり、その意味でムスリムの人々の気持ちを傷つけたことは、由々しき問題ですが、暴力に訴えることが解決に繋がらないことは、周知の事実です。

 スピルバーグ監督の「ミュンヘン」がちょうど公開されたようですが、平和の祭典冬季オリンピックトリノ大会が、平穏に開催され、どの国の参加者も競技の上でいい闘いができることを祈っています。デンマークって、カーリング以外はどの競技もいまいちなんですけどね。

■ 『平らな国デンマーク/子育ての現場から』第37回より 転載

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高田ケラー有子さんの個人サイトは、http://www.yukotakada.com/ 著書『平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜』(NHK出版生活人新書)の紹介は、http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881534/jmm05-22 に。 (JMM [Japan Mail Media] http://ryumurakami.jmm.co.jp/ No.360、No.361 Extra-Editionより転載。)

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