税金を安くすることが弱者にやさしくすることではない。むしろ逆です。
税金で入ってくるお金が少ないと福祉にまわせるお金も少なくなります。金持ちだけが高い民間の保険に入って、いざという時に備える。
テレビのコマーシャルを見てください。
日本がそうなりました。
厚生労働大臣として、経済財政諮問会議と議論して気が付いたことです。
医療費についても、経済財政諮問会議は「上がるのは一向にかまわない。公費さえ上がらなければいい」と言いました。要するに本人負担分を上げろと言ったのです。
それは、金持ちだけが良い医療を受けられればいい、人の命にまで格差をつけると言っているのと同じことです。
そんなことは絶対に許せません。
経済財政諮問会議は、「規制緩和」「官から民へ」「国から地方へ」と調子よく並べたてて、アメリカ型弱肉強食社会をつくろうとしています。そうなると最後に泣くのは、ひとりひとりの「民」であり、「地方」です。熱狂的に支持した人が最後に泣かされたヒットラーの例になってはいけないと本気で心配します。
このままでは社会保障は冬の時代を迎えます。
心配なのは、医療と介護と福祉です。
税金は少々高くていい。
その分、弱者にやさしい国にしたい・・・
そう思っています。
経済財政諮問会議とは:
内閣総理大臣のリーダーシップを十全に発揮することを目的として、内閣府に設置された総理に対する諮問会議。いわば総理大臣の知恵袋。小泉内閣のときは、ほとんどすべての政府の方針を決めていたと言っても言い過ぎではありません。それも、民間議員(財界関係者と学者)が主導していました。私が、「国会決議に反する」と言ったら、「無視すれば良い」と言い放った民間議員もいました。(略)
私は、愛国主義者です。そして、意外だと思われるかもしれませんが、日本型社会主義者だと思っています。
私たちは日本型社会主義を実にうまくつくりあげ、みんなで助け合いながら仲良くやっていこうとしたのに、なぜアメリカの都合で変えなければならないのでしょうか。グローバルスタンダード(世界基準)の名のもとに、アメリカンスタンダード(アメリカ基準)を押し付けられても迷惑です。
規制改革だ、規制改革だというのも、大半はアメリカの都合を言っているだけです。
日本の文化は、農耕文化です。
その農耕作業の代表的なものが田植えだと思います。
今日はここの田植えだというと皆で手伝って、翌日は隣の田植えを皆で手伝う、これがまさに田植えです。私たちはこの文化でやってきました。
もっと言いますと、田植えは横に縄を引いて、皆でそれに合わせて植えていく、私はうまいんだからと、一人が先に植えていったのでは田植えになりません。横を見て皆列を崩さず、上手い人も下手な人も、男性も女性も、大人も子供も同じスピードで植えていく、それが私たちの文化だと思っています。(略)
私は、自由主義者ではあるけれども、新自由主義者ではありません。
自由主義については述べる必要はないと思います。
新自由主義者とは何か。
私は厚生労働大臣として、経済財政諮問会議と徹底して戦いました。その戦った相手全部が新自由主義者です。要するに、勝てば正義だという文化の持ち主です。
われわれ日本は、勝てば正義という文化ではない。
正義が勝たなければならないのが我々の文化です。
まったく異質の文化を引っさげているのが、彼らです。競争をして勝てばいい、勝ち負けはお客が決めるという市場原理に、私はくみしません。
規制改革とは弱肉強食です。ひとつ例を申し上げます。
規制改革によって、バス会社は簡単につくれるようになりました。その途端、全国のバス会社の数は1.5倍に増えました。そして、経済財政諮問会議の人たちが言うように市場原理に任せ、値下げ競争をした結果、売り上げはガターっと落ちたのです。
それだけではありません。
大阪府吹田市で起こった、運転手の過労運転によるスキーバス事故では27人が死傷しました。重大事故は倍近く増えています。これが規制改革の実態です。
運賃と安全管理をハカリにかけて、どんな会社のバスや飛行機を選ぶのか、全て「自己責任」でいいのでしょうか。
新幹線のホームに立ってみてください。「間もなく発車しますから、お見送りの方は電車をおりてください」というアナウンスまでしてくれます。
「発車時刻になれば電車は出発する。自分で時計を見ておけ」という文化とは異なることに気付きます。
日本には、車検があります。街を走っていい車かどうか、きちんと事前にチェックされています。「どんな車にでも自分の責任で乗りなさい。そのかわりブレーキの効かない車で事故でも起こそうものなら全財産なくなりますよ」という文化ではありません。
自己責任・事後チェックという新自由主義は、日本の文化にはなじまないのです。
特に社会保障はそうです。
規制改革会議は、混合診療の議論の時、医療も事後チェックでいいんだと言いました。人が亡くなったあとで「やっぱり間違っていた」と言っても遅すぎます。
私は自由主義者ではあるが、新自由主義者では絶対にない。
経済財政諮問会議と議論するときには「私は、誇り高き抵抗勢力である」と秘かに思っていました。(略)
2007年度予算の一般会計総額は、約82兆円です。
一般会計には、地方交付税や国債費が含まれています。それらを差し引いたものが一般歳出と呼ばれ、正味で国が使っているお金は約47兆円です。このうち、社会保障費は約20兆円。一般歳出の45%に当たります。
特別会計を含めると約72兆円。給付総額にして85兆円です。
社会保障費が大きな割合を占めていることがご理解いただけると思います。
今後も高齢化はすすみますから社会保障費は増え続けます。
厚生労働大臣のとき、経済財政諮問会議に社会保障費を総額抑制すべきと注文をつけられました。私は、社会保障費は必要な額を積み上げていくべきだと主張しました。経済財政諮問会議は、国民負担が高まると経済の活力が失われると言いましたが、それでは国民負担率70%のスウェーデンはどうなのでしょう。経済的にも極めて活力ある国です。
私は日本を国民負担率50%の国としていきたいと考えます。
社会保障費は増え続けます。
多くの方にご負担いただかなくてはなりません。
それには、薄く広く課税できる消費税を上げるしかありません。そうしなければ、もはや日本の社会保障は持たなくなると危機感を抱いています。
私が初当選した年は消費税を導入した年で「子供からも所得の低い人からも税金をとるのか」と大変な逆風でした。今では、消費税にかなりご理解をいただいていると思っています。
しかし、税率を上げるとなれば、自分の懐が痛むわけですから、皆いやなものです。
それでもお願いするしかありません。
消費税をただ上げるのではなく、上げた分は福祉に使う目的税にすべきです。(略)
日本の平均寿命は80歳になり、今の年金や高齢者医療の仕組みをつくったときから10年以上長生きするようになりました。
少なくとも、10年長く働ける社会にすべきです。
65歳と言わず、70歳でも80歳でも働いていただきたい。そして税金を納めていただきたい。生涯現役がなによりです。
そうすれば社会保障費も抑えられます。
国民も幸せ、国も助かる。一挙両得です。
国民皆保険、皆年金は絶対守らなければなりません。
日本では国民みんなが保険証を持っていますが、米国では保険証を持っていない人が4500万人もいます。
私が厚生労働大臣のとき、経済財政諮問会議の人たちは、私にずいぶんいろいろなことを言って責めてきました。
保険免責制を提案してきたこともあります。
保険免責制は、外来診療にかかる医療費の一定額を患者の自己負担とするものです。つまり、2000円なら2000円で線を引いて、そこまでは保険がきかないようにする仕組みです。
たとえば、3000円の医療費の場合、通常3割負担ですから本人の負担は900円ですが、2000円の保険免責制が創設されれば、2000円+(1000円×30%)で、2300円になります。
要するに、足りようが足りまいが、頭から医療費をけずれと言いましたので、私は絶対にやらんと言いました。「あなたたちはお金がないから国民の皆さんに死んでくれと言うのか」とまで言いました。
当時、経済財政諮問会議に反対することは非国民と呼ばれることでした。私ひとりが被告席に座らされているようなものでした。今ですから正直に言いますと、いつもポケットに辞表を入れておりました。
年金もまた、日本の優れた制度のひとつです。もちろん、少子高齢化で、制度の手直しは必要ですが、若い世代が自分の親の世代を助ける。日本の文化だと思っています。
助け合いです。
国民皆保険、国民皆年金は守り抜く覚悟です。
以上、いろいろ勝手を申し上げました。反論もおありかと思います。ぜひ、お聞かせください。
(『私は虫になる〜おつじ秀久が本音を語る〜』より)