グラフをまず、ご覧ください。OECDヘルスデータをもとに描いてみた人口1000人あたりの精神科ベッド数の40年の変化です。
他の国々のベッドが急激に減っていった時期に日本だけ増えています。加盟国すべてをグラフ化しても傾向はそっくり同じです。
この事実を厚生省は長年、"秘密"にしてきました。同省の『我が国の精神保健福祉』の国際比較グラフは毎年77年でプツンと途切れ、おまけに日本は省かれているのです。
日本だけが世界の流れから大きくとり残されてしまった、その理由ははっきりしています。
先進諸国が地域中心へと政策転換に踏み切った時期、海外情勢にうとい日本政府は病院を増やさなければ、という考えにとりつかれました。
ただし、土地や建物、人手にかける予算は極力倹約したい。そこで、安上がりの「民活」を思いつきました。
「医師は他の診療科の3分の1、看護職員は3分の2で結構です。山奥に建ててもかまいません。低利融資いたしましょう」。
故武見太郎日本医師会長が「牧畜業者」と名づけた志の低い病院経営者群が参入し、日本の精神医療を支配するようになりました。
次期改正では、国際的に通用する、他科より手厚い病院スタッフの基準を定めるとともに、きめこまかな地域福祉施策を自治体に義務づけるべきです。
「居場所」と呼ばれる憩いの場、訪問看護、ケアつき住宅……お手本はヨーロッパやカナダ、オーストラリア、それだけではなく日本の各地にヤマほどあるのです。
1970年の寒い冬の日、私は酔った相棒と東京の平均的な精神病院を訪れました。あっという間に診断がつき、院長は「入院、保護室!」
と屈強な男性に命じました。追いかけようとした私に職員は叫びました。「ここから先は家族の方はご遠慮ください!」
有名大学出身の精神科医が院長や顧問をつとめ、格式ある看護学校の実習病院、けっして「一部の悪徳病院」ではないのに、
そこはひとことでいえば「人間捨て場」でした。
貧しい治療内容、いつ退院できるの教えてもらえない恐怖については、『ルポ・精神病棟』(朝日新聞社)をお読みいただくとして、ここでは法改正にからんで2つのことを指摘しておきたいと思います。
ひとつは当時の同意入院、現在の医療保護入院の恐ろしさです。この「入院」は家族である私の同意によるものでした。私が心変わりして退院を申し出なかったら、大熊一夫はいまも病院の鉄格子の中かもしれません。
もうひとつは、精神病質という病名のいいかげんさです。彼には、慢性アルコール中毒・精神病質という診断名がつけられていました。
病棟には、「家族のやっかいもの」が、精神病質という病名で何人も長期入院させられていました。人格障害と名を変えても事情は同じです。
病院とは治療をする場です。病気でもない人を「収容」したりすれば、スタッフの精神的堕落が始まります。
池田小事件をきっかけに厚生労働省がつくった「精神障害者の保健・医療・福祉の総合的な推進計画について」には「精神病院の自主的な情報公開を促す」とあります。自民党案にはなかった「自主的」という言葉が挿入されたのです。
「自主的」という言葉は、「ダイヤモンドプラン」と名づけた自民党案にも与党案にもありませんでした。厚生労働省案になってにわかに挿入されたのです。
厚生労働省は、なぜ、この言葉を加えたのでしょうか。閉鎖病棟と強制入院があるのは精神科病棟とごく一部の感染症病棟だけです。精神科には他科に先だって情報公開を義務づける必要があります。
保健所の医療監視や精神衛生福祉法にもとづく実地指導の結果も公開されて当然です。情報公開は精神科医療の質の向上には不可欠です。
「自主的」という言葉をわざわざ入れることでトクをするのは志の低い病院です。被害を受けるのは患者です。ユーザー側より提供者側に立つことで数々の失敗を重ねてきた厚生行政。
次期法改正でも、またまたその轍を踏むのでしょうか?
大熊由紀子[大阪大学大学院教授(ソーシャルサービス論)・前朝日新聞論説委員]
星和書店刊「精神保健福祉法〜その理念と実務〜」2002,151−153