ローマから南西へ1時間ほどティレニア海を飛ぶとサルデーニァ島にぶつかる。四国よりちょっと大きくて人口約150万。エメラルド色の海岸に縁取られたこの島は世界有数の高級別荘地である。ただ、観光以外にこれといった大きな産業はない。
今も、遅れた南イタリアの仲間で、「マフィアのような犯罪組織のないことだけが取り柄」などといわれてきた。
この遅れているはずの島(州)に、イタリア最新鋭の精神保健センターが誕生した。
2007年5月21日が落成式と聞いて、ローマから駆けつけた。
州都カリアリは、市部の人口が約15万、周辺部もふくめた県で約55万。精神保健センターは、市の中心部にあるヴィラ・クララと呼ばれる丘にあった。正式には「ヴィラ・クララの大修道士聖アントニオ」と呼ばれる丘だそうで、大昔は修道院があったと推測できる。
ここに、1998年3月18日までは1400人も収容するマニコミオがあった。今は公園造成の真っ最中で、再利用できそうな若干の建物を残して取り壊されてしまった。そんなゴミゴミした景観の中で、私の目指す精神保健センターだけが、できたてのほやほやという感じで輝いていた。
写真のようてレンガ造りの二階家、かつては『バラの棟』という名前がついた女性慢性患者病棟だった。
これを235万ユーロ(約3億2100万円)かけて増改築した。半地下式の隔離部屋への階段もコンクリートで埋められた。収容所臭さなどみじんも残っていない。
バラ色に化粧された建物外壁。玄関を入ると広い廊下、高い天井、白にちょっとブルーの入った壁。オレンジとブルーを大胆にあしらった利用者のための静養室。藍色を基調にしたシャワー・トイレ、システムキッチン。
この同じ場所に、つい10数年前まで『紐で手足を縛られた患者の群れ』や『扉のないトイレ』や『兵舎のような寝室』があったなんて、嘘みたいだ。
広い芝生の庭、さらさらと心地よい音をたてるユーカリの巨木、眼下に広がるカリアリの街……こんな超高級別荘のたたずまいが、『24時間オープン』の最新精神保健センターなのである。
日本のうらぶれた精神病棟とは何たる違いだ。それを思うと無性に腹が立ってくる。
いまイタリア全土には700か所ほどの精神保健センターがあるが、24時間オープンとなると、50か所にも届かない。6回にわたって紹介したローマも、精神保健センターの開業時間は12時間で、家族会からひどいブーイングを浴びていた。
カリアリ県55万人の健康を預かる地域療保健サービス公社『ASL―8カリアリ』の精神保健局長で精神科医のジョヴァンナ・デルジュディチェに、24時間オープンへのこだわりを聞いた。
「24時間オープンとは、精神病に関する市民の悩み全てに対して、365日いつなんどきでも応えられる態勢をとっている、ということです。ベッドを4つ用意してあります。もちろん外から鍵をかけたりしません。危機的状況にある人には、いつでも使ってもらえます。とりあえず、家族から一定の距離を置くことができますから、家族の負担を軽くすることにもなります。本人がここへ来ることが難しい家庭には、こちらから出かけても行きますよ」
精神病院に代わる拠点だから、精神科診療の備えは当然として、ほかに、拘禁・拘束のないベッド、家庭料理を作れる台所、楽しげな団欒のサロン、そしてリハビリにつながるいろいろな活動のための工房が用意されている。「なんでも相談」の窓口もある。電話相談も受ける。市民に親しみやすさを感じてもらえるような、そして、ここに来た人々が心地よくなるような、そんな造りにしたのだという。
「人間は複雑な関係性の中で生きています。だから私たちも、利用者の生活上の複雑さに正面から向き合って解決の道を見つける。病気の兆候を観察するのではなくて、病気の背後の人間関係だの、労働環境だの、住環境だのを理解して対処する。それが精神保健センターです。こんなことは病院ではできません」
精神保健センターは「美しい公園の中にあります、だれでも気軽にどうぞ」と言えるようにしたいのだと、ジョヴァンナは熱っぽく語る。
旧マニコミオの50fの広大な敷地の大半は市に移管されており、近い将来市民公園になる。公園の真ん中をバスが通り、映画、演劇、音楽を楽しめる文化地区にする構想も進んでいる。すでに、社会的に不利な立場の人々の就労生活協同組合(利用者が労働参加する生協)が結成され、膨大な量のごみの廃棄作業を請け負っている。
これからの造園も、センターなどの建物の営繕や庭の手入れも、生協が執り行うことになる。
人口55五万の管内で、こんな24時間オープンのヘビー級精神保健センターを6カ所、軽量級の12時間オープンのものを4か所、を今後2年以内につくる。
さてセンターの落成式。
この日一番の賓客リヴィア・トゥルコ保健大臣(右の写真)のが門の前に現れると、カメラマンや記者がわっと囲んだ。私も輪の中に飛び込んで、テープレコーダーを大臣の口元につきだした。
大臣「……カリアリには、いい家族会が組織されて、いい運営があって、いい成果があがっていますね。市民参加のもとに精神保健行政が進められてきたのは、すばらしいことです。この仕事の進め方を、私は気に入っています。わが政権は、これからも精神保健の分野に力を入れていきます。予算も付けます……」
日本の厚生労働大臣も、このくらいのことを言ってほしいですねぇ。
大臣が玄関のテープにハサミをいれると、館内には、保健大臣と案内役のジョヴァンナを先頭に芋の子を洗うような見学の行列ができた。
人ごみのなかで、顔なじみのトリエステ精神保健最高責任者ペッペ・デッラックアが、長身痩躯の男性を私に紹介した。この人物こそ、不毛の島に最強型センターを出現させた立役者、サルデーニャ州知事レナート・ソルだった。彼は2004年6月の州知事選挙で、左派陣営から担がれて州政界に躍り出た。
精神保健とは無縁の人だったが、聞く耳をもっていた。その話は次号に。
写真は、木陰で談笑する利用者たちとセンター所長