精神医療福祉の部屋
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大熊一夫さん(ジャーナリスト)
2009年10月に岩波書店から出した『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』の書評や著者インタビューは15本を超えました。 ◆
イタリア精神保健改革の立役者は、精神科医フランコ・バザーリアです。
◆"病気を診る"のか"患者の人生を視る"のか
バザーリアは、マニコミオの正体を知りませんでした。バザーリアに限らず大学精神医学の教官たちは、精神病棟に幽閉された人びとに思いをはせることもなく、精神医学を講義していました。象牙の塔の関心の的は、「精神病の人々の人生」より「精神疾患そのもの」だったのです。この倫理的にみて問題含みの傾向は、半世紀たった今日でも、世界中にみられます。
マニコミオがどんなところか知りたかったバザーリアは、シーツ回収人に化けて院内をくまなく観察します。阿鼻叫喚の地獄絵を目の当たりにします。「ここは監獄だ」と気づきます。"看守"になるつもりのない彼は、"監獄"をぶち壊すか、就任を辞退するか、妻フランカ・オンガロ・バザーリアに相談します。フランカはマニコミオの収容所臭さを嫌悪する社会学者で、後にゴッフマンの世界的名著「アサイラム」のイタリア語翻訳者となります。
◆精神科医の特権を疑う
こうして1961年夏、院長になったバザーリアが、最初にオカシイと思ったのは「精神科医の特権」でした。精神科医が、患者に「自傷他害の疑い」をかけて有無を言わさず鉄格子のあちら側へ送り込んだり、強制治療したりしている限り、本当の治療関係は成立しない、と喝破したのです。
改革の手始めに、彼は、自分の考えに共鳴してくれる精神科医や臨床心理士を集めました。同志は、最後には8人ほどになりました。この人びとは後に北イタリアの都市に散って、トリエステと並行して改革を進めることになります。
しかし、マニコミオを管理するゴリツィア県当局は、院外に患者用住居をつくることに消極的でした。そこに不幸な事件が起きました。外泊した男性が妻を殴り殺したのです。「院長の思想が事件を引き起こした」という理屈で、バザーリアも被告席に引き出されました。裁判は無罪判決でしたが、彼は詰め腹を切らされ、ゴリツィアを去ります。1969年のことでした。
◆アッセンブレアが一番大事
バザーリアは、入院者を有形無形に縛っていたもの取り払いました。と同時に、ゴリツィア県政権下では許されなかった「病院の外での支えつくり」を、トリエステ県政権に認めさせました。ザネッティはバザーリアの好き放題にさせたのです。
そこで奨励されたのが患者集会でした。不満だろうが要求だろうが、とにかく思いのたけを吐き出す場。イタリア語で「アッセンブレア」と言います。バザーリアたちは、マニコミオを縮小・閉鎖するうえで一番大事な"儀式"だと考えて、ゴリツィア時代から頻繁に開きました。初めは、とりとめのない話ばかりが噴出しましたが、1年もすると格好がついてきました。集会を仕切る指導的人物が現れました。入院者たちの表現力がめきめき回復していきました。
◆24時間、365日オープン
バザーリアたちは、ある数の患者を退院させると、それに見合う職員を院外に出し、支援の拠点として外に精神保健センターをつくりました。最終的には7つのセンターができて、1978年には病院はほぼ空っぽになりました。
2001年の統計によると、イタリアに707カ所のセンターがあるのですが、そのうち「24時間、365日オープン」は50カ所。他はほぼすべて「12時間オープン、日曜祭日休み」です。閉まっている夜間や休日は、総合病院内の精神科病棟が対応しているのです。
◆キリスト教民主党とイタリア共産党が組む
もうひとつ見逃せないのは、『民主精神医学』という運動です。中心にバザーリアたちがいるのですが、政党、労組、裁判官、学者、市民などを横断的に巻き込んだ国際的大運動になりました。「精神病院はなくせるぞ」という空気を、精神保健専門家の枠を超えて根付かせたのは、この運動のおかげです。
こうして「精神病院をなくす法律」制定の苗床ができました。キリスト教民主党の後ろにバザーリア、イタリア共産党の後にアゴスティーノ・ピレッラ(ゴリツィア時代の一番の仲間)が控えていました。1978年5月、180号法がほぼ全会一致で国会を通りました。
◆精神科医を治安の責務から解放
日本に置き換えてみれば、いかにすごい法律かがわかります。日本の精神保健福祉法(昔は精神衛生法と言った)によれば、精神科医は「自傷他害の疑い」を抱けば患者を有無を言わさず鉄格子の向うに放り込むことができます。これは、治安の責任を精神科医が担っていると言えます。しかし180号法は、精神科医を治安の責務から解放したのです。
しかしバザーリア派と呼ばれる医師たちは、今でもバザーリア精神を忠実に守っています。患者とはキミボクの関係を大事にします。白衣を着ません。総合病院精神科での身体拘束にも、電気ショック療法にも、有無を言わせぬ「強制」にも絶対反対です。イタリア半島はバザーリア派一色ではありません。守旧派も、中間派もいます。ですから今も、あちこちで摩擦の火花が散っています。
◆本当の地域サービスとは
では現在のトリエステの精神科医は、どんな風に"強制治療"するのか。
地域サービス網構築に関して、イタリアはヨーロッパの後発国でした。英国やフランスや北欧はとっくの昔から、この平等なサービス供給方式を踏襲してきました。ですからイタリアの833号法は目立ちません。しかし、この改革が180号法に生命を吹き込みました。各保健区の公社にはマニコミオに代わるものとして精神保健局の設置が義務づけられ、精神保健局の下には人口数万に1カ所の割合で地域精神保健センターが配備されました。
833号法ができると、180号法は833号法に合併吸収されました。精神衛生法は精神病の人々を強引に収用できる罪作り(宇都宮病院や大和川病院を見よ!)な特別法ですが、180号法で収容機能が消滅したため、特別法の意義を失って小さな法律になった。だから、医療法にすんなり組み込むことができたのです。
◆20世紀の終わりで精神病院全廃
1994年、精神保健擁護3か年計画の大統領令が打ち出されます。「擁護」とは180号法の精神を守る、という意味です。実施要項が具体的に書かれています。精神保健に従事する職員の数やケア付きグループホームの数は、人口に比例した数の設置が義務つけられました。精神保健センターの役割は14項目にわたって克明に表現されました。
21世紀になると、精神保健不毛の地といわれたイタリア南部に、2つの大きな変化が起きました。一つは、カンパーニャ州のナポリの隣のアヴェルサに、も一つはサルデーニャ州の州都カリアリに「24時間、365日オープン」の最新鋭精神保健センターが登場しました。いずれも中道左派勢力が州政権について、トリエステのバザーリア派に改革を委ねたのです。しかしサルデーニャ州は2010年になって右派が政権を奪還したため、24時間オープンが12時間…に逆戻りしました。 (「クレリィエール」521号より) |
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