シンポジウムの部屋

膨らむ負担、福祉高める仕組みを シンポ「どう支える超高齢社会」

1994年5月2日 朝刊特集

 高齢社会や少子社会に向かう日本の社会保障制度について考える「どう支える超高齢社会」と題するシンポジウムが二十七日、東京・有楽町の有楽町朝日ホールで開かれました。朝日新聞社、財団法人厚生問題研究会の主催。三月末、高齢社会福祉ビジョン懇談会(厚相の私的懇談会)がまとめた「21世紀福祉ビジョン」の骨子を厚生省の古川貞二郎事務次官が説明、介護のあり方や子育て支援策、財源問題などさまざまなテーマについて話し合いました。
◆パネリスト(「私はこう思う」の発言順)

宮崎勇さん
 高齢社会福祉ビジョン懇談会座長。老人保健審議会会長。大和総研理事長

高原須美子さん
 経済評論家。日本体育協会会長。元経済企画庁長官

岡本祐三さん
 阪南中央病院内科医長・健康管理部次長。大阪大医学部講師

古橋エツ子さん
 花園大学社会福祉学部教授。京都府児童福祉審議会委員

司会 朝日新聞社論説委員 大熊由紀子




【21世紀福祉ビジョン(要旨)】
▽高福祉・高負担型社会や低福祉・低負担型社会ではなく、公民の適切な組み合わせによる適正給付・適正負担という我が国独自の福祉社会を目指す。
▽社会保障は、内需の喚起や雇用創出、勤労意欲の向上などに大きく資する。
▽年金制度の安定化、医療制度の効率化を図り、高齢者介護や児童対策の充実で福祉水準を引き上げ、年金、医療、福祉の給付バランスを5対4対1から5対3対2に転換する。
▽高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)を見直し、新ゴールドプランを策定する。
▽高齢者の資産を活用したサービスの仕組みを整備する。
▽増大する高齢者の介護費用を国民全体の公平な負担で賄い、必要なサービスを総合的に提供するシステムを構築する。
▽子育てを社会的に支援するための総合的な計画(エンゼルプラン)を策定する。
▽子供を産み育てることは一種の社会的投資ととらえることができ、社会全体でどのような支援を行うか総合的な対策のあり方を検討する必要がある。
▽少子化の要因の一つとして、不十分な居住環境がある。公共賃貸住宅の供給や優良な民間賃貸住宅の建設への支援を推進する。
▽高齢者、障害者、子供などを含め、地域に住む人々の精神的なきずなを強めるような交流の促進が大切である。
▽社会保障の財源については、直接税のウエートが高いサラリーマン層の過重な負担を緩和する必要がある。福祉目的税は税収の落ち込みなどでサービスが制約されることがあり、慎重な対応が必要だ。
▽間接税の増収措置が講じられる場合は介護対策に充てることが適切だ。

●私はこう思う 憲法25条の精神生かしたい 宮崎勇さん

「広辞林」で「福祉」をひきますと、「福」も「祉」もどちらも「幸せ」と一番最初に定義してあります。人間が幸せになる、国民が幸せになる、安全で安心のできる生活をする。それが福祉で、そういうことを約束するようなビジョンをつくるのは、大変だなあとお引き受けした時、まず思いました。
幸せを基準に考えれば、社会の治安が良くなければいけないし、完全雇用の社会であり、かつインフレもあまりない社会でなければならない。住宅も整ってなければいけない。
日本では高齢化が急速に進み、現在、65歳以上の人口は全体の13%程度ですが、2025年にはそれが1.9倍ふえて25%ぐらいになる。75歳以上の人でみると、今の2.7倍ぐらいに増えます。
高齢者も今では多くの方が元気でありますし、定年で所得が減っても、資産という面も考えますと、必ずしも経済的に恵まれないというわけでもありません。
しかし、要介護者、つまり「寝たきり老人」、これは大熊さんによれば、日本独特の介護スタイルになりますが、2025年には、そういう要介護の人が520万人になるという数字がある。
従来は、お年寄りの面倒は女性がみることが多かったが、これからは、女性だけでなく、男性も、それに公的にも面倒をみなければいけません。今まで女性にかかり過ぎていた負担を軽減していくことが必要になります。いま、配偶者のいる女性の50%ぐらいが働いておられる。これはやがて7割、8割という数字になることが当然考えられる。
お年寄りが増えるのと対照的に、子どもの数が少なくなり、今、15歳未満の人は2000万人ぐらいですけれども、2025年には1800万人と少なくなっていく。従って、将来は15歳から64歳のひとが、2人に1人の割合でお年寄りの面倒をみることになる。これは大変なことだなという感じがします。
日本の国民の一番の不安は、経済的な不安ではなく、老後への不安でありまして、79%の人々が老後への心配を持っている。そして、痴ほう老人とか寝たきり老人になるという心配を持っている人が49%いる。こういう現実のなかで福祉ビジョンづくりをしていかなくてはならない。しかも、社会保障の問題は、その地域によっても、家庭によっても事情は違う。画一的なビジョンをつくってもそれはほんの入り口でしかないわけです。
憲法の25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。さらに「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と書いてありまして、こういう精神で福祉ビジョンをつくらなければいけないなという気持ちを強くしたのであります。

●私はこう思う 大臣業より大変な母の介護 高原須美子さん

「女は三度老いを生きる」という本を十三年前に書きました。女は、親の老後、夫の老後をみとり、最後には自分自身の老いに直面しなければいけないという意味でした。
当時は「日本型福祉」という言葉が大変もてはやされていました。スウェーデン型の高福祉・高負担でもなく、アメリカ型の低福祉・低負担でもなく、日本は同居社会だから、家族が親をみるのが日本型福祉社会であるというのです。
それに対して私は、親をみるのは当然だけど、十分な公的サービスが無ければ、家族の中の女性に負担が重くのしかかる、と常に唱えていたわけです。今回のビジョンの「適正負担・適正福祉の社会」という表現はいいことだと評価しております。
さらに、福祉水準を上げて、年金・医療・福祉のバランスの取れた社会保障に持っていくのも大変いい方向だと思っております。
年金も福祉も医療も全部を広げていくことはできないと思いますので、福祉にウエートを移していくという方向も評価したい。実際に介護をし、介護しながら子育てをしたという経験からも、そう思います。
私の母は寝たきりになりまして、数年前に亡くなりましたが、六年間は自宅で介護を致しました。十年近くは病院にお願いして介護をしました。在宅介護は肉体的にも時間的にも本当に大変です。自宅で母親をみている間は、仕事はほとんどしていません。
いまは特別養護老人ホームもずいぶん変わりましたが、当時はうば捨て山のようになっていたわけです。どなたかが死ぬのを待つために母をウエーティングリストに載せることに、耐えられなかったので、施設にお願いしなかったのです。
とうとう私も倒れそうになってしまった時にお願いしたのが近くの病院でした。これが結果としては、国の医療費を膨らますことになってしまったし、個人の負担も大変でした。
母が亡くなってから、二カ月たって、朝、目が覚めますと無気力で不安感に襲われてどうしようもないのです。神経科へ行ってみると、初期のうつ病と言われました。知り合いの医師には、「荷下ろしうつ病」と呼ばれ、普通は子育てが終わった時になるものだと言われまして、ああ、なるほど、母の介護をしていた時の荷はそんなに重かったんだなあと感じたわけです。で、大臣が終わってからなるかと思いましたらならなかったんです(笑い)。
ところで、「寝たきり老人」という言葉は外国にはないそうですから日本でもなるべく寝たきりにならないようにするのが大事で、そのためには、寝たきりにならない心掛けが大事だと思います。そうした個人の心掛けにあわせて、寝たきりをつくりやすい日本の住宅構造も変えなくてはならないでしょう。

●私はこう思う 「寝たきり」は高齢の障害者 岡本祐三さん

長生きへの不安をもらす方が非常に多くなってきた。動けなくなって毎日天井見て暮らさなければならないというのは、非常に苦痛です。戦後予防対策が普及して、急性疾患はほぼ克服されました。命を助ける医療技術も随分進歩しましたので、命は取り留める。その後、一生治らない障害が残って、何年も生きていく。こういう高齢者が非常に増えてきました。これは欧米諸国すべてが経験したことです。
日本の場合、歴史的に政策的な要請もあってこうした人を大量に病院に入れてきました。発端が病気やけがですから、なんとなく私たちは寝たきり老人の存在を病人としてとらえがちです。でも大事なことは、重い障害を持っているということです。「寝たきり老人は高齢障害者である」というコンセプトでとらえないと、寝かせきりをなくすことはできないわけですね。
寝たきりゼロ社会と言われている北欧では、まさに1960年代から障害者対策を量的に拡大する中で、寝たきりゼロを実現していったわけです。ところが、日本では医療費の中に何兆円もの、本来福祉で担うべき部分がずっと含まれてきた。
亡くなる1年前から要介護の状態になる人が3人に1人から4人に1人います。すべての人に要介護の状態が待ち構えている。この発想がたいへん大事だと思います。
実は「寝たきり老人問題」というのは、昭和40年以前の日本の社会にはほとんどなかった。75歳まで存命される人は10人中4人もおりませんでしたし、脳卒中になったり、骨折しても栄養状態も良くなかったし、医療も普及していなかったので、家で寝かせておっただけで、だいたい数週間でお迎えがきた。今日のように寝たきりの高齢者が何年も生きられるようになったのは、昭和40年以降、生活状態も良くなり、医療も普及した結果の新しい社会現象です。寝たきり老人問題は極めて新しい問題です。したがって新しい発想でなければ、解決できないわけです。
憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は、寝たきりの老人の生活にはほど遠い。人権問題として考えなければいけないほどひどい。原因は障害を持った人の福祉サービスをないがしろにしてきたことに尽きるわけです。

●私はこう思う 子育て中は父にも支援対策 古橋エツ子さん

福祉ビジョンを見ますと、一見医療費が抑圧されているような印象を受けますけれど、医療費も単年度の伸びとして5.4%の伸び率が見込まれています。国民所得の伸びがだいたい4%と思われますので、従来のような「医療費の伸びを国民所得の伸び率以下に抑える」という政策の枠がはずされており、たいへん望ましいと思います。
これからは医療と福祉の役割分担をきちんと整備し、両方効率よく運営していく。そういった指針として福祉ビジョンは評価できると思います。
福祉ビジョンを読んで、15年前にこの施策が進められていたら、もう一人子どもを産むことができたのにと思いました。評価できるところは、(1)子どもを産むか産まないかは本人の選択にゆだね(2)子育てに対する「社会的支援」を強化し(3)母親だけでなく父親も子育て中の「親」として支援対策を提言している点です。
でも、ビジョンは提言されたばかり。いまはまだ、仕事と子育てを両立させることは難しく、それが産み控えている理由にもなっています。課題もいっぱいあります。育児休暇は父親も取りやすいか。休暇を取ったことがマイナスにならないか。子どもが病気になったとき休暇が取れるか。病児保育もあるか。再就職するにも、研修や学習の場に保育室があるか。保育所は利用しやすいかなど。
ビジョンは、保育施設を「希望すればいつでも利用可能に」としています。親の再就職の準備期間中から保育ができたり、交代制の勤務をしている親に合わせた保育も利用可能に準備して欲しいですね。とくにゼロ歳児保育所は、出産前から受け付け、産休明けから保育ができるような条件整備が必要です。
また、学童の保育は、放課後児童クラブではなくて法的な裏付けのある「学童保育所」と位置づける時期にあると思います。そして、小学校を学童保育の場とすれば、すぐに小学校区に一カ所の学童保育所を設置することができます。
出生率が低下していった国々では、1970年代から80年代にかけてさまざまな子育て支援施策をしてきました。子育ての費用を社会が負担したり、保育サービスへの支援をしたフランスやドイツでは、出生率低下に歯止めがかかっています。さらにスウェーデンは、働くことと子育てを男女でわけあうことのできる法施策をしています。
出生率(2.1人)と女性の労働力率(80%)の両方を上げたスウェーデンの子育て支援施策は、約20年かけて少しずつ改善されていったものです。たとえば、父親も取りやすい育児休暇へと改正したり、休暇中の所得保障の日数を増やしていったり、子どもが病気のとき、一方の親がその子を医者につれていき、もう一方の親が家にいる子の面倒をみていられるように、両親に「同時休暇」を認めたりしています。
保育も、異なった年齢の保育グループをつくり、一人っ子にきょうだい体験をさせています。また、親があまり長く働いて子どもと接する時間を失わないように、勤務時間短縮型の育児休暇と併せて、保育時間も短縮型を取り入れ、保育料も安くしています。
フランス、ドイツ、スウェーデンとも、養子縁組をする前の里親にも育児休暇を認めています。日本の福祉ビジョンも、子育てを支援するという意味で、里親制度を対応策のひとつとして視野に入れていただきたいと思います。

○介護

――では、介護の問題から討論したいと思います。福祉ビジョンが想定しているサービス量の目安は、私から見ると低すぎます。これでは介護する家族が同居していないと、自宅で暮らし続けられないのではないでしょうか。
岡本 デンマークなど北欧では一日数回、巡回サービスが毎日でもある。日本のように一日一回だけで一週間に何回という考え方は、遅れている。ちなみにビジョンが想定している一週間六回のホームヘルプサービスでは、日曜日はどうするんでしょうね。
――福岡市や秋田県鷹巣町では先進的な取り組みが始まっていますね。
岡本 福岡市での試みは、一日何回かの巡回をしています。すると身ぎれいになって、お年寄りに意欲が出てくる。人間、汚くなっていると気持ちに張りが出ません。24時間体制で介護することに、格別の意味があるのです。大阪の枚方市では、特別養護老人ホームへの入所が適切と判断された人は、すぐ入れなくても、24時間在宅ケアサービスを受けられるように準備しています。
高原 義父は茶人でして、つえをついてでも茶会に出掛けて行きました。亡くなる前に水を飲み、ぽっくり逝きまして。人間は生きがいをもつことが大切。介護する人にとってはすごく手がかかるけれど、本人が自立心を持てるような介護が必要です。
岡本 高原さんのお宅は、お父さんは社会とのつながりがあった。お母さんは家族しか視野になかった。その差があったのですね。社会と楽しく交流できることが大切です。その点、世の仕事中毒の男性は老後が非常にあぶない。
高齢者の楽しみのレベルをもっと上げないといけない。子どもじゃあるまいし、「敬老の日」だけ袋菓子で慰問なんて耐え難い。若いころゴルフをやっていた世代が70代になったら、ゲートボールなんか、やってられなくなるでしょう。
宮崎 高齢者福祉というと、ただただ施設を造ればいいとか、人を配置すればいいとかでなく、もっと普通の人が生活するように、生活を楽しむという面を考える必要がある。お年寄りは社会の外にあるという感じでは困りますね。

○人材確保

――高原さんは地方の財源の問題を心配しておられましたが。
高原 ビジョンでも書かれていますが、実際に行うのは自治体、市町村です。どう市町村がそれを負担していくかは大問題。マンパワーについても、どう確保するのか。床から起こして、車いすに乗せて、着替えさせてと、寝たきりにさせないための介護はとても大変です。地方に任せるとなると、どう実現させるか、と私は考えてしまうんですが。
宮崎 人材を確保することは非常に大事です。ホームヘルパー、看護婦については、給料や勤務条件を改善させたり、研修を充実させるとか、施設間の人事交流を進めるとか。また、一般の人にもボランティアとして参加してもらうなど、多角的に考えないといけないでしょう。
――公約だけでなく本当に福祉を大事にしているかどうか見る物差しのひとつとして、私はその市町村に大卒男子のホームヘルパーがいるかどうかを見ます。身分の保証と給料が確保され、町の人も高く評価していることの表れだからです。長野市などいくつかの市町村が、すでにそうなっています。
岡本 町の担当課長たちと話すと、やりたいけれど国が金を付けてくれない、とよくいいます。本当でしょうか。かつては三割自治なんていわれたが、今は七割は地方の裁量で使えるようになっているんです。地方交付税を見ても、在宅福祉の事業費を三年間で二倍近く増やした。自治体がどう優先順位をつけるかの問題だと思いますね。
――ホームヘルパーの報酬も年額300万円以上に引き上げられ、その4分の3を国と県が負担し、残り4分の1を市町村が出す仕組みです。ところが、その4分の1を惜しむ首長が少なくありません。ハコモノには予算を惜しまないのに。
高原 地方分権が言われていますが、これは何法、こっちは何とか法と国の法律があり、やっぱり中央集権がきつくて、地方はなかなか自由に使えない。ある程度豊かな自治体ならいいけれど、その4分の1でも付けられない貧しい自治体があるのかもしれない。しかも過疎や貧しい所ほど高齢化が進んでいます。
岡本 人口の少ない、財政基盤の小さい自治体は確かに難しいでしょうね。デンマークでもやっていますが、弱小自治体のいくつかを合体させて、財政を強化することも必要でしょう。
――高齢化の進んだ町村に交付税を手厚く配分する方針を自治省が打ち出したことも評価できますね。
古橋 スウェーデンは高福祉だけれども、給料の大半を税金にもっていかれる、という話がありますが、事実ではありません。91年の所得税減税で納税者の80%が、国レベルの所得税を払わなくてよくなった。従来55%だった租税負担が約31%の地方税負担だけになっています。減税して一般の人がどう受け止めているかというと、減税はうれしいけれど社会保障が削られることを心配しています。

○子育て

――子育てについてご意見をお聞かせください。
宮崎 第一義的には親の責任ですが、女性が子育てに力を入れられるような社会支援が必要ですね。
高原 子育て支援は必要ですが、もっと女性の生き方がいろいろあっていい。子供が生まれて仕事を離れる時、やむを得ずなのか、自分の手で育てたいと思っているのか。画一的な支援でなく、いろいろなメニューがあっていいと思います。
――スウェーデンでも、多様な方法に変わってきたようですが。
古橋 新しい平等法が実施され、親であることと仕事との両立ができるよう保障しなければいけないと、罰則規定付きで、企業主に義務付けています。
親や子どもが病気やけがをした時は、ヘルパーが家庭に派遣されます。
保育についても非常に柔軟です。親の働き方や生活に合わせて、いろいろなタイプの保育所があります。急に仕事が決まったんだけど、保育所には定員いっぱいで入れないなんていうとき、ファミリー保育所というのがあります。非常に合理的だと思うんですが、自分の子供と一緒に、他の家の子供も保育すれば、自治体の保育職員と認められ給料をもらえる。それで自分の子供の保育料を自治体に支払います。
岡本 特に日本の場合、教育を含めて養育負担がすごく大きいんじゃないでしょうか。北欧では高校を卒業すると、家を出て、奨学金をもらって一人で暮らしていく。18歳で親の負担がいっさいなくなるなら、3人でも4人でも育てようという気になるんじゃないでしょうか。

○財源

――最後に、この福祉ビジョンを進めるため、どうやってお金を調達するかについて、うかがいます。
宮崎 今後の高齢化や少子化を考えると、給付水準が上がりますが、負担は当然増える。やっかいな問題です。
たとえば、93年の社会保障費は対国民所得比で約16%、60兆円近い。それぞれの制度を今のままにして推移していくと考えても、2025年には28%、380兆円にもなる。
国民負担率は八九年が38%程度だった。この負担率が50%を超えないようにしようというのが今の政府の姿勢ですけれど、それにしても増える。人口構成が変わっていくなかで、世代間で公平に負担するとなると、技術的に大変難しい。
そうした議論のなかで、直接税と間接税の比率を変えなければいけないという問題が登場します。公平という点で、7対3の直間比率を大きく変えなければならないでしょう。ただ、変更しても負担率そのものは上がる。率の増加をどうするかは難しい問題ですが、要は国民が検討して選択することだと思います。
増税についての世論調査の結果は、これまで増税反対が圧倒的に多かった。しかし、高齢化が進んできたいまは「給付水準を上げるために負担率を上げていいですか」と聞くと、64%が「やむをえない」と答えている。「絶対反対」は28%です。いろいろな声がありますが、うまく給付に見合った負担増を考えていかなければならない。
しかし、負担は増やさなければならないが、安易に増やしてもらっては困る、ということです。
――国民福祉税は、深夜、突然もち出されましたね。
宮崎 福祉に対する関心を呼んだという意味ではひとつの意義もあった。しかし中身が分からず、福祉のどの部分に充てるかもはっきりしなかった。それに、新税の目的を福祉に限ってしまうと、税に見合っただけしか福祉が充実できないことになりかねない。長期的な安定した福祉財源ではない懸念がある。
とくに税率だけをいきなり上げるというのは理屈が通らない。
――高原さんは税調委員もなさっていましたが。
高原 国民福祉税は目的税かと思い、その範囲内に福祉が抑え込まれる心配もあり、私は絶対反対と申し上げたんです。そうしたら、「これは目的税ではなくて名前を変えるだけです」と言うでしょう。どうもあの案は、何もかもがはっきりしなかった。
日本は、行革審が答申した2000年までに40%、高齢化のピーク時でも50%以下という程度の国民負担率を目指していかないと、国民に抵抗があるのではないか、と思う。
その負担の仕方ですが、負担と受益がはっきりしている社会保険料が大きな割合を占めていいのではないでしょうか。そして、間接税の比重を大きくする。全員で高齢化社会を支えていかなければならない。
古橋 子育てや介護の支援が進めば女性も働いて税金を払う側になります。福祉のために税負担が増えても、払う人の数が増えれば、個人の負担は逆に少なくなるでしょう。ビジョンは、女性の労働力率を現在の五割台から七割台へ上昇することを見込んで、子育て支援の体制拡充を提言していますから、楽観的かもしれないが、日本も本気になればできると思う。
岡本 デンマークでは50年代には国民所得に占める租税の割合は24%だったが、80年代後半には50%になった。
国民がそれに反対しなかったのは、先に事業展開があったからだ。借金してでも福祉事業をやって、行われた事業を国民が納得してから、後から増税という形で負担している。最初に増税ありきでは、どんな計画も立てられない。こういう発想があっていいんじゃないでしょうか。
――ありがとうございました。(拍手)

●討論を終えて 先輩国に学んで高福祉を早期に

大熊由紀子・朝日新聞論説委員

「北欧型の高福祉・高負担か、米国型の低福祉・低負担か、中をとって中福祉・中負担か」といった大雑把な議論が横行しています。
それが、いかに現実と遊離したものか。シンポジウムでは、まず、そのことが浮き彫りにされました。
たとえば、高原さんの体験です。母を自宅で介護した6年間は仕事を断念し、病院に預けた10年間は月数十万円の自己負担分を払うため「身売り娘」のような思いをし、介護が大変で二人目の子を持つのをあきらめねばなりませんでした。
福祉への公的負担の貧しさが「個人の肉体的、精神的負担」や「自己負担」にしわ寄せされる。その意味で日本は「高負担にもかかわらず低福祉の国」です。
福祉ビジョンは「だれもが必要な介護サービスを手に入れられるシステム」と「子育てを社会全体で支えていくシステム」を提案しシンポジウムでも高く評価されました。実現するための公的負担は国民所得の28%。5年前の西独のレベルです。
福祉重視は医療や年金、財源確保にも影響します。福祉が充実していれば、病院に要介護の人たちを預ける必要はなくなり、医療費を本来の目的に振り向けることができます。
福祉先進国の年金生活者は、年金額はさほど高くないのに生活を楽しんでいます。寝たきりや病気に備えて貯金しなくてよいので年金を自由に使えるのです。
福祉が充実すれば、女性も、様々なハンディを負った人も働きやすくなり、扶養される側から納税者に回ります。結果として、社会の働き手や税収が増えることもシンポジウムで指摘されました。
高福祉の実現の前に立ちふさがるのが「国民負担率50%」という呪縛(じゅばく)です。
役所言葉として日本で広く使われているのに海外で通じない言葉があります。「寝たきり老人」がそうでした。そこで、「寝かせきりにされたお年寄り」という言葉を作りました。
海外に通用しない、もう一つの役所用語が「国民負担率」です。「税と社会保険料負担の国民所得に対する割合を表す」とされ、臨調の発想を受けて1985年ごろから、大蔵省が使い始めました。
けれど、海外の学者は不思議そうに言います。
「国民の負担には本来、自己負担料や、公をアテにできないための民間保険支出が含まれています。それを除いた数字になぜ『国民負担』という言葉を使うのですか。『国民負担率』の少ない米国で国民は自己負担にあえいでいるではありませんか」
「国民負担率」は、「国民連帯率」「連帯負担率」「公的負担率」という言葉に変えた方が実態にあっていると思うのですが。
もっとも、国民連帯率を高くすれば「高福祉」が自動的に実現するというほど事は簡単ではありません。
少子化先輩国で出生率が上昇に転じたのはなぜか。高齢化先輩国が、どのようにして安心できる老後を築き上げたか。古橋さんと岡本さんの報告は示唆に富むものでした。
こうした先輩国の試行錯誤を学び尽くせば、経済性と質の高さとを兼ね備えた福祉システムを先輩の国々より短い期間で作り上げることができるでしょう。後発国の特権です。
宮崎さんは、「憲法25条の精神で福祉ビジョンを作った」そうです。3日は憲法記念日。行政も、政争に明け暮れる各党も、国民一人一人も、日本の社会保障を憲法の光で照らし直してみてはどうでしょうか。

◆福祉重視の社会保障への転換
1993年2025年
現行制度ケース
2025年
福祉重視への転換
年金53%57%53%
医療37%34%31%
福祉等10%9%16%
年金:医療:福祉等5:4:15:3:25:3:2
対国民所得比約16.3%
(約59兆円)
28.5%程度
(380兆円程度)
28%程度
(375兆円程度)
(注)国民所得の伸び率は2000年まで5%、それ以降4%


◆社会保障給付費(対国民所得比)の部門別構成割合の国際比較
(数字は%。いずれも1989年度)
年金医療福祉等3者計
日本7.15.41.413.9
アメリカ8.05.52.115.7
イギリス9.36.06.922.1
旧西ドイツ13.77.47.228.4
フランス16.58.28.933.6
スウェーデン16.611.815.844.2
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