シンポジウムの部屋

1999年3月12日 朝日新聞朝刊  特集

 カルテや看護記録を本人に見せてくれる医療機関や自治体が増えています。厚生省の検討会は、昨年6月、「診療情報の開示義務を法律で定めることには大きな意義がある」という報告書をまとめました。一方、医療法改正の論議が進んでいるさなかの今年1月、日本医師会が「開示は必要だが、法制化には断固反対」の態度を表明しました。
 きょうは、その中心人物、坪井栄孝・日本医師会会長と検討会の座長だった森島昭夫・上智大学教授の「公開対決」です。医療情報提供のパイオニアである原春久さん、隈本博幸さん、「患者の責任」を説く辻本好子さん、それに会場の皆様にも加わっていただいて、議論を深めたいと思います。
(大熊由紀子論説委員のあいさつから)

◆法制化−是か非か


非 まず医師の努力みて
日本医師会長・坪井栄孝さん

 患者さんの情報に関しては、当初から100%も120%も開示する気です。もっともっと積極的に開示し、患者さんも積極的にその中に入り込んできて、医療を受けるべきであるというのが、自説でございます。
 情報を共有する、情報はすべて患者のものである、そのとおりだと思います。自身が、がんと知っているのと知らないのとでは、治療の方法にも、深さにも違いが出てきます。
 患者さんたちが自分の情報をすべて知った上で治療の方法を選択なさる。それには、情報の開示、カルテの開示が当然必要です。
 検討会報告を読ませていただきまして、大部分のところで私は合意いたしました。ただ、一点だけ、法制化についての提言は、現状では必要はありません。
 確かに、日本は、患者さんが自分の情報を得ようとするチャンスが非常に少ないわけですから、そのための指標、ガイドラインを我々がつくった。我々の組織の中での、医師としての努力、患者さんとの信頼関係の中で、十分に国民の方々に納得してもらえるだけのことができると思います。「法制化論議は、我々が努力することを少し見てからにしてくれ」ということであります。
 評価していただきたいのは、(日本医師会に)苦情処理機関を設けること。もう一つは、指針を守らない会員には強力な指導、教育、研修を受けさせることです。検討会報告の法制化は、理念事項で、懲罰はございません。我々が、前向きに確実に歩いているということを評価していただきたいと思っています。

是 「情報出して」の根拠/政府にも責任もたす
厚生省カルテ開示等の診療情報の活用に関する検討会座長・森島昭夫さん

 かつて厚生省に、インフォームド・コンセント(十分な情報を得た上での患者の選択、拒否、同意)のあり方検討会がありました。私は、「法で義務規定を置くべきではないか」と申しましたが、お医者さんは「法律にはなじまない。自分たちでちゃんとやる」と主張しました。結局、法制化は否定されたのですが、結果はどうだったでしょう。
 日本医師会のこの一月の報告書には、こうあります。
 「すべての医療関係者がインフォームド・コンセントを理解し、実践する状況に至っていないということも事実である」。
 法で義務づけていたら、もっと実践が進んだだろうと、悔やまれます。
 カルテなどの診療記録が開示されねばならない理由の第一は患者の自己決定権、第二は自分の情報を知り得るのが当然であるという思想で、いずれも現代社会で非常に重い価値を持っています。

 倫理は法律になじまないと医師会は言われますが、刑法は「人を殺すな」、民法は「夫婦は、互いに協力し、扶助しなければならない」と定めています。
 カルテの開示も同じで、ふだんは法律は必要ない。しかし、仮にカルテを出してくれない先生がいたときに、「あなたはいやだと言うかもしれないけれども、出してほしい」と主張できる根拠を与えます。
 カルテ開示を法制化すれば政府の意思として、「社会に求められている、社会にとって必要だ」ということになり、環境整備のための予算など実質的な措置を積極的にとらざるを得ない責任が政府に出てきます。

◆開示しています−現場から


○患者同士、がんを「論評」 協立総合病院副院長・原春久さん

 昨年から、精神科を除くすべての入院患者にカルテを開示しています。毎朝二、三時間、ベッドサイドにカルテを置きます。詳細に目を通す人、全く見ない人、さまざまですが、9割以上の方が見ています。
 当初は、ナースステーションに置いたのですが、遠慮があってか、見に来られません。そこで、切りかえました。私たちは「カルテ共有」と考えています。
 写真入りのページは人気があり、手術で摘出した自分のがんの標本を隣の人と見せ合って、「私のがんはこうだ」と、非常に明るい雰囲気でやっています。

 医療情報が知らされなかった時期には、がん患者は医療チームの外にいる存在でしたが、今は、医療チームの中心になりました。従来の「お任せ医療の信頼」とは違った意味での「本来の相互の信頼感」が生まれていると思います。
 始める時は不安でした。
 がんと告げてない例外的な方には、カルテの分冊や病名記載の工夫などで、分からないように配慮をしてきました。
 告知した患者さんの92%が、「がんと知ってよかった」と答え、「再発、あるいは治らない状態になっても知りたい」と八七%が答えています。知られないように、と努力するより、知った後の支えとなることを重視したいと思います。

 患者さんの性格などについて思ったことが書けなくなり、カルテの質が落ちるのではないかという心配もありました。
 現実には、患者さんの言動をそのまま書くように変え、一人のスタッフの主観的評価が全体のものになってしまう危険も避けられるようになりました。
 現場はカルテを書く時間が惜しいほどの状態です。きちんと記載できるようになるまで開示をしないことにすれば、いつまでたっても始まりません。重要なのは、カルテを見た患者さんの質問が不十分な記載を補い、より深い理解を生んでいることです。
 スタッフの一人は「こんなに手間ひま、金をかけずに、こんなに大きな成果を生み出すなんて、今まで経験したことがない」と言っています。別のスタッフも「勇気さえあれば、カルテ開示は明日からでもできる」と言います。
 三年半の経験の中で、私は今、こう思っています。「案ずるより産むがやすし」

○患者から情報のお返し 小倉第一病院看護部長・隈本博幸さん

 当院の患者さんは、受付で自分のカルテを受け取ります。コンピューターを利用して、検査データを棒グラフや折れ線グラフなどで表し、一目で見られるよう工夫しています。待ち時間に自分の状態を把握できるので、効率のいい診療になります。
 情報を共有すると、患者さんからお返しの情報が入ってきます。患者さんの自立度も高まっていきます。それが延命やQOL(人生の質)の向上につながります。
 過去一年間の問題点や長生きをするための条件を満たしているかどうかなど、できるだけ情報をうまく(カルテで)伝えようと努めています。
 カルテだけではなく、インターネットのホームページも開設し、病院情報も開示しています。
 また、待合室にパソコンを置き、どんな職員がどんな専門を担当しているかなども、写真入りで眺められるようにする予定です。

○「お任せ」から「主役」に ささえあい医療人権センターCOML代表・辻本好子さん

 医療を提供する側と受ける側の間には、深くて大きな河が流れています。言葉、常識、文化圏すら違うのではないかと思うのですが、カルテの開示や共有は、この河に橋をかけることになるでしょう。
 カルテの実物をスライドでお見せします。一体、何が書いてあるのか。カモメが飛んだり、ミミズがはったりしているようです。これが現実です。
 カルテ開示に当たって、患者が考えなければならないことを挙げると、私たちは、医療情報の何を知りたいのか。権利として求めている以上、何を責務として引き受けるべきか。現実を直視する勇気があるのか。医療の限界、不確実性を本当に了解できるか。本当に自分のことを決められるのか。開示の費用負担を本当に引き受ける覚悟を持って要求しているのか。
 おまかせの受け身の医療から、自分の情報をコントロールできる主体になるには、私たち自身が変わらなければいけないのです。

◆討論−会場参加者を交えて

青木栄子さん(乳がんの体験から医療を考える市民グループ「イデアフォー」) 七年前に乳がんになった時、自分で治療法を選び、万一、転移したとしても後悔はしないさばさばした気持ちでした。私どものアンケートでも、回答した三百三十七人の中で、自分で治療法を選んだという方が七二%、治療法を選んだ方の満足度は八二%と非常に高いものでした。

牧野永城さん(医師) ミミズがはったようなカルテでも、書いていればまだいいほうなんですよ。(笑)カルテは医療の質を管理する最大の道具です。ところが、二週間の入院のカルテが六、七行しか書いていないなんていうのもある。法制化と同時に片付けなければならない問題がたくさんあるのです。

渡辺優子さん(子宮筋腫と子宮内膜症の体験者の会「たんぽぽ」) 五年前、横浜市の情報公開制度を使って(カルテの)コピーを手に入れました。医師とはじめて対等に話した実感を持ちました。けれど、条例がない市に住んでいて門前払いされてしまった人もいます。こういう違いは不公平で法制化が必要です。

勝村久司さん(医療情報の公開・開示を求める市民の会) カルテは自治体の個人情報保護条例で、かなり開示されています。大病院を六つも持っている大阪市では、三年前から全面開示し、コピーも手渡していますが、何の問題も生じていません。遺族からの請求もできます。遺族への開示を含んだ法制化をしていただきたいと思います。
坪井さん 法律の素人にとって、法律化で強要されるのはかなりの脅威です。プロフェッショナルとしてのプライドみたいなものを著しく傷つけられます。

徳永悌子さん(日本看護協会) 私どもは法制化を支持しています。記録の開示は、患者さんの権利の保障として位置づけられるものです。患者さんの置かれている立場を考えますと、法律に記録の開示を明記し、患者さんの自己決定の権利を保障する必要があります。法制化すれば、診療記録管理体制の整備、医療従事者への教育の充実などが円滑に進められるようになり、各医療機関の取り組みも促進されるでしょう。

市村公正さん(医師) 老人病院で仕事をしていますが、亡くなられる前の一週間のカルテ、検査記録、看護記録の全文を全部コピーして遺族にお渡しし、病状を説明します。(カルテを開示すれば)医療機関とのトラブルが減るんじゃないかと思っております。開示は遺族も含めて法制化することが好ましいと考えます。

 ――法制化反対の方も、どんどん、手を挙げてください。
天野教之さん(医師) 坪井先生に賛成です。私自身は患者さんを信頼して開示をしていますけれども、悪用されたらと、ひやひやしながらやっています。
鈴木利広さん(弁護士) カルテの開示や情報の共有を通じて分かったことは、それが医療の質を向上させ、医療への信頼を回復することです。倫理に基づいて推進する一方で、法制化することが重要ではないでしょうか。

 ――ささえあい医療人権センターCOMLは法制化は不要とおっしゃってたようですが。
辻本さん 個人的には賛成です。法制化すれば環境整備が必ず始まると思います。ただ、協力してくださるドクターで、インフォームド・コンセントをすごく努力している人が、「頼むよ、最後のお願いだから」と、法制化に悲鳴をあげていらっしゃるのです。

隈本さん カルテ開示は、ごく自然に発生すべきものであって、強制されなくても自然にできていくものであることを望みます。
原さん 医師の前でいろいろな請求ができない、質問ができない、そういうことで悩んでいる患者さんがまだまだたくさんおられます。開示の法制化は、そういう患者さんたちを後押しする一つの手段になるのではないかと思いますので、賛成したいと思います。

坪井さん 法制化をしなくても患者さんに不利益にならないような世の中を今つくりつつある。早急に法制化していく必要はない、我々は努力しているんだから、見ててください。

森島さん 罰則とか、ギリギリ要件を決めるような法律は、現時点で必要ありません。開示の例外もあり得ます。医師会員だけでなく日本の医師全員が、法律がなくても開示なさる日が来ることを祈りますが、同時に、法制化の旗は降ろさないつもりでおります。

 ――医療の質をよくしたい、信頼し合いたいという気持ちは皆様一つだと思います。ありがとうございました。(拍手)

 この催しは、厚生省、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会の後援を頂きました。 2月26日、東京・有楽町の朝日ホールで

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