福祉の町・秋田県鷹巣町がつくり上げたもの・失おうとしているもの

(目的)
第1条  この条例は、介護の必要な高齢者に対して提供される介護サービスの質の向上を図ることを目的とする。介護保険制度のもと、保険者たる鷹巣町は、高齢者の尊厳を守ることを最大の価値と考える。その証しとして、人権擁護の防波堤をここに築き、地方自治体に課せられた高齢者福祉行政の責務を全うするための礎石とする。
□自治体の責務□

 地方自治法には、次のように記されている。
第1条の2  地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
 国は、前項の規定の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たって、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。

 老人福祉法には、次のように記されている。
第1条  この法律は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もって老人の福祉を図ることを目的とする。
第2条  老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。
第3条  老人は、老齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して、常に心身の変化を自覚して、常に心身の健康を保持し、又は、その知識と経験を活用して、社会的活動に参加するよう努めるものとする。
 老人は、その希望と能力とに応じ、適当な仕事に従事する機会その他社会的活動に参加する機会を与えられるものとする。
第4条  国及び地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有する。
 国及び地方公共団体は、老人の福祉に関係のある施策を講ずるに当たっては、その施策を通じて、前2条に規定する基本的理念が具現されるように配慮しなければならない。
 老人の生活に直接影響を及ぼす事業を営む者は、その事業の運営に当たっては、老人の福祉が増進されるように努めなければならない。

 本条例は、この地方自治法および老人福祉法の精神を具現化するためのものである。

(定義)
第2条 この条例において「権力行使」とは、利用者の自由意志や自己決定を否定したり、あるいは、利用者の行動を制限したりするサービス提供者の行為をいう。
 この条例において「利用者」とは、介護保険法(平成9年法律第123号。以下「法」という。)第7条第5項及び第20項に規定するサービスを利用する者をいう。ただし、本条例第3条から第6条までの「利用者」とは、法第7条第5項に規定する居宅サービスのうち通所介護、通所リハビリテーション、短期入所生活介護及び痴呆対応型共同生活介護、並びに同条第20項に規定するサービスを利用する者をいう。
 この条例において「サービス提供者」とは、前項に規定するサービスを提供する町内の事業者等をいう。
 この条例において「サービス提供者の責任者」とは、町長とサービス提供者の代表者との協議により定められた現場最高責任者をいう。
□現場の最高指導者□

 本条第2項の対象範囲は、具体的には以下の通りとなる。

@権力行使……介護保険施設、居宅サービスの中の通所介護、通所リハビリテ−ション、短期入所生活保護、痴呆対応型共同生活介護
A褥瘡……介護保険施設、居宅サービスの全事業
B苦情……介護保険施設、居宅サービスの全事業

 第4項に定めた「責任者」とは、あくまで最高位の指導者を意味する。法人の理事長又は協議会長が実際に第一線で陣頭指揮する場合は、同者を「責任者」とすることもあり得る。

(保護具)
第3条  サービス提供者の責任者は、利用者が自分自身を著しく傷つける危険が明らかで、かつ、個々の状況においてそれが絶対に必要な場合、ベッド、椅子または車椅子から落下するのを防ぐため、保護具を使って身体を固定するかしないかを決めることができる。ただし、使う保護具は、町が用意したものに限る。
 前項の保護具を使って権力行使を行う場合、定められた様式により町長に届け出て、許可を得なければならない。
 サービス提供者の責任者は、第1項の町が用意したもの以外の保護具が絶対に必要と考えた場合、町長と協議の上、保護具としての指定を受けなければならない。
□いわゆる抑制□

 利用者の身体をひもや帯で縛ることは、刑法にも触れる可能性がある重大な心身への介入行為である。それが、日本の医療・介護施設の現場で必要以上に行われ、さしたる批判も受けないのは、人権上、憂慮すべき事態と言わざるを得ない。
 日本の医療・介護の世界で「抑制」と呼ばれる、この種の自由剥脱行為については、実行する側にも弁明が用意されている。「これは利用者の安全を確保するために必要欠くべからざる処置である」というのがそれである。しかし、自由剥脱を伴う介護は、施設によって、国によって、大きく異なるのも厳然たる事実である。日本においては、ある一人の痴呆性高齢者がA医療介護施設に入れられると必ず縛られるのに、B医療介護施設においては決っして縛られない、といった例がいくらでもある。また、すでに述べたとおり、日本ならあちこちで見られる、高齢者がベッドに縛りつけられる風景は、デンマークならまず見ることが不可能である。

□縛らない施設□

 縛らない道を歩む施設は、いくつかの「縛らないための条件」を満たしている。

☆「人手不足を補うための権力行使」をしないで済むように介護に人手をかけている。
☆痴呆性高齢者介護に長けた現場責任者がいる。 ☆指導者は、痴呆性高齢者介護について、職員を教育するのに熱心である。現場は倫理的向上心に満ち溢れている。
☆施設内での生活は、軍隊的・修道院的な規律に縛られることが少くて、ごく普通の市民生活の自由が約束されている。
☆建物は、利用者同士の葛藤が起きにくい構造になっており、物理的に快適な居心地が確保されている。

 当鷹巣町は、「縛らない道」を歩みたいと考える。

□保護具の管理□

 本条に規定された保護具は、鷹巣町が用意した布製のベルトに限られる。同ベルトは、補助器具センターたかのすに常備されており、所定の手続きで貸与される。サービス提供者の責任者は、これ以外のものが絶対に必要と考えた場合、町から保護具としての指定を受けなければならない。
 第3条は、以下の条件において保護具を使用できることを規定している。

@利用者が、精神的機能が恒常的かつ著しく低下しており、身体的に重い障害を持っている。
A利用者が、ベッドや車椅子からしばしば落下するという具体的な事実を周囲の職員が知っている。
Bそれらを放置すれば、利用者自身が大きな傷害を被る危険に身をさらすことになる。
C他の小規模な強制の度合いの低い介入では、大きな傷害を防ぐことができない。
 しかし、以下のような条件では、保護具を使用することは認められない。
@利用者は、身体に障害のない単なる痴呆である。
A職員が、利用者の過去の具体的事実に基づかずに、近未来の事態を勝手に予測している。
B利用者が、些細なリスク(骨折等には至らない軽い擦傷、切傷等)を被る可能性だけしかない。
C他の小規模な強制の度合いの低い介入で済む。

 保護具はあくまで、好ましい姿勢が保持できない人のための援助器具である。精神機能の低下した利用者に対して、その行動の自由を奪う目的のみで使うことは許されない。幸いにして、当町内のケアタウンも、グループホームも、青山荘も、「抑制は一切していない」と責任者が明言している。町としては、一応、身体をベッドに固定するための帯一式を補助器具センターたかのすに用意する。しかし、これが当鷹巣町における抑制廃絶のシンボルとして永遠に展示され続けることを、町は期待する。

 前記の使用条件を満たしているとサービス提供者の責任者が判断した場合、家族等に説明をした上で、町に対してその行使の許可を申請することになる。

□許可と継続□

 町長は、その保護具の使用が必要であると認めた場合、6か月を最高期限として許可することができる。サービス提供者の責任者は、その期間中に使用を継続するべきかどうか、より小さな介入で済むかどうかを評価し、更に継続が必要と判断した場合には、再度申請することになる。
 申請を受けた町長は、サービス提供者に対し1週間以内にその許可の是非を通知する。サービス提供者は、町長の決定に不服がある場合、権力行使審議会(第9条)に対し保護具の使用の可否の審議を申し入れることができる。保護具の使用中、サービス提供者は利用者に関する見守りを怠ってはならない。保護具の使用は、人手不足を補うものであってはならない。保護具を使用すればかえって付き添いや見回りのための人手が必要になる、と心得るべきである。
 保護具の使用は、町長の指定した様式によりすべて記録されなければならない。その月の記録は、翌月10日までに町長に報告するものとする。

□家族との対話□

 家族が権力行使を施設側に要望することが稀にある。この場合の施設側の対応の仕方は、施設の性格を決める上で大変重要である。例えば「うちの親を縛ってくれ」という家族の要望に対しては、

縛られることでの精神的・肉体的ダメージ、
施設全体の雰囲気の悪化、
他の入居者の心への悪影響、
職員の仕事に対する誇りを毀損する恐れ、
志の高い施設における権力行使のない介護の実践例、
個人の自由を侵害することを厳に戒める先進諸国の風潮、

などを誠実に説明し、施設のポリシーについて理解を求めるべきだ。身体拘束は厚生省令でも原則禁止されていること、事故防止に万全を期すが、それでも事故は起き得ること、身体拘束は「死に至る悪循環」に陥る可能性があること等を、時間をかけて説明し納得を得ることは、サービス提供者の責務である。
 自由の保障には安全面でのリスクが伴う。介護現場は「自由の保障」と「安全の優先」の陣取り合戦の場でもある。安全を考えればこその「権力行使」なのだが、権力行使には毒が、時には猛毒が含まれている。リスクを回避し、なおかつ権力を行使しないようにするためには、「権力行使の代わりに何ができるか」といった創造的思考が現場職員たちに要求される。

□抑制廃止運動□

 日本の痴呆性高齢者が縛られ過ぎなことは、多くの人が認めている。だからこそ、というべきか、1998年秋、福岡県内の30軒近い介護療養型医療施設や病院が「抑制廃止宣言」をした。「私たちは高齢者を縛ってはいない」「うちは縛るのを止めた」と言い出したのである。これが発火点となって、いま抑制廃止の運動が燎原の炎のように日本中に広がっている。看護雑誌は抑制廃止特集を組み、単行本がいくつも出た。厚生労働省も抑制廃止のための指導指針を出した。イベントもあちこちで行われている。この分野に関しては、勉強の機会も資料も、たくさんある。これに無関心なようでは、介護・看護のプロとしての資質を問われる。

(アラーム等)
第4条  サービス提供者の責任者は、利用者自身または他者が大きな傷害を被る危険に身をさらす恐れがあり、かつ、個々の状況においてそれが絶対に必要な場合、利用者の行動を管理するためのアラーム、センサー、探知システム、監視カメラ等を使用するかしないかを決めることができる。
 前項のアラーム等を使って権力行使を行う場合、定められた様式により町長に届け出て、承認を得なければならない。
□薬効と副作用□

 本条は、次のような装置の導入を想定した条項である。

★ベッドの脇の床等に敷く圧力感知型の敷物(デンマークでは「告げ口マット」と呼ばれている)。痴呆のお年寄りが夜間に起きてベッドから降りた時に、職員の部屋に音声信号が伝わって、職員が駆けつける……といった使われ方をする。
★監視カメラ。施設のホール、廊下、居室などに設置され、職員がステーションのモニターテレビで見守る。
★人の通り道にレーザー光線や電波など電磁波を張ったゲートを設置して人の動きを感知する装置。玄関などによく使われる。お年寄りの衣服等に、機械が感知する小さなチップを付けるなどして出入り行動をコントロールするといった使われ方もある。
★コードロック。建物の出入口、棟の出入口、エレベーターの乗り口などに付けられることが多い。外部からの不法侵入を防ぐため、痴呆のお年寄りの「無断外出」を阻止するため、等々いろいろな使われ方が見られる。
★痴呆性高齢者存在確認装置。自由散歩をする痴呆のお年寄り(はっきり言えば「徘徊老人」と呼ばれている人々)の衣服などに超小型発信機を縫い付けるなどして、その電波の受信基地が本人の居所を管理する。「行方不明の事態を避ける」「行方不明者を探す」といった目的で使われる。カーナビの応用編といったもので、ハイテク国日本で流行しそうな気配がある。

 今から15年以上前には、痴呆のお年寄りの背中に住所・名前・電話番号を書いた布を野球選手の背番号のように貼りつけて、自由に徘徊していただく風景がよく見られた。これは名案だと、当時は誰もが思った。痴呆性高齢者の尊厳に思いが及ぶ福祉環境ではなかった。あれに比べれば、電子的な存在確認装置の方が、尊厳の毀損度は、はるかに低い。しかし、それであっても、毀損度ゼロとは言えない。
 デンマークの「告げ口マット」。夜間、ベッドに縛りつけられた痴呆のお年寄りの姿を思い浮べる日本人の私たちは、あのマットを見て「素晴らしい!」と感嘆してしまうが、デンマークの職員に言わせれば、「これは人を監視するもの。誰だって監視はされたくないでしょ。私たちも、使いたくはないけれど今は仕方なく使っているの。だから『告げ口』って呼ばれているの」という具合である。
 もちろんこれは、痴呆のお年寄りにも一般市民と同等同質の普通の暮らしを保障するのが当たり前、自分たちが鬱陶しいと思うことは他人にも施さないのが当たり前、といった倫理的原則に立てば、の話である。
 この分野は日進月歩の世界である。明日はどんな新技術が登場するかわからない。しかし、どんな新システムが導入されることになっても、基本的人権としての行動の自由が剥脱されたり、プライバシーが侵害されたり、尊厳が損なわれたりする可能性は否定できない。 「身の安全を守る」という薬効に期待しすぎるあまり、副作用の毒性に気が回らない、といった事態は避けたい。

□「全体の監視」は禁止□

 個人に対するアラーム、探知システム等は以下の条件で使用することができる。

@居室、ユニット化された小空間、棟、建物等から外に出ることにより、自傷他害の可能性が極めて高い。
A個別的ケ−スにおいて、危険を防ぐためにアラーム等を使用することが絶対的に必要である。

 この装置は、あくまで個々の状況に応じて使われるべきものである。居住する複数の人々をまとめて監視する装置は、認められない。
 これらのシステムは、具体的には以下の条件下で使用可能である。

@利用者がしばしば危険な地域、例えば交通量が多い道路等に出て行ったり行こうとしたりする。
A言葉によるお願いなど軽い介入だけでは、大きな傷害を被る危険から利用者自身や他者を守れない。
B利用者がしばしば建物から外に出て危険な事態を招いた、という過去の具体的事実を職員が知っている。

 この条の規定は以下の条件においては適用できない。

@単に、利用者が居住空間から表に出ると予想されるだけである。
A利用者が、交通量の特に多くない、あるいは、他の危険な要素がない、よく知った道筋をたどることが分かっている。
B利用者が、単にすべりやすい又は平らでない道で転ぶといったような一般市民にもありうる程度の歩行の危険に身を置く。
Cより軽い介入など他の方法で危険を防ぐことが可能である。

 前記の条件を満たしているとサービス提供者の責任者が判断した場合、家族等に説明した上で、町に対してその旨を申請する。
 町長は、そのアラーム等の使用が必要であると認めた場合、6か月を最高期限として許可することができる。サービス提供者の責任者は、その期間中に使用を継続するべきかどうか、より小さな介入で済むかどうかを評価し、更に継続が必要と判断した場合には、再度申請することになる。
 申請を受けた町長は、サービス提供者に対し1週間以内にその承認の是非を通知する。サービス提供者は、町長の決定に不服がある場合、権力行使審議会に対しアラーム等の使用の可否の審議を申し入れることができる。
 アラーム等の使用は、町長の指定した様式によりすべて記録されなければならない。その月の記録は、翌月10日までに町長に報告するものとする。
 なお、本条の規定により、利用者が建物から出ようとしている、また既に出た、といった事態にサービス提供者が気づいた時は、本条例第5条の規定に基づく権力行使で保護することができる。
 アラーム等の使用は、人手不足を補うものではあり得ない。

(緊急の保護)
第5条  サービス提供者の責任者は、利用者が自分自身や他者を著しく傷つける危険が明らかで、かつ、個々の状況においてそれが絶対に必要な場合、身体的な力を使って利用者の行動を遮ったり適正な空間に誘導したりして保護するかしないかを決めることができる。ただし、この権力行使は緊急性が極めて高い場合に限る。  
□緊急事態□

 本条の権力行使は緊急事態を想定したものである。町長の事前の承認を必要としない。本条の権力行使は、利用者が戸惑いや葛藤や驚愕等なんらかの理由によって、自身や他の住民や職員等を傷つける恐れのある行為に出た時、職員が身体的な力を行使して、本人の行動を抑えたり他の空間に誘導したりすることを意味する。だが、この場合でも、利用者を施錠できる空間に誘導することは認められない。
 この強制的な介入は、常に安心感を与えるような対応(温和で誠実な話かけ、包容力を感じさせる優しいしぐさ等)と組み合わせて行わなければならない。職員の喧嘩腰の態度、侮辱的な発言、高圧的な指示等、プロにあるまじき未熟な介護が有害無益なことは言うに及ばない。
 日本の高齢者関連施設では、人手不足に起因するこの種の権力行使がまかり通っている。人手不足を補うための権力行使は、お年寄りの命を値切ることを意味する。

□自傷他害□

 施設においては、利用者の手の動きを押さえたり、手や腕を取って本人の意志に反する方向に誘導したり、といった職員の行動は、よく見られることである。
 例えば、次のような例はいつ、どこでも起こり得る。

 事例:真夜中の某高齢者施設。女性入居者の寝ている部屋に隣の部屋の男性が入ってきた。どちらも痴呆のお年寄りであった。これを目撃した職員は男性に「あなたは間違って他人の部屋に入ったので、出て行きましょうね」と言ったが、男性は出て行こうとしなかった。そこで二人の職員が両側から腕を取って男性を無理やり連れだし自室に戻した。
 この場合、男性が威嚇的な発言をしたり、女性入居者を殴打したり、といった、周囲の人間に危険の及ぶ行動をとった場合には、職員による連れ出し行為は、本条に基づいて適正とされる。しかし、このケースにおいて男性は威嚇をしたわけでも暴力を振るったわけでもなかった。単にそこが自室だと思い込んで居座っただけだった。これを職員が無理やり連れ出した。すると、デンマーク・オーフス市なら過剰な身体的力の行使、つまり法律違反になる。根拠は、「他人の部屋に入ったからといって誰かの生命の危機に関わるような事態でなかったのは明らかである」「単に迷惑をかけただけであった」。つまりこのケースでは、自傷他害には当たらないのに強権を発動した、というのである。上の事例はオーフス市で実際に起きたことであった。施設長は、翌日この報告を職員から聞いて、力ずくで連れ出すほどの問題ではなかった、と判断した。そこで、法律に違反した権力行使と捉えて事の顛末を記録し、市に報告した。
 このケースは、同施設に貴重な教訓を残した。まず、女性の部屋には本人の要請により職員が鍵をかけるべきであった(この鍵は内部から入居者自身が解錠できるのが絶対条件)。事態の推移をもう少し粘り強く見守るという方法もあった。迷惑を受けた女性に、別の部屋に寝てもらうという方法も取れた。男性に自分の部屋の位置をよく知ってもらえるような試みをもっとしておくべきだった。昼に活発に身体を動かして夜に寝ていただくといった習慣が身につくようなプログラムをもっと組むべきであった。……。 

□飽くなき探求心□

 多くの住民が共同で暮らしている場所では、誰かにとって迷惑となる事態はしばしば起こり得る。その解決のために、職員が何らかの身体的力の行使をするのは避けがたいことである。残念ながら、これを、ゼロにすることは不可能だ。しかしゼロに近づける努力は、するに値する。その、ゼロに近づける方策のひとつが、起きてしまった事例を勉強の素材にすることである。上にあげた事例の場合、いつ、どのような状況下で、どのような力の行使が行われ、その解決・沈静にどのくらいの時間がかかったか、何人の職員が関わったか、なぜこのような事態が起こったと思うか、などの記録が残されていれば、後日、職員研修の場で、絶大なる教育効果を発揮するだろう。
 ひょっとしたら何らかのストレスが本人にかかっていたのかもしれないし、放ったらかしにされていた時間が多かったのかもしれないし、十束一からげの行動を強いられてくたびれていたのかもしれないし、ジェラシーを感じて粗野な行動に走りたくなったのかもしれないし、ある特定の人間といつも折り合いが悪くて不機嫌だったかもしれないし、……。
 なぜそのような事態が起きたのか、なぜそのような権力行使をしなければならなかったのかを考えるのは、サービス提供者の義務である。お年寄りの不可解とも思える行動にも何らかの理由がある、と考えるのは、痴呆性高齢者介護に携わる者の努めである。一人の人間の行動の背景を知るのは大変困難なことではあるが、職員たちのこうした領域へのあくなき探求心が、痴呆性高齢者を世話する技術の向上に結びつくはずだ。
 上の事例が鷹巣町で起きた場合、これを高齢者安心条例違反とみるべきかどうか。社会全体の「個人の自由」についての考え方、介護職員の痴呆介護技術の習熟度、指導者の倫理観、など社会や施設の成熟の度合いによって、違反かどうかの解釈は分かれるであろう。違反かどうかの判定よりもっと大切なのは、経験を勉強の糧にする姿勢である。そのためにこそ「記録」と「報告」が大きな意味を持ってくる、ということを強調しておきたい。
 本条の権力行使は、町長の指定した様式によりすべて記録されなければならない。その月の記録は、翌月10日までに町長に報告するものとする。

(居室等への保護)
第6条  サービス提供者の責任者は、利用者が自分自身や他者を傷つける危険が明らかで、かつ、個々の状況においてその危険を回避するために絶対に必要な場合、居室等から出ることを妨げたり、居室等に戻したりする目的で身体的力の行使をするかしないかを決めることができる。
 サービス提供者は、この保護を決める場合、保護時間を決めなければならない。
□放置ではなく□

 この条文に示された権力行使は、居室等の空間に利用者を保護するような状況を想定している。しかし、この場合も、利用者を施錠して中から解錠できない空間に誘導することは認められない。鍵のかかる部屋への閉じ込めは、日本のあちこちの介護施設で少なからず見られる現象だが、高齢者の尊厳を大切にする鷹巣町には、あってはならないことである。
 この強制的な介入は、常に安心感を与えるような対応(温和で誠実な話しかけ、包容力を感じさせる優しいしぐさ等)と組み合わせて行なわなければならない。
 この条の規定は、以下の条件において適用できる。

@利用者がしばしば危険な地域、例えば交通量が多い道路等に出て行ったり行こうとしたりする。
A言葉によるお願いなど軽い介入だけでは、大きな傷害を被る危険から利用者自身や他者を守れない。
B利用者がしばしば建物から外に出て危険な事態を招いた、という過去の具体的事実を職員が知っている。

 この条の規定は、以下の条件においては適用できない。

@利用者が、単に居住空間から表に出ると予想されるだけである。
A利用者が、交通量の特に多くない、あるいは、他の危険な要素がない、よく知った道筋をたどることが分かっている。
B利用者が、単にすべりやすい又は平らでない道で転ぶといったような一般市民の歩行にもあり得る程度の危険度である。
Cより強制力の低い介入など他の方法で補うことが可能である。
この権力行使は、町長の指定した様式によりすべて記録されなければならない。その月の記録は、翌月10日までに町長に報告するものとする。

 第5条(緊急の保護)の指針で取り上げた事例のような場合、その男性を別の部屋に誘導して部屋の中に留め置く事態が考えられる。この場合、職員も一緒にその部屋で付き添う、あるいは、部屋のすぐ外にいて常に見守る、といった気配りが求められる。単に入居者を隔離したまま放置することからは、何の教訓も得られない。

(記録)
第7条  第3条から第6条までの権力行使があった場合、サービス提供者は行使内容を町長の定めた様式により記録し、これを5年間保管しなければならない。
(報告義務)
第8条  権力行使を行なったサービス提供者は、その月の行使の内容を翌月10日までに町長に報告しなければならない。なお、前条の記録の副本をもって報告に代えるものとする。
□前向きな姿勢□

 権力行使は、町長の指定した様式によりすべて記録されなければならない。その月の記録は、翌月10日までに町長に報告するものとする。権力行使の記録・報告義務は、町内諸施設の介護の水準を町長が把握するための大事な情報となる。また、職員たちが、自分たちのやったことは正しかったのかどうか、を確かめるための重要な資料となる。記録・報告の怠りは、事と次第によって深刻度が異なる。「ちょっと忘れた」と「故意に隠した」では、介護に取り組む姿勢に大きな違いがあると言うべきである。職場のリーダーは、「権力行使を記録・報告することは職員の介護技術の研鑽のために大変有意義である」といった前向きな姿勢を職員に徹底させることが肝要である。合意の上での保護具及びアラーム等の使用についても、職員の学習の資料になるよう、記録を残すことが望ましい。

□オーフスの教訓□

 デンマークでは2000年1月1日から権力行使に関する新法(社会サービス法109条)が動きだした。当策定委員会は、本条例を考案するに当たって、オーフス市から助言をもらった。
 オーフス市には重い痴呆性高齢者を専門的にケアする市営の施設「カリタス」がある。全個室、定数110人のユニット形式のケア付き集合住宅で、ここの痴呆性高齢者ケアは北欧で高い評価を得ている。カリタスが、法施行から2001年10月までの1年10か月間に市へ報告した権力行使は延べ11件、行使対象4人。1年10か月の間に4人の痴呆の入居者が報告に値する権力行使を計11回受けた。行使の全ては職員の身体的な力の行使、具体的には「本人の意に反する誘導」。本条例の第5条に該当する行使である。
 施設長のビエギッタ・ミケルセンさんは「一緒に散歩についていってあげたら、ほとんどは権力行使の事態にはならなかったのだけど……」と語る。市の痴呆性高齢者介護の中枢機関として指導的立場にあるカリタスが、職員の無知から記録や報告をしないとは考えにくい。記録・報告を故意に怠ることはもっと考えにくい。つまりデンマークのまじめな施設の権力行使は、この程度の数なのである。同施設長は、権力行使の記録や報告は、「日常の仕事に差し支えるほどのものではない」とも言う。
 因みに、人口約27万人のオーフス市全体で2000年1月1日からの1年間に市に報告のあった権力行使は次のとおりである。

@保護具 22件
Aアラーム等 20件
B緊急の保護 7件
C居室等への保護 26件

 以上の話、大いに参考になる。

(権力行使審議会)
第9条  サービス提供者は、第3条第2項及び第4条第2項の規定による町長の許可及び承認に不服のある場合、町が設置する権力行使審議会に異議を申し立てることができる。
 権力行使審議会は、この不服申し立てに対し可及的速やかに見解を示し、文書をもって申立人及び町長に伝えなければならない。
 町長は、権力行使審議会の見解を尊重するものとする。
□不服申し立て□

 サービス提供者は、本条例第3条の保護具の許可、及び第4条のアラーム等の承認に関する町長の決定に不服のある場合、町が設置する権力行使審議会に異議を申し立てることができる。権力行使審議会は、不服の申し立てがあった日から2週間以内に見解を示すものとする。
 権力行使審議会は、町長が設置し、以下の者をもって構成する。

@福祉のまちづくりワーキンググループ運営委員 2名
A鷹巣町民生児童委員協議会1名
B鷹巣町高齢者安心条例策定委員長 1名
(褥瘡の報告義務)
第10条  サービス提供者は、利用者の身体に褥瘡を発見した場合、町長の定めた様式により、町長に報告しなければならない。なお、その月の褥瘡の状況については、町長の定めた様式により、翌月10日までに報告するものとする。
□負の権力行使□

 褥瘡は、介護のレベルを雄弁に語ってくれる。施設において、褥瘡を縮小させたり、褥瘡の数を減らしたりすることは、介護の質の向上のために有意義である。サービス提供者が介護を勉強する上で、また、町長が鷹巣町の介護レベルを知る上で、褥瘡の記録と報告は重要な情報となる。権力行使の条例に褥瘡問題はなじまない……という声も聞こえてきそうである。しかし、褥瘡は介護の怠慢の証拠である可能性が高い。そこで、褥瘡を「負の権力行使」の結果と位置付けて、本条例に盛り込むこととした。
 (別紙)褥瘡に関する報告について

(調査及び勧告)
第11条  町長は、以下のような事態が発生したと疑われる場合、サービス提供者に対し必要な調査を行うことができる。
 利用者に対して、殴る、蹴る、つねる等の暴力を振るった。
 向精神薬を、効能書きにない薬効を期待するなど正しくない方法により服用させ、行動を抑えた。
 指定外の保護具(帯やひも等)を使ってベッドや車椅子に体幹や四肢を縛った。
 居室・ユニット化された小空間等に施錠等を使って閉じ込めた。
 通信・面会の自由を奪った。
 介護衣(通称つなぎ服)を着せた。
 その他、利用者に対して著しい人権侵害が行われた疑いが濃厚になった。
 町長は、第3条及び第4条、並びに第7条、第8条及び第10条に規定された届出、記録及び報告をサービス提供者が怠ったと認めた場合、サービス提供者に対し必要な調査を行うことができる。
 町長は、前2項の調査を行う場合、以下から選任した者で調査団を組織し、実態調査を行うことができる。
 弁護士、医師、看護婦(士)、薬剤師、介護職にある者、福祉の専門識者、その他
 第1項及び第2項の調査を行う場合、当該施設に赴いて利用者、家族及び職員から事情を聴取することができる。
 町長は、サービス提供者に対し、調査で浮上した問題点について改善を勧告することができる。
□不祥事□

 本条第1項に列挙した事態は、介護現場では絶対にあってはならないことである。このような事態が看過されれば、高齢者へのサービスを大切にする鷹巣町の信用も揺らぎかねない。第1項に列挙した事態が発生した場合、サービス提供者は不祥事として取り扱い、その経緯と内容について正確な記録を残すことはサービス提供者の義務である。

(公表)
第12条  町長は、第3条第2項及び第4条第2項、並びに第7条、第8条及び第10条に規定する届出、記録及び報告を怠ったと認めた場合、第11条第5項及び第13条第3項の勧告に従わなかった場合、並びに第13条第2項の措置に従わなかった場合、その内容や経緯を公表することができる。また、第11条第1項及び第13条第2項第2号の調査の結果も公表することができる。その場合、利用者や家族の氏名を伏せるなどプライバシーの保護に十分な配慮をしなければならない。
□情報は町民の財産□

 本条例には、罰則規定がない。町長には強制権もない。サービス提供者は、記録・報告を怠ることも、勧告・指導に従わないことも、そして、調査の受け入れを拒否することも、可能である。
 ただし、これらの経緯に関する全情報は、すべての町民が共有するべき財産である。町長はこれらの内容や経緯の公表に踏み切ることもあり得る。

(人権問題の解決)
第13条  利用者及び家族・知人等は、サービス提供者から受けた介護サービスの中で人権侵害があったと感じた場合、町長に相談することができる。
 町長は、前項の相談を受けた場合、次の措置をとることができる。
 利用者とサービス提供者との調整
 サービス提供者に対する調査及び指導
 その他必要と認められる措置
 前項第2号の調査においては、第11条第3項から第5項までを準用する。
(相談窓口の設置)
第14条  町長は、介護上発生した人権上の問題を適切に解決するための相談窓口を、福祉保健サービス課及びげんきワールドに設置する。また、町民に対して、高齢者の人権に関する啓発活動を積極的に行うものとする。
□家族の声□

 介護上発生した人権問題とは、不当な権力行使や、第11条第1項に列挙されたような不祥事を想定している。その他、利用者やその家族等が納得できない権力行使も相談のテーマになる。利用者・家族等の申し立ては、電話や手紙も可とする。

(事業者協議会の設置)
第15条  町長は、サービス提供者の介護技術の向上を目的とする事業者協議会を設置する。
(事業者協議会の構成)
第16条  事業者協議会は、介護保険の被保険者に対してサービスを提供している町内のサービス提供者等で、前条の趣旨に賛同する者によって組織される。
(事業者協議会の活動)
第17条  事業者協議会に加盟するサービス提供者は、互いの情報公開や提案・研鑽のための活動を企画し、勉強を通して町全体の介護の質の向上を図る。
□「痴呆」を学習する場□

 協議会設置の目的は、サービス提供者同士が切磋琢磨して、痴呆性高齢者を介護する技術の向上を図ることである。
 痴呆性高齢者に対する介護技術が向上すればするほど権力行使が減るのは、志の高い高齢者施設での数々の実践から明らかである。介護施設及び、そこで働く人々が、痴呆性高齢者に関する知識を学べば学ぶほど、権力行使が確実にゼロに近づく。
 オーフス市では、痴呆性高齢者介護施設「カリタス」の中に痴呆知識センターを設置している。ここには痴呆性高齢者介護に長けた専門家が配備されており、市内全介護職員を対象とする痴呆性高齢者介護に関する技術の向上のための研修を行っている。また、同センターは、職員や家族からの相談にも応じている。
 鷹巣町内の全介護職員の介護技術が向上するよう、アイディア溢れる研修プロジェクトを組む拠点として、当協議会が機能することが望ましい。町内のサービス提供者等が積極的に参加して学習に励み、「意欲的な協議会」と評価されるようになるのが、本条例第15条から第17条までに込められた意図である。


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