福祉人材とコムスン問題の部屋
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内閣官房審議官 河幹夫さん 2007.6.12
私は次の二つのことを考えています。
したがって「介護サービスの効率化」は、「移動の効率化」すなわち「面として利用者が固まっている」ことが必要であり、決して「大会社化」ではないということです。この点、経済界の「合理化論」は基本的な認識不足であるように思います。折口氏も同様であります。
かつて(四半世紀前)共産党を筆頭に多くの左の方々や、ほとんどのメディアが「在宅論」は「社会保障を後退させるもの」とレッテルを貼りました。これを乗り越えるために、大熊由紀子さんのご著作『寝たきり老人のいる国いない国』が何よりも社会的に意義がありました。
問題はここにあると思うのです。榎本コムスンの最大の社会的な功績は、介護保険の「在宅志向」を現実のものにするために特別養護老人ホームと同額かそれ以下で「在宅24時間 365日サービス」を実践して見せたということです。
榎本さんの遺言、久しぶりに読ませて頂き、「もう4年の月日が流れたのか」と感慨にふけっています。亡くなる一ヶ月前、第一回の「介護の学会」をしたいと言われ、「多分、お別れの時」と思い、北九州市に行った日のことを思い出しました。榎本さん宅で夕食を共にさせていただき、酒を酌み交わした後その盃を「君に渡す」と言われました。
多分、榎本さんは、福祉関係に働く方に、「誇りと矜恃をもって貰いたい」(だから学会だつたのでしょう)と考えておられ、「それが利用者の信頼に繋がる」と思っておられました。
であるからこそ私も、「経営者の所有物」としての「職員」という考え方が好きではありません。折口氏批判は当然のこととしても、職員が全て従属していたと考えると、何のための「措置制度からの脱却」だったのか、と職員に対しても言いたくなってしまいます。対人サービスの「本質」論なのではないでしょうか。 |
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