臨床で働いていたときも、学生に戻った現在でも、インフォームド・コンセントを「医療者が説明を行い、それに患者が同意することで今後の方針が決まる」という認識のもと使用してきた。授業を聞き、「十分な情報を手に入れた患者が、治療方針を選択・承諾・拒否するプロセス」ということを改めて知り、衝撃が走った。
考えてみれば極当たり前のことだなあと感じたと同時に、日本の医療現場ではその当たり前のことが十分になされていないのではないかとも感じた。
理由として考えられることは、患者が医師(先生)にお任せという態度をとることも多いこと、またそれを繰り返すうちに医師も勘違いをし、自分に全ての決定権があるように錯覚してしまうということがあるのではないかと思う。
医療者も患者も、インフォームド・コンセントを正確に理解をする、その事を通して、ミスが起きたときにはお互いが十分に話し合いを持つことができるようにしていかなくてはならないと思う。また、十分に話し合いをできるスキルや医療環境も重要ではないかと授業を通して強く感じた。
(助産分野修士課程1年 奥平寛奈さん)
9月26日の特論では、「医療ミスを説明しよう、されてみよう」というロールプレイプログラムが展開された。学生が2人1組になり、医師役と患者家族役を演じるもので、テーマは「患者に起こった医療ミスの事情説明」という場面設定である。
私は、医師役として、患者の容態悪化の経緯や、なぜ、どのようなミスがあり、処置はどうだったか、また、現在と今後の容態について、「ご家族」に説明した。あらかじめ確認した疑問を踏まえた「つもり」だった。
しかし、後に、患者家族役に聞くと、状況云々よりも、病気を治すはずの病院でミスが起こり、病態が悪化してしまうことへの驚きとショックで、状況説明など、耳に入らなかったそうである。どんな説明を受けたか、言葉に出して確認する作業をしてもらったが、上の空で話し、頭でも心でも納得できていないようであった。ショック、否認、現実視できたことでのパニック、怒りと敵意、入院させなければよかったという罪意識……。医師役を経験し、どんなに説明しても、一方的な説明をした「つもり」に過ぎず、患者家族が納得し、その後の医療を選択できるような説明ではなかったと反省した。
私たち医療者は、患者や家族が今、悲嘆のプロセスのどこに位置しているのかを、また、どのようなプロセスを経るのだろうかということを頭の片隅に置きながら対応しなければいけないように感じた。
しかし、このような、患者家族の率直な意見は、なかなか聞けるものではない。私の経験の中では、患者家族は納得した「ような」顔を見せることが多かった。しかし、それは、あくまでもこちらの希望的観測であり、ただ、うなずいてしまっているだけで、実際は納得していないかもしれなかった。
また、状況は理解できても、1人のスタッフのミスが、病院全体への不信感につながってしまうことは言うまでもない。ひと対ひとの仕事であり、取り返せない命を扱う仕事だからこそ、期待も大きい。ミスが起きてしまった時、自分の行ってきた医療に、責任ある態度を持つことが必要なのだと確認した。
(医療福祉ジャーナリズム分野修士課程1年・助産師・三ッ堀 祥子さん)
ミスをしたことがわかったときのあの恐ろしさは、思い出すのも怖いくらいです。
特に誤薬に関しては、起こってはいけないことなのですが、実際のインシデントレポートの殆どが誤薬なのです。
誰もが体験があるように思います。
思いだすと、「確認したつもりで、名前も見直したのに・・・」「どうして?」「間違えるわけはないのに・・・」「自分はちゃんとしている!」と、まず否定する自分がいたと思うのです。
ミスした自分が許せなくなり、何日か落ち込むのです。
すぐに謝ることはとても勇気がいるのだと思います。
今回ロールプレイでは患者役になったのですが、「医者が丁寧に説明してくれても、起きたことには変わりは無い!」と、怒りを覚えました。
真剣に心から深謝する姿勢がとても大切になると痛感しました。
(修士課程1年生 看護教員)
講義を受けつつ即座に思い出されたのが、ある癌患者である。告知されていない症例であった。退院に向けて希望したリハビリも実施できずに、死去していった。告知しない理由は家族が拒否したためであった。告知により治療の選択の幅も広がり、異なる入院生活、またリハビリにより外泊や短期間ながらも退院が可能であったかもしれない。
ロールプレイでは、医者役を担当した。事態の詳細を患者に理解しやすく、かつ、謝罪をする誠意を伝えようとしたのだが、事態を更に悪化させないように言葉を選んでいた。自分を守る姿勢が少なからずあった。医療従事者としてはあってはならない反省すべき点である。
私が患者の立場だった場合には、再度同様の事態が生じないための対策、同様の事態が生じた場合の対応法を説明されなければ、納得できないだろう。
(保健医療学作業療法領域修士課程 野崎智仁さん)
私は「患者役」をさせていただきました。
「医師役」は事実だけを淡々と話すのみで、特に謝罪の言葉はありませんでした。
私自身、「それだけなの?」と思い、さらに聞こうかとも思いましたが、何も言えませんでした。「患者さんが主役」といわれる時代になっているのに、現実はそれに追いつかず、患者さんにとっては、何も言えない場面があるのではないかと実感しました。インフォームド・コンセントを「説明と同意」と誤訳する時代がまだ続いており、同意というよりも、一方通行でしかないとも思いました。
その後、「どうして説明だけだったの?」と、相手の方(医療職)に聞くと「謝ったりしてはいけないと思った。」と打ち明けてくれました。
「患者役」の私としては、本当は、とうてい納得できませんでした。
(助産学修士課程 中島美由紀さん)
衝撃的であった。
仕事上、患者や家族に説明をする機会に同席することが多いが、普段のときと全く異なる自分自身の中の感情に戸惑った。
今回の私は「患者・家族役」だった。「医師役」から医療ミスの事実を隠さず説明を受け、加えて事故の再発防止策も提示してもらったが、全く納得できなかった。
次から次と、説明をされればされるほど頭は混乱し、「どうして、病院にお願していてそんなことが、病院なのに起こったのだ!???」という気持ちのまま感情がストップしていた。
病院が考えている患者・家族の感情と実際に感じている患者・家族の感情のギャップは、はかり知れないものだということを、今回のロールプレーを通じて実体験し、衝撃を受けた。
医療従事者は、もっとひどい状況も知っているため、患者・家族に病状説明するときも、『一般的によくあること』との感覚が抜けないのだと思う。しかし、患者・家族にとっては、今起こっていることが全てであり、初めてぶつかった病気の経験でもあるかもしれない。説明する側はそのことを常に念頭におき、患者・家族と向き合わないといけないと痛感した。
今回のロールプレーで感じた自分自身"素の感覚"を大切に忘れないように仕事に生かしたいと思う。
(医療経営専攻修士1年 高橋 史子さん ソーシャルワーカー)