雑居部屋の部屋

人生の最期を他人との4人部屋で耐えさせることは、まさに、人権蹂躙
ケアタウン小平クリニック・山崎章郎さん

ホスピス緩和ケアに携わってまいりました立場から、また現在在宅での緩和ケアに取り組んでいる立場から一言発言させてください。
ホスピス緩和ケアの領域では、よくスピリチュアルペインという言葉が使われます。
WHOの緩和ケアの定義に中にも、現代ホスピスの母でもある、故シシリーソンダースの提唱する全人的苦痛の中にも大切な概念として登場しています。
日本では一時、「霊的苦痛」などと翻訳されて使用されていたことがありますが、現在では、その翻訳では本来の意味が伝えきれないと考える人々が増え(私もその一人)、また簡略な日本語には翻訳しにくい概念でもあり、そのままスピリチュアルペインと表現されているのが現状です。

さて、ホスピス緩和ケアの臨床の場におりますと、身体的苦痛が緩和され、病状なども適切に伝えられ、結果自分らしく生きる選択をしてきた方々でも、亡くなる前数週間は、多くの場合、ベッド上での生活を余儀なくされます。
つまり、排泄などをトイレで行う事が困難になり、ベッド上での排泄を余儀なくされてしまう(おむつなどを余儀なくされてしまうということでもある)事がある、という事です。排泄をベッド上で行う事や、その介助を他者に委ねなければならない状況を、少なからぬ人が、尊厳の損なわれた、耐え難い状況と考えます。個室や自宅というプライバシーの保たれた空間にいて、丁寧で、心のこもったケアを受けたとしても、そう考える人がいます。

「この状況ではとても生きる意味がない、だから早く死にたい」と苦悩する方がたくさんいます。生きる意味を見いだせない状況は他にもありますが、この生きる意味が見いだせず苦悩する状況がスピリチュアルペインと言われているものだと考えていただいても結構です。
個室にいても、あるいは自宅にいてもそうなのです。丁寧で誠実な具体的ケアだけでなく、いわゆるスピリチュアルケアが必用な状態です。本来のホスピス緩和ケアには適切なスピリチュアルケアは欠かせない所以でもあります。

前置きが長くなりましたが、個室にいても、自宅にいても、耐え難いと思わざる得ない状況を、ましてや、他人との4人部屋などで耐えさせることは、人権蹂躙以外の何物でもないでしょう。「個室を保証されることは基本的な人権」であると思います。
「市民が困っている」現状は、従来の政治や行政の無策や貧困の結果であり、それを「市民の声」と表現することは、政治や行政の責任転嫁としか思えません。

池田徹さんが特養の自己解体を提案していますが、私どもの経験からも、今後、24時間の在宅医療、滞在型介護、食事サービスが保証されれば、特養などへの入所や、あるいは最期を病院で迎えるなどの必要はなくなり、一人暮らしでも最期まで、自宅にいることは可能になると考えています。
「自力では生きることが困難な状況でも人権、尊厳、自律を守られ、最期まで安全に、安心して暮らせる場」の提供こそ、国家の国民に対する責務であると考えます。また国民はそのことのために、適切に使用される事を前提にした、必要な税負担をする義務があると考えます。

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