優しき挑戦者(国内篇)

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 まず、クイズです。
☆ニューヨークで活躍するミュージシャン加納洋さん
☆感情社会学、社会情報学と幅広い学問分野を開拓する静岡県立大教授の石川准さん
☆イラストレーターの中野寿子さん
☆ユニバーサルデザインの思想を日本に広めた建築士の川内美彦さん
☆熊本県議の平野みどりさん
☆情報誌「笑暮−スマイリング」の編集長で15冊もの本の著者、松兼功さん
☆金メダル3個、銀メダル1一個を一度に獲得した松江美季さん
☆JTBで、旅を企画する相良啓子さん
 この多彩な8人には共通点があります。さて、何でしょう?

 共通点は2つ。1つは、いずれも重い障害の持ち主であること。最初のお二人は盲、最後のお一人は聾、その他の5人は肢体不自由の身です。
 もう1つは、いずれも、「ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学派遣事業の経験なしに今の自分は考えらない」と述懐することです。
でも、この8人だけではないのです。障害をもって輝いている人と話していると、「ミスタードーナツで人生が変わった」という言葉がよく飛び出します。うっかりものの私はこう思いました。人材を育てるボランティアを20年以上も続けるとはアメリカの底力は凄い、日本の企業も見習ってほしいものだ、と。
 ところが、調べてみたらミスタードーナツは、なんと日本の企業、ダスキンの一部門でした。

■創業記念日に、売り上げの、なんと半額を寄付■

 「泉のようにアイデアが沸く人物」がミスタードーナツの幹部の中にいた、それが、事の始まりでした。
 その人は「ねむの木学園」の子どもたちの絵を店に飾って人々を癒したい、その絵が視野に入る場所に、障害のある人々のための募金箱を置きたいと考えました。国際障害者年の1981年はミスタードーナツの10周年に当たっていました。それを記念して「100人の障害者を2週間」アメリカに送りたいと思い立ちました。
 相談を受けた「ねむの木学園」の宮城まり子さんは怒りました。「それでは物見遊山に終わってしまいます」。彼は納得し、「10人を1年間」アメリカに送り続ける事業を考えました。景気に左右される企業の仕事にしては危険だと「財団法人広げよう愛の輪運動基金」を設立しました。1981年3月、全国紙で留学生を募集しました。
 研修計画を自分で考えるのがこの留学の特徴です。志を評価された10人の若者が翌年1月、日本を飛び立ちました。

 帰国した若者たちの中から、障害をもつ人が街の中で生きるための自立生活運動のリーダーが次々と生まれました。奥平真砂子、谷口明弘、安積遊歩樋口恵子、井内ちひろ……。日本の自立生活運動は、ミスタードーナツが耕した土から芽吹き花開いたといってもいい、そんな活躍ぶりです。
 基金の集め方も意表をついていました。1982年1月27日、全国360のミスタードーナツショップで思い切った催しが執り行われました。創業記念日に当たるその日の売り上げの、なんと半額を財団に寄付することにしたのです。気前のいい催しは財団の基盤が安定するまでの10年間続きました。その後も「創業記念日の売り上げの一割を寄付する」というしきたりが続き事業を支えています。

■途上国の障害をもつ若者を日本で育てる■

 1991年、この事業の冠名はミスタードーナツからダスキンに変わり、ダスキン傘下の8000軒の店がこの事業に加わりました。「泉のようなアイデアの主」が親会社のダスキンの中枢に移ったという背景がありました。米国留学は海外研修に、個人留学はグループ研修に変わりました。
 1993年には、知的なハンディを負った若者たち10人がこの事業でスウェーデンを訪ねました。当時の新聞にはリーダー格の八木史久さんのこんな言葉が載っています。 「あっちの人は堂々と自分の意見を話すというのが印象に残った。自分はこれまで、これ言っちゃ怒られるんじゃないか、あれ言っちゃどうなるかって、ついつい気にするところがあったから、すごく勉強になった」。
 スウェーデンに滞在するうちに参加者の姿勢が変わっていきました。
 この事業は、自立生活運動だけでなく、知的障害をもつ人自身の活動、「本人活動」を生み出す後押しをし、日本の福祉文化を変えていったことになります。

 1999年、事業はさらに飛躍することになりました。事務局長の山本好男さんの提案で始まった「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」、途上国の障害をもつ若者に1年間日本で研修してもらうのです。迎え入れるのは、この事業でたくましく育った先輩たちです。

 巣立った298人がいま心を痛めていることがあります。この事業の育ての親で天才肌のリーダー、千葉弘二元ダスキン会長が背任の疑いで逮捕されたのです。
 起訴事実が仮に真実だとしても、この分野で千葉さんが成し遂げたこと、ミスタードーナツやダスキンの社員が寄せた温かい気持ち、その価値は消えないでしょう。
 もちろん、この事業が育てた人々も。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』[旧・『月刊ボランティア』]2003年7.8月号より)

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