優しき挑戦者(国内篇)

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 私の趣味は「法則」づくり。
 「ボランティアの法則」というのもつくってみました。

  第1法則・自身がボランティアしていない人ほど、「ボランティアを振興しなければならない」と熱弁をふるう。
  第2法則・「これぞ、真のボランティア」、そういう人ほど、自身がボランティアしていることに気づいていない。

 怖い、暗い、貧しいというイメージがまとわりついてきた精神病の世界に「笑い」と「商売」をもちこんで世の常識を一変させつつある「べてるの家」のメンバーや応援団は、第二法則にぴったりです。

■それは、オンボロ教会から始まった!!!!!!!■
写真@:浦河教会に間借りして始まった「べてるの家」

 北海道の襟裳岬に近いさびれた浦河の町に、牧師もいないオンボロの教会がありました。ネズミがわがもの顔に走り回るその教会に、精神病棟を退院したけれど行き場のない男たちと浦河赤十字病院の新米ソーシャルワーカー、向谷地生良(むかいやち・いくよし)さん住み着いた、(写真@)それがことの始まりでした。1978年のことです。
 盗聴器が仕掛けられて信じて110番通報する人、妄想がもとで取っ組み合いの喧嘩になってパトカー出動となる人……、教会の評判はガタ落ちです。
 病院も「患者と同じ屋根の下で暮らすとは言語道断」と立腹。向谷地さんに「精神科病棟出入り禁止」と「精神科患者との接触禁止」を申し渡しました。

 この危機的状況の突破口になったのが、いまは「べてる販売部長」を名乗る"キヨシどん"こと、早坂潔さんです。
 どんな仕事についても長続きしない彼のために、地元の日高昆布の袋詰め内職が考え出されました。ところが、別のメンバーが親会社の工場長と喧嘩して早々と暗礁に。その時、当時としては妄想に近いアイデアが生まれました。
 「漁協から直接昆布を仕入れ全国に売って町に貢献しよう」。

■妄想・幻覚を商売に■

 そんな夢のようなことが可能になったのは、偶然の出会いからでした。
産科病棟で向谷地夫人の悦子さんと隣りあわせになった小山祥子さんと夫の直さんが「べてる」に惚れ込んでしまったのです。直さんは地元の燃料会社の社長です。
 「何か協力できることがあったら」
 「バソコンが使えないかな、と……」
 そんな会話を交わすやいなや、小山さんは自社のパソコンを持参してセットしました。さらに町内の商店主や農協、会社経営者が交流する勉強会への参加を勧めました。
 「べてる」のメンバーは大挙して勉強会や焼き鳥屋での二次会に参加することになり、経営ノウハウを身につけてゆきました。

写真A:「精神ばらばら病」にあやかった名物「ばらばら昆布」。似顔絵はきよしどん。 写真B:ファックス通信「ぱぴぷぺぽ」をまとめて1800円の商品に

 「精神バラバラ病のキヨシで〜す」という自己紹介から「ばらばら昆布」というヒット商品が生まれました。"キヨシどん"の似顔絵入りです(写真A)。
 発作を起こしたときのことを「ぱぴぷぺぽ状態」と呼んだことから、ファックス通信に「ばぴぷぺぽ」(写真B)、介護用品ショップには「ぱぽ」という名がつきました。「ゲンチョーさんTシャツ」(写真C)も売れ筋です。
 1984年の「妄想」は、今、現実になりました。10万円の元手で始めた昆布の産地直送販売はいまや、年間売り上げ2000万円に。妄想や幻聴を商品化したグッズや清掃、出版、養豚などの事業を加えた年間売り上げを合わせると1億円にのぼります(写真D)。

写真C:売れ筋のゲンチョーさんTシャツ 写真D:工夫を凝らした商品が並ぶ「ぶらぶら座」
■奇想天外「幻覚&妄想大会」■
写真E:幻覚・妄想大会が呼び物、2004年6月10回を迎えた「べてるまつり」
写真F:全国各地から500人が集まりました!

 話は勉強会に戻ります。変わったのはべてるの面々だけではありませんでした。
 商店主や銀行員の中から「べてるは面白い」という話が出るようになり、91年には第1回「偏見・差別大歓迎大会」が催されました。
 「偏見?あ、あたりまえです」
 「私たちも、この病気になったらお終いだと誤解して、慣れるまでに時間がかかりました」
 ここでは、幻聴を「幻聴さん」と呼び、おおっぴらに披露し合います。これが発展して、「幻覚&妄想大会」が毎年開かれるようになりました(写真EF)。その年にもっとも奇想天外な幻覚・妄想を体験した人にグランプリが出て、みんなから褒められるのです。

 小山さんは、「べてるの楽しさ、素晴らしさを"布教"したくてたまらなく」なりました。向谷地さんの文章を経営コンサルタントの清水義晴さんに送りました。
 べてる熱は、こんどは、清水さんに伝染しました。そして、92年、清水さんの肝入りで、「べてる」を紹介する初めての本がが誕生しました。

 清水さんのべてる熱は重症化する一方でした。文章では表現できない明るさ楽しさを世に知らせなければと、記録映画作家の四宮鉄男さんを口説きました。小山さんと清水さん、まさに「つなぎボラ」です。
 べてる熱は、さらに、四宮さんにも"感染"。
 ビデオシリーズ・「ベリー・オーディナリー・ピープル(とても普通の人々)予告編」9巻と「分裂病を生きる」10巻が次々と生まれました。これを見た人々が、またまた「べてる熱」にとりつかれるという事態になりました。

■世界初の当事者研究大会■

写真G:ことしの目玉は、世界初の「当事者研究」
写真H:べてるまつりで、自作のさをり織りをまとって活躍するメンバーたち。かつて、大暴れしたとは思えない美女ぶり。左は「喧嘩の仕方」の筆者、山本賀代さん
 ことしは、「世界初」と銘打った「当事者研究大会」が催されました(写真G)。
 研究は医師や研究者がするものという常識を破るものです。「研究」という形をとることで内容が普遍化され社会化され、同じ生きづらさを抱えた仲間にも貢献できる、これはまさに「当事者ボラ」です。
 詳しくは、HP http://www18.ocn.ne.jp/~bethel/ やそこに紹介されている書籍をどうぞ。
 このHPの「精神保健福祉の部屋」にも、当事者研究のサンプル「喧嘩の仕方」がアップされています(写真H)。
 べてるの電話番号は、01462−2−5612、ファックスは4747
大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2004年9月号より)

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