ゆきこさん
年輪に半日いただけで、「必要なサービスをなんとしてでも作るのだ!!」という気迫を感じました。
また、認知症の方の個性というのでしょうか・・、「私は歌うのが好きだけど、体操は嫌」とか、「午後はのんびり過ごしたい」とか、デイホームにいて、一人一人の性格を感じられる雰囲気がとても素敵で、もっとここに居たいなあと感じました。
(略)
井原真由子
ゆきこさま
このように"普通の時間""普通の暮らし"を可能にするケアが、あるのだなぁ!このようなところが、世の中にあるのだなぁ!そして、安岡厚子さんのような方が、いるのだなぁ!と、ひたすらあっけに取られました。
「本当にプロ!」なケアを提供する「事業体」の面と、多様な方法で地域を耕す「運動体」の面、その両方の幅と深さを備えるNPOを初めて見ました。
グループホームでは、小さな1つ1つの風景が、印象深く心に残りました。たとえば、入居の女性が「電話がきたら、名前きいとくわねー」とスタッフに話しかけていたり。男性が、ごく自然に玄関からお散歩に出て行かれたり。
本などで少々は先進的ケアについて学んできたつもりでも、認知症の方々がここまでふつうに生活されていることに、驚いてしまった自分がいます。
(略)
吉岡洋子
◇
西東京市にあるNPO法人・サポートハウス年輪を大阪大学の大学院生と3人で訪ねた、その夜に飛び込んできたメールです。感動を抑えきれなかったのでしょう。
この感動の裏側には、日本の悲しい現実があります。
◆必要なサービスを作り出すのではなく、お年寄りを制度に無理やりあわせる方式
◆それまでの人生に敬意を払わない、十把一からげのお仕着せプログラム
◆地域とは無関係に舞い降り、儲からなければ引き上げていく介護ビジネス
院生の一人は、介護サービス会社の最終面接で「君は、どのようにして儲けに貢献できるかね」と再三質問されて、幻滅を味わったばかりでした。
話は28年前、1978年に遡ります。引っ越してきたばかりで淋しかった安岡さんは、田無市の広報紙で知った婦人問題講座に飛び込みました。「保育つき」が魅力でした。そこで知りあった女性たち16人でつくったのが、自主グループ「バウムクーヘン」でした。年輪を1つ1つ重ねていこうという意味の名前です。
20歳ほどの年の開きがある仲間たちで月2回の勉強会と家族ぐるみのつきあい(写真@)を重ねるうちに、高齢問題の深刻さに関心が集中してゆきました。田無市の地域福祉計画に役立てようと「ひとり暮らしの高齢者実態調査」に取り組みました。24人の仲間で500人を訪問しました。
こうして自費出版したのが『私はこの家で死にたい』でした。
直接話を聞いて、歩いて、気づきました。ホームヘルパーの24時間派遣とお弁当を運ぶサービスがあれば、自宅での暮らしを少しでも長く続けられるのではないだろうか。
あとは実践あるのみ。「サポートハウス年輪」を設立しました。
「サッカーのサポーターがグラウンドに入れないように、グラウンドの主役は利用者さん、私たちはサポーター。それでサポートという言葉を入れました」と聞いて私は嬉しくなりました。私も、主役は学生さん、教師はサポーターと考え、「先生と呼ばないで」といっているからです。冒頭のメールの呼びかけが友だちムードなのはそのせいです。
さて、「年輪」は、94年3月、4畳半と6畳の和室に台所、というアパートで門出しました。その時のスタッフは、夕食をつくって届ける2人と365日24時間対応のホームヘルパー5人、そして、ヘルパー兼コーディネーターの安岡さん。これを応援する年会費6千円の会員50人。
介護のワザは、同じ田無にある「自立生活企画」の障害者介助ヘルパーから学びました。写真Aは年輪弁当を発案した設立メンバー、阿部千寿子さんのスケックブックの1ページです。
それから12年。
阿部千寿子さんは、夫と死に別れて独り暮らしになり末期の癌が見つかりました。「大好きな私の家で死なせて」という願いは、かなえられました。食事の配達、ホームヘルパー、訪問ナース、往診してくれるお医者さん、望み通りに家で人生の最後を過ごしてなくなりました。
2003年元旦には、念願のグループホーム「ねんりんはうす」が、集合住宅の中に誕生しました。マンションの3区画の間の壁、さらにテラス側の壁をぶち抜いた広々した空間です。徒歩数分のところに小さなスーパーも開店したので、連れ立って買い物にもでかけます。
サービスの質の高さは、冒頭の二人の大学院生の言葉、そして、そこに流れる穏やかな時間(写真B)が証明しています。台所にたっている女性(写真C)をスタッフと思って声をかけたら利用者さんでした。盛りつける2人の女性(写真D)は真剣そのものです。スタッフは、ごくごくさり気なく支えています。
「十人十色の安心」「さりげないサポートがここのモットーなのです。
デイホームにも台所があって(写真E)いい香りがただよってきます。
そこで写真Fの女性に会った時には、涙が出そうになってしまいました。楽しそうにマニキュアをしてもらい、「写真に撮って!」と見せてくださったのです。
20年ほど前、北欧を旅したとき、日本でなら「寝たきり老人」と呼ばれる身になるような人々が起きてお洒落し、女性は爪を美しくマニキュアしている姿にショックを受けました。
そして、『「寝たきり老人」のいる国いない国』(ぶどう社)という本を書きました。当時の日本では同じ症状の人が老人病院や精神病院で寝間着姿、ウツロな表情で横たわっていたからです。要介護のお年寄りがマニキュアしてもらう、そんな日が私たちの国にもくるとは想像もできませんでした。
それが目の前で実現しているのでした。
サポートハウス年輪は、バスの停留所の真後ろにあります。バスを待ちながら、地域で暮らしつづけられるための様々なサービス(写真G)に気づく人もいます。
ケアプラン作成
ヘルパー派遣
デイホーム(通所介護)
グループホーム(ねんりんはうす)
配食サービス(昼食、夕食)
生きがい対応ミニデイサービス(ねんりんひろば)
申請代行、各種相談
「お弁当販売中」の看板(写真H)を見て、ご近所の人が気軽にはいってきます。ヘルシーで美味しいという評判で、訪ねた日の献立は、鯖の味噌煮と油揚げの柳川風、煮豆、ぬた和えがメインのお袋の味でした。
いまは、年商3億円に近づき、利用者600人、スタッフ110人。
けれど、問題は山積、と安岡さんはいいます。
「女性が中心になって、地域の人々の願いをかなえるためのサービスの仕組みをつくりあげ、NPOに育ちました。メンバーは、介護を自分自身の問題ととらえてきました。それを男性たちが制度にした。そして、ビジネスとして男性が参入してくる。そんな構造の中で、介護職の身分保障も、質を高めるための研修も、置きざりにされています」
そう、「年輪」を一歩出れば、マニキュアどころではない現実が、いまも、広がっているのですから。
◇
サポートハウス年輪のホームページは、http://www.npo-fukushi.com/
安岡厚子さん著『介護保険はNPOで〜サポートハウス年輪の挑戦』も、ブックマン社から出版されています。
(大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2006年4月号より)