優しき挑戦者(国内篇)
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2001年01月06日 夕刊コラム「窓・論説委員室から」より
「ばあちゃんは、いの一番が大好きでした。二十一世紀最初の元日未明に召され、完ぺきと喜んでいるでしょう」と告別式で長男の善之さんはいった。
富山市のデイケアハウス「このゆびとーまれ」の名物だった。重症の痴ほう症だが、ご本人は「手伝いにきている」つもりだった。「給料はいらん」
二十七日、「あと二、三日」と医師に告げられた。「自然に最期を迎えさせたい。でも、自宅では自信がない」という家族の願いで、「このゆび」のスタッフ、看護婦の惣万佳代子さんと西村和美さんが添い寝した。元日午前五時三十九分、キヨさんの寝息が静かに止まった。
昨年暮れ、若い研修医から、こんな悩みを聞いた。
惣万さんたちが「このゆび」を始めたのは、病院での死に疑問を感じたからでもあったという。臨終の場面。医師も看護婦も家族までも、心電図モニターの波形を見つめている。波が平らになったときが死。 〈雪〉 |
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