優しき挑戦者(国内篇)

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(23)添い寝の死(窓・論説委員室から)
2001年01月06日 夕刊コラム「窓・論説委員室から」より


写真:こどもをあやす名人だったキヨさん

 「ばあちゃんは、いの一番が大好きでした。二十一世紀最初の元日未明に召され、完ぺきと喜んでいるでしょう」と告別式で長男の善之さんはいった。
 昨年十二月二十四日の本紙社説に、とびきりの笑顔の写真で登場したキヨさんのことだ。

 富山市のデイケアハウス「このゆびとーまれ」の名物だった。重症の痴ほう症だが、ご本人は「手伝いにきている」つもりだった。「給料はいらん」
 キヨさんのまるいおなかの上で赤ちゃんは安心して眠った。子どもたちが「ポケモン」に夢中になっていると、「バケモンけ?」と仲間入りした。
 がんが進行してからも、「このゆび」のスタッフがさじでつぶして一口ずつ運ぶ食事をおいしそうに食べた。

 二十七日、「あと二、三日」と医師に告げられた。「自然に最期を迎えさせたい。でも、自宅では自信がない」という家族の願いで、「このゆび」のスタッフ、看護婦の惣万佳代子さんと西村和美さんが添い寝した。元日午前五時三十九分、キヨさんの寝息が静かに止まった。
 享年八十六歳。

 昨年暮れ、若い研修医から、こんな悩みを聞いた。
 「家族から、『年内に死ぬといろいろめんどくさいので、年を越すように頼みます』といわれたご老人を、人工呼吸器と強心剤でもたせています。これが医師のつとめでしょうか」

 惣万さんたちが「このゆび」を始めたのは、病院での死に疑問を感じたからでもあったという。臨終の場面。医師も看護婦も家族までも、心電図モニターの波形を見つめている。波が平らになったときが死。
 「そんな死がいやでした」
 西村さんも言った。
 「病棟で死を迎えた方たちは、顔が引きつっていることが多かった。キヨさんは、魂がすーっと抜けていったようでした」

〈雪〉

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