優しき挑戦者(国内篇)
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「内部告発者」と呼ばれる方々は、「究極のボランティア」ではないか、と私は密かに思っています。
ボランティアの語源は志願兵、「自分の中に生まれる抑えきれない思いが吹き出てきて、行動に移す人がボランティア」と『NPO基礎講座』(ぎょうせい刊)は定義しています。
そんな「内部告発者」を守るという法律が、この4月、施行されました。 ■「本当のことを知るのが、なぜ難しい?」■
2006年4月15日、東京で催されたシンポジウム「本当のことを知るのが、なぜ難しい?患者と医療者が手をつなぐためにすべきこと 」(写真@)のきっかけになった事件も、そうでした。
2005年11月、驚くべき判決が東京高裁でありました。日本医大であごの骨つぎ手術を受けた20歳の女性が、手術後まもなく亡くなりました。ワイヤが脳に刺さる事故があったのに、そのことを伝えなかったと遺族に伝え、謝罪した医師の行為が、名誉毀損だとされたのです。
この日本医大のケースでは、遺族に事実を話した医師の目的は病院を告発することではなく「謝罪すること」でした。
ワイヤが刺さったか否か(写真ABC)を巡り、「刺さった」とする4つの大学の教授・助教授の鑑定意見書と「刺さっていない」とする医大側の鑑定意見書が真っ向から対立した末、東京高裁は、遺族に話したこと自体をも名誉毀損としました。 ■公益通報者を「物心両面で支える」と宣言■
15日のシンポジウムには予想をはるかに超える300人が集まりました。(写真D)。
シンポジウムは、このような悲しみを抱えた家族たち、真実を述べようという思いをいだく医師やナース、学生の手弁当の働きで進められました。そして、「患者のためを思って行動した良心的な医療従事者を私たちは守り、物心両面で支えます」宣言して感動のうちに終了しました。
ジャーナリストと"内部告発者"とは切っても切れない縁があります。記者生活の中で出会った大勢の方の中で、とくに忘れられないのは,危険をおかしても真実を知らせようとした方々でした。
調査報道という言葉もなかった1960年代のこと、記事が日の目を見るまでには幾重もの困難がありました。それでも記事にできたのは、被害者の住所をこっそり知らせてくれた医師がいたからこそ、でした。
この医師の存在を私はずっと隠してきました。その方は、"内部告発者"と非難されることなく、先日、穏やかに世を去られました。 ■「この戦場には、相互の信頼が絶対必要なのです」■
打出さんは「"内部告発"なんかしなくてすむために」という文章をこう結んでいます。
「医療現場は、患者と医療者が共にスクラムを組んで病魔と闘う戦場です。ですから、この戦場には、相互の信頼が絶対必要なのです」。 (大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2006年5月号より)
半年たった2006年11月11日、郡家正彦さん、打出喜義さんを迎えて再びシンポジウムが開かれます。会場からのご発言も歓迎です。 | |||||
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