優しき挑戦者(国内篇)

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 「内部告発者」と呼ばれる方々は、「究極のボランティア」ではないか、と私は密かに思っています。

 ボランティアの語源は志願兵、「自分の中に生まれる抑えきれない思いが吹き出てきて、行動に移す人がボランティア」と『NPO基礎講座』(ぎょうせい刊)は定義しています。
 福祉のボランティアは、ふつう、感謝されるだけですが、内部告発ボランティアは、志願兵同様、わが身に危険がふりかかることを覚悟しなければなりません。組織から追放され、路頭に迷うことさえあるのですから。

 そんな「内部告発者」を守るという法律が、この4月、施行されました。
 公益通報者保護法、組織内部での不正行為などの公益通報を行った人に対する報復的な人事などを禁じる法律です。
 4月26日、金沢大学付属病院産婦人科講師の打出喜義さんと同大法学部教授、仲正昌樹さんが、厚生労働省に「公益通報者保護」の上申書を提出しました。患者に無断で薬の臨床試験をしたことをめぐる裁判で、患者側に立って証言しようとしたところ、「上司から退職を迫られたり、嫌がらせをされている。守ってほしい」という訴えです。
 医療の世界では、このような「事件」は絶えません

■「本当のことを知るのが、なぜ難しい?」■

写真@:右から代表の永井裕之さん、シンポジストの中医協委員の勝村久司さん、熊本大学医学部助教授の粂和彦さんスクリーン中央に写っているのは、事故で亡くなった永井さんの夫人

 2006年4月15日、東京で催されたシンポジウム「本当のことを知るのが、なぜ難しい?患者と医療者が手をつなぐためにすべきこと 」(写真@)のきっかけになった事件も、そうでした。
 医療の良心を守る市民の会のホームページは、こう呼びかけています。

 2005年11月、驚くべき判決が東京高裁でありました。日本医大であごの骨つぎ手術を受けた20歳の女性が、手術後まもなく亡くなりました。ワイヤが脳に刺さる事故があったのに、そのことを伝えなかったと遺族に伝え、謝罪した医師の行為が、名誉毀損だとされたのです。
 この判決は多くの問題を私たちに投げかけています。

  • 愛する人がなぜ死んだのか知りたい、という家族の思いが叶わない現実
  • 医療者同士でさえも素直に話し合えない独特の文化ゆえ、患者に本当のことが言えなくなってしまうという現実
  • 医療裁判には、限界があるという現実
  • このままでは患者と医療者が歩み寄れないという現実
 この判決をきっかけの1つに、同じ思いをもつものたちが現状を少しでも改善するために、この会を立ち上げました。

 この日本医大のケースでは、遺族に事実を話した医師の目的は病院を告発することではなく「謝罪すること」でした。
 遺族は病院から、「手術や治療に問題はない」としか説明されず、悩み苦しんできました。その遺族にとって、医師の謝罪は、長年の心のわだかまりを解くきっかけになりました。
 けれど、病院組織から見れば、同じ行為が「内部告発」と映ります。
 医師を訴えた医大側が当初、請求した額は1億3000万円でした。

 ワイヤが刺さったか否か(写真ABC)を巡り、「刺さった」とする4つの大学の教授・助教授の鑑定意見書と「刺さっていない」とする医大側の鑑定意見書が真っ向から対立した末、東京高裁は、遺族に話したこと自体をも名誉毀損としました。
 医師は約550万円の賠償を命じられ、裁判の舞台は最高裁に移りました。

写真A:金属ワイヤが脳に刺さったことを示唆するレントゲン写真 写真B:金属ワイヤが脳に刺さったことを示唆するレントゲン写真 写真C:金属ワイヤが脳に刺さったことを裏付けるCT写真

■公益通報者を「物心両面で支える」と宣言■

 15日のシンポジウムには予想をはるかに超える300人が集まりました。(写真D)。
 代表の永井裕之さんは、ナースだった夫人を点滴薬の取り違えで失いました。病院側は事実を隠すためにあらゆる手段を使いました。写真班を引き受けた間下浩之さんは、病院の情報システムの専門家ですが、次男智亮さん(写真E)の院内での不慮の死について病院側が真実を隠そうとすることで二重の苦しみを負っていました。

写真D:種田憲一郎さん(国立保健医療科学院政策科学部主任研究官)の音頭取りで、会場一杯の参加者が「医師」と「家族」のペアになってロールプレイ 写真E:次男、間下智亮さん理不尽な死に納得できない浩之さんは写真班をつとめました

 シンポジウムは、このような悲しみを抱えた家族たち、真実を述べようという思いをいだく医師やナース、学生の手弁当の働きで進められました。そして、「患者のためを思って行動した良心的な医療従事者を私たちは守り、物心両面で支えます」宣言して感動のうちに終了しました。

 ジャーナリストと"内部告発者"とは切っても切れない縁があります。記者生活の中で出会った大勢の方の中で、とくに忘れられないのは,危険をおかしても真実を知らせようとした方々でした。
 糖尿病で目が不自由になり、その上、当時でいう「脳軟化」、今でいう認知症で手術を続けて次々と犠牲者を出している高名な院長の手術を止めさせようとした産婦人科医もそうでした。
 「赤ちゃん産まれるんだって?日赤産院だけはやめた方がいい。近頃ミスが多いらしいから」と個人的忠告を受けたのが発端でした。

 調査報道という言葉もなかった1960年代のこと、記事が日の目を見るまでには幾重もの困難がありました。それでも記事にできたのは、被害者の住所をこっそり知らせてくれた医師がいたからこそ、でした。
 記事が出て、院長は引退し、被害は止まりました。

 この医師の存在を私はずっと隠してきました。その方は、"内部告発者"と非難されることなく、先日、穏やかに世を去られました。

■「この戦場には、相互の信頼が絶対必要なのです」■

 打出さんは「"内部告発"なんかしなくてすむために」という文章をこう結んでいます。
 「医療現場は、患者と医療者が共にスクラムを組んで病魔と闘う戦場です。ですから、この戦場には、相互の信頼が絶対必要なのです」。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2006年5月号より)


半年たった2006年11月11日、郡家正彦さん、打出喜義さんを迎えて再びシンポジウムが開かれます。会場からのご発言も歓迎です。

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