私の席の近くに、お逢いしたことのあるようなご婦人がおられたので、「どこかでお逢いしたことがありませんでしたか、私は永井友二郎ですが」と、いいましたところ、驚いたことに、「千葉県知事の堂本でございます。『死ぬときは苦しくない』という先生のご本を受付でいただいてきました」といってくださいました。
それがきっかけで話がはずみ、かたい握手でお別れをした始末でした。
(医療界の長老、永井友二郎さんから)
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受付の抽選は、私に素晴らしい「縁」を授けてくれました。
両隣は、厚労省老健局課長川尻良夫様と月刊『介護保険情報』の浅野邦男様、お向かいは市民福祉情報の小竹雅子様、自立生活企画代表 益留俊樹様と介助者の方でした。
たっぷり議論?させて頂きました。
・2年前のガイドラインと今回の介護保険法改正
・今回の改正による現場の混乱
・福祉用具ディーラーとして恥じ入るばかりなり
(福祉用具のプロ、岩元文雄さんから)
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「濃縮シンポジウム」も勉強になったのですが、全盲の脳外科医、佐藤正純さんのお話とピアノが印象に残りました。
懐かしい顔、顔、顔とお会いし、懐かしいなんて言ってちゃいけないんだよ、こんなことやってる人が、ここにも、あすこにもいるよ、と思い知らされる機会が、本当に貴重なんです。
(厚生労働省から総務省に出向中の樽見英樹さんから)
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「ことしも、また、新たな縁(えにし)を結ぶ会」の参加者から寄せられたメールの典型的な3通です。
“新たな縁を結ぶ”なんて、出逢い系サイトみたいな名前ですが、邪(よこしま)な気持ちで参加する人は、まずいません。
日本には、このホームページの「優しき挑戦者の部屋」に登場するような方々がたくさんいます。
病気や障害にまつわる様々な問題を逆手にとって突破口を切り開いている当事者、制度や予算の壁にぶつかりながら福祉や医療の現場で奮闘しているスタッフ、つくった制度や政策がほんとうに役にたっているかどうか心配している行政官……。
ところが、志の方向は同じなのに、深くて広い河で隔てられ、ときに、誤解から反目しあったり敬遠しあったりしています。
そこに、「えにし」のホームページと「えにしメール」で橋をかけて志を縁結びし、日本を変えるきっかけをつくろうという思いから、このネットワークは始まりました。
年に1度の出逢い「新たなえにしを結ぶ会」も、この5月13日で6回目を迎えました。
ここで生まれた「名物」がいくつかあります。
まず、受け付けでの「えにし結び籖引き」(写真@)
知っている人同士が出会って盛り上がっている一方で、話し相手がいなくてポツンと淋しそうにしている人。パーティでよく見かける風景です。「新たな」縁を結ぶのですから、なるべく見知らぬ、この会がなければ永遠に知り合えない人を隣り合わせにしようという企てです。
次は、「えにし結び名札」と「えにし結び名簿」(写真A)
名前だけでなく話の糸口になるようなネットワークや所属を印刷するのは裏方ボランティアの仕事。カード上と下の「縁-絆-縁-結-縁-紡-縁-……」という縁取りは、牧口一二さんのデザイン、記念に持ち帰っていただくのがシキタリです。
えにし結び名簿には、これに加えてメールアドレスが載せられます。2001年にはメルアドをもっている人は数えるほどだったのに、6回目のことしは、メルアドのない人がごく少数になりました。
そして、「濃縮シンポジウム」。ことしは「自立支援」(写真B)と「ほんとうの医療改革」(写真C)がテーマになりました。
1人で120分の基調講演を楽々とやってのける方々に「問題提起は1人12分」という失礼で過酷な条件を課すのが特徴で、「これでは、超濃縮シンポ(;´_`;)」とパネリストたちを嘆かせました。福祉と医療、現場と政策をつなぐ見取り図を大きく描き出すには、この方法が効果的なのです。
立場や分野がまったく違う方々に一緒に壇に上っていただくのも特徴です。
たとえば、厚生労働省の医療改革の最高責任者と全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人といった顔合わせ。「薬害」「被害者団体」に加えて、物々しい「代表世話人」の肩書に医療関係者は身構えました。ところが、ユーモラスな関西弁の語り口とアイドル風の顔だち……、しかも深い内容。先入観を吹き飛ばされました。
2つの濃縮シンポの間に設けられる「えにし結びたい・む」も名物になりました。
コーヒーとケーキが運ばれる中、「えにし結び名簿」と胸の名札を頼りに意中の人物を探す人、冒頭のメールのように「籖引き」で隣り合わせの縁を深める人、縁を温め直す人……。
「新たなえにしを結ぶ会」は「志の結び直しの会」でもあります。
衆院議員の山本孝史さんをめぐっては、2つの再会がありました。1つは「自立支援って?」のコーディネーター東洋大教授の北野誠一さん。高校時代の親友どうしでした。
もう1つの再会は阪大大学院卒業後太田市教委で働く根岸親さん。ブラジルから親に連れられてきた子どもたちを、流暢なポルトガルととびきりの笑顔で支えています。山本さんは、幼い日に兄を交通事故で亡くした経験から、在学中に交通遺児育英会のボランティアになり、事務局長に、そして政治に目覚めて議会へ。根岸さんは、父をなくした経験から、育英会のボランティアをつとめた山本さんの"同志"でした。
山本さんはこの9日後、参院本会議で自身の癌を告白し、がん対策基本法の早期成立を呼びかけました。期せずして与党からも拍手がおこり、それが、この法案が動き出すきっかけになったといわれています。(リンク先の記事は2006年6月9日の朝日新聞「ひと」より)
そのことについて尋ねたら、山本さんから、こんなメールをいただきました。
「わたしのカミングアウトが功を奏したとしたら望外の喜びです。実は、えにしの会が、カミングアウトの予行演習でした。出会った方たちに、温かい激励をいただき、22日に公表することを決心した次第です」
この出逢いから、毎年、思いがけないプロジェクトが生まれています。
ことしは、豪華なBGMが、これに加わりました。(写真DE)
「和製ヨンさま・3つの奇跡」の主人公、佐藤正純さんと、奇跡を起こしたモダンジャズグループ「ネクスト」の演奏です。
会の締めくくりを買ってでたのは、これまた、このHPの「優しき挑戦者の部屋」の「べてるの家のゲンチョーさん」の主人公、キヨシどんでした。(写真F)「精神バラバラ病」という病名を自らにつけ、しばしば「ぱぴぷぺぽ状態」に陥ります。この日も精神病棟から退院直後の身で北海道から駆けつけました。
このネット、ボランティア魂の塊でもあります。
全国コミュニティーライフサポートセンター(CLC)の10人の"裏方ボランティア"は、えにし結び名簿や資料集を徹夜で印刷して、始発の列車に乗って仙台から駆けつけ、受け付け、楽器運び、プロジェクターの操作などさりげなく目だ立つたずしてくださいました。
初経験のテレビ中継(写真G)のために予行演習もしてくださいました。おかげで、別会場で開かれている「福祉用具国民会議」からの映像がめでたく映し出され、会場はどよめき、期せずして拍手が沸き起こりました。
補聴器をつけた人がくっきり音を聴ける「磁気ループ」という仕掛けをもちこんでくださるソナールのスタッフも、濃縮シンポジウムに登壇したの高名な演者11人も手弁当です。
福祉と医療・現場と政策をつなぐというプロジェクトに共感してのことです。
「えにし」の会の自慢は情報保障3点セットです。(写真H)
情報保障については失敗続きでした。最初の年は「パソコン要約筆記があれば万事オーケー」と思い込むという誤りをおかしました。聴覚障害のある参加者は話し手でもあるので、手話も不可欠なのです。
昨年は「聴覚障害の方のために情報保障を用意しました」と案内に書いてお叱りを受けました。ことしは、悔い改めて「聴覚障害のある人とない人が情報を共有するために」と書き改めました。
試行錯誤を重ねながらの縁結び、みなさまも挑戦してごらんになりませんか?
写真Iは「アメリカでも、enishiが流行っているらしいですよ」と届けていただいたTシャツ。受け付けに、シンポルとして掲げられました(^_-)-☆
当日の資料は「ことしもまた、縁を結ぶ会の部屋」に即日アップしました。テープ起こしも近日中には……。
(大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2006年6月号より)