優しき挑戦者(阪大・ゲスト篇)

『聴覚障害があるひとりとして』 2002.5.29 午前
「障害者の欠格条項をなくす会」事務局長 臼井久実子さん

― 始めの言葉 ―

ゆき:  今日いらっしゃっていただいたのは臼井久実子さん。「障害者の欠格条項をなくす会」の事務局長をされています。その会のことまたはご本人から紹介していただきますが、前回来てくださった牧口さんの大学での教え子であり、去年来て下さった尾上浩二さんのパートナーでもあります。  この校舎に、いまは、「身障トイレは○階にあります」っていうのが貼ってありますけれども、あのきっかけを作られたのは尾上さんです。電動車いすを利用しておられる尾上さんは、「この大学の建物はバリアフリーの観点からはめちゃめちゃ。火事になったら、僕たちは焼け死んでしまいます。今ごろ大阪にはこんな建物は滅多にない」と教えてくださいました。建築が専門の院生さんが図面を描いてくださり大学当局に改善案を提案しました。この大学が少しはまともになるきっかけを作ってくださったのが尾上浩二さんです。

 私が久実子さんを初めて知ったのはお2人が結婚されたときです。尾上さんは「電動車椅子のプリンス」と呼ばれるこの世界の若きリーダーですけれども、その方と臼井さんが結婚されたとき、お友達が新聞を作りました。すごいかわいらしい花嫁姿の久実子さんを見たのが最初です。欠格条項が、全く世の中で知られていなかった頃にこつこつと法律を調べて、日本の法律の中にはこんな欠格条項があるということを社会にアピールされた方です。私が社説にこの問題を書いた時には、「ケッカクって、肺病の結核のこと?」と同僚が言ったほどまだまだ知られていなかったのです。その分野を文字通り一から開拓したのが臼井久実子さんです。  今日はご自分の聴覚障害の身としてのお話と、それから欠格条項という法律的な、そして社会的な問題について話していただきます。

 きょうは、ここに珍しいものが映ってます。パソコン要約筆記のお2人が私が話したことをリアルタイムでスクリーンに映し出してくださっています。皆さんから見て右側が三原さん、左側が坪香さんのお2人です。「お礼はお昼ご飯」で来てくださっている、ありがたいお2人です。  久実子さんはここに小さなパソコンがあってここを見ながら私の話を「目で」聞いてらっしゃいますす。臼井さんは発音することができますのでお話はご自分でしてくださって我々が質問したりするのはこれを見ながら対話ができるようにしてくださいます。

 要約筆記は耳が聞こえない方に役立つだけではありません。例えばこの間、「新たなえにしを結ぶ会」というのを催したんですけれども、そこで脳性麻痺と知的障害を重複した方が話されました。耳では聞こえはするけれども何を話しているか分からない。でも要約筆記の方が、難しい発音を分かって伝えてくださると分かりにくい言葉も理解できるのです。★  そろそろ話を始めていただきます。

― 聴覚障害があるひとりとして ―

臼井:  マイク入っていますか。
 今日は。大学の授業に呼んでいただくのは私は初めてで楽しみにしておりました。今紹介していただいた聴覚欠格条項をなくす会というので取り組んでおります、臼井です。これくらいの声でわかりますか。マイクを通した声というのが自分でもよく分かりません。大きかったとか早かったとか何かありましたら言って下さい。
 いくつかの資料をお手元に配っていますがその一枚だけの片面の、プロフィールというのが上にある。これに添ってお話しします。
 「聴覚障害があるひとりとして」ということでそれについての話が大体30分くらい。で、要約筆記についての話をはさんで欠格条項の話を最後のほうにします。

 私は1960年生まれで幼い頃からの聴覚障害者です。生まれた時に未熟児という形で生まれましたので、そのときに非常に強い薬を使って聴神経がやられたと聞いていますが、聴神経は一回ダメージを受けると時とともにだんだん働かなくなっていったりします。私の場合はそのタイプです。ですから子どもの時は現在よりは聞こえていたわけです。小学校にあがる時は一応、校区の普通学校に行ったのですが、すぐ転校して普通学校の中の難聴学級にいました。「親学級」と呼ばれていた健常児の学級と難聴者だけの難聴学級を行き来する形です。

 大学に入ったのが1980年なんですが、ちょうどその頃重度の障害者、例えばその当時ですと学校へ行ったことがないという人が結構おられました。そういうお家に訪問へ行ってご本人とか家族にお話を伺ったり、そういうところから始めて一緒に外へ出ようとか、キャンプへ行こうとか、あるいはすでに街の中で普通のアパートとかを借りて暮らしている人たちもいたので生活介助もしていました。障害があるから施設で、病院で、親元でということではなく、地域であたりまえの暮らしをしていこうという必死の取組がありました。それから以降は、前回に楠さんという人が来て話をしたと思いますが、「障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議」という地域の障害者団体の連絡会で、私の場合は雇用支援ということで主に取り組みをしています。法律制度の話題については以前から関心を持って調べたりしていたんですけれども、八年ほど前、障害がある高校生からまわりまわってファックスを一枚もらったんです。聴覚障害のある高校生ですけれど、関東の人で、ちょうどそのころから全国に自立生活センターというのが沢山ありまして、その高校生が最初に相談した東京の自立生活センターから「こういう話がきていますが、どういう風に相談に応じたらいいか」ということで、大阪にファックスが一枚流れてきまして、それが「医者になりたいけれども法律のためになれない」という話でした。

 それを聞いて非常に驚いたというか強い印象を持ったんです。というのは、私なんかの世代ですと、子どもの時から、かなり将来つけるであろう職業というのが決まっていたんです。耳が聞こえにくい、あるいは耳が聞こえないということで人と話をしないでいい仕事、手で何かを一所懸命作るような仕事、それしかないというように小学校低学年くらいから言われていたわけです。まわりの子どもをみても、「お父さんのやっている工場を継ぐ」とかそういう話が多くて、社会でいっぱいある職業で自分もこういうのがやりたいとか、こんなのなりたいとかそういうのが子どもの時からあまり聞こえてこないというようなところでした。看護婦になりたいとか医者になりたいとか、それまで一般に障害者は無理だ駄目だといわれる仕事に今の高校生くらいの人たちがなりたいと思って、その年齢くらいになってなりたいと思って、しかもそこで法律の壁にぶつかるということがとても強い印象を持ったんです。

― 障害をとりまく環境:障害と共に生きること ―

臼井:  そういうこともありまして、大熊さんにも話をして代表になっていただいたりもして「障害者欠格条項をなくす会」というのを有志で呼びかけて立ち上げました。レジュメに「障害を越えるって?」と書いてますが、よく言われるのが「障害を越える」という、今でも新聞の見出しなんかでもよくこういうことが載るんですよ。例えば「女性を越える」とは言わないと思いますし、障害とは何かというひとつの決まりきったイメージがあります。それから私自身が子どもの時からよく言われた言葉として「障害があるのに」ということと「障害があるから」ということとこの二つを嫌というほど聞いたんです。「障害があるのに」というのが例えば私は難聴学級にいたと言いましたけれども、難聴学級から周りは聞こえる子どもばかりの教室に授業を受けに出てくるわけですよ。そしたら「障害があるのに」がんばっている、と、難聴学級の人は言われるわけです。一方でうまくいかないことがあったり、成績が落ちたりということになると今度は「障害があるからやっぱりだめなんだ」という風な言い方がされることがありました。どちらにしても障害者へのすごいマイナスイメージが持たれているということを小さい頃から感じてきたんです。

 もうひとつ、「特別なことはできない」というのも、小学校にあがる時にはじまって大学へ入る時も言われました。小学校、最初は地元の校区の学校に入ったのですが、「ここは専門的な教育はできないから入れてあげるけれども特別なことはできません」と。田舎の町でしたので、聾学校とかが近くにあれば、私も聾学校に行ったかもしれないんですけれども、地元校区の学校に行った時はそういう言われ方をしたんですね。その後近くの街に難聴学級というのがある学校ができまして、転校したんです。で、小学校、中学校、高校と行くわけなんですけれども例えば大学に入るときでも、もう今は制度が変わってますが私の時には共通一次試験というのがありまして、受験する以前から「学校へ入ってついていけますか」と「どれくらい聞こえますか」ということを言われるんです。まだ試験に合格してもいず、入れるかも分からない時からそういう話が何度となくあって、これは今でもやっています。大学受験でも「事前協議」というものをされている場合があります。「試験合格したら入ってもいいけれども、そのときは特別なことは何もできませんよ」「あまり要求しないで下さいね」ということを当時としては割合、障害がある学生がいた大学だったんですが、そんな感じで入ったわけです。

 「特別なこと」とは何かっていうと、例えば今日もパソコン要約筆記をやってもらっていますけれども、当時はこんな技術はなかったんですけれども、授業でノートを取ってほしいとかいうのも特別なことなんでしょうし、私、高校まではFM補聴器というのを使っていたんです。ご存じない人が多いと思うんですけれども、マイクはこういうワイヤレスのマイクです。それを先生なり喋る人に持ってもらって、FMのラジオでワイヤレスマイクから受信し、私は受信した音声をヘッドホンで聞くという形です。それを毎日授業から授業へ持ち歩いて行っていました。高校の時から使っていたので大学でもそれを使いたいという話をしていたんですが、入る時には「個人で持ってくるのは構わないけれども大学としては用意できない」という話だったわけですね。実際FM補聴器が本当に役に立つものであるかというと、私の場合はあまり役に立たないというか音が聞こえるというのを聞き取れるというのは違いますから話を聞いて一所懸命聞き取ろうとするんですけれども、あまり聞き取れないので、すごく眠くなってくるんです。授業中あまり役に立たないのでそれは使わなくなりましたが、まあ最初は個人で用意するなら構わないという姿勢でした。入ってからきっかけがあって、大学と障害がある学生の学生生活の保障について話し合って、備品として設置してもらうようになった経過がありました。そういう風に必要な支援なり環境づくりということもまだまだ特別なことである。入ることはできるけれども、支援はできませんというのが当時の普通の入り方で、これは今でも結構多いと思うんです。

― 聴覚障害者も百人百様 ―

臼井:  それから「聴覚障害者も十人十色」ということを書いてますけれども、本当は百人百様と言っていいと思っています。私を見て聴覚障害者ってこういうもんだと、絶対思わないで欲しいです。気が付いたことをあげるとしたら、まず外見では分からないというのが他の障害者と違います。見えない障害という言い方もよくされますし、共通していることは情報を受けることと自分から発信することに何がしらの難しいところがある。難しいところを、環境の工夫を含んでどうやっていったらいいかというのを考えていくことが必要です。その人自身の持ってる一番基本的な言葉の違いがあります。手話がその人の基本的な言葉である、英語だとネイティブっていう言葉がありますよね。ネイティブアメリカンだとかそういう感じで、手話がその人の一番基本的な言葉である場合があります。私の場合は手話は少しは理解してほんのちょっとだけできますけれども、手話だけを使う人の集まりに行くと、やっぱり英語があまりできない中学生が英語だけが話されている中に一人いるようなもので、私にとっては普通に読み書きする言葉が母語にあたるわけです。
 このように、その人の持てる言葉の違い、聞こえなくなった時期とか環境の違い、こういったものがすごく影響します。

 一般に聴覚障害者がよくこのように思われてるんだなということがありまして、それをちょっと挙げますと、「声が大きければ良い」とか「音が大きければ聞こえるんだ」とよく思われてると思うんです。それは全然違ってまして、よく高齢者の人なんかに耳元にこう手をもってきて大声で話しかける場面があるでしょう。あれは顔が見えない、音が割れる、全然良いことないです。高齢者もあれでは分からないと思います。例えば私の場合だと車のクラクションと犬がワンワン吠えているのと、なんとなく音がしているというのは分かるんです。でもこれが何の音かっていうのは分からない。聞こえるというのと聞き取るというのは全然違います。聴覚障害者の場合は、ほとんど全然聞こえない人もいれば私のように多少は音が入ってくるものも色々いますけれども、聞き取るというところに障害があるわけです。

 それからよく初対面の人とお会いしますと、「私は耳が聞こえないです」と言うと最初に「私は手話ができないからお話できません。さよなら」ってことがよくあるんですね。手話ができなければだめだということも非常に強く思い込まれている場合があって、実際のところ手話が母語の人であってもですね、1対1でゆっくりお話しできる環境であれば相手が全然手話というものを知らなくてもなんとかコミュニケーションはとれるんです。それは顔が見えるとか、書くとか身振り手振りとか色んなものを使ってコミュニケーションはとれます。
 手話ができない聴覚障害者は、全体の多分7割から8割くらいいるのではなかったかと思います。手話ができなかったから話ができないということではなくて、今持っている色んな手段を使ってコミュニケーションをとろうとすることが大事です。私の場合だったら筆記が一番スムースです。欠格条項とも関係するんですけど、音声とか口頭によるコミュニケーションが困難だということで、その人が能力がないとか、その人の人格自体が駄目だとか、劣っているかのような見方がよくあります。視聴覚障害を持っている看護婦さんとか薬剤師さんとかいうのは危険きわまりないから考えられないということがよく言われたわけです。そういうことで、非常に沢山の人が、もともと持っている力を、可能性を阻まれてきたというのが一番くやしい、壁をどうやって無くしていけるだろうかというのが私などの考えていることです。

― コミュニケーションの形と壁 ―

臼井:  レジメに「こんな時にこんなサポートがあれば」って書いてありますが、それはまた後の話にも出てきますけれども、コミュニケーションっていうのは1対1のコミュニケーションと1対多人数、今日私がここでお話をさせていただいているような場合のコミュニケーションというか全部一緒にまざって多人数で話を聞くというようなそういう場合があります。1対1の場合はさきに言ったように通じようというお互いの努力があればできるものです。1対多人数の場合は私の場合は筆記があればできますし、手話を使っていく場合もあります。

 難しいのは多対多、全部一緒にまざっている場合です。今前に大熊さんが座ってらっしゃいますけど、正面からだったたらまだ少しお話が分かります。こうやって横に並ぶと口の形も顔もよく見えない。ですから横に並んで話するのは非常に難しいということがあります。周りの音の環境とかにも左右されます。たとえば走っている電車の中だと、電車の音を補聴器が拾ってしまいますからそれも非常にうるさい。多人数でのコミュニケーションは今でも課題が残っていると思います。例えばドラマがありますよね、テレビのドラマで何人かの人がいて、お互いにどう呼び合っているのかによって、聞こえている人はそのドラマに登場する人たちのお互いの人間関係がわかりますよね。それから学校でも職場でもそうですけれども、何人かが集まって雑談している場面があります。その中で例えば同僚の人の色んな噂話とかも含めて出るでしょうし、あるいはちゃんと知っておかなくちゃいけないようなことを、誰と誰が結婚したとかいうような話も出てきたりしますけれども、聴覚障害者の場合、たとえ障害の度合いは軽くても、そういうのが何気なく耳に入ってくるということがありません。普通にそのへんで交わされている話が入ってこない。しかし1対1での話はまだ通じるだけに、雑談の場で出た話は当然知っているものとまわりは思い込んでいることもあります。そういうことでけっこう仕事の場なんかでは誤解が生じることがあります。結婚の話なんかですと、まわりの人は本人にお祝いを言ったり、贈り物をしたりするのに、聴覚障害がある人は結婚の話を知らなくてお祝いをしていないそれで誤解をされたりすることがあります。特に多人数のコミュニケーションがそういう風にすんなりといかない部分が大きいということ、しかもそれがなかなか理解されにくいということは確かにあります。そういうことも含めてお互いに理解して一緒にどのようにコミュニケーションを成り立たせたらいいかというのが聴覚障害者の場合出てくる問題だと思います。

― 情報環境の変化 ―

臼井:  レジメに「情報環境の目覚しい変化」と書いてるんですけれども、皆さん携帯電話とかPHSをお持ちの方が多いと思うんですけれども、、これが出てきてからものすごく情報の受け取り発信する便利さは変わりました。その前にコンピューターの電子メール、その前にファックスが登場しました。最近ちょっと古くからのダンボールを整理していたら葉書が山ほど出てきたんです。それは10年くらい前までのものなんですけれども、それくらいまではまだ、私はファックスは必需品なので家に持っていますけれども、色んな連絡をとる相手方っていうのはファックスがない方です。「来週どこそこで会う」っていう連絡をとるのも、私は公衆電話が使えないんです。一方的に「今日何時に帰るから、ガチャン」みたいなかけ方はできるけれども、相手が何を言っているか分からないものだから、「いついつどこで会いましょうか」という話は電話ではできない。だから山ほど葉書を送って相手からも葉書をもらっていました。その、もらった葉書が大量に出てきたんです。ファックスはこの10年間普及して、特にこの4、5年くらいだと思いますが、電子メール、それからインターネット、そういうものが出てきた。

 それまででしたら、どこかに連絡をとりたいと思っても相手のファックス番号がわからない、それは団体でもそうだったわけです。その団体の電話番号を調べて、誰かにその団体に電話してもらってファックス番号を聞き出すという面倒くさいことをしてきたわけです。今はインターネットで検索をかければ大体はその団体のファックス番号くらいは出ます。それからメールアドレスも大抵はあります。非常に色んなところに連絡がとり易くなった。知らない相手にも連絡がとり易くなった。情報環境について大きく変わってきました。携帯電話にしても別に聴覚障害者のためにできたものではないけれども、携帯電話が普及したことでとても連絡をとりやすくなったと思います。要約筆記も多分この3、4年くらいで大きく広がってきたのではないでしょうか。このあたりはまた後でお話しをしていただきたいと思います。
 ここで一段落しましたのでパソコン要約筆記についてのお話に移りたいと思います。

― パソコン要約筆記について ―

ゆき:  では三原さんからちょっと皆さんにパソコン要約筆記のことを話していただきたいんですけれども、後ろ向いちゃうとパソコンが打てなくなってしまうので、打ちながらお答えをしてくださることになっています。
 まず、2人いるんですけれども2人はどういう分担になっているのですか。

三原:  声も出しましょうか。声大きいので。
 適当に相手が打ちそうなところを予測してその先を打つ。

ゆき:  すごい神技ですね。では2人が息が合ってないといけないんですね。

三原:  入力している時は何を聞かれたか理解していない。音を拾っているだけで、入力したものを見てから答えを考えます。息を合わせるのは必要だと思いますが、2、3回一緒にやっていれば、大体できます。

ゆき:  お二人は何年くらい、これを始めてから何年になりますか。

三原:  5年くらい(97年から)。

坪香:  私はまだ2年になりません。

ゆき:  この要約筆記がどういうご利益があるか皆さんに教えていただけますか。大体、今見てるので分かると思いますが、普通の人が気が付かないような。

三原:  さきほどもお話しにありましたが、聴覚障害者で手話の分からない人は結構多い。特に中途失聴の方。これまで、そのニーズに応える活動があまりなかった。手書きでは伝える情報量に限界があります。パソコンが出て表示など自由にできるようになった。

ゆき:  あの皆さんは黒眼鏡かけて書いている要約筆記を見たことある人、ちょっと手を挙げてくださいますか。あ、割合少ないね。あのOHPのところに長い透明なフィルムを流しながらそこに手で3人くらいの人が黒眼鏡かけて書いていくという方法です。それに比べて、それは長い紙が残っちゃうんですけど、これはちゃんとパソコンの中に記録として残る。本当の速記とは違います。ある程度これでどんな話がされたかということも記録できることになります。
 で、これは普通のワープロと違うソフトを入れてるのですか。

三原:  ボランティアで何人かが様々なソフトを開発してくれています。これはそのひとつ、IP TALKというソフトです。

ゆき:  これは普通に打つのと何が違ってるんですか。

三原:  連携入力する相手の入力中の様子を自分のパソコンで見ることができます。初期のパソコン通訳では相手のパソコンを覗き込みながら連携をやっていました。

ゆき:  あ、そういうの見たことあります。今はLANでつないでいるんですね。そのために今朝は皆さんよりもずっと早く9時半くらいから大奮闘でここで仕掛けをしてくださいました。
 えーと、ここに1人初心者が控えてて、ちょっと教えてもらおうかと。では素人がやるとどれくらい下手かということを、実験台になってもらいます。

竹端:  …(聞き取り不能)…

ゆき:  今そういいましたけれども、竹端さんがけっこうよく打っているのはけっこう皆よく知っていて、他の大学の先生たちも「うらやましいですなあ」とか言って。

竹端:  これは予測しながら打てばいいんですか。

ゆき:  何か喋りましょうか。では今言ったのを。
 竹端さんをさっきはちょっとからかいましたが、本当はたいしたもので…。ベンクトリンクビスさん、スウェーデンの元厚生大臣。盲目の、8年も厚生大臣をやった方のところに桃山学院の北野先生を一緒に行った時にもう、インタビューが終わった時にほぼ速記録ができているということで大阪大学の先生はうらやましいですなあと、そういう風に言われたんですけれど。
 けっこうやってますね。どちらが竹端さんの実力なの。
 じゃあ今度は先生に伺いますが、どのくらい経験を積むと人前でやれるようになるんでしょうか。

三原:  今、キーボードが違うので少し手間取っておられますが、自分のパソコンだったら今一緒にお手伝いしていただくと、かなりのところまでいけると思います。

ゆき:  何日間かお弟子で付いて歩いてみると1ヵ月後くらいにはものになるでしょうか。

三原:  基本的には1分間に100〜120文字くらい打てればOK。

ゆき:  そのくらい打てる人。一分間に120文字。

竹端:  確かにそうかもしれません。画面を見てれば予測ができそうです。

ゆき:  ちょっと自信を持っているようですが。
 はい、ありがとうございました。皆さんちょっとやってみようかなと思う人。かなり皆さんパソコンは打てるわけですよね。多分早いだろうから、入門するためのホームページなんかもありますよね、後で教えていただいて次の授業の時にそのホームページのドメインをお知らせしますので、我と思う人はやってみてください。
 はい、お待たせしました。ではまたゲストのお話を伺うことにしましょう。

― まだまだ広がる要約筆記の可能性! ―

臼井:  去年兵庫の神戸で日米ジョブコーチセミナーという、障害者の雇用支援についての学習会があったんです。300人くらい入る大きな所で、今そこにこられている三原さんも要約筆記されていたんです。その時、3人ほど聴覚障害者が来ていました。300人中の3人くらいと、比率は少なかったんですけれども、前の壇上にいる人から見るとね、会場にいる人のかなりの部分がスクリーンを見ていたという話が出ていました。高齢になって聴力が落ちてきた人とか、それから専門用語多いですよね。専門用語って、耳でぱっと聞いても、聞こえているはずなんだけど時々理解するのが難しい。要約筆記がとても役に立ったという事を後から主催の人から聞いたんです。大熊さんが言われたような記録性、記録が残るということを含めて、プラス面があるので、もっと広めていければと思っています。是非、関心のある人はトライしてみて下さい。

― 法律の中に根強くひそんでいた欠格条項 ―

臼井:  それでは、後半の話というか、後20分くらいですが、こちらにいきます。えっと、お手元に小さなパンフレットを配っていると思います。こういう「もし?」というタイトルのもので、短くまとまっているのでこれを使います。まず、欠格条項とは何だろうかということです。欠格条項という言葉自体、最初の話でもあったように、よく知られてなかったんですけれども、それが古くから法律の中に沢山あります。法学部の人がいればよくわかると思うんですが。例えば、この「もし?」の12ページを見て下さい。欠格条項とは、と書かれている所があります。

 女性の場合、かつては欠格条項のかたまりのようなものだったんです。参政権を日本で女性が手にしたのは約1945年の話です。性別による欠格条項もありますし、国籍によるものもあります。国籍条項も沢山あります。欠格条項というのは一言でいうと、法律で権利を制限するもの。例えばある仕事にかかわって何らかの犯罪を犯した人は、その仕事に就けないなどという欠格条項はありますけれども、それはそれなりの根拠がある場合があります。でも、公正な理由もなくて、権利を制限するならばそれは法律上の差別です。例えば障害を持っている人が医者になれないとか、看護婦になれないというのも、法律上そういう風に書かれているという事と、大多数の普通一般の人間が難しいと何となく思うレベルと全然違うんです。法律制度でがちっと固めているという事で、それがまた社会差別、偏見、「やっぱり無理なんだ。」と「危険なんだ。」という見方をすごく広めてきたという事が言えます。

― 今までのイメージを吹き飛ばす新しい若い動き ―

臼井:  古いものなら120年前くらいからあるんです。では、なぜそういうものがずっと残ってきたのか。最初のほうで、障害に対するマイナスイメージの話をだいぶさせて頂いたんですけれども、やっぱり障害者というのは劣っているもので、できるわけがないというような一くくりのマイナスイメージがすごく強くあって、実際にやってみたこともないのに、そういう風に思い込まれてきたという事があります。

 社会一般の障害者観と、法律制度で排除を固めてきたことが、両方作用しあってきたと思います。その中で、私などの世代ですと、子どもの時にあれやりたい、これやりたいという話がそれ程でてこなかった。障害者自身が力、自信をつけにくかったという事があります。最近になっていくらか変わってきました。、障害者自立生活運動も30年ぐらいの歴史がありますけれども、その中で重い障害や病気を持っていても、この社会で当たり前の暮らしをしたい、地域社会で学んで、働いて暮らしたいという大きなうねりがあったと思います。まだ若い10代、20代の人の中から、が、従来は難しいと言われてきたもの、欠格条項があるものにも、それを承知の上で挑戦するという人達が出てきたんです。しばらく前までは、障害者自身も、法律や制度とは自分たちは無関係というか、枠外におかれていて、縁の遠いもので、上から何か降りてくるような受身の形で思っていたと思うんです。1993年にできた障害者基本法という法律があるんですけれど、障害者基本法ができる前から、「基本的な法律や制度は自分達の手で作るんだ」という動きが出てきました。「福祉の街作り」とか言われますけれども、住む街を、障害を持ってても、歳をとってても不便なく動けるような街にできるという積極的な動きが出てきました。

― 声をあげれば、少しずつでも生まれてくる変化 ―

臼井:  それでは、新聞記事をいくつか見ていきますけれども。この、写真が真っ黒になっているのが残念なんですけれども。この綴じている1枚目に薬剤師の道を目指す聴覚障害者。後藤久美さんという記事が載っています。この人は国家試験、薬剤師の国家試験に合格して、しかし、薬剤師法の欠格条項のために免許を与えないと言われたんです。4年前の話ですけども、この人はそれから諦めずにずっと、この問題を言い続けてきて、法律も去年変わりました。聴覚障害があることを明らかにした薬剤師として、初めて日本で免許を持ったんです。

 それから、その裏の新聞記事。今見ていただいていた裏の新聞記事の下の方に「医療資格なぜ"門前払い"」というのがあります。この写真に登場している藤田さんという方は滋賀の琵琶湖病院という所で外来の医者をしている人なんですが。欠格条項は先ほどの話のように、入り口で門前払いするだけでなくて、入った後で、この藤田さんの場合は、精神科の医者になってから後で、耳が聞こえにくくなる病気にかかって、法律通りにいけば、その場合にも免許を奪うという事になるわけです。実際上は、資格取得後の免許剥奪が、単に障害をもったというだけでおこなわれた例はないそうです。それでも、藤田さんが「自分が耳が聞こえにくい」という事を明らかにすれば、免許剥奪の危険性もある中で、勇気をもって発言をされてきました。

 こういう人達のあげてきた声、実際に国家試験に通った人がいる、医者の中にもいるそういう事が、法律を動かしていく上で非常に大きかったです。それから先ほどの後藤久美さんの記事の上に、ちょっと目立たない記事ですけれども、「薬剤師会の見解」という小さな記事がありますね。日本薬剤師会という専門職の業界団体があるんですけれども、薬剤師の国家試験を通った人には免許を認めるべきだという見解を出したんですね。その時の会長さんが、今はもう辞められましたけれども記事の一番最後にあるように「障害がある患者にわかりやすい服薬指導する上でも聴覚障害者に役立つ力を発揮できるのではないか」という事も述べられています。弁護士会も意見書を出しました。障害者団体だけじゃなくて広く関心を持たれていたという事も大きかったと思います。欠格条項の削減を考える人が増えてきました。詳しい事は大体この本に書いています。皆さんには一番後ろの方に本、置いてありますので、詳しく知りたい方はそれを見てください。

― 外国と比べて初めてわかる、日本の変な所とは ―

臼井:  それで、外国と比較してどうなのかというのは最初から私達の大きな関心事でした。日本では欠格条項があることも、外国ではどうなのか、この「もし?」の24ページに少し書いているんですが。差別、偏見というものは国を問わずどこにでもあるんですが、法律で差別をしているという国は、それもここまでという国は日本ぐらいという事が、世界各国の情報を集めてわかってきたんです。例えば、自動車の運転免許がありますが、聴覚障害者の場合、障害の程度によって、10メートル離れて自動車のクラクションの音が聞こえない場合は、今の日本では免許を与えられないんです。この6月から施行の新道交法でもそうです。しかし、世界各国を見ると、こんなことはないわけです。聴力というのはその人が運転できるかというのには全然関わりがないというのがほとんどの国の見方で。アジアでも、タイとか韓国では以前あった聴力に関する制限をはずしました。あらかじめ法律で法律でこれだけ制限していることの問題をふまえてほしいと思います。

 それからここにある、聴覚障害のある医者の例を書いてあるんですけれども。あ、この人は医者の卵ですね。新聞記事の方に、キャロリン・スターンさんという、大きな顔写真の入っている記事があります。この人は、この記事が載った2000年の9月に日本に来て、あちこちで講演をして回りました。この記事をとっても、障害がある人が医師になっていく環境、働く環境自体が日本とは大きく違う事がよくわかります。

― 日本はどこまで変わったか ―

臼井:  それでは、日本では今、どこまでという事ですが、横で3段組の文書があります。短く見ていただければこれがいいかなと思って持ってきたんですけれども。1999年から日本では初めて政府の方針で、やっと欠格条項の見直しが始まったんです。文章の3段目の右端あたりに書いてあります。「障害者の社会参加を不当に阻む事のないよう、社会環境の変化、補助的手段の活用の可能性も考慮、各省庁で見当し2002年度末までに措置をとる」というような方針です。今年度末までの期限があるわけです。

 それで今までに、医師とか薬剤師とか看護婦とかそういったものについては、今までだと目が見えないとか、耳が聞こえない者には免許を与えないという条文だった訳です。門前払い、全て免許を与えないという書き方だったのが、「心身の障害により業務を適性に行うことができない者として省令で定めるもの」と、そういった人達には免許を与えない事があるっていう書き方に変わった。まだ大きな課題が残っています。完全に門戸を開放しきった訳ではない。まだまだ、障害があれば危険という見方が根強く残りながらも、補助する手段があって、例えば今日やっている要約筆記のような、こういった補助的手段をつけて、でそれでできるのならば認めましょうという風な形に変わってきた。中には完全に欠格条項がなくなった法律もあります。

― これからの日本 ―

臼井:  欠格条項自体は、障害者に関するものだけでも日本で300以上はあるんです。特に自動車免許とか、薬剤師免許とか、そういったものが大きな問題に今までなってきたんですけれども。こうゆう法律や制度自体を、もっている日本の政策のあり方が問題になっています。例えば世界にはアメリカを筆頭において40ケ国ぐらいで差別禁止法というのができてきています。法律がこれだけ差別している日本の政策自体を変えないと、解決しないな、日本でも、差別禁止法を作っていこうという動きがあります。それから、法律では締め出さないとしても、例えば試験の仕方で、視覚障害の人が、点字の必要な人が試験を受けに来ても点字での試験問題を用意されなかったら、その試験をやっぱり受けられない訳ですよ。それとか、ニュースレターの19号をお手元に配っているんですけれども、この特集の中にもありますけれど。聴覚障害を持っている人が面接で要約筆記とか、手話もなしに面接をした場合に、当然面接官の言う事がちゃんとわからない訳です。そういった試験のあり方にもまだまだ格差があるわけです。

 それから、単に法律を見るだけの問題ではなくて、勉強をして資格を取って、かつ仕事に就いて働いていくと、という事の中で必要な支援をどう得るようにしていくかが重要です。それは今までだったらお願いして、遠慮してという形にどうしてもなっていた訳ですけれども、普段そうであってしかるべきものだという、権利として実現していく事がこれからの課題になると思います。
 最後の方ははしょりましたけれども、これで話を終わらせて頂いて、何でも結構ですのでご質問とかお願いします。

― 質問時間 ―

ゆき:  お願いして、ただお話だけじゃなくて、皆さんがただ素朴に不思議に思うこと聞いてみたいこと、やりとりしてみたいと思います。今日はこうやって要約筆記の方がいらっしゃるからスムーズに会話が成り立つ、こうゆうチャンスを是非活用してください。誰でもいいですよ。
 もともと欠格条項の事が知りたくて、この授業をお取りになったから、ちょっと専門的な質問になっちゃうかもしれないですけれど、どうぞ。

清原:  経済学研究科の清原です。ちょっとお尋ねしたい事があるんですが、あの、欠格条項の法律なんですが、それが、廃止されたら全てよくなると私、思っていない。あの、法律というのは、私もわりと昔、法学部の頃学んだ事があるんですが、例えその条文がなくなっても、別の条文から解釈されて、差別される事は多々あるかと思うんですが、その辺りお聞きしたいんですけれども。

臼井:  欠格条項がなくなった法律の事をちょっとお話します。検察審査会法というのがあって、…はい。字はこの通りです。これは、視聴覚言語障害は検察審査員になれないという、絶対だめだという法律だったんです。検察審査員というのは、選挙権をもつ人の中から、くじで選びます。検察の仕事について市民の立場から判断とか意見を出す人を選ぶものなんです。くじで選ばれないとだめなんですが、くじに当たった人の中に、奈良県で聴覚障害者の人がいたんですよ。4〜5年ぐらい前の事です。しかし、検察審査会法の規定で、あんた聞こえないから検察審査員になれないという事になりました。それはおかしいという事で、なんべんも掛け合って最高裁にも行った。その人の訴えがあって、やっと検察審査会法も見直されたんです。障害者に関する制限は完全になくなりました。

 その後に来た課題は何かというと、じゃあ実際に耳が聞こえない人がくじで選ばれて、検察審査員になれたとして、議論の時に例えばここでやっている要約筆記であるとか、手話通訳であるとか、そういったものが保障されるのか。それから、その保障するとして、そのお金をどこからどういう風に出るのかといったような事が次の問題になったんですね。私はそのお金の出所については、十分追跡できてないですけれども、今年また別の町で聴覚障害を持っている女性の人がくじで選ばれて、その人は検察審査会員になったんです。その奈良の人がちゃんと指摘した情報保障の問題ももその中で話し合われてきたんだと思います。実際、法律による制限が廃止されても、その後のサポート、そのためのお金、人などをどういった過程で検討し、保障していくかが問題です。

 それから、ご指摘があったように、法律では一応変わっても、日本の場合すごくややこしいと思うのは、法律の下に省令とか、政令とかがあって、その下にまだ、通達とかいうのがすごいずぅっとあるんです。法律ではごく大まかな事だけ決めておいて、例えば先ほどの医療職なんかの例ですと、「心身の障害により業務を適正に行う事ができない者」という事だけ法律で決めるんです。その次の省令で、それはどういう人なのかというと、視覚の機能の障害がある人とか、聴覚の機能の障害がある人、あるいは心身の機能に障害がある人という風に決めていくんです。もっと具体的な事は、この下でまた決めるという。
 この決めるプロセスの中に、ほとんど障害者の案が入っていない、入れていない状況があります。障害者のいない所でそういった重要な部分が決定されていってしまっている。ここの所、どうこれから変わっていけるのかというのも大きな問題です。一番典型的なのは運転免許の自動車の道路交通法がこれに当たります。政策決定の過程に参加するというのは、以前から言われてきた事ですけれども、それは今、すごく切実味を帯びています。

ゆき:  じゃ、あの、ちょっと初歩的な質問。何でもどうぞ。あ、いつも一番乗りのコウさん。

コウ:  すみません。留学生のコウと申します。二つのとても素朴な問題なんですけれども、1つはまず、今日本の中ではどれくらいの久実子さんのような人がいますか。その中にまた、つまり話にいって、人と喋れる人の割合と、手話でコミュニケーションできる人との割合をお聞きしたいんですが。
 2番目は、この間大熊先生から借りたビデオ拝見しました。その中のこうゆう事がありますんで。つまり、それはアメリカの状況なんですけれども、アメリカの耳の不自由な人、高校、そういうような高学校に行っていても、そういうような人達の学力は普通の小学校の4年生と同じレベルという話があります。それについても、ちょっと、さっき久実子さんがおっしゃったんですよね。高校に入りますので、そうゆう話ちょっと聞きたいのです。それが2番目の話。

三原:  2番目の質問をもう1回言って下さい。

コウ:  あぁ、すみません。うまく話せないですみません。2番目の話について。つまり、さっきおっしゃった日本にもそうゆう高校がありますでしょ。それの学校、あの、久実子さんのような人がそうゆう高校に入って、例え学校っていっても自分の学力と普通の人はどれぐらい、つまりその比較をちょっと聞きたいんです。おわかりですか。
 (要約筆記の内容を見て)それはそうですから、あの、僕は聞きたいのはつまり久実子さんは自分の感じたそういう違いがあるかどうかという事です。

三原:  ちょっと待ってください。(要約筆記を進める)ちがう?

コウ:  はい。自分でそれはどう思うかと。

三原:  聴覚障害者とそうじゃない学生の学力の差について?

コウ:  はい。それについて自分の感じはどうですかという事です。感想を。

臼井:  今、質問は3つくらいあったと思うんですが、1つは聴覚障害者の数ですか。

コウ:  はい。

臼井:  私、数字はどうも苦手でしてね。何十万人とか何万人とか聞くんですけれども、どうも覚えられないんですよ。それは連絡先だけ教えて頂ければ、調べてお答えします。
 で、聴覚障害者の手帳を持っている人、持っていない人とありますね。高齢になって、聞こえにくくなってきた人とか、そういった人は持っていない人が多いです。実際には手帳を持っていない障害者というのは非常に多いので、正確には日本に聴覚障害者が何人いるのか、本当はわからないんです。それから、もう1つの質問はコミュニケーションの方法ですか。3つめの質問は学力についてだったと思うんですけれども。

コウ:  はい。

臼井:  コミュニケーションの方法については、正確なことをお話できませんが、手話をコミュニケーションの方法としている人が3割から4割くらいと言われています。手話オンリーでなく色々な方法を組み合わせての事です。残りの6、7割くらいの人は音声、顔の表情や口の形、筆談を含めてやっていると思います。

 それから学力についてですが、それもよくは知らないのですけれども、先ほど言われた学校という事で言えば、日本では聾学校というのがあって、幼稚園から小学校、中学校、高校まであって、その上に専門課程があるところもあるんです。そこで聴覚障害者に期待されている学力は、基本的には、直接仕事に就く学力が期待されるんです。歯科技工士という、歯の詰め物とか、入れ歯の加工とかをする仕事があります。その歯科技工士になるための勉強を、専門課程にかけてみっちりやるわけです。私が言いたいのは、期待される学力というのが、障害がある人にはあらかじめ決まっているという事なんです。学力といっても仕事直結。もし仕事に直結しない人はそれ程の学力が期待されない状況があります。いわゆる手作業で、ちょっと今は違うと思うのですが、私の世代ですと自動車をどんどん作っていた時だったんですね。コンベア工場へ行って、自動車部品の組み立てができればそれでいいと、そういうレベルの学力が期待されていた、逆にいえば、それ以上は期待されなかったといえます。そういうところで学力にも格差がついたというのはありますね。ろう学校の現役の人にも聞いてみたら、最近の状況がもっと詳しく聞けると思いますが、基本的なところでは今も大きく変わっていないのではないかと思っています。

ゆき:  はい、他に。他にどうでしょうか。はい。生水出さん。

生水出:  ありがとうございました。大きいレジュメに、四番目のバリアとありますけど、そもそものところ、一番目のバリアから三番目のバリアが何か、まあちょっと、よく勉強不足なもので知らないのでお教え頂きたいと思います。

臼井:  これ、新聞記事、コピーの刷り方がばらばらなもので、わかりにくいんですが、医療資格、「医療資格なぜ"門前払い"」という記事が連載第一回です。その記事の一番目の所に、4つのバリアは何かという所を少し、記者の人が書いています。記事のリードはわかりますか。「四番目のバリア(障壁)という言葉をご存じだろうか。」と書いてありますが、「駅の階段の段差などの物理的なバリア」、えっとね、今読んでいるのは、先ほど取り上げた新聞記事のここです。あの、「耳不自由になった精神科医 周囲の支援で問題なし」という記事がこのシリーズの一番最初の記事に当たるんです。で、この記事のリーダーのところになんで4つのバリアかって書いているの。駅の階段の段差などの物理的なバリア、点字や字幕などの不足から情報面のバリア、偏見や差別といった心のバリア、障害者の社会参加を阻むこの3つに加えて、心身の障害を理由に免許取得などを法律で制限する「欠格条項」がこう呼ばれている。法制度のバリア、これが四番目のバリアという事の意味です。3つはここに書いてあることです。

ゆき:  ありがとうございます。後5分ぐらい。あ、結構ありますね。はい、どうでしょう。ごく素朴な、失礼じゃないかとかそうゆう事は考えないでいいですから。あと、今日初めて会って、不思議に思った事とか、聞いてみたい事とか。

薗田:  要約筆記の方にお聞きしたいんですけれども、打ち込む時にいくつもよく使う言葉というのが辞書みたいになるんだと思うんですよ。それはどのぐらいの数を登録されているのかという事と、後、やはり次、その話す内容によってやはり事前によく使う言葉というのをあらかじめ登録しているのかという事を教えて下さい。

三原:  数は分かりません。障害者関連では多分20コくらいではないかと思います。よひ=要約筆記 コミ=コミュニケーション リハ=リハビリテーション ちしゃ=聴覚障害者 聴覚障害者=ちしもの 。人によって違う。ちし=中途失聴。事前資料はあれば、登録します。イベント名とかパネリストの名前とか。

ゆき:  パネリストの名前を「おゆ」として大熊由紀子とかそうゆう風なぐらいにしちゃって下さっています。
 今日のこの一切の段取りというのは、東京にいた私と大阪におられた臼井久実子さんがメールでやりとりをして、何の不自由もなくこうやってきています。で、久実子さんと私って不思議で、遠く離れているとどんどん話がスムーズにいくんですけども、向かい合うと、二人でこう私が手で書いたり、すごく意識して口を大きくして話したりで、あまり話がはかどらなくなって、このパートナーの尾上さんと久実子さんは、込み入った話だとお互いに向かい合って、パソコンで話し合うって聞いた事があるんですけれども。そうですか。

臼井:  そういう事はありますね。盲聾者という言葉ご存知ですか。目が見えなくて耳が聞こえない人、その程度は色々ですけれども。盲聾の方で、今東京大学で先生をされている福島さんという方がおられて、直にお会いした事があるんですけれど、これは結構大変なんですよ。福島さんは元々確か、聾者で途中から目が見えなくなったんでしたか。そういう人の経過もよるけれども、福島さんは少し手話を使われますので、私からみると少しわかる部分もありますが、彼は指点字という方法をメインにしてコミュニケーションを取っています。私のほうは、指点字はできないので、面と向かって話すより、メールの方が遥かにバリアがないというか、話せるという事があります。福島さんは電話なんかする時は、連れ合いの方とか助手の方が指点字でその相手との電話を通訳しているそうです。その電話を受け取った聞こえる人が、ほとんど聞こえる人と電話しているのと同じように感じたと言われてました。方法によって色々可能性は広がっていると思います。

ゆき:  佐藤さんの事をサポートしている訳だけれども、彼の場合は点字がこう出てくる。音声になる。

松原:  どっちかと言いますと、音声が出てくる。

ゆき:  音声が出てくる方ね。それから、よくあるのは下にこう、さあっと点字のこの、あれが盛りあがってきて読めるというようなのもあって、…(聞き取り不能)…なんかとは、すうすらすらっと読めてしまうという。はい、まだもうちょっと。はい、どうぞ。

竹端:  お話ありがとうございました。えっと、質問が2つあります。ひとつは臼井さん自身が大学生の時に、授業の例えば保障というか、先生の話されていたことについてはどのように周りからサポートされていたんでしょうか。
 もうひとつは今要約筆記をやられているパソコンのドッカイの方々にお聞きしたいんですが、実は阪大にも3回生で聴覚障害の学生がいまして、僕がその支援をしているんですが、彼は基礎工学部なので難しい言葉が入力しにくいという事で今、実は基礎工学部の子が手伝ってもくれない状況で放ったらかしにされている状況なんですが。こういったパソコンで数式とか、そういった先生の話しとか、先生の話しだけじゃなくて、数式とか、その難しい数学の話しとかの入力は簡単にできるんでしょうか。すなわち、僕達学生でもパソコンさえあればもう少し、そうゆう理系の授業でもノートテイクとか、パソコンの要約筆記とかできやすいんでしょうか。それを教えて頂ければ。

臼井:  えっと、最初のご質問についてですが、私の場合は大学では話したFM補聴というワイヤレスマイクという形で大人数の授業は受けていました。困ったのは、英語のヒアリング。私、ヒアリングは1点もとれません。たまたまそれが、クラスの授業だったものですから、つまり自分で選択できる授業じゃなくて、決まった授業だったので、教官の方も困ったんでしょうけど、「あなた他の授業にいって下さい。」と言ったんですよ。私はそれまで、大学は特別な事はできないから、要求してくれるななんて言われて入ったんだけれども、それで授業から追い出されて、これじゃあ黙っていてはいけないと思って、それで、色々大学に言うようになったんです。方法としたら、当時はFM補聴器ぐらいしかなくて、ノートテイクとか、現在だったら今のこの要約筆記、パソコンを使ったものとかあるんですけれども、私自身の発想としても授業でノートテイクをつけるように大学に要求するという事までは、当時は考えていなかった。
 今の学生の人は、例えば新聞記事の後藤久美さんなんかは、大学がノートテイクを地元の要約筆記団体に頼んで、お金も大学が払っています。ただそれはかなり、今の日本では珍しい例です。

三原:  数式を字幕で入力するのは難しいです。読み上げてくれたら、その通りに入力するしかありませんし「この式では…」というように、講師が言えば、そう入力するしかありません。とにかく通訳は聞こえたものを入力するだけ。

ゆき:  ああ、そうか。「この式では…」と言って物言わないとそのまんま黒板に書いちゃうとどうしようもないという事があるんですね。まだ色々抱えている問題はありそうです。
 えっと、あのどちらかというと聴覚障害を持っている人のほうが、色んな要求をしにくくて、目の見えない方のほうがきちんと自分はこうゆうものがほしいと言える傾向というようなのがあるでしょうか。あの、久実子さんは例外的な存在はどうやって、身につけていらっしゃったんですか。要求するというよりも、要求できるという。

臼井:  あの、視覚障害の人との比較ではよくわからないのですが、例えば、聴診器ありますよね。音を300倍から500倍ぐらいに拡大できる聴診器があるんだそうです。それでアメリカでは結構使われていて、ただそういう聴診器があるという情報が日本に最近まで入ってきていず、知られていなかったということがあります。情報が入ってきにくいということでは、特に、何となく流れている情報がキャッチしにくいという事は、聴覚障害者の場合はあるかもわかりません。今は、インターネットでは検索すればそういった情報が出てくるので、あの、変わってきていると思うんですけれども。

 要求できる能力ついては、実際に色々な事にぶつかっていくしかないというのと、私の場合大学に入る前までは聴覚障害者しか知らなかったです。他の障害者といっても。大学で自立生活運動に出会ったのは大変幸運だったと思います。自分だけじゃなくて、また障害の域も越えて共通の立場というものが日本にはあると実感できたと。色んな要求とか、抗議とかも含めて先輩達もいたんです。その人達に教えてもらったという事も大きいと思います。

ゆき:  自立生活運動のジリツは、自分で立つ、自立と書きます。もとの英語はIndependent Livingですから、「独立」と訳した方がいいかもしれません。自律と訳す人もいますが、一応、自立生活運動と訳されています。その大阪での中心人物が久実子さんのパートナーの尾上浩二さんです。自立生活運動のことはまた、機会を改めて解説したいと思います。
 時間がもう来てしまいました。けれども、何かどうしても聞きたいことありますか。また、詳しく知りたい人のためのホームページなどは次の授業でみなさんにお知らせしたいと思います。今まで色んな障害を持った方達がみえました。それが政策にどうやって生かされるか。それを受けとめて、誠実に反映しておられる大阪府の担当官をお呼びしたいと思います。野村隆太郎さんです。
 今日は、本当に臼井さん、ありがとうございました。

臼井:  ありがとうございました。

学生・院生のレポートを読んでの臼井さんのお手紙


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