物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

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謎の答えがOECDデータの中に

 第5話は、ミステリー、「消された日本のデータ」の物語です。
まず、グラフをご覧ください。 人口1000人あたりの精神病床を国際比較したもので、4年前、覚えたてのエクセルで苦労してつくったものです。
 実は私は、「精神病床の国際比較データはないでしょうか?」と20年前から厚生省に尋ね続けていました。同省は「精神保健福祉ハンドブック」という分厚い年報を発行しているのですが、そこに載っている国際比較グラフが毎年同じもの、しかも、1977年でプツンと切れている、それが気になって、もっと新しいデータを知りたかったのです。
 担当課の返事は決まっていました。
 「国立の研究所に調査させているんですが、手間どっているようでして……」

 2000年の夏、OECDが出している「ヘルスデータ」にめぐり会いました。覚えたばかりのエクセル機能を使って数字をグラフ化してみました。そこには、1977年で途切れたグラフを厚生省が毎年年報に出し続けている「謎」の答えがありました。
 ほとんどの国で、1960年代から精神病床が激減しているのに、日本(赤線)だけ精神病床数が増え、その差が異常に開いているのです。

グラフ:人口1000人あたりの精神病床 グラフ:精神病院平均在院日数OECD

「特別に」レベルを下げた「精神科特例」

写真@:幼稚園になったイタリアの精神病棟  イギリスの保健省は54年、「今後10年間に精神病院のベッド数を10万床減らす」と発表しました。急性期治療は精神病院ではなく総合病院で行い、慢性期の人は地域の小規模居住施設に移してケアサービスをするという政策転換です。
デンマークでは59年、ノーマライゼーション思想を組み込んだ世界初の脱施設の法律を施行しました。それらは、うねりとなって広がってゆきました。写真@は精神病棟を閉鎖して幼稚園にしてしまったイタリアの風景です。


 日本だけが世界の流れから大きくとり残されてしまった。その理由ははっきりしています。先進諸国が収容主義から地域中心へと政策転換に踏み切った時期、海外の事情にうとい日本政府は「精神病院を増やさなければ」という考えにとりつかれました。
 ただ、土地や建物、人手にかける予算は極力倹約したい。そこで、安上がりの「民活」を思いつきました。
 「医師は他の診療科の3分の1、看護職員は3分の2で結構。山奥に建ててもかまいません。低利融資いたしましょう」という意味の「精神科特例」が、58年、事務次官名で通知されました。

 そして、故武見太郎日本医師会長が「牧畜業者」と名づけた志の低い病院経営者群が参入し、日本の精神医療を支配するようになってゆきました。
 この精神病院に「患者」として吸い込まれていったのが、当時、脳軟化症と呼ばれていた痴呆のお年寄りでした。

「不潔部屋」のお年寄り

 70年の寒い冬の日、私は、家中のアルコールを飲み干し、アル中に化けた相棒を連れて、東京郊外の精神病院の門をくぐりました。あっという間に「診断」がつき、院長は「入院、保護室!」と屈強な男性に命じました。追いかけようとした私に職員は叫びました。「ここから先は家族の方はご遠慮ください!」
 慶大、東大出身の精神科医が院長や顧問をつとめ、有名看護大学の実習病院。けっして「一部の悪徳病院」ではないのに、そこは一言でいえば「人間捨て場」でした。ここでの痴呆のお年寄りの様子を『ルポ精神病棟』(朝日新聞社)から抜粋してみます。

 看護婦詰め所の隣に檻のような部屋が3つあった。8畳間にたたみが6枚。コンクリートの床に楕円の穴があいた便所。暖房のないその部屋に6人の生ける屍があった。驚いたことに部屋の入口に「不潔部屋」と書いた木の札が掲げられている。落書きではない。病院の手でかけられたレッキとした表示である。(略)
 若い患者にそれとなく老人のことを聞く−
 たまに面会にくる家族がいる。こんなとき、汚物まみれの着物を着替えさせ、おぶって面会所へ出て行く。面会に立ち会う看護婦は家族に「ごはんはあまるほどだし、ストープに近いし」などと説明するという。老人の多くは精神病だったわけではない。年をとって脳軟化症になり、ボケたのだ。人生の終着駅が、この不潔部屋とは……。

 このような事態は連綿と続いてきました。2001年2月26日の朝日新聞は「"痴ほう難民"精神病院に」という見出しで、次のように報じました。

 乱脈医療で問題になっている精神病院・朝倉病院の医療監視に入った埼玉県の職員は驚いた。入院患者の8割以上が痴ほう症のお年寄りなのだ。しかも、平均4年近く入院している。(略)
3年前、痴ほう症の母親を精神病院に入院させた。おしゃべりだった母は薬のせいか、ほとんどしゃべらなくなった。散歩も許されない。まるで「収容所」だった。(略)
一昨年、家庭的なグループホームに移って一変した。好きな服を着てスタッフと散歩や買い物を楽しめる。笑顔が戻ってきた。

 写真Aは、精神病院の独房のような部屋でお仕着せの寝間着姿の日本の痴呆の老婦人です。写真Bは同じ症状のデンマークの老婦人、かつては精神病院の痴呆棟にいました。そのときは暴れ、無表情でした。病棟婦長だった写真左のビエギッタ・ミケルセンさんは、精神病院の雰囲気や「患者」とみる流儀が痴呆の人を混乱させ、症状を悪化させることに気づき、重症痴呆症の人のためのケアホームをつくったのです。そこには馴染みの家具が持ち込まれ、ゆったりした時間が流れ、お年寄りの表情はおだやかです。ケアの哲学と環境次第でこうも変わるのです。
写真A:痴呆症と呼ばれるお年寄りの「収容所」になっている日本の精神病院 写真B:思い出の家具に囲まれたデンマークのケアホーム。お洒落している同じ症状のデンマークのお年寄り


圧力?外聞?実は……

 さて、冒頭のグラフに話を戻します。
 2002年、OECDヘルスデータから日本のデータが消えてしまったのです。
 外聞が悪いので厚生労働省がデータの報告をやめたのかしらと思いました。「国際比較されるのを嫌った精神病院協会が圧力をかけたのではないか」と同省に問い合わせた国会議員もいました。

 真相は、圧力でも、外聞でもありませんでした。
 OECDの専門家が、日本と他国データとのあまりの格差を不審に思い、統計学的見地から考えて削除したのだそうです。
「日本で精神病院と呼んでいるものは、国際常識の精神病院とは性格が異なるに違いない」と。
 精神病院が痴呆症のお年寄り収容の場にもなっていることを知ったら、OECDの専門家は、もっと驚くことでしょう。

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