物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

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デンマーク世界一・日本は14位

エステス教授のランキング
163カ国中の順位
2000年
の順位
国名1999
→2000
1デンマーク0
1スウェーデン2
3ノルウェー-1
4フィンランド5
5ルクセンブルグ
5ドイツ
5オーストリア-1
8アイスランド
8イタリア0
10ベルギー0
11イギリス1
11スペイン8
13オランダ-8
14フランス-8
14アイルランド-1
16スイス-5
16ニュージーランド0
18日本-4
18ハンガリー4
20ポルトガル3
27アメリカ-9

 「世界で最も進歩している国は、デンマーク。日本は14位、米国18位、ソ連42位−−。米ペンシルベニア大が、国民生活の観点から世界各国を評価したランキングを発表した」
 1991年8月19日の朝刊に載ったワシントン発UPI共同電です。

 124カ国を対象に、国連、世界銀行のデータなどを使い、保健・医療、人権、1人当たりの国民所得など46項目を調査して評価した、とありました。記事はこう、続きます。
 「同大のリチャード・エステス博士によるとデンマークは社会福祉制度が確立、教育、住宅政策も優れており、研究を始めた20年前以来トップの座を維持。米国は膨大な軍事支出や社会的不公平が響いて評価を下げた。ソ連も、軍事費に金をかけすぎて福祉面が不十分である上、官僚制度の腐敗が社会的発展を阻害し、20年前の25位から42位に転落した」

 私は嬉しくなりました。直感でつくった「安心して年をとれる国」の順位とそっくりだったからです。
 エステスさんは、教授になったいまも調査を続けています。表は去年発表された2000年の順位、対象は124カ国から163カ国に増えています。表の右の欄は90年と比べての順位の変化を表しています。デンマークはその後も1位を続けています。

「自己資源の活用」って?

 85年の旅で「寝たきり老人」という概念が日本にしかないことを"発見"してショックを受けた私は、貯金を下ろしては毎年のように海外に出かけました。そして、デンマークのシステムが最も参考になるのではないかと考えるようになりました。かけている費用はドイツやオランダや他の北欧の国より少ないのに、お年寄りや家族、ケアスタッフがゆったりとして、実にいい笑顔なのです。
 いったいなぜ?

 たどりついたのが「高齢者医療福祉政策3原則」でした。ロスキル大のベント・ロル・アナセン教授を中心とする制度改革委員会が3年がかりで検討し、82年に提言したもので、いまにして思うと、介護予防や痴呆ケアに、大事な意味をもっていました。

☆人生の継続性の尊重
☆自己決定の尊重
☆自己資源の活用

 最後の「自己資源」の意味が、初めわかりませんでした。それは、補助器具や住環境を整え、過剰なお世話を避け、ご本人の人生を知って、誇りを大切にし、その人の力を可能な限り引き出す、という、デンマークでは80年代初めに到達した新しい考え方でした。
 「本人の満足度が高いだけでなく、結果として費用も節約できる」と聞き、目からウロコが落ちました。「イエルプ・ティル・セルイェルプ(セルフヘルプできるように支援する)」というフレーズをあちこちで聞きました。

 このケアの革命を日本に伝えたい。でも、自己資源と直訳すると「自己資産の活用」と間違えられ、自助努力を強調する守旧派の皆さんを喜ばせることになりそう。
そうなっては、一大事です。そこで、しばらくは、「残存能力の活用」と意訳して日本に紹介することにし、こちらの方が日本で定着することになりました。

「寝かせきりゼロへの挑戦」にアナセンさんを

写真:朝日新聞にのった「寝かせきりゼロ」シンポの見開き記事

 89年秋、私は朝日新聞主催のシンポジウム「寝かせきりゼロへの挑戦」(写真)を企画しました。
 シンポジストは、当時は無名だった外山義さん(病院管理研究所主任研究官、のちに、京大教授・故人)、岡本祐三さん(阪南中央病院内科医長、いまは国際高齢者医療研究所主宰)。 中学校の先生からホームヘルパーに転じた井上千寿子さん(現・金城大学副学長)、介護対策検討会の委員で、重いリューマチで車いすを利用している医師、矢内伸夫さん(のちに、全国老人保健施設協会初代会長・故人)。

 基調講演はアナセン教授をお願いしました。「3原則」の提言と同時に社会大臣に任命され、「デンマークの高齢福祉の父」と呼ばれていたからです。
 アナセンさんは、包括性と継続性、市町村の役割の大切さ、ケアマネージメントの重要性を説きました。経済性については、数字をあげながら、こう発言しました。
 「助けを呼ぶと10分以内に訪問看護婦とホームヘルパーが駆けつける在宅ケア24時間態勢の試みが70年代の終わりから始まっていますが、高齢者のための安心感と同時に経済性もあることが分かりました。
 人口4000のある自治体では24時間ケアが始まったら病院のベッド10床分とケアホーム50人分が要らなくなり、2億5000万円浮きました。24時間ケアにしたための経費1億5000万円を引いた1億円が節約できたことになります。高齢者が安心して自宅で生活できるようになった、それが最も重要なことですが、経済性もあったのです」

 シンポジウムに先だって、アナセンさんは岡本さんの案内で日本の現実を体験しました。
 「日本の"在宅寝たきり老人"といわれる方々の現状を昨日と一昨日見せていただきました。お世話しているご家族の努力には頭が下がります。しかし、主婦にすべてを頼るというようなやり方を続けていけば、恐らく世代間での緊張が増し、地中海諸国のように、家族崩壊も起こるでしょう」

 アナセンさんは、初入閣して張り切っている戸井田三郎厚生大臣や厚生省の面々とも意見交換をすることになりました。当時老人福祉課長だった辻哲夫さん(現・厚生労働審議官)は、「3原則との出会いが、高齢者福祉の改革を考える上でのよりどころになりました」と述懐します。

政治史上の大事件が……

 吉原健二事務次官の肝入りで89年7月7日に始まった「介護対策検討会」ですが、検討会報告は、そのまま、棚の中で眠ってしまうことがしばしばです。それが、後の介護保険に大きくかかわることになったのは、検討会発足の16日後に起きた政治史上の大事件がきっかけでした。
 参院選で自民党が大敗したのです。

 朝日新聞の名政治記者、故石川真澄さんは「政治史に新ページ・有権者の意識が大変動」というタイトルでこう書いています。

 「参院選挙とはいえ自民党が過半数を割ったことは、戦後政治史に新しいページを開く大事件である。原因としての有権者の政治意識の大変動という点でも日本の民主政治上、画期的な出来事ということができる。55年に保守合同で自民党が誕生して以来、同党が参院選で得た議席の最低記録は61だった。それが40以下にもなりそうな落ち込みようだ。大事件に違いない」
(89年7月24日:朝日新聞朝刊)

 社会面はこう報じています。

「女性パワーが爆発−−即日開票が行われた参院選の結果、自民支配が続いた日本の政治構造に大きな地殻変動が起きた。自民大敗の原動力になったのは普通のおばさんたち。男たちに政治を任せておけない、と女性たちを怒らせたのは消費税だった。」
(89年07月24日:朝日新聞朝刊社会面)

 6月2日に誕生したばかりの宇野内閣はあっけなく消え、8月9日、海部内閣が発足しました。
 海部さんは、消費税を嫌って自民党離れした女性票に気を使って女性大臣を任命しました。経済企画庁長官に高原須美子さん、環境庁長官に森山真弓さん。そして、大蔵大臣には、当時、女性に絶大な人気があった橋本龍太郎さん。
 首相の座をめざす橋本さんにとって、消費税不人気を乗り切れるかどうか、まさに正念場です。そこで、かつて大臣をつとめた厚生省に助けを求めました。消費税の大義名分になる新たな政策を90年度予算案の目玉に盛り込んでほしいというのです。

 こうして、介護対策検討会での論議がにわかに注目されることになりました。
 まず、「寝たきり老人ゼロ作戦」が打ち出されました。
 この計画、厚生省老人保健課の原案は「寝たきり老人半減作戦」でした。ところが、老人保健部長の多田宏さんのところにもっていったら、「半減なんてケチなことをいうなよ」といわれ、「ゼロ作戦」に。
 「半減でも難しい、おこがましいと思っていたんですが……。でも、ゼロにしたから政策としてパンチがききました」。
 これは、当時同課の課長補佐、いまは堂本暁子千葉県知事のもと、住民とともに政策をつくる健康福祉千葉方式のカナメ、野村隆司さんの証言です。

ホームヘルパー5万→10万人計画

 似たようなことは、ホームヘルパー大増員計画についても起こりました。当時、官房政策課の課長補佐、いまは、年金局長の渡辺芳樹さんが「ホームヘルパー5万人計画」をつくって吉原健二事務次官に提出したら、「それでは迫力がない。10万人計画にしなさい」と一喝されたのだそうです。
 「5万人でもずいぶん背伸びした案だったのですが」と渡辺さんは当時を振り返ります。そのころのホームヘルパーは、贔屓して目いっぱい多めにみても、2万人ていどだったのですから。

 89年の暮れ、「寝たきり老人ゼロ作戦」と「ホームヘルパー10万人計画」を目玉にした「ゴールドプラン」が登場しました。12月22日の朝日新聞は「老人福祉で10年戦略決定 ヘルパー10万人に」というみだしでこう書いています。
 「1990年度予算大蔵原案決定に先立ち、21日午後、大蔵省で橋本蔵相、戸井田厚相、渡部自治相の事前協議があり、『高齢者保健福祉推進10カ年戦略』が決まった。老人福祉施設などについて90-99年度の10年間に整備すべき水準を示したもので、自民党が1日、消費税の見直し案を決めた際、いわゆる社会的弱者である高齢者対策の基本指針を策定するよう求め、政府が検討を進めてきた。総事業費は、厚生省試算で6兆円強」。
 消費税収入は年6兆円、ゴールドプランは10年で6兆円、値切られた気もしたのですが……。

銀から金へ

 「ゴールドプラン」の命名者は、故戸井田さんでした。デンマークの社会大臣だったアナセン教授と会ってからというもの、この分野への関心は高まる一方でした。
 吉原事務次官が差し出した「シルバープラン」を「これでは景気が悪いよ。ドンと元気に金にしよう」と銀から金にグレードアップしたのだそうです。文法的には「ゴールデンプラン」でないとヘンなのだそうですが、大臣の鶴の一声、そのまま「ゴールドプラン」が正式の愛称として定着してゆきました。

 「ゴールドプランじゃなくて、コールドプランだ」「これじゃあ、金メッキプランだ」などという悪口もでましたが、悪口も人気のうちです。シルバーでは、たしかに関心が深まらなかったに違いありません。
 「男は度胸」の見本みたいな3人リーダーによる「ゼロ」「10万」「金」への格上げで、介護の社会化は一歩を踏み出すことになりました。

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