物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より) |
前回の物語の主役、財務省主計局長の丹呉泰健さんが「介護保険の導入を積極的に推進した10の理由」の4番目に挙げたのは、次の理由でした。
「老人医療が、寝たきり老人の増加で問題化している。その上、急速な高齢化で老人が増加していく。今のままの仕組みでは、財政がもたない」 ■女性民生委員、有吉佐和子、そして……■
全国の女性団体の2500人が参加して10月17、18日富山市で開かれた「日本女性会議2008とやま」。
樋口さんは、例として、「寝たきり老人」の調査に初めて取り組んだ女性民生委員をあげました。65歳以上の人の割合が人口の7%を超える「高齢化社会」に日本が突入する2年前の1968年に調査は公表されました。
「文学という手法で高齢化社会に光をあてたのも女性の作家です」と樋口さんは続けました。
スウェーデンでは、高齢化率が10%になった49年、イーバールロー・ヨーハンソンというジャーナリストが、社会から隔絶した雑居の施設に収容されている高齢者の姿を克明に描写し、「19世紀までのうば捨て崖と変わらないではないか」と新聞やラジオが訴え始めました。その翌年、高齢者政策がスウェーデンで初めて選挙の争点になったのでした。
日本は高齢化の後発国だったので、先輩国を訪ね、それらの国々が試行錯誤の結果つくりあげたシステムを紹介しながら書くことができました。
90年代に入って、強力な若い助っ人、2人の女性ジャーナリストが、この問題に取り組み始めました。 ■ゴキブリがはい回る床に寝て■
生井さんが忘れられないのは総理番をしていたときの経験です。首相官邸で自民党の大幹部が、当時話題になっていた男女雇用機会均等法についてこんな雑談を交わしていました。
「生井式キャンペーン」には特徴があります。 ■「ねえちゃん、このひもほどいて」■
そんな日々の中で、心に突き刺さる2つの体験がありました。
もう1つは、東京の老人病院で車いすに縛られていた小柄なお年寄りの言葉でした。
「取材するたびに、自分の無知、卑怯、偽善を突きつけられる思いでした」
「車いすに縛ってもらった。ひもが体に食い込んだ。立っている人の顔がずいぶん高い位置にあり、目の高さが違うとこんなにも威圧感を感じるものかと痛感した。動くのがいやになり、ほんの少しの時間だけなのに惨めな気持ちになった。最初はふとしたことで縛り、人手不足を嘆いても、そのうち縛ることに慣れ、必要がない人まで、車いすに紐で固定されていた」
「チューブがどういうものか、つけてもらった。涙が出た。苦しく、痛い。だが、苦痛を口にする間もなく、管の違和感が下に突き進む。涙があふれて鼻水も出る。ハンカチでふきたいのだけれど、体が固まってふくことができない。痛みが怖くて手を動かすことができないのだ。管を抜かないようにお年寄りがされているように両腕をベッドに縛られてみた。裸にされたように無防備で恐ろしい。縛られると、栄養は補給されても、生きる気力を失うお年寄りが少なくないというのが分かる」
「体験したといっても、ほんのひとときのこと。欺瞞なのですけど」と生井さんはいいますが、記事は人々、とくに女性たちの心にしみ込み、つないでゆきました。 ■ぬかみそと笑顔■
NHKエンタープライズ21のチーフプロデューサーになった小宮英美さんは、95年10月、画期的な取材に打ち込んでいました。日本で始まったばかりのグループホームで、認知症のお年寄りの日々を撮り始めたのです。カメラを回さずにいた時間を含めると滞在1700時間。お年寄りもスタッフも小宮さんやカメラマンの存在があたりまえとなり、ごく自然に振る舞うようになっていきました。
97年2月24日の夕刊のコラムで、私は、小宮さんが1年をかけてつくった番組が再放送されることを紹介しました。
娘さんが語る病院での母の姿は、多くの人が思い描く当時の「痴呆性老人」のイメージそのものでした。妄想めいたことを口走る。パジャマを破く。薬でぼうっとして、娘の顔も分からない。
その老婦人がグループホームの安心できる家庭的な人間関係と雰囲気、ゆっくりと流れる時間、職員のこまやかな心くばりの中で、笑顔と自尊心を取り戻してゆきます。
番組が終わるやいなや、「痴呆性老人観が変わった」「介護職の素晴らしさを知った」などの電話が150本。泣きながらの電話もありました。 ■後ろ姿やモザイクつきではなく■
私は小宮さんの、次の言葉に感激しました。
「痴呆症」が「認知症」と名前が変わり、小宮さんの仕事の場は国際放送局にかわりました。 |
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