物語・介護保険
(社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

第61話 歴史の変革期に稀に現れる幸福な瞬間(とき) (月刊・介護保険情報2009年8月号)

介護保険制度の草創期にかかわった人たちが、宝物のように大切にしている冊子があります。
「歴史の変革期に稀に現れる幸福な瞬間」というエレガントなタイトル。
命名者は、堤修三さん、表でごらんのように、介護保険制度と切っても切れない長いつきあいの持ち主です。98年1月、大臣官房審議官 兼 介護保険制度実施推進本部事務局長に着任、老健局長などをへて、2004年に厚生労働省を去るとき、堤さんを敬愛する人々がつくったのがこの冊子です。

冒頭に、堤さんは、こう書いています。
「多くの場合、現実は、既成秩序の柵で身動きがとれず、矛盾に満ちており、利害が錯綜し、皆がバラバラで互いに信頼しあえず、こうすればよいと分かっていても簡単には実現できないものですが、歴史の変革期には、その裂け目のような一瞬に、皆の心が一致し、皆が互いに信頼しあい、新しい理想に向かって、協力して進んでいくという奇跡のようなときが現れることがあるものです」

そのような瞬間として、パリ・コミューンのある時期、ロシア革命後の前衛的な芸術などの例をあげたあと、堤さんは、こう続けます。
「介護保険の創設実施とは、わたしには、日本の社会保険の歴史において、否、戦後における国と市町村・都道府県との関係において、地方と国の職員を中心とする関係者が互いに信頼しあい、共通の目標に向かって協働することのできた初めてのプロジェクトであり、関係したすべての人々にとって至福の瞬間だったように思えるのです」

◆長時間労働と激務に耐えた「弁当持ち」◆

この「至福」を味わった「弁当持ち」とよばれる一群の人々がいました。
弁当持ち仲間から「隊長」と呼ばれている横浜市の介護保険課長、松本均さん(写真)によると、定義はこうです。
「自治体から厚生省の介護保険制度実施準備室に出稼ぎにいっている職員のこと。体験したことのない長時間労働と激務に耐えている。給料は出身自治体から支払われているため、このように呼ばれている。別名、『研修生』ともいわれているが、実際の業務は研修などといった爽やかなものではない」

役所の外にでたとき、研修生では格好がつかないので、名刺には、介護保険専門調査員と印刷するのがシキタリでした。
「福祉に通じているか、または、システムに明るい係長クラスを3人ほしいと、たしか香取照幸さんから声がかかって、私が3人の1人になりました。97年4月1日の着任初日から徹夜でした」


図は、97年当時の準備室の見取り図です。
@は、法令系と呼ばれる人たちで、キャップは「歩く介護保険」神田裕二さんです。
歩きまわるわけではなく、「ウォーキング・ディクショナリー」の名にふさわしい知識と緻密さから、堤さんが命名したのだそうです。
その向かいは、第43話の「ここから生きて出よう」第46話の「タコ部屋の花婿」に登場した朝川知昭さんと竹林経治さん、法文書きで格闘の毎日です。
Aは医系技官、Bは福祉系の専門職。

Cが初代弁当持ちグループです。松本さんの他に、神戸市から中森貴司さん、東京都の高島長久さん。
制度がスタートしたときに問題がおきそうな中核都市が選ばれました。
Dは介護保険料を天引き方式で成功させるための社会保険庁からの助っ人です。

それぞれのキャップ、今中敏和、藤崎誠一、三浦公嗣、神田裕二の4課長補佐は、堤さんから「四天王」の称号が贈られました。

◆「医療保険の轍を踏まないために」◆

いま、医療の世界は、電算化、オンライン化で揉めています。
「パソコンに弱い中高年の開業医を廃業させるのか」と声明を出すやら、訴訟をおこすやら、大騒動です。
一方、介護保険の方は、「パソコンに弱い」といわれている女性たちが多い職場なのに、粛々と進んでいます。
背景の1つは、「医療保険の二の舞を、繰り返してはならない」とシステム係の面々ががんばったからでした。

解説調になってしまうのですが、介護保険のシステムは大きく分けて5つあります。
@市町村の事務処理システム(被保険者の資格管理、保険料の賦課・収納、介護給付実績の管理等)
A都道府県の事業者情報システム(介護サービス事業者の人員体制、報酬の届出の管理等)
B国保連の審査支払システム(事業者から介護報酬請求を受け、市町村、都道府県、居宅介護支援事業者からのデータと突合し、正しく請求されているか、支給限度額の範囲内かをチェック)
C社会保険庁の特別徴収システム(市町村からのデータに基づき年金から介護保険料を天引き)
D介護サービス事業者の介護報酬請求システム

この5つのシステムがそれぞれ構築され、市町村と社会保険庁、市町村と国保連、都道府県と国保連、事業者と国保連が、相互にデータをオンライン、またはMOやMTなどの媒体を使ってやりとりをしなければなりません。

◆いくつもの壁が。。。◆

行く手には、いくつもの壁が立ちふさがりました。
松本さんがこう整理してくれました。

●その1・制度の運用まで時間がない。
「システムエンジニアには、このような大がかりなシステムの構築には3年はかかると言われました。法律が成立したのは97年で施行まで3年ありましたが、法律が決まっただけではシステムは組めません」

●その2・同時並行での作業
「本来であれば、政省令、通知、介護報酬の骨格、事務処理の内容等が決まってからシステムを設計し、テストを行った上で、5つのシステムを稼働することになります。
でも、時間がなかったので、政省令、介護報酬を詰める作業と同時並行で事務処理の内容やシステム構築を行いました。原稿の校正がまだ終わっていないのに印刷にかけるようなものです。手戻りが生じれば、やり直しをしなくてはいけません。当時の厚生省の中には『システムなんて1月もあればできる』と無謀なことを言う人もいました。
ありがたいことに堤審議官や神田補佐が常に、システムが動くか、市町村の事務処理が大丈夫か気にかけてくださいました。無理であればシステムを直すのではなく制度を直すという気配りがありました」

●その3・概算払い
「99年の1月に介護報酬の単価を決め、2月には介護報酬の解釈通知等を出し、3月からケアプランの作成、4月にはサービス提供、5月には事業者が国保連に報酬を請求、6月には国保連が事業者に報酬を支払うという無謀ともいえるスケジュールでした。
けれど、事業者の請求システムが間に合わない。国保連の審査支払いシステムが間に合わない。6月に事業者に報酬が支払われなければ、事業者は従事者に給与を払えないことになる。請求や審査支払のシステムはできるかどうか、入力ミスもあるかもしれない。
そこで、措置時代に措置費を請求してきたように、『概算払い』を決めました。
私が神田さんにお願いし、神田さんが堤さんに言ってくださって決まりました。概算払後、正しく精算するまで半年くらいかかりましたが、これをやらなかったら報酬が支払えなかったと思います」

◆「知恵袋」の隠れボランティアの秘密は◆

弁当もちの人々に慕われていたのが、藤崎さんの席に座った「準備室の知恵袋」、石黒秀喜さんです。
自身の人生や性格を図のように全面情報公開し、「上手に老いるための自己点検ノート」(筒井書房)をまとめました。
認知症になったとき、ツボをえたケアをうけるために、あらかじめ、自身の人生、性格を書き込んでおくという世界にも例がない試みとして、いま、爆発的に評価されています。
介護保険にかかわった40代の欄にはこう書かれています。

「相変わらず残業の日々。老後の時間をお金をかけずにすごす練習をするため、日曜日の午前中に近くの特養ホームに行き、ごみの片づけやおしぼりづくりなどを手伝う」
これは、どうやら、石黒さん独特の照れ隠しのようです。

「アルチュー・ハイマー」を自称してワルぶったりする石黒さんですが、実は、生真面目に自省する人です。
「税金で生計をたてさせていただいた者として、その見返りを納税者に還元しているだろうか」「福祉現場を霞が関からではなく、ありのままにみておかなくては」。

毎週の特養ホーム通いは、そんな石黒さんが、密かに福祉現場で情報収集するための遠望深慮の作戦だったようです。

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