えにしの方の墓碑銘

目次

回復期リハビリテーション2021年10月号追悼石川誠
「ポピーズ」の名は、ボーカルの関根由紀さんがポリオ、夫で作詞作曲の善一さんがCP(脳性まひ)なのが由来。2009年4月の「えにし」の会で見事なアンサンブルを聴かせてくださいました。この日の曲。「……。僕がかたわなのは、ママのせいじゃないよ。ただ、運が悪かった、それだけのことさ。……。あたたかいでしょう、僕のいのちは。……。燃えているでしょう」。歌詞の最後は、「殺さないで、ママ…」
と2020年暮れに、はやばや「挨拶状」をしたためた中村仁一doctor。21月6月5日夕刻、思い通り、京都の自宅で亡くなりました。近藤誠さんとの最後の対談は「入院してがんの治療を受けていたら、私はとうに死んでいたと思いますよ」 でした。
「高齢福祉医療政策3原則」で知られるアンデルセン(デンマーク読みはアナセン)教授が亡くなったのは2017年10月7日のこと。初来日した翌年、1990年の日本へのadviceは残念なことに、いまも貴重です。日本の現状が、3原則の「人生の継続性の尊重」「自己決定の尊重」に反しているのですから。
……ノンフィクションライター 渡辺一史さん
☆リハビリテーション医学の革命児・石川誠さん・2021.5.24死去・74歳
局長を退職して社会保険協会連合会理事長になると、東大医療政策人材養成講座の一期生を志願。断られたのに翌年志願して、めでたく合格。「物語・介護保険」に度々登場なさっています。
「2つの日本型福祉」 「寝たきりゼロ10カ条の秘密 」 「介護力強化病院と訪問看護ステーション」
ABO式血液型を決めている物質が赤血球膜上にある糖脂質であることを突き止め、生理機能を持った脂質に関する新たな研究領域を確立。さらに、テイ=サックス病なと死に至る先天性の脂質代謝異常の本態を解明した研究者が、後輩のために53歳のときに書いたもの。「教科書にあるからといって正しいとは限らない。すべてを疑え」「誰にでも幸運は訪れるはず」「研究費の不足を嘆くな、才能のないことを嘆け、愚痴からはなにも生れない」など、他の分野にも参考になる教訓の数々が。。
ノーベル賞を受賞者たちの弔辞や献花以上に参列者を驚かせたのは、バックに流れたウエストサイドストーリーの「マリア」でした。1歳年上だということで猛反対され、4年粘って初志貫徹。アルツハイマーに倒れた妻を12年間自宅で介護。お通夜に選んだのがこの曲でした。90歳になっても抱いていた恋女房への思いの深さを思い、本人の通夜でもこの曲が流されました。「1歳年上」が結婚反対の理由になって時代の物語です。
親父と沖縄とマンゴープリン……辰濃和男さんを偲ぶ会で、長男、哲郎さん
朝日新聞の1面コラム「天声人語」を13年間書き続けた朝日新聞論説委員室の偉大な先輩、辰濃和男さんが亡くなったのは、2017年12月6日、87歳でした。父上同様に朝日新聞のエース記者で、慶応義塾大学野球部のピッチャーとしてならした哲郎さんが「衰えを自覚しながらも、それに抗い、自分の夢を追いかけようと最後までもがいていた親父の姿を」と、偲ぶ会で明かした真実の姿。
亡くなられる1カ月前、迫田朋子さんによるインタビューです。
光栄なことに、春兆さんが私をインタビューしてくださいました。
コーディネーターは、坂部明浩さんです。
朝日新聞の記者になりたてのホヤホヤ、初めて書いた社会面トップです。当時のことゆえ、「精進、宿命を乗り越える」という大時代な脇みだしがついています。詩人として、日本障害者協議会(JD)顧問として、障害運動の象徴的存在になられた花田春兆さん、2017年5月13日、91歳で旅立たれました。3月2日、仮の文字盤でナースに伝えた「桃の花を待ちて 老いの身や がんばらん」が、最後の句になりました。
フロイトとマーラー、ブラームスとビルロートの奇しき「えにし」をごぞんじですか?200ものオペラをナマで鑑賞。その記録をパソコンに蓄積して、歌手と役柄、演出家による違いを分析していた開原成允さん(国際医療福祉大学院長)が、二期会に寄せた遺稿です。 テキスト版はこちら

トップページに戻る