えにしの方の墓碑銘

目次

日本に存在しなかった「インフォームド・コンセント」という思想を紹介した唄孝一・都立大法学部教授(当時)。1965年「治療行為における患者の承諾と医師の説明」として紹介するまでの当惑。「unauthorized treatment」をもぐりのインチキ医療のことと思って読んでいたら「患者が承諾していない医療」のことだと知ったときの驚きが記されています。
2023年7月31日、悪性リンパ腫のため、62歳で逝去
テキスト
東京新聞 2023.8.3 こちら特報部・木原育子さん
なぜか、私を贔屓してくださった加古里子先生のことを、やはり私と縁の深い藤嶋昭・元理科大学学長が「学士会会報に書きました」と送ってくださいました。おすそわけしますね。
「私はいま、日本の在宅ケアのやさしさ、すばらしさを日々感じています。本人の力を使って、ケアをしてくれる。訪問看護師さんは、起き上がりひとつにしても、私が力を出して起き上がるのを、必要な分だけ支えてくれます。いまは、痛かったり辛かったりすることは何もありません」ということばをフェイスブックに残して、ジャーナリストの村上紀美子さんが4月24日、自宅で眠るように亡くなりました。47年間連れ添ったパートナーからの感謝の言葉をあわせて。
フランコ・ロテッリが2023年3月16日に他界しました。80歳でした。
「イタリア精神保健改革の父、フランコ・バザーリアはトリエステに堅固な土台を築いて旅立ったのですが、ロテッリはその上に美麗な建物を築きました。
若い医者の先頭に立ってサンジョヴァンニ病院に代わる拠点として精神保健センターを置き、24時間365日オープンを実現させました。
5月6日、サンジョヴァンニ公園(旧病院)のバラ園での葬儀に「ビデオメッセージを」と所望されました。時代遅れの僕はビデオメッセージなるものを知りません。そこで、「ロテッリへの感謝の言葉」を送りました。(ジャーナリスト・大熊一夫さんより)
2023.1.12、93歳、老衰で亡くなった作家・加賀乙彦さんは、私にとっては、
東京拘置所医務技官を志願して、無期囚と死刑囚の心理を比較した精神科医・小木貞孝さんでした。
1971年、科学部記者時代に書いた記事「われら無期囚」を『心のプリズム』から。
「医学論文を書いても医療は変わらない、人々に真実を知らせる方が医療を変える力になる」という近藤さんの信念、「マコちゃん、ヨッちゃんでいこう」etc.のエピソードが。
〜「昔考えていた道とはずいぶん離れたところを歩いているような気もします」
国際医療福祉大学大学院医療福祉ジャーナリズム分野・増田英明さんの学位論文
2022年8月13日、タクシーの中で急逝された近藤doctorのお仕事の全貌が、多角的に分析されています
病院で縛られたり、寝たきりになっていた人を、起きて“歩ける”ように、口から美味しく食べられるようして、特別擁護老人ホームのお手本になった小田原市の潤生園の時田純さんが8月9日、自宅で眠るように亡くなりました
時田さんのお仕事の一端を朝日新聞の夕刊コラムに「敬老精神」というタイトルで書かせてていただきましたので35年前のものですが、アップさせていただきますね。
「寝たきり老人」という概念は日本だけと社説に書いて四面楚歌だった私を、丁寧お手紙で励ましてくださったのも時田さんでした。そのときのことは、『寝たきり老人ゼロ作戦と「10カ条」の秘密』をご覧ください。
2022年8月8日、88歳でで亡くなった中井さん。阪神大震災で被災者の精神的なケアに尽力したことで知られますが、ギリシャの詩人の詩を翻訳した「カヴァフィス全詩集」で読売文学賞。「家族の深淵」で毎日出版文化賞を受賞するなど文学の才能も。実は、絵の才能もおありでした。東大分院の講師だった若き時代から縁のある私への年賀状をとりだしてみたら、画風も少しづつ変化していました。講師時代の研究テーマは、傑出した人物の生涯を精神医学や心理学の手法で分析し、才能の開花と病氣の関係を明らかにする病跡学でした。
★「地域共生」をテーマに静岡県社協が2021年12月23日に開いたフォーラム
海老原宏美さん、丹野智文さん、惣万佳代子さん、3人のパイオニアが登壇しました。
病院からズームで参加、爽やかな笑顔と笑い声が印象的だったえびちゃん、こと、宏美さん、
翌24日夜、天に召されて、魂を込めた、最期のメッセージになってしまいました。
海老原宏美さんの講演
丹野智文さんの講演
惣万佳代子さんの講演
パネルディスカッション「地域でともに暮らすために」
7月に亡くなった佐藤きみよさんへの海老原宏美さんの追悼文。遺稿になってしまいました。
★人工呼吸器を離せぬ身で人々を元気にした海老原宏美さんが12月24日夜、急逝しました。
前日、静岡で開かれたフォーラムで参加者を魅了したプレゼンが遺言になってしまいました。
そのパワボメモを。

講演の翌日死去静岡新聞2022.1.15
★浅野史郎さん(元宮城県知事)がホストをつとめる「ミラクルTV」でのえびちゃんのロングインタビュー 2021.3.20
感動のあまりの文字起し録画をリンクしました。
回復期リハビリテーション2021年10月号追悼石川誠
「ポピーズ」の名は、ボーカルの関根由紀さんがポリオ、夫で作詞作曲の善一さんがCP(脳性まひ)なのが由来。2009年4月の「えにし」の会で見事なアンサンブルを聴かせてくださいました。この日の曲。「……。僕がかたわなのは、ママのせいじゃないよ。ただ、運が悪かった、それだけのことさ。……。あたたかいでしょう、僕のいのちは。……。燃えているでしょう」。歌詞の最後は、「殺さないで、ママ…」
と2020年暮れに、はやばや「挨拶状」をしたためた中村仁一doctor。21月6月5日夕刻、思い通り、京都の自宅で亡くなりました。近藤誠さんとの最後の対談は「入院してがんの治療を受けていたら、私はとうに死んでいたと思いますよ」 でした。
「高齢福祉医療政策3原則」で知られるアンデルセン(デンマーク読みはアナセン)教授が亡くなったのは2017年10月7日のこと。初来日した翌年、1990年の日本へのadviceは残念なことに、いまも貴重です。日本の現状が、3原則の「人生の継続性の尊重」「自己決定の尊重」に反しているのですから。
……ノンフィクションライター 渡辺一史さん
☆リハビリテーション医学の革命児・石川誠さん・2021.5.24死去・74歳
局長を退職して社会保険協会連合会理事長になると、東大医療政策人材養成講座の一期生を志願。断られたのに翌年志願して、めでたく合格。「物語・介護保険」に度々登場なさっています。
「2つの日本型福祉」 「寝たきりゼロ10カ条の秘密 」 「介護力強化病院と訪問看護ステーション」
ABO式血液型を決めている物質が赤血球膜上にある糖脂質であることを突き止め、生理機能を持った脂質に関する新たな研究領域を確立。さらに、テイ=サックス病なと死に至る先天性の脂質代謝異常の本態を解明した研究者が、後輩のために53歳のときに書いたもの。「教科書にあるからといって正しいとは限らない。すべてを疑え」「誰にでも幸運は訪れるはず」「研究費の不足を嘆くな、才能のないことを嘆け、愚痴からはなにも生れない」など、他の分野にも参考になる教訓の数々が。。
ノーベル賞を受賞者たちの弔辞や献花以上に参列者を驚かせたのは、バックに流れたウエストサイドストーリーの「マリア」でした。1歳年上だということで猛反対され、4年粘って初志貫徹。アルツハイマーに倒れた妻を12年間自宅で介護。お通夜に選んだのがこの曲でした。90歳になっても抱いていた恋女房への思いの深さを思い、本人の通夜でもこの曲が流されました。「1歳年上」が結婚反対の理由になって時代の物語です。
親父と沖縄とマンゴープリン……辰濃和男さんを偲ぶ会で、長男、哲郎さん
朝日新聞の1面コラム「天声人語」を13年間書き続けた朝日新聞論説委員室の偉大な先輩、辰濃和男さんが亡くなったのは、2017年12月6日、87歳でした。父上同様に朝日新聞のエース記者で、慶応義塾大学野球部のピッチャーとしてならした哲郎さんが「衰えを自覚しながらも、それに抗い、自分の夢を追いかけようと最後までもがいていた親父の姿を」と、偲ぶ会で明かした真実の姿。
亡くなられる1カ月前、迫田朋子さんによるインタビューです。
光栄なことに、春兆さんが私をインタビューしてくださいました。
コーディネーターは、坂部明浩さんです。
朝日新聞の記者になりたてのホヤホヤ、初めて書いた社会面トップです。当時のことゆえ、「精進、宿命を乗り越える」という大時代な脇みだしがついています。詩人として、日本障害者協議会(JD)顧問として、障害運動の象徴的存在になられた花田春兆さん、2017年5月13日、91歳で旅立たれました。3月2日、仮の文字盤でナースに伝えた「桃の花を待ちて 老いの身や がんばらん」が、最後の句になりました。
フロイトとマーラー、ブラームスとビルロートの奇しき「えにし」をごぞんじですか?200ものオペラをナマで鑑賞。その記録をパソコンに蓄積して、歌手と役柄、演出家による違いを分析していた開原成允さん(国際医療福祉大学院長)が、二期会に寄せた遺稿です。 テキスト版はこちら

トップページに戻る