目からウロコのメッセージの部屋
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粂和彦さん(熊本大学発生医学研究センター助教授)/2004.12
みなさま、こんにちは。ぼくは、いったい何者か? については、後から書きますね。ただ、最初にちょっとだけ・・・ ●情報とコミュニケーションの変遷
人間は、言葉により、内容の濃いコミュニケーションができるようになりました。数千年前に、文字を発明し、これは記録の役割を果たすと同時に、手紙となって、離れた場所にいる人との、意思疎通を可能にしました。平安時代の書簡のやりとりは、今、読んでも素敵ですよね。また、産業革命の頃の印刷の発明で情報の大量増幅が可能となります。 ●電子メールは文字文化ではない!?
ネットを介した情報交換のツールを、別表にまとめますが、電子メール(以下、メール)の最大の特徴は、メールが、パロールに近くてエクリチュールではない、という点だと思います。なお、これは、ぼくのオリジナルアイデアではありません。
紙に書かれる手紙には、エクリチュールを使います。普段、電話などでは、気安く話ができる相手でも、手紙では、「拝啓時下益々ご健勝のこととお慶び申し上げます・・・敬具」なんてつけるのが、一般的です。一方通行で、時差のあるコミュニケーションなので、書いた瞬間と、読む時では、時間差があることを意識して書かれるのが普通です。一方、電話で話されるのは当然パロールですが、その特徴は、絶対的な同時性と、言葉に感情がこめられることです。
では、メールは、どうでしょうか?メールは、ある意味で手紙以上に、エクリチュールです。なぜなら、手書きの手紙なら、文字の感じ(丁寧に書いたり、くだけた丸文字で書いたり)や、便箋の質(暖かい絵のついた紙と、無機質な事務用の紙の違いなど)で、ある程度の気持ちを込めることができます。涙や鼻水のシミもつくかもです(笑)。でも、現在のメールの多くは、単なる文字の羅列です。実際、知らない人に初めてメールを出す時には、ほとんど手紙と同じような文体を使うこともあります。また、メールを使い慣れない人は、文字の手紙と同じような書き方をいつまでもします。
しかし、最近の多くの人にとって、メールはパロール的に機能しています。とはいっても、メールは単なる文字の羅列で、そこには、なかなか文字情報以上のものはありません。そこで、顔文字や、くだけた言葉を使って、パロール的にするわけです。ネットでも、チャットは、電話に近いですし、手紙でも、ハリーポッターに出てくる、「どなりつける手紙は、パロール化の究極です。
●メーリングリストを使ったコミュニケーション
MLは、その仕組みの上でも、従来には全くなかったコミュニケーション・ツールです。
2.受け手側だけでなく、情報を発信する側にも、匿名性があります。たとえ、実名での署名があっても、面識がなければ、年齢もバックグラウンドもわからないので、名前にはほとんど意味がなく、匿名と考えられます。肩書きなども、一定の判断材料を提供するに過ぎません。
3.情報が発信されて、すぐ届くこと(即時性)、無料で、紙も切手も不要で、簡便に書けること(簡便性)。パロール的な気安さと、書きやすさ。
4.面識がない相手の場合、字体、材料などの情報がなく、表情のない文字の羅列なので、個々のメールに個性が乏しくなります(没個性、または脱個性性)。そして、誰からのメールも、どのような内容のメールも、同じ外見で届きます。例えば、従来のメディアなら、大新聞の記事と、週刊誌の記事、書籍としての文章などには、重さに大きな差がありますし、情報の発信は、それなりに知識や経験がある人からされることが多かったものが、メールでは、そのような差別化や、重さの差がありません。平等とも言えますが、極端に偏った意見も、同じ重さを持つように感じられます。
5.参加者の反響が感じられない、のも大きな特徴です。ある意見に共感する人が、参加者の中に多いのか、少ないのか、自分のコメントが、どのように受け入れられているのか、体感できないので、つい書きすぎたり、疑心暗鬼になったりすることもあります。 ●異なる意見と立場の共有
さて、このような特徴のあるMLですが、せっかく作ったMLが、参加者内の対立で、分解したり衰退してしまった経験をした人も多いと思います。面識がない人間同士が、インターネットだけを介したネットワークを作って、そこから何かを生み出す、つまり「ネットでネットする」のは無理だ、という意見も聞きます。しかし、ぼくは、限界と注意する点を知れば、建設的な情報交換に基づく、ネットワーク構築にネットが利用できると考えます。
最大のポイントは、MLは情報の共有の場であり、知識・情報の格差を無くす場ではあっても、意見の差を無くすための場ではないことです。意見の差には、基礎となる情報や経験が異なるために出てくるものと、思想・嗜好・イデオロギー的なものがあります。前者は、情報を共有すれば、無くなることもありますが、後者は、基本的には、ネットに限らず、どのような手段でも簡単には埋まらない差です。
上手な情報共有経験をたくさん分かち合えば、MLのメンバーにとって、そのMLは有意義になります。しかし、お互いに意見そのものの差を即時性・簡便性のあるMLで、無くそうと議論するのは、当事者のみならず、MLの全メンバーにとって徒労です。直接会って、議論している時には、その議論の中で、どこまでが妥協できる点なのか、比較的、見分け易いし、考える時間と話す時間が限られているので、譲りあい易い面があります。
ところが、MLでは、時間が無制限にあり、いつまでも反論ができます。ただし、この二つの差の間に、いつも最初から、簡単に線が引けるわけではありませんし、ある部分までは、お互いに意見が変わって、近づけるということもよくあります。それを、意見交換の中で見つけることができるのも、MLの醍醐味でもあります。 ●今、再び、ネチケット
では、どうすれば、無駄なメール交換や、場が荒れる対立をさけることができるか・・・ここでは、具体的な方法を提案します。ただし、これはルール化するという性質のものではなく、管理・運営者、または場合によっては、積極的な参加者の一人として心がけて、それた場合、介入する、という意味です。
1.質問・反論の回数を制限する:質問・反論は、せいぜい2回までです。たとえば、3回以上、「それは、なぜか?」という質問するのは、禁忌(やってはいけないこと)だと思います。普段から、よく考えている人でも、自分の考えの根拠を、3段階以上、答えられることは少ないものです。自分の意見を説明しながら、相手の意見の根拠を聞いたり、相手の意見の不備を指摘するのは、3回を限度とするのが、無難です。もちろん、建設的に意見交換が続いている時には、何度でも構いません。
2.反論は一晩寝かせる:メールの特徴は、即時性ですが、それが逆効果になるわけですから、それを避けるために、わざとローテクを使います。実際、一晩、待つと、考えていることが大きく、変化することもあります。
3.部分的な反論は避ける。相手のメールの部分部分を引用して、相手の論点のいくつかに個別に反論・コメントすることは、多くの場合、揚げ足取りにもなります。もちろんケースバイケースで、部分否定・部分コメントが有効な場合もあります。
4.異なる意見は、空中に投げる。3.を避けるため、ある意見に対するダイレクトな反論という形ではなく、別の意見として、ひとつのまとまった形で新規にコメントを投稿する方が、効率的な意見共有ができます。
5.頭を冷やす。ネット上では、全ての参加者が全く等価に感じられてしまいます。しかし、現実には、一定のディベートが成されていれば、たとえ、その直接の相手を論破・説得できなくても、他のサイレントなメンバーは、きちんと評価するはずです。相手を負かす必要はありません。
6.許容的になる。どのような状況でも、極論が飛び出すことがありますが、それらの極論も完全に打破したり、排除する必要など、普通は全くありません。その人自身を説得するのが、MLの目的ではない以上、極論には、それが極論であることを1回だけ指摘しておけば、充分です。
7.これはメールに限りませんが、論点ではなく、相手の人格批判や、別の点での反論・コメントはしない。日本人は、ディベートに慣れていないせいなのか、政治家同士の足の引っ張り合いのことを、ディベートだと勘違いしているせいか、議論の内容から離れてしまうことが、非常に多いようです
8.そして、パロールなのか、エクリチュールなのか、常に意識することです。ネットになれた人間が増えれば変わっていくでしょうが、今のところ、まだまだ、メールに対するイメージが、人により大きく異なり、エクリチュール的にとらえている人にとって、パロール的に書かれたメールは、大変侮辱的に感じることもあるわけです。
(精神保健ミニコミ誌『クレリエール』12月号から、ゆき独断で、半分に圧縮させていただきました。粂さんごめんなさいm(_ _)m
全文はhttp://k-net.org/opinions/に掲載されています(^_-)-☆ 原題は「ネットでネットする 〜インターネット・コミュニケーションを、市民のボランティア活動のネットワークに役立てる」です) |
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