卒論・修論の部屋

ハンディキャップを持つ人と旅行から見えてくるもの〜草薙威一郎さんのライフヒストリーを通して〜
地家 杏奈さん


 何らかのハンディキャップを持つ人が旅行をすることを勧める著書に、必ずといってよいほど出てくる言葉が「旅は人権」である。社会福祉という分野に長く関わってこられた一番ヶ瀬康子氏は、これを次のように説明している。人間がする旅とは計画的(自覚がある)で、時には思いきった冒険や挑戦で空間を移動することである。これは他の動物にはみられない。この意味において、「人間が人間であることの権利として、さらに文化的な生活権として旅は人権である」と。
 また、おそどまさこ氏はトラベルデザイナーとして、常にその人生と旅行を重ね合わせながら生活している。女性という立場から「女性のための旅行」、自分の将来のことを考えて「高齢者、ハンディキャップを持つ人の旅行」、自分の娘が成長すると「娘たちの一人旅」といった具合に企画・実施してきた。これを見ると、もはや旅が人権どころか生きがいですらあると思えてくる。
 しかし、これだけ「旅は人権」なのだ強調されるということはすなわち、わざわざ確認しなくてはそれがすべての人に保障されていない社会がある、ということも当然意味している。これだけ旅行好きな日本人の中で保障外の人々とはつまり、何らかのハンディキャップを持って生活している人々である。旅行とは「人間が人間であることの権利」なのだから、これが保障されていないということは、人間として保障されていないということに他ならない。
 ここではそういう前提に立って、「ハンディキャップを持つ人の旅行」と所有化して、特別視しなくてもよい社会にすべく、その問題点を「ハンディキャップを持つ人と旅行」の関係から探り、考えてみたい。
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