卒論・修論の部屋

ハンディキャップを持つ人と旅行から見えてくるもの〜草薙威一郎さんのライフヒストリーを通して〜
地家 杏奈さん


(6)"念書問題"を超えて会社のしくみ作り―怒涛の90年代 その2―

@「No , but」から「Yes , but 」への分水嶺

 1990年代の草薙氏はどのような存在だったのか、それは二つの方向からの板挟み、あるいは双方にとっての緩衝役であったと言ってよい。二つとはつまりこうである。人工呼吸器を使わなくては生きていけない重度のハンディキャップを持った人には、自分が旅行をするためにお願いできる「最後の砦」が草薙氏であり、また会社にとっては草薙氏がいないと「会社のノーマライゼーションは10年遅れる」と言われる「専門家」でもあった。しかし、ここで"どちらからも信頼されるキーパーソン"とは言わず敢えて"板挟み"といったマイナスイメージの言葉を使ったのは、のちに述べる<念書問題>があったからである。
 1988年2月から、草薙氏は現在のJTBやその100%出資の企画会社JTBワールドとは一線をおいた財団法人日本交通公社調査部に勤めていた。ここで興味深いのは、1993年から当時の運輸省や社団法人日本観光協会とともにハンディキャップを持つ人の4〜5年にわたる大規模な調査を行ったことである。その中では、今どんなニーズがあるのか、行政や自治体事業者からの問題点は何か等を経て、宿泊施設のモデルガイドラインについて報告書を発行したり、それによるフィードバック調査も行っていた。その頃、既にJTBでは、ハンディキャップを持つ人がより安い一般のパッケージツアーにハンディキャップを持っていない人と一緒に参加するケースもちらほら出始めていた。ところが、それと同時にJTBワールドに出てきた悩みが「他のお客様」からの苦情であった。「なぜ、体の不自由な人を参加させたのか」、「私たちは、ヨーロッパ旅行を楽しみに行ったのであって、福祉の旅行に参加したのではない」、「交通公社は障害者を食い物にするのか」、「参加することが分かっていれば、別の日に出発した。なぜ、出発前に知らせないのか」等、数十通あったという。会社としてどこまでサービスできるのか、これが決まっていなければ結局困るのが現地の添乗員達である。優秀な添乗員ほど気配りがきく。これによって、ハンディキャップを持つ人に時間を割き過ぎる人もいたであろう。現に旅行進行に全体の40%は何らかのトラブルがあったと報告されている。これについて、海外旅行のベテランでありかつ今までハンディキャップを持つ人との旅行を数多く手がけてきたおそどまさこ氏の指摘は考えさせられる。彼女は、旅先で車いすの友達と「大喧嘩」をしたこともあるというトラベルデザイナーである。皆が同じ金額を払って参加している旅先では、参加者全てが自分の旅行をより良くするのに必死である。そのため旅先では中途半端な善意は通用しないし、それに縛られてはパニック状態に陥るのだ、と。
 JTBでは、1991年、旅行業界では初めて車いすを利用する人を対象にしたツアー、「車いすで行くアメリカ」・「車いすで行くカナダ」を発売する。これは発売早々大盛況であり、ハンディキャップを持つ人の旅行に対する要求が高まっていることを会社が改めて実感する機会でもあった。会社としては、旅行のノーマライゼーションを進めていくことに変わりはない。しかし、こうしていつまでも「普通のお客様と'隔離'する」ツアーばかりではいけない。そこで、92年4月からJTBワールドの話し合いの末出された結論が、93年1月の『高齢者・障害者および車いすツアーの申込み受付について』と題された冊子作成であった。この内容は、申込みという入り口で『不安定かつ複合的な要因』に対する危惧を取り払うために設けたものである。まず、75歳以上の高齢者には、必ず『健康アンケート』を取る。そして、アンケートに"引っかかるもの"があれば医師の診断書を提出させる。これをJTBワールドへ一度送付したのち引き受けると"判断"したら署名・捺印を取りつける。また、"判断"の結果参加拒否や変更を促す『おことわり書』を送付する場合もある。また、ハンディキャップを持つ人に対しては、『健康アンケート』の他に、その障害が足、耳、目、体幹、腕のどの部位であるかに分けて、また車いす利用の人も別に必ず『障害者手帳のコピー』を要求した上で『お伺い書』を取る。そこには、食事、歩行、トイレ介助等の有無、車いすのサイズなど旅行をする上で必要な質問もある。ただし、体幹に障害のある人と車いす利用の人には必ず『医師の診断書』を求めている。ここでの問題点は、ハンディキャップを持つ人が安全に旅行するために伝える内容を超えて、会社側が安心するための情報提供を強いていることではないだろうか。その証拠が、『ご確認書』の存在である。高齢者と同様の手続を経てJTBワールドの"承諾"を得た参加者とその同伴者は「添乗員に特別の配慮を希望しない」と誓うことを確認され、その署名・捺印を取られるのである。
 この作成にあたり草薙氏も目を通している。調査部という外部の人間としてその意見は反映されずとも彼の立場は明確であった。念のため、数年前の1986年「障害者旅行ガイド」執筆で前述した言葉を繰り返す。「本人の意志で外出する限りにおいて、とくに医者の証明書や、特定の保証人をつけたり、行動目的や旅行先の明示をする必要もない」。彼が納得していたはずがない。だが、4月から全国支店で実施されることに決まっていた。
 ところが、1993年2月19日、朝日新聞朝刊の社会面に「障害者に念書、時代に逆行」との見出しの記事出され、大きな反響を呼ぶ。JTBへの批判は当時名前の知られていた草薙氏の下へ、また会社の広報室は草薙氏を頼って、彼は板挟みになる。とりわけ「障害者の自立生活センター・町田ヒューマンネットワーク」からの批判はその代表とも言える。「このような"念書"は、あたかも障害者や高齢者に『参加しないでくれ』というようなものであり、最初から『迷惑をかける存在』だと決めつけている。また、同伴者の署名・捺印を取りつける確認書は、障害者や高齢者が『責任能力のない存在』だという前提に立っている」といった趣旨であった。こうした抗議を受けて、JTBは今まで関与させなかった草薙氏を緩衝役として彼らとの話し合いを重ねることになる。そして、その年の3月には医師の診断書提出を取りやめた上で、「ご確認書」と「障害者手帳のコピー」の請求も取り消している。それは、添乗員に特別の配慮を希望しないのはハンディキャップの有無に関係ないことであり、またサービス提供に関して障害者手帳の情報は役に立たずプライバシーの侵害にあたるからと判断したからであった。
 この一連の騒動を第三者として冷静に見ると、しかし、JTBが差別や偏見に満ちているわけでは決してない。このように迅速に当事者の意見を積極的に受け入れ、改善を行ったJTBの姿勢は評価に値しさえする。そこにはまず、旅行促進を前提とした受け入れ姿勢があった。国が何十年もの間無視しつづけてきた態度と比較すれば、その差は歴然としている。また批判から始まったとはいえそのような機会を得たことで、JTBが当事者の意見を聞くというきっかけを得たと考えることもでき、双方が得をしたと考えることもできる。
 草薙氏は、このことを次のような言葉で集約している。<「No , but 」から「Yes , but」へ>。すなわち、ハンディキャップを持つ人の旅行は「原則的には、No。でも、こういう場合にはOK。」から、「原則的には、OK。でも、できないこともある」に変わる分水嶺であった、と。

A「参加させてあげる」から「参加していただく」へ

 こうした一連の動きの中で、草薙氏は1994年2月会社に改革案を出し、同年10月からは会社の中枢であるJTB経営企画へ移動することになる。だが、そこでもまだ「お伺い書」についての苦情が絶えなかった。「『お伺い書』を書かせておいて、それを障害者のいないところで判断し、参加を断る」等といった姿勢に対して市民団体からのさらなる抗議が続いたのである。そこで、草薙氏を中心として改革が行われることになった。氏の方針はこうである。「申込みという入口で、形式的なことでもめるのはもうよそう。これからは、『参加させてあげる』のではなく、『参加していただくために、必要なお手伝いをする』という姿勢で、旅行の内容にもっと重点を置くべきだ」というものであった。そして、その言葉どおり改革が実行されていくことになる。
 まず、1994年、経営改革推進プロジェクトとして、「ノーマライゼーション推進デスク」を設置する(業界初)。また、1995年には、体の不自由なお客様の旅行に関する社内相談窓口・「Dデスク」を設置。このDとは、<DISABLED>と<DIAMONDのように輝く>という意味から取ったらしい。さらに、ハンディキャップを持つお客さんに直接接する店頭社員向けにまず「サービスマニュアル」を作成し(業界初)、全社的な「ノーマライゼーション教育セミナー」も行った(業界初)。
 そして、1995年4月からは、最大の課題である「お伺い書」の形式を改める。これは、1996年4月より「Dシート」として様式が統一され、「お伺い書」は完全に廃止されている。その役割とは、お客さんが記入するのではなく、社員が口頭で旅行の内容に沿ってヒヤリングし伺う必要最少限度の事項を形式化したものとなっている。その徹底ぶりは、例えば次のような文章に表れている。「特別に配慮が必要とする旅行者は契約の申込時に申し出てください。このとき、当社は可能な範囲でこれに応えます」、「耳の不自由な方で、口頭でお伺いできない場合は必ずお客様の了解を得て筆談を行って下さい」。つまり、会社から強要ではなく、必要に応じて伺い、お客さんの義務も明確にする。そして、旅行会社としてはその要望を伺いながらできる限りこれに応える、としているのである。また、社会通念上高齢とされる65歳以上の人には、歩行や医療などの点で「特別な配慮」を申し出た場合に限りこのシートを利用することを定めている。このシートは、1999年2月には、国土交通省指定業務を行う社団法人日本旅行協会(JATA)が作成した「ハートフル・ツアー ハンドブック」にも採用され、その後JTBでは、「Dシート」改め「ハートフルシート」として現在も利用している。
 また、もう一つ注目すべきは、1998年6月に作成された「団体営業のためのノーマライゼーション・ツアー マニュアル」である。これは、今まで営業社員が個々で対応してきたハンディキャップを持つ人々との旅行の情報を全国レベルで共有し、より理解を深める目的で制作された。ここでは、"差別しない"で"ちょっと多めな配慮をする"姿勢が貫かれている。そのために、障害の種類毎に対応する方法や「車いすの目線に合わせて」会話する等の注意事項はじめ、今まで行った具体的事例や基本的な用語集、それに関係資料が載せられている。これは、1995年の観光審議会答申の「すべての人には旅行をする権利がある」ことを具現化すべく、旅行会社のあるべき姿勢が書かれているといっても過言ではない。
 さらに、旅行促進のために1996年、ハンディキャップを持つ人のための専門旅行会社「株式会社トラベルネット」を設立し(業界初)、2000年には社内に福祉旅行セクション「JTBトラベルネットデスク」を設置した。また、JTBホームページに「バリアフリー・プラザ」を開設し、バリアフリー旅行商品を提供している。さらに、車いすで行く「ルックJTB」にはハワイ・グアム方面を拡大した。今後は交通など物理面でのバリアフリーの遅れが目立つヨーロッパやアジア地域の拡大も予定されている。また、2001年には、中・高生の修学旅行に「福祉のまちづくり」体験学習プログラムを提案・実施するなど、今後の活動が注目される。
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