卒論・修論の部屋

ハンディキャップを持つ人と旅行から見えてくるもの〜草薙威一郎さんのライフヒストリーを通して〜
地家 杏奈さん


(7)これからの取り組み

 少子高齢化という言葉はよく聞くが、例えばもう少し対象年齢を下げてみると、2005年には成人人口の半数が50歳以上という社会を日本は迎えると、総務省は推計している。とすれば、今後多少のニーズは別にしても、バリアフルな旅行はますます受け入れられなくなっていく、そう考えてもおかしくはない。
 近年注目されている「バリアフリーからユニバーサルデザインへ」という考え方もその一つの現れといえる。前述したとおり、バリアフリーというのはもともと建築用語であり、社会にあるさまざまな障壁(バリア)を取り除くという考え方である。2000年には交通バリアフリー法が制定され、まちづくり全体のバリアフリーに向けてその推進が図られることは大いに歓迎したい。だが、物理的なものに関していえば、一度作ってしまったものは長持ちするため、現在は既にあるものに追加・改良するといった取り組みになりやすい。そのため、コスト高になりやすく、また点字ブロックを取りつけることで車いすを利用する人が通行しづらくなる等の新たな障壁を作り出してしまう可能性も否定できない。さらに、特別な配慮をすることで、ハンディキャップを持つ人々を「特別な人々」だと助長して意識させてしまうことも考えられる。
 そこで登場したのが、1994年に元ノースカロライナ州立大学教授であるロン・メイス氏によって提唱されたユニバーサルデザインという考え方である。年齢や能力に関わりなく、誰もが使いやすいように、最初からバリアを作らない設計にするという考え方である。例えば、一つ公衆トイレを作るとして、車いす対応のものを別に作る予算がないのなら、その一つを最初から車いす対応にしてしまうのである。そうやって、最初からバリアの低いものにして共同で使えば、ハンディキャップを持つ人にとっては選択の幅が広がり、その他の人々も「車いす対応トイレ」を特別視しないことから、それを使う人も特別などとは考えなくなるといった発想である。こうした共通化は、大量に生産できることにもつながり、ビジネスとして受け入れ易くなることも大きな利点であろう。
 同様に、ハンディキャップを持つ人が旅行をする場合には、誰もがアクセスしやすくする方向転換として、こうしたバリアを低くするという傾向が見られる。その顕著な例が社員教育とボランティアの可能性である。
 社員教育とは、ハンディキャップを持った人がより旅に出やすいように、例えば、旅行会社と介護サービス提供会社がリンクして、添乗員が介助技術などを学ぶ試みである。介護サービス会社大手のコムスンでは、91年にコムスントラベルを設立し、契約添乗員に対して福祉介助の研修などを行っている。また、もともとホームヘルパーとして、「ホーム」内のことだけを仕事とする人が、外に出て介助するその教育も行われていくべきであろう。2003年に、ハンディキャップを持つ人にも適用が拡大される介護保険で、草薙氏は、その導入メニューに外出が加わることを提案している。こうした、双方向からの教育アプローチが、バリアの低い旅行の選択拡大につながることは間違いない。
 また、こうしたしくみ作りを待たずとも、ボランティアの先駆性を生かして「とにかく旅に出てみよう」というのが、おそどまさこ氏とJTVN(ジャパン・トラベルボランティア・ネットワーク)に代表される「トラベルボランティア」の制度である。これは、ハンディキャップを持っていて、そのために旅行中何らかの介助が必要な人が、同じ方面に行くボランティアの人(登録制)の旅費を一部負担することで「雇い」、介助してもらうシステムである。JTVNはこれの仲介役として、現在120名近くの登録者を持ち、運営している民間団体である。2001年1月1日に、おそどまさこ氏の企画するツアー以外も手配するようになり組織として独立した。
 しかし、この制度がうまく機能しているのはボランティアであるがゆえの"割りきった関係"が前提とされているからである。トラベルボランティアは100%雇われているわけではないので、個々のケースに応じて負担してもらう旅費や実働時間、自由時間、ホテルの部屋割りなどを話し合う。そして、介助される側も出来ることと出来ないことを前もって明確にし、トラベルボランティアを当てにしすぎないよう、お互いが責任を持つことが求められるのである。
 だが、介助中に偶然に何らかの事故が生じ、怪我を負った場合の責任はどうなるのかといえば、JTVNは、それはトラベルボランティアに問うことはできないと明言している。しかし、果たして完全に"割りきる"ことが可能であるのだろうか。現実に、栃木県で車いすの人が土手から落ちた例、また岡山県では線路に落ちた例など、とても"割りきって"済むような問題ではない事故も起きている。草薙氏は、そういった点で「ボランティアで行うこと、好意で行うことと、業として行うこと、は、同じ次元では語れないこと」があると指摘し、旅行会社や国がこういった制度を取り入れることは難しいだろうと考えている。だからこそ、ボランティアという「先駆性」に期待し、また一方で冷静にしくみ作りも必要だと強く感じているのである。そして、今のところさまざまな問題があり、そのハードルは高いと言わざるを得ない、と指摘している。
 海外に目を向ければ、ニューヨークの市民団体である「BIG APPLE GREETERS」がやはり観光客向けに介助を提供している。が、日本のように出発から同行するのではなく、あくまでニューヨークに来た人を対象に半日程度の介助を行うものである。これを見習えば、バトンタッチ方式で介助を提供する「観光ボランティア」も期待できる。ただ、今のところバトンタッチできるほどのネットワークが十分に存在していないという問題もあり、今後整備が必要である。
 さらに、日本で初めて一人旅をした石坂氏は、のちにこうももらしている。「障害者旅行はボランティアに連れていってもらうものという常識を打ち破って、家族や友人と行くほうが、障害者自身が主人公であり得て、はるかに楽しい」と。
 つまり、ハンディキャップを持つ人が旅行に行く際に、添乗員にサポートしてもらう場合、個人的にボランティアに同行してもらう場合、行く先々で安く介助者を手配する場合、友人や家族と一緒に行く場合等の選択の幅があること(バリアを少なくすること)が重要である。そして、そういった社会こそ全ての人にとって安心で、豊かなものであるといえるのではないであろうか。

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