卒論・修論の部屋

ハンディキャップを持つ人と旅行から見えてくるもの〜草薙威一郎さんのライフヒストリーを通して〜
地家 杏奈さん


 以上のインタビューから、ハンディキャップを持つ人々の旅行を時間軸にそって簡単にまとめるとこうである。すなわち、彼らや彼らを含む市民団体が積極的な希望を持って旅に出るようになる。そして、行政に働きかけ、立法にも影響力を持つ。国の動きに敏感な民間の旅行会社等もそれと前後して積極的に動き出す。すると、ビジネスとして、より多くの営利を求めてより多くのお客さんを獲得すべく、よりよい商品を考え出す。結果的に、ハンディキャップを持つ人だけでなく、全ての人にとって快適な旅行が楽しめるよう改善される。そして、より多くのハンディキャップを持つ人々が外出の機会を得、世間も街で彼らを見ることが珍しくなくなる。すると、よく見掛ける分だけ、彼らが特別な存在だという意識が薄まってくる。そして、一度でも彼らと触れ合う機会があれば、もはや偏見や差別も持つことはなくなるであろう。現在では、ハンディキャップを持つ人とそうでない人とのツアーが頻繁に行われているが、お客さんからの苦情は年に1、2回である。しかもその内容はハンディキャップを持つ人が申込みをする段階で、旅行会社の接客に対して行うものであり、ツアー参加者からの苦情はまずないといってよい、と草薙氏は語る。つまり、旅行の商品がバリアの低いものに改善されている現在では、その旅行を通して仲間となった人々は、もはや偏見や差別を抱かないという良い循環がここで証明されたことになる。バリアが低いといっても、バスの乗降の時間を少しだけ多めにとったり、リフト付きのものにしたり、食事にバラエティーの幅を持たせるといったもので特別なことを想像する必要はない。また、人工透析などが必要であっても、それによって時間が制限されるというツアーはまずないといってよい。添乗員を余分に付けて別行動にするなど、参加者があらかじめ希望を伝え、同意の上でツアーが催行されているからである。もちろん、旅とは非日常であり、どれだけ思考を巡らせても想像だにし得なかった出来事に出くわすことはある。しかし、これは「旅の効用」とでもいうべきものであり、それに対処することで自分に自信がつき、人間として成長できるのである。これは、ハンディキャップを持つ人に限らず、旅行に行った人なら誰しも体験したことがあるのではなかろうか。
 では、国が挙げる4つのバリアの一つである「意識上の障壁」は、結局何が問題であったのだろうか。それは、国が長らくハンディキャップを持つ人を無視し、排除してきた政策に他ならないと考える。ここで、注意しなければならないのは、人々の"意識"であるがゆえに個人に起因させる考え方である。国が「差別はいけません」と啓発しなくても、そんなことは国民の誰もが分かっていることなのである。
 例えば、1993年に問題化した「念書問題」を取り上げてみよう。上述したとおり、この問題の背景には、確かにハンディキャップを持つ人とツアーに参加した他のお客さんからの"苦情"があった。だが、彼ら"他のお客さん"は、ハンディキャップを持つ人に対してただ単純に不快感を覚えたのだろうか。そうではない。彼らは、添乗員がその介助に手間取って自分達のサービスがおろそかにされたことに対して怒ったのである。実際は、旅行会社側の不手際に他ならないのだが、彼らは当時まだ見慣れない"障害者"にその怒りを転嫁したのである。だが、旅行会社も勘違いして、この"転嫁"を行ってしまった。それが、ハンディキャップを持つ人のみに念書をとるという方法に発展したのである。
 しかし、この問題がマスコミに流されるや否や大きな反響を呼んだ。そこには、新聞に投稿するなど、ハンディキャップを持たない人からのものもかなりあった。だが、そこにはまずハンディキャップを持っていること自体を責め、自粛するよう求めるものはなかったといってよい。むしろ、旅行会社の対応を責め、ハンディキャップを持つ人といかにすれば快適に旅行できるかを提言したものが多かったように思う。
 以上より、明らかに一人一人の国民が冷徹なのでは決してない。この問題に関しては、旅行会社が現在のようなしっかりとしたしくみを確立していなかったからに他ならない。そして、旅行会社が積極的に動くためには、国がハンディキャップを持つ人々に対して向き合い、金銭面でもさまざまな働きかけをしていかなければならない。その際、誤った方向に進まないように、マスコミが目を見張り、当事者団体などが積極的に参加し、意見を述べていかなければならない。そして、国はそれをフィードバックする。その継続によってのみ今後意識の面での改善が進んでいくのである。
 現在のように高齢化が進んでいく中で、国がより積極的な姿勢を見せれば、「あと10年もすれば、ハンディキャップを持つ人の旅行も特別なことではなくなるのでは」と草薙氏は予測する。そのような日が一刻も早く来ることを願ってやまない。

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