卒論・修論の部屋
「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」と自立生活運動
大塚健志さん
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第2章、3章でみてきたように、「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」はこれまでに多くの障害をもつ当事者を海外に派遣し、研修生たちは帰国後、研修を通じての経験をもとに様々な分野で活躍している。この事業が、現在の福祉の分野をひっぱる「障害者リーダー」の多くに共通する経験のひとつとして注目され20年以上も続く事業となったのは、日本とアメリカ、両国の当事者運動の歴史の流れと、この事業の特徴がうまく噛みあった結果だと考えられる。
1 「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の特徴
福祉の分野における海外研修派遣事業は国や地方自治体、公益法人(10) によって幅広く行われてきた。しかし、その参加対象は、施設従事者や障害をもたない福祉関係者が中心であり、当事者が実際に研修に参加するという当事者中心のものはのものはきわめて少なかった。ダスキンの事業の1番の特徴は、まず当事者を中心に置いたところである。
2 日米の自立生活運動の歴史と「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」
ここからは第1章で述べた歴史的な流れと「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」について考えてみる。
まず、70年代前半のアメリカでの自立生活運動の誕生・確立があり、日本でも当事者の動きが活発になった。自立生活の試みが一部で見られ始めた70年代後半にエド・ロバーツが来日した。80年代に入って国際障害者年、DPIへの日本からの参加、と日本の当事者の運動と、海外の当事者の運動と自立生活という理念が交わりを見せ始めた。この最中の1981年に「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」は始まっている。 これはまさに日本の当事者運動の流れにマッチした時期であった。海外研修を通じてアメリカの障害者リーダーとのつながりを得たこともあり、アメリカを中心に日本と海外の当事者との連携を強める結果となった。 ここで過去の研修生の主な研修先や研修内容の変遷をみてみると、初期、特に10期までは各地のCILや、リハビリテーション施設(12)などでの研修が中心であり、自立生活運動の基盤となるべき内容を中心とした研修生が多くみられる。(財)広げよう愛の輪運動基金の元事務局長である山本好男氏によると、この時期の研修生たちは、「アメリカと日本の現状の違いを目の当たりにし、日本に帰ってからも当事者運動を推し進める運動家としてのリーダーとして奮闘する人が多かった」という。その結果として、日本の自立生活運動の拠点ともなるべき「ヒューマンケア協会」はダスキン海外研修の初期のメンバーを中心にして設立されている。このような流れによって「福祉は与えるものではない」という認識が日本にも少しずつ広まっていった。 また14期以降は研修先国がアメリカ以外にも広げられ、その研修内容も障害者スポーツ(パラリンピック)に関することや、障害に関わるIT技術、盲導犬に関することなど、より具体的なものが多くなり、また、例えばダンスやパントマイム、人類学、音楽療法など、直接「障害・福祉」に限らない研修内容も目立ってきている。山本好男氏によると「研修生たちがそれぞれの得意な分野や個性を伸ばす方向に変化してきている」という。 このような変化から考えると、初期の頃の研修生たちの帰国後の運動の成果によって日本の当事者が活動する基盤や運動のスタイルが確立されたといえるだろう。また初期の研修生たちは理論や方法、情報を日本に持ち帰っただけでなく、それらを用いて自立生活を実践していった。そして彼らが海外で自立生活を営む障害をもつ人たちを目の当たりにしたように、今度は日本でそれぞれが「自立生活のロールモデル」として近年の障害をもつ人たちに影響を与えてきたのだといえる。このような積み重ねが「福祉」という分野からその他の分野へ障害をもつ当事者が進出していく土壌を育てた。 このような影響を受けて、次に近年の研修生たちは、よりよい自立生活のスタイルを探究するとともに、福祉以外の分野と障害をもつ人をつなげていく役割を担ってきている。そういう意味では事業名の「障害者リーダー」という意味合いも初期の頃とはだいぶ変わってきているのではないだろうか。 日米の自立生活運動の歴史を考えると、それは日本が単にアメリカの進んだ自立生活のシステムを学び、取り入れたなどという単純な説明はできない。第2章でもみたように、日本にはアメリカのそれとはまた異なった独自の当事者運動の流れや自立生活の起源がある。 アメリカの自立生活センターの手法が日本でそのまま利用できないように、その国の文化や国民性と福祉の問題は切り離すことは不可能である。海外の情報やシステムを得るだけなら、わざわざ海外まで行く必要はない。「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の研修生たちは海外の情報やシステムを目の当たりにし、それをそのまま輸入するだけの存在だったのではない。そこで受けた衝撃や刺激、問題意識をもとに自らの実践や運動を通じて日本にあった自立生活のスタイルを育てていったのである。
3 これからの日本とアジアの当事者運動と自立生活運動
日本は「福祉先進国」と呼ばれる国々から様々なことを吸収し、日本の環境に合わせてそれらを取り入れてきた。それは日本の経済的な豊かさなどの海外との交流の基盤があったからだといえる。次は日本がこれまでの経験を生かし、アジア全体の当事者運動をリードすることが求められている。
(10)フルブライト基金など障害をもった学生を海外留学生に選ぶ例もいくつかみられるが、これも障害をもつ人のみを対象にした制度ではない。 |
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