医療福祉と財源の部屋

日本の障害者雇用は50年も前のILO勧告と条約に違反。社会保障削減の動きのなかで、さらに危機的状況に
埼玉県立大学教授 丸山一郎さん

 本日はお越しくださり誠にありがとうございます。この4月に腫瘍が見つかり療養中でありまして、ご覧のように栄養を中心静脈の点滴でしております。(略)疲れで声が止まりますので、息子にメモを代読させますことをお許しください。

■43年前、パラリンピックでの衝撃■

 約40年まえの1964年、私の学生のときです。
 日本赤十字社の通訳ボランティアとして参加した「東京パラリンピック」では、日本の選手は、すべて病人か患者として扱われ、病院と収容施設から来ておりました。働いている人は誰一人としていませんでした、働けると思っている人もいませんでした。

 一方、欧米の選手はすべてが普通の社会人で、かなりの重い障害のある人でも、さまざまな職業につき、社会に参加していることがわかりました。
 欧米からの参加者は、障害のある人びとを取り巻く日本の状況を、彼らの社会からみて少なくとも30年から50年は遅れていると言いました。

 日本選手の解団式では、人間賛歌の素晴らしい世界大会にでられた歓びの反面、明日からまた全く希望のない生活に戻ることを想い、皆泣いていました。私は、彼我の社会的に大きなギャップと日本人の惨めな状況に愕然としたのです。

 パラリンピックの選手たちの就職支援をボランティアグループで取り組みながら、私は卒業論文で「障害と生産性」をテーマにして、雇用されない障害のある人々の働く状況を調べました。
 箱根の傷痍軍人の授産場、東京・神奈川の数少ない授産施設での内職仕事では人々は暗い表情で働いていました。
 東京コロニーでは、国鉄払い下げの客車を区切って住み、病院の残飯を食べ、ベッドの上でガリ版印刷をしながら職場を自分たちの力で作ろうとしている、調一興さんたち結核回復者の姿に特に衝撃を受けました。

■楽しく働く欧米の重度障害の人の姿に勇気づけられ、「太陽の家」を■

 さらに、欧米からの選手の実際の職場を訪ねることが出来、リハビリテーションと雇用施策の違いと、ともに生きる社会環境をつくることや、根本的な障害に関する考え方を知るのです。
 特に、一般雇用されることの困難な重い障害のある人々の多くが、米国グッドウィルインダストリイーやアビリティーズで楽しく働く姿を見、ヨーロッパの選手の多くが英国のレンプロイのような、特別支援の雇用政策の下で働いているのを知り勇気づけられました。

 日本の遅れは絶望的に思えましたが、他面、欧米で進められたことは日本でも実現できるはずだとも考えました。パラリンピックの団長であった中村裕先生に、欧米での状況を報告し、内職や零細作業所でなく近代的な工場を作るべきと提言し、後の'太陽の家'の建設募金運動に参加しました。"当時の障害のある人への想いから水上勉さんが家"とつけたのですが、英文名はJapan Sun "Industries" としたのです。

 卒業後、工場計画や品質管理、動作研究を勉強したことが役立つかも知れないとも思い、九州別府に飛び込んでゆきました、無我夢中であったようです。竹細工から始めながら、三年目にシャープに部品納入を実現できたときは大歓声を上げました。現在の太陽の家は、伊方博義さんのような優れた実務家や全国から集まった障害のある人の頑張りにより、他には類のない、オムロン、ソニー、ホンダ、三菱商事、デンソー、富士通などの大企業と提携した1100人を超える障害のある人の雇用就労を継続しています。

 東京パラリンピックから43年がたちますが、私は、調一興、小川孟、板山賢治さんなどの先輩である良き師に指導をうけ、頼もしい仲間を全国にまた世界各国に得て、職業リハビリテーションと雇用就労の促進、福祉工場の経営と多様な就労方式の開発、環境改善運動、障害者施策の促進、アジアの働く場づくりと人材養成などに係わる機会を与えられました。本日一緒に受賞するという嬉しいことになった山田昭義さんとも生活圏拡大運動からの古いお付き合いです。
 特に国内の多くの障害関係団体の活動をつなぐ役、国際的な協力すすめる役割を少しは果たせたのではないかと思っております。障害のある人々との運動体験を基本にして、国際障害者年のPR担当、福祉専門官として様々な施策の提案ができたことも大きな歓びでした。

■社会保障削減の動きのなかで進展がとまり、今や逆行しているとさえ■

 この間に確かに多くの前進がありました。私が係わることが出来た、情報提供などを通しての障害問題の理解促進、政治的関心の喚起、当事者運動との調整などの成果として、基礎年金制度・特別障害者手当が創設され、障害のある人々の所得保障が改善され、多くの障害のある人々の生活が一変したことは大きな喜びでした。ともに生きるということにむけて、日本社会が必要な費用を国民全体が負担することを了承した大きな前進だと誇りに思ったものです。アジアへの日本の具体的貢献ができたとも思いました。
 これらを徹底して、もう一歩を進める事が出来れば解決できそうだと期待がもてました。国連は障害問題のテーマを「完全参加と平等」から「総ての人の社会」へと進めましたが、50年の遅れは縮まったのではと思えたのです。

 しかし、障害問題が社会全体をよくすることの基本であるとの共生社会への理解は、財政危機にともなう社会保障削減の動きのなかで進展がとまりました、今や逆行しているとさえ思えます。社会保障全体の論議に、最も生活に困難を抱える人々の問題への取り組みが回避されています。共生社会の根本が決断されていません。
 重度障害のある人々が当たり前の社会生活が出来るところに目標をおけば、総ての人の利益につながることを、社会の総ての分野が根本的に理解することをもう一度努力できればと願うものです。障害基礎年金を誕生させた国民全体の動きを再現したいのです。

■50年以上も前のILO勧告に追いつかない日本■

 雇用に関しても、本当に職業的に障害のある人々、生産性低い人々は、福祉施策の対象とされ雇用政策から排除されたままです。このことは50年以上も前にILOが勧告をしていることなのです。この度行ったILOへの申し立ては、企業、労働組合、社会福祉事業者、そして政府など社会全体への問題提起です。これ以上見過ごしてはなりません。

 余命は短いのですが、問題解決への協力体制づくりの働きかけを続けて、次に引継いで貰いたいと存じます。今回の受賞は小倉さんが最後までしっかりやれとハッパをかけてくださったのでありましょう。

 皆様に心から御礼申し上げます、本当にありがとうございました。

注:
英文の申し立て書は、丸山一郎さんが4月からの入院中に作成されたもの。
申し立ての日本語訳は、http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/0710/ILO.pdf
関連の朝日新聞記事は、http://www.jdnet.gr.jp/asahi_2007_12_3.JPG
でお読みになれます。

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