優しき挑戦者(国内篇)

※写真にマウスポインタをのせると説明が表示されます


エンゼルカード
図@:エンゼルカードの表紙(クリックすると中身が見られます)

 医療界の常識を変えようとする講義がこの2005年4月、東京・青山の国際医療福祉大学大学院で開講しました。
 教壇に立つのは、医師やナースなどの専門家ではありません。病気や医療事故を体験した人、その家族・遺族です。一方、講義を受けるのは医師やナース、そのタマゴ。
 タイトルは「患者さんの声を医療に生かす」です。
 今回は、20人を超えるゲスト講師のひとり、「小さないのち」の坂下裕子さんたちに登場していただきます。その活動は、すでに、医療に「生かされ」始めています。
 たとえば、病院から遺族に渡される「エンゼルカード」。天国で遊ぶエンゼルの絵の表紙を開くと優しい文章があらわれます。(図@:クリックすると別ウィンドウでカードの内容が見られます。)

〇〇ちゃんのご家族へ
 このカードは、当科で亡くなられたお子様のご家族にお渡しするものです。お家に戻られてから次のようなことでお困りのときは、いつでもご来院ください。
・亡くなられたお子様の病気の経過や治療について説明が必要なとき
・ごきょうだいの成長や育児に不安を感じるとき
・悲しみがとても強く、心身の不調を感じるとき
・ その他、あなたが当科のサポートを必要とするとき

お子様を亡くされたあとの暮らしについて
・誕生日や思い出の日が近づくにつれつらくなるかもしれません。
・社会生活や対人関係が苦痛に思えるかもしれません。
・今まで普通にできていたことを難しく感じるかもしれません。
・記憶力や判断力が著しく低下したと感じるかもしれません。
・ご夫婦やご家族で悲しみの表現が違うかもしれません。
・あらゆることに自信がもてなくなる時期があるかもしれません。
・時間が経っても悲しみが深まる一方に思えるかもしれません。
・ 気持が和らぐことにさえ苦痛を伴うかもしれません。
(略)
以上は多くのご遺族が、経験されたことをもとに教えてくれたことです

写真@:1歳の誕生日を祝った直後に急逝したあゆみちゃんと、妹おもいの大樹くん

 裕子さんは、ピアノ教師という仕事、大樹くんとあゆみちゃんという仲のよいわが子、家族思いの夫、喜一さんに恵まれ、「一生幸せなのだと思いこんで」いました。
 ところが、あゆみちゃんが一歳の誕生日を祝って(写真@)ほどない1998年2月6日、思いもかけないことが起こりました。
 夕方、「軽い風邪」と診断されていたのに、夜になって、高熱、けいれん、嘔吐……。
 夜の都会は、子どもにとって無医村でした。受け入れてくれる病院はなく、小さな診療所へ、そこから、小さな個人病院へ。
 大学病院にたどりついたのは、救急車を呼んでから四時間半もたってからのことでした。聞いたこともない「インフルエンザ脳症」の診断、脳死、そして、死。

 誰にも会いたくありませんでした。
なぜ、死ななければならなかったのかを突き止めたいのに、人々は、親切心でいうのです。
「若いんだからもう一人産みなさい」
「いつまでも泣いていたら成仏できないよ」
 大樹くんの様子もおかしくなりました。突然大声をあげて外に飛び出したり、床を転がったり、お漏らしをしたり……。

 抜け出すきっかけは、セルフヘルプグループの仲立ちで知り合った立石由香さんとの出会いでした。いまは事務局長としてテキパキと仕事する由香さんですが、出会ったときは、髪の毛はもつれ、頬はこけ、足元もふらついていました。
 同じ年の同じ月に同じ病気で亡くなったた恭平くんに、幼稚園児の兄がいることも同じでした。
 電話で話し続けたふたりは、翌年4月、「小さないのち」を立ち上げました。「いのち」がひらがななのは、こどもの命のいたいけなさ、いとおしさを表したいという喜一さんの望みでした。
 嘆きあうだけでなく「どうすれば助かることができたか」を突き止めようとしました。小児科を廃業した病院の数が8年間で1割、400軒も減っていることを知りました。

 会のことがテレビで放映されると北海道から沖縄まで、同じ病気で亡くなった子、後遺症が残った子の親から次々と連絡が入りました。どの子の親もいいました。
 「ずっと探していたんです。同じ気持ちで暮らしている人を」
 自身のために始めたことが、人のためにもなっていたことを知りました。
 会の目標を決めました。

@かぜやインフルエンザなどから重症化したこどもの親の心を癒すこと。
Aインフルエンザや急性脳症についての正しい知識を集め、普及すること。
B小児医療と小児救急の充実のために協力すること
↓幼い死から3冊の本が生まれました
写真A 写真B 写真四
写真D:インフルエンザ脳症で突然わが子を失った人々のホームページファイザーが技術面でバックアップして優しい雰囲気に

 その後、病名をインフルエンザ脳症に限定せず、病児遺族のための会に広がりました。
 3冊の本も生まれました。(写真ABC)
『いのちって何だろう』は、中学生になった大樹くんとの会話がヒントで生まれました。
 ファイザー株式会社の応援で優しい雰囲気のホームページ(写真D)も誕生しました。

 裕子さんは言います。
「これまで、遺族は医療と縁が切れていたため、声は医療者に届きませんでした。けれど、遺族は最後まで医療を見ている人、病気や医療についての情報の宝庫です。一人では個人の体験しか持ちえないけれど、体験者が集れば、聞き取り、アンケート、ピアカウンセリングを通じて総合的な情報、統計的な情報をもっています。」

 厚生労働省のインフルエンザ脳症研究班は、裕子さんたちを研究班員として迎えました。
「診療記録(カルテ)は親にとって遺品」
「子を失った親は生きる意味を見いだせないほど衰弱するので兄弟への影響も避けられない」。
 提案や発言は医療者が思いつかないものばかりでした。冒頭でご紹介したエンゼルカードはそのひとつでした。
 音学大学でソプラノを学んだ裕子さんは、この春から、武庫川女子大で生命倫理を学ぶ大学院生になりました。
 あゆみちゃんの死の意味が、「小さないのち」の活動がさらに深まることでしょう。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年5月号より)

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