優しき挑戦者(国内篇)

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写真@:過労で自殺した小児科医の妻、たらい回しで亡くなった子の母、見逃しで亡くなった子の母に加えて、小児科学会代表が一堂に会したシンポジウム

 2005年5月4日、東京の下町で"小さな奇跡"がおきました。
  「私たちのような悲しみをくりかえさないために」と3組の遺族が企画した集いに400人を超える人が全国から集まったのです。ゴールデンウィークの真っただ中、しかも快晴の行楽日和。これほどの数の人が集まって、「こどもにも、小児科医にも優しい小児救急体制をつくろう」と熱心に語り合うことになるとは、だれも予想していませんでした(写真@)。

 会場に近い亀有駅前で何日も前からチラシを配って参加を呼びかけたのは、「こどもの救急が危ない!」に登場した、中原のり子さんと豊田郁子さんです。
 激務に疲労困憊し、「経済大国日本の首都で行われている、あまりに貧弱な小児医療。私には、医師という職業を続けていく気力も体力もありません」という遺書を残して自らの命を断った中原利郎さん。のり子さんは、夫の死をかけた訴えを引き継ごうと決心していました。
 郁子さんは、5歳の理貴ちゃんを病院の誤診と引き継ぎのミスで失い、精神安定剤と睡眠薬なしには暮らせない状態に陥り、そこから立ち直ったところでした。ふたりに共通しているのは、「もう誰にも、こんな思いをしてほしくない」という願いでした。

写真A:九鬼伸夫さんがつくった予告のホームページは、
シンポジウム終了後も情報発信基地として存続することになりました。

 「ボランティア精神は"伝染"する」という法則どおり、こうした姿に感動した医師たちが、医療関係のネットワークにメールで参加を呼びかけました。九鬼伸夫さんは、ホームページhttp://www.bb.e-mansion.com/~kuki/を立ち上げて応援しました(写真A)。
 地元の新葛飾病院院長の清水陽一さんは、目立つピンクのゼッケンをつけて駅頭でのチラシ配りに加わりました。清水さんは、医療事故を防ぐカナメになるセーフティマネジャーというポストを病院につくり、そこに医療事故被害遺族である豊田郁子さんを招いた熱血漢です。
 読売新聞社会保障部記者の鈴木敦秋さんは、この日のために、『小児救急−「悲しみの家族たち」の物語』(講談社)写真Bを徹夜で仕上げました。  これを読んで心を揺さぶられた学生たちが、手伝いを申し出ました。Intercollege、Interdivision、Interchangeを合言葉に、学校間の垣根、専門間の垣根を乗り越えて医療について学びあう学生サークル「I-cube」http://icube.umin.jp/の若者です。
 こうして、"奇跡"がおきました。

写真B:遺族と小児科医を結びつけた読売新聞の鈴木敦秋さんの『小児救急「悲しみの家族たち」の物語』(講談社)

 佐藤美佳さんは岩手県から駆けつけました。たらい回しの貧しい小児救急で生後8カ月の頼ちゃんを失い「次の犠牲者を出さないために」と3万人の署名を集めた女性です。けれど、おおぜいを前で話した経験がなく一睡もできず舞台に上がりました。
 日本小児科学会の小児医療改革・救急プロジェクトチーム担当理事として解決策を探り当てつつある東京女子医大教授の中澤誠さんも集いに加わりました。被害遺族が企画した集まりで学会の重鎮が一緒に話すのは前代未聞のことです。中澤さんはこういいました。
 「こどもに優しい小児科医はたくさんいます。自分の時間をこどもたちに奉仕することが使命、喜びである小児科医です。ただ、システム、制度の問題点を知りながら、でも、考え、行動する時間がないんです。そして、自分もだんだん追い込まれていく。中原先生と同じことが、きょう起こっても不思議はないのです。3家族の共通した認識は、いまの医療を変えたい。私どもも、いまの医療を変えたい」

 会場から、開業医の天野教之さんが発言しました。
 「私も月の労働時間が200時間に達することがあります。月10回の当直はあたりまえ、それがふつうと思っていました」
 会社員の藤塚主夫さんはいいました。
 「私たちの世界では月40時間以上の時間外労働をしてはいけないと労働関係の法規で決まっています。つづけさまに38時間働く当直勤務や月8回の当直があるという医療の世界はどう考えても異常です」
 「良質の医療を受けるために、もっと個人的にお金を出してもいい。それほど切実なのです」という意見もでました。
 これに対して、外科医の本田宏さんは会場から異論を唱えました。
 「日本では、あらゆる分野で医師不足があります。先進国の水準から見て、日本の公的な医療予算は少なすぎます。もっとも弱い子供に医療の矛盾がしわ寄せされている。黙っていないで一人ひとりが投票し、声を上げていかなければ」

 内服薬を点滴の管につなぐというミスで幼い笑美ちゃんを失った菅俣弘道さんの言葉は、衝撃的でした。
 「医療者は医療事故で命を落としたという感覚でしょう。けれど家族にとっては、『殺された』のです。この違いを知っていただきたい」
 写真Cを送ってくださった母の文子さんのメールにはこんな言葉が添えられていました。

"祭壇" 今も笑美はここにいます。笑美の遺骨はお墓ではなくお洋服を着てここにいます。
写真C:
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
結婚4年後に授かった笑美ちゃんを抱いて幸せそのものの菅俣夫妻。この半年後、笑美ちゃん死去。(東海大学付属病院の乳児室で)
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜* 写真D:この写真にはお母さんの文子さんのつぎのような言葉が添えられていました。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
“祭壇”
今も笑美はここにいます。
笑美の遺骨はお墓ではなくお洋服を着てここにいます。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
 私は尼ケ崎の脱線事故のことを思い浮かべました。
 JR関係者には「事故」かもしれません。でも、遺族にとっては「殺された」という思いです。
 初めは、「未熟な運転手に殺された」という怒りと恨みが沸き起こったことでしょう。
 ところが状況が明らかになるにつれて、背後の構造が明らかになってきました。経費を切り詰め、安全性を軽んじてきた経営の仕組み、それを見て見ぬフリをしてきた専門家や職員、そして、無関心だった私たち…。
 医療の世界もまったく同じです。

 「愛の反対は無関心です」というマザーテレサの言葉は、医療の世界にそのまま通用します。政治家、専門家だけでなく市民の関心の持ち方と行動も試されています。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年6月号より)

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