優しき挑戦者(国内篇)
(53)相模野病院、小さな病院の大きな挑戦

■「常に真実をお話します」■

横浜線の矢部という小さな駅を降りると、近隣の人たちから頼りにされている社会保険相模野病院の看板が目に入ります。
玄関を入ると、珍しい表示。
「常に真実をお話します」と空色をバックに書かれているのです。
気をつけてみると玄関だけでなく、病棟にも各科の外来にも表示されています。
抜粋してみます。

当院では患者の皆様を第一に考える、開かれた病院を目指しております。
その精神の下に、患者の皆様にお約束します。
1.診療行為を中心とした、すべての事柄に関して、正確に情報公開いたします。
2.事故を未然に防止できる安全体制を整え、常に改善努力を怠りません。
3.万一事故が起きた場合は、真実追求のため、全力を尽くします。
4.判明した事実、対策はすみやかに公表します。

医療の世界では長年、新米のお医者さんに、こう、叩き込んできました。
「ミスがあっても、謝ってはいけない」「医師仲間を批判してはいけない」
この不文律が、医療者と、「真実を知りたい」と願う患者や家族との間に厚い壁をつくりました。不信を招いてきました。
このような、長く続いた閉鎖的な医療の文化を変えようとしている病院グループがあります。全国に52ある社会保険病院。理事長は「患者の声を医療行政に反映させる」運動を始めた伊藤雅治さん。その牽引車が、相模野病院と、院長の内野直樹さんなのです。

きっかけは、主治医をつとめた患者さんの死でした。内野さん自身はカルテを示して、何がおきたかを丁寧に説明したいと考えました。
ところが、上司はいいました。「カルテは見せるな」「葬式にいってはいけない」「謝ってはいけない」「病院として対処するから、患者の前に出るな」

■変人→却下→抵抗■

1995年に産婦人科部長になった内野さんは、宣言しました。
「患者さんに嘘をつきたくない。いつも真実を話そう」
初めは変人あつかいだったのですが、部長職を続けているうちに、この思想は次第に産婦人科の中に定着していきました。
真実を話した方が、患者・家族との信頼関係が深まることを、みんなが実感していったからでした。

自信をえた内野さんは、02年、副院長になるやいなや、「真実説明を病院全体に広げたい」と提案しました。
ところが、「くだらないことをいうのは、やめてくれ」と直ちに却下。
ここに「神風」が吹きました。赤字続きの病院経営に疲れたのか、院長が退任。04年、内野さんが、思いがけず院長に。

早速「常に恥ずかしくない行動を」という職員行動規範を周知しました。

1.結論に至った判断は間違っていないか
2.患者、指示、手順を再度確認したか
3.自分の行動は正しいといえるか。人に見られて恥ずかしくないか。

このころには、日本でもヒヤリハット報告が奨励されつつありました。 けれど、それが再発防止につながらず、「気合をいれてがんばります」という根性論に流れてがちだったのでした。

■「患者さんが気がつく前に話す」■

07年、内野さんはさらに思い切った方針を打ち出しました。

真実説明・職員への宣言
1.事故、失敗は隠さず、患者さんが気がつく前に話す
2.過誤があれば謝罪する
3.病院は個人を徹底して守るが、隠蔽した場合は許さない
4.必ず具体的対策を公表する。

同時に、患者や家族からの理不尽な暴力や暴言からスタッフたちを守るための表示も貼りだしました。

不思議、というか、当然というか、このような方針転換のあと、患者数は増え始めました。相模野病院は、赤字病院から黒字病院に生き返りました。

■「泣きたいくらい意地を張って」■

この内野さんを、私は、国際医療福祉大学大学院の「現場に学ぶ医療福祉倫理」の授業にゲストとしてお招きしました。
大学院生たちは、内野さんの実践に魅了されました。


レポートから、ほんの一部をご紹介します。

医師不足の最中でも、「志の低い医師は、病院の方針を守るためには辞めていただいた」「人は弱いから、低いほうへと流れていく、それによってくずの集団が出来上がる」「泣きたいくらい意地を張って、やせ我慢して行くとなんとかなる」「1ミリ後ろに下がると、100メートル下がることになる」という、内野先生の言葉に感動しました。

臨床で働いていたころの、忘れられない出来事を反芻する機会となった。「早くまるく収めたい」「隠蔽したい」というトップの意向で、カルテの書き直しを師長から促され、泣きながら先輩ナースに助けを求めたこともあった。医師の誤薬の説明内容に納得できないのに、何も言えずにただ立ち会っているだけのこともあった。

相模野病院にお手伝いと指導に行ったことがあります。決して印象はよくありませんでした。
あの病院が、こんなにすばらしい病院になっていると思うと感激もひとしおです。

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』2008年11月号より)

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