夫が他界し、早3年が過ぎました。ある日、夫のイメージに合う小部屋に出会い、必然的偶然のような直感を感じました。その小部屋を2年間だけお借りし、夫の書籍類の一部を移し、親交のあった皆さまに使っていただけるようしつらえることに致しました。
研究資料などをご覧頂いたり、現場から離れて黙想・対話の空間として自由に使っていただけたらと存じます。
小部屋の名称を「hemma」(ヘンマ)と名づけました。スウェーデン語で「我が家にいる」といった懐かしい響きのある言葉です。皆さまに、hemmaと感じ、くつろいでいただける空間となるようにと願っております。
差出人は外山真理さん。日本の貧しい介護環境常識を大きく揺さぶり、改革の風を起こし、52歳の若さで旅立ってしまった京大教授、外山義(とやま・ただし)さんの夫人です。
「小部屋」は、京都のまちにひっそりと建つ洋館の1階にありました。昔風の鍵を回すと、そこは、"外山義の世界"でした。白木の本棚の一角に、スウェーデン王立工科大学に提出した博士論文(写真@左端)。漆黒の地に『IDENTITY and MILIEU』というタイトルが白く浮き出ています。その下に、ポジとネガの対になった能面が2つ納まった正方形。右上から引いた対角線の左上の鶯色と、右下の朱色が、神秘的な雰囲気をかもしだしています。
外山さん好みのチョコレートブラウン色のテーブルクロスの上に置かれた栞(写真A)には、この部屋の使い方が記されていました。
☆引き出しの中のコーヒーカップ・グラス・コーヒー・紅茶類を自由にお使いください。
飲食もどうぞ。
☆ビデオ、オーディオ、電気ポットもご自由に。
☆予約・使用料は不要です。
☆他の方と一緒になったら、「予期せぬ出会い」の偶然を楽しんで頂けたらと思います。
話は遡って、1973年、スイスで開かれた保健経済学の国際会議で、海を隔てた2人の学者の間に友情が結ばれました。国立公衆衛生院社会保障室長だった前田信雄さんとスウェーデン社会保健省の高官、グンナール・ヴェンストームさんです。
高齢社会に「これから」遭遇する日本と、「すでに」経験したスウェーデンとで経験を共有し協力しあおうと話が盛り上がりました。
それから8年。東北大の先輩後輩という縁を頼りに、外山さんが前田さんのもとに相談に現れたとき、前田さんはためらうことなくヴェンストームさんと外山さんの縁を結びました。社会保健省の実力者であるヴェンストームさんの仲人でスベン・ティーベイ教授を初めとする外山人脈が広がることになりました。
82年に一家でスウェーデンへ。そして、88年博士論文完成。
タイトルの「MILIEU」はフランス語で環境という意味です。永年の暮らしの場から余儀なく離れなければならなくなった時、高齢者のアイデンティティーはどう脅かされ、どのように自己を取り戻していくか。克明なデータを駆使して分析したこの論文は、国際的に高い評価をえました。
その着想の原点は、実は子ども時代にありました。牧師の子として生まれた外山さんは、教会に通ってくるお年寄りに可愛がられて育ちました。写真Bは、高校時代のひょうきんな表情の外山さんです。
「そこで出会ったお年寄りは、人生の四季でいえば秋の実りのような豊かな人々でした」
「ところが、大学の卒論で訪れた養護老人ホームで出会ったお年寄りは8畳間に4人が寝起きし、『お迎えがくるのを待っているだけ』とつぶやくのです。この違いを作り出す施設とはなんだろうという疑問が、高齢者施設に強い関心をもつきっかけとなりました」
「空間の貧しさは、そのまま行動の貧しに直結しやすいのです」
そう、外山さんは記しています。
外山さんを京大に招いた小林正美教授は、追悼集『対話−魂の器をもとめて』にこう書いています。
「論文の圧巻は、全214ページのうちの128ページを占める、直接、住居に赴き会話を交わしながら調査した21人のお年寄りの、移行前と移行後の住いの状況と生活の変化の記録である。卓上に置かれている眼鏡ケースから、生活を彩る小物の配置まで、住み手の生活が、息遣いが聞こえるほどの緻密さで図面に書き込まれている」
その論文の元になった気が遠くなるほど綿密な図面と美しい英語の筆記体で書かれたメモ(写真C)に、「小部屋」で会うことができました。
小林さんは、こうも書いています。
「この論文では調査対象の21人の名前がすべて記されており、よく見ると、Mr.&Mrs.Anderson、Mr.&Mrs.Bengtsson、Mr.&Mrs.Carlsson、そして、Miss Olssonといった具合に、AからOまで、アルファベット順に6組の夫妻と9名の単身者、計15家族のファミリーネームが並んでいる。私が外山さんに『よくこれだけ綺麗にアルファベット順に並ぶ人を見つけましたね。本名を出して問題はなかったのですか?』と聞いたところ、『よくそこまで気がつきましたね』といった後、『ウフフフフ』と笑っていた。外山さんは、さりげない気配りで、調査に協力してくれた人のプライバシーを守る人なのである。このような心遣いがあるからこそ、傷ついた人間の、なかなか他人には見せない心の領域まで入る研究が可能なのである。人間の心の問題をあつかう研究では、研究者自身に一人一人の人間の尊厳をリスペクトする心がない限り、そして、その信頼と引き換えにでしか、人間についての真理は教えてもらえない」
外山さん語録に「オイルサーディンのように人間を雑居部屋に詰め込み、たこ焼きのように端からおむつを替えていく日本の施設」というのがあります。「魂の器」とは遠い日本の現実が我慢できなかったのでしょう。
「外山義」をキーワードに朝日新聞の記事を年代順に検索すると、真っ先にでてくるのが「痴呆性老人を見捨てない町・福祉の先進国家スウェーデンの実験」という89年6月6日の「アエラ」の記事です。
道案内役の建築家、外山義さんは千代紙を持参して鶴を折ってみせた。外山さんはこのような場所にずかずかと入り込んで『見学する』のは失礼だと考える人。友人として心から歓迎される、そんな雰囲気をつくれなければ訪ねるべきではないという信念で調査研究を続けてきた。ここでも、流暢なスウェーデン語であっという間に親密になった
アエラ編集部から高齢者特集の相談を受けたとき、まだスウェーデンにいた外山さんを紹介し、認知症高齢者のためのグループホームについての日本初のルポのきっかけをつくったのは、私の数少ない自慢のタネです。前田信雄さんの「貧乏しながらいい研究をしている有望な青年がいる」という一言を思い出したのでした。
写真D(クリックで拡大します)は、その続報です。89年9月15日号の「アエラ」の臨時増刊『老人を捨てるな〜不安なき長寿社会への展望』に、外山さん自らが筆をとって認知症デイ・ケアと長期療養病棟廃止への道のりの紹介しています。
同じ年の秋、私はデンマークの元社会大臣ベント・ロル・アンデルセン教授を招いて『「寝かせきり」ゼロへの挑戦』というシンポジウムを企画。迷うことなく外山さんにシンポジストをお願いしました。帰国し厚生省の病院管理研究所主任研究官になったばかりのころでした。
「日本で『寝たきり老人』と呼ばれている人は寝かせきりにされた犠牲者」という85年以来の私のキャンペーンを外山さんは明快に支持してくれました。
「スウェーデンでは75年に、『スタッフの助けを得れば起きて生活できる老人が一日中寝かせきりになっている』という報告が出て問題になりました。85年の同じ調査では、この率は大幅に減りました。残された健康な部分に注目して活性化させていこうというふうに視点を変えたからです」
「日本は医学が進んでいるので、寝たきりになるような年よりまで生き延びるのだ」「寝たきり老人は、どこかに隠されているに違いない」という根強い批判にさらされていた私には、外山さんは白馬に乗って救いにきてくれた王子様のように見えました。
批判にさらされた私の社説は他にもありました。たとえば88年4月の社説「雑居部屋で老いたくない」も、専門家から、散々でした。
「日本の老人は欧米とは人情が違う、相部屋の方が和気あいあいとしていいのだ。現場を知らない論説委員は困ったものだ」というのです。
この論争に科学的にエレガントに答えを出してくれたのも外山さんでした。岐阜県古川町にある県立特養ホーム「飛騨寿楽苑」の建て替え前と後とでお年寄りがどう変わったかを比較した有名な研究です。その手法は、博士論文のときに磨き抜いた手法を駆使したもので、個室ユニットケアの政策変換の裏付けとなるものでしたが、詳細は後の号に譲ることにします。
「小部屋」のソファでくつろいででいたら、錯覚に襲われました。
「ボクが陣内孝則に似てるんじゃなくて、ヤツがボクに似てるんだ」と、いつもの悪戯っ子のような表情で外山さんが目のまえに現れたような……。